第38話 夜の学校

夜の学校は、不気味というよりは、どこか懐かしいような感覚を連れて来た。

いつもの見慣れた風景が様変わりして、少年のようなワクワクする心を呼び覚ますからかも知れない。

月明かりに浮かび上がるグラウンド。

サッカーのゴールポストに、何故か昼間より白く見える地面に描かれた白線。

校舎に挟まれた中庭は予想以上に暗くて、予想以上に虫が賑やかだ。

最近、ミサは河原で過ごすことをやめて、学校で夜を明かしているらしい。

客観的にどちらが怖いかはともかく、あの河原にミサを繋いでいたしがらみのようなものから、ミサがき放たれたのなら喜ぶべきことだ。

それに、誰も集まることの無い河原なんかにり所を求めるよりは、まだ学校の方が救いがあるように思う。

夜間は校舎には出入りできない。

本来は敷地内にも入れないはずだけれど、そこはまあ田舎いなかの学校なのでネットが破れたままのところもあるし警戒は緩い。

ミサは、放課後そのまま残って教室に閉じこもることもあれば、廊下などで過ごすこともあるようだが、今夜はグラウンドを見渡せる校舎の前に座っていた。

月明かりを浴びて、ぽけーっと夜空を見上げていた。

あどけなく可愛らしいようでいて、神秘的なほど綺麗にも見える。

もし誰かが「見えて」しまったとしても、怖いなどとは思わないのではないか。

「あ、幽霊が出た」

ミサが僕に気付く。

僕もそうだが、ミサも制服は冬服のままだ。

特に中学の濃紺の制服は、闇夜に溶けてミサの白い顔を際立たせた。

「ねえねえ、こうやって漆黒しっこくやみにひそんでいる私って、幽霊っていうよりヴァンパイアっぽくない? あるいはサキュバス的な?」

……こいつ、中二病持ちだったのか。

「この黒の世界で、キサマがしぼり取ってほしいのは赤か白か!」

黒い世界、赤い血、白い……精液?

……まあ、こんなに可愛らしい存在の眷属けんぞくになったりするのも悪くないのだが。

「どっちも似合いそうだけど、最初に君が目に入ったとき……」

「目に入ったとき?」

「寧ろ天使っぽく見えた」

「は?」

「あどけない顔が月の光に浮かび上がって、神々こうごうしいというか」

「ば、バッカじゃないの!? 何が天使よ! 私は月の光で光合成なんて出来ないんだから!」

いや、バカはお前だ。

天使だって光合成など出来るか。

「神々しい、だ」

「え? あ、神々かみがみって書いて?」

「そうだ」

「……ま、まあ知ってたけどね」

神々しいとガキっぽさの落差が凄い。

「あるいは、かぐや姫っぽかった」

「ア、アンタ、かぐや姫を見たことあんの?」

「あるわけ無いだろう」

ミサは月を見上げた。

ほら、三十八万キロの彼方かなたを、がれるような目で見る。

でも僕も、少し前までそんな目をして空を見上げていたような気がする。

「で、何しに来たの?」

「ん? いや、夜の学校って楽しそうだなって」

勿論それもあるが、ミサの夜の生活が気にもなっていた。

……夜の生活というと語弊ごへいがありそうだが。

「私ね、学校にあまりいい思い出は無いの」

最近のミサは、以前より明るい。

以前よりとげが取れて、少し柔らかくなった気がする。

「いま思えば、私って周りを見下していたし、特に女子からは嫌われていたから」

「いや、今でも君は周りを見下し──ぐはっ!」

鳩尾みぞおちひじが入った。

「アンタや咲ちゃんのことは、そ、尊敬なんてしてないけどっ、少なくとも見下してはいないわよっ!」

肘打ちまでして否定してくれるなんて、嬉しいじゃないか。

中学一年で生を終えた少女は、それでも尚、ちゃんと成長したのだ。

僕は……成長できるだろうか。

「つとむくん」

「ん?」

「浮気しに来たの?」

想定内のからかいだ。

「したい気持ちがあるくらいミサは魅力的ではあるけれど、咲のお達しでもある」

「つまり、命令だから来たの?」

「僕は咲に絶対服従しているわけじゃない」

「自分の意思が優先なのか、咲ちゃんの意思が優先なのかハッキリしなさい」

「……二人の意思だ」

咲に許可を求めようとしたら、咲の方から言い出してきた。

学校だろうが河原だろうが、一人きりの夜ばかりでいいわけないでしょ!

咲はそう言って、蹴飛ばすように僕を学校へと送り出した。

「変な彼女ね」

「ああ。変な彼女だ」

「つとむくん」

「何だ?」

「私がつとむくんに抱かれたら成仏じょうぶつできる、って言ったらどうする?」

「裸でせまってきても抱かない」

「ふふっ」

僕よりずっと年上みたいな顔をして少女は笑う。

「成仏って、本来は救われることだと思うんだけど?」

「そんなものは知らん」

「は?」

「極楽浄土だか何だか知らないが、僕の知らないところで君が幸せになったところで、知りようの無い僕は喜べないじゃないか」

「……我儘わがままだね、つとむくん」

「我儘? 若くして死んだんだ、僕は勿論、ミサはもっと我儘になってもいい」

「世の中は理不尽なものだし」

「そんなものはクソくらえだ」

「つとむくん、男子にしては綺麗な言葉遣いだったのに」

「そんなことはどうでもいい」

僕は腹が立っていた。

ああそうか、咲もきっと、こんな感情だったのか。

「勝手に成仏したら許さない」

「っ!?」

「お前はもう、お前だけの存在じゃないんだ」

「わ、私は私だけのものよ?」

たとえそうであったとしても、他の誰とも共有しない自分を望むだろうか。

「ミサは僕達と知り合った。お前はまた、知り合った人たちを悲しませる気か?」

生死に関わらず、存在の喪失を二度も周りに与えるのはもうたくさんだ。

ミサだって同じ筈。

「じゃ、じゃあ逆に、私を抱けば成仏しないんだったら、あなたはどうするのよ?」

「抱く」

「は、はあ!? ば、バカじゃないの!? 浮気よ!? この最低男!」

「最低であっても、咲は褒めてくれるだろう」

「……ふ、ふふ」

な、何を笑ってるんだ?

「例えば私が百合で、咲ちゃんとむつみ合えば、あなただって排除したくなるでしょう?」

え? 全然かまわないのだが?

「た、例えば私が咲ちゃんを独占したら、あなたは私をねたむでしょう!」

妬みはしても、咲は僕を混ぜてくれる筈だ。

「あー、もういい! なんか馬鹿らしくなってきた。あなた達の行く末を見届けるから……一度だけ」

「一度だけ?」

「私を抱き締めなさい」

僕は躊躇ためらいなく、華奢きゃしゃなミサの身体を抱き締めた。

「つとむくん」

「何だ」

「私に触れたぶんだけ、あの子に優しくするのよ?」

僕はうなづいた。

「抱き締めた代償は、とても高くつくのよ?」

僕は頷いた。

どんな代償を背負っても咲は許してくれるし、どんな代償を背負ってもミサを失いたくはない。


なのに──

なのにミサは、僕の腕の中で嘘みたいに簡単に消えた。



*暫く更新を休みます。

申し訳ありません。

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