第37話 期末テスト

ひまだわー」

今日も窓の外は、強い日差しに満ちている。

夏休みも近付いて、どこか気持ちがはやるような思いで空を見上げる。

「暇すぎて彼女持ちの男子を誘惑したくなるくらい暇だわー」

……。

「ねー、つとむくん」

「……何だ?」

「暇だから教壇に立ってライブでもやってよ」

教壇には先生が立っている。

が、話しているわけでも無ければ、黒板に文字を書いているわけでも無い。

教室は静まり返っており、みんなは黙々と問題に取り組んでいる。

期末テストだ。

「ちょっとみんなの解答でも見てくるわ」

ミサが立ち上がる。

確かに僕も暇を持て余している。

普段からノートを取ったり出来ないのだから、通常授業でもやることはあまり無いのだが、それでも先生の話を聞いたりして楽しんだり勉強になったりはする。

だがテストとなると、僕らにはすることが全く無い。

先生も暇そうだ。

いや、テスト期間中というのは先生にとって忙しいのだろう、どちらかと言うと眠そうに見える。

そんな先生が、何か思い出したように出席簿やプリントの束をゴソゴソし出し、そこから二枚の紙を取り出した。

それを手にして、こちらに向かってくる。

まさか、幽霊用のテスト?

僕とミサの机の上に紙が置かれる。

……間違い探し?

紙には上下にほぼ同じ絵がプリントされていた。

なかなか難易度が高そうだが、これならペンを持てなくても出来るし、ページをめくる必要も無く暇潰ひまつぶしにもなる。

それにしても……。

僕らのような存在は、テストにいては不正を行う懸念けねんがある。

少なくとも咲や部長の二人には、他の人の答を教えたりすることが出来るのだ。

先生という立場からすれば困った存在で、教室から僕らを排除する手段は無いから、対策に頭を悩ませるところだろう。

でも、先生は僕らを信用してくれた。

僕やミサという存在だけでなく、この僕らという人間を。

そうでなければ、こんなものを用意するはずが無いのだ。

テスト中、暇だろうなぁ、などと考え、暇潰しには何がいいかと考え、そして見つけ出したものをわざわざコピーして用意したのだ。

頭が下がる。

「ありがとうございます!」

僕は大きな声で言った。

何となく事情を察したらしい咲が微笑んだ。

僕の声に驚いたミサが、自分の席に戻ってきた。

何言ってんだコイツ、みたいな目で僕を見てから、机の上の紙に視線を落とした。

「あう」

変な声を出す。

更に何やらブツブツ言っていたが、やがて押し殺すようなくぐもった声になって、辛うじて「あいあと……」という言葉だけが聞き取れた。


人というものは、想像以上に汚いもので、想像以上に綺麗だったりする。

その判断基準は、自身の清濁せいだくるところが大きいのだと思うが、僕は自分がどの辺りに位置しているのか判らない。

ただ、先生ににごりなど無いのだろうということだけは理解できた。

チャイムが鳴った。

「つとむくん」

振り返ると、ミサが得意満面な表情をしていた。

「全問、解けたわ!」

間違いは十五ヶ所ある筈なのだが、僕には十三ヶ所しか見つけられなかった。

他の生徒が答え合わせをしているのと同じように、僕らも見つけた間違いを擦り合わせる。

まるでテストを受けたみたいだ。

沢山の猫がいる絵。

その表情や仕草、リボンや首輪に微妙な違いがあって、言われれば「なるほど」と気付くのだが、「ずるい」と思ってしまうような些細ささいな違いだったりもする。

文句を言ったり、バカにされたり……そんなひとときが、とても楽しかった。


「彼女失格だわ」

僕とミサの楽しそうな様子を見て、咲は項垂うなだれた。

「テスト中、暇だろうなとは思っていたのよ」

気にはしていたから、先生が何か渡した時はホッとして笑みを浮かべたのだろう。

でも、暇だろうから何かしてあげようとは考えなかった。

先生は考えたのに、彼女である自分は何もしなかった。

それを責めているらしい。

「咲がいちばん僕の退屈を消してくれるのに、何を言っている」

「それは私が勉と会話できるからでしょう?」

「僕が見えて、話せて、触れられるなら、それだけで充分だ。そしてそれが出来るのが咲であることに、何ら一切の不満は無い」

後ろの席から「ヒューヒュー」という冷やかしが聞こえてくる。

咲にはそれが聞こえないからか、躊躇ためらいなく僕の手に触れてきた。

「暇潰しに、触れていいのよ?」

「え?」

「テスト中だろうが何だろうが、退屈しのぎになるなら私に触って?」

いや、そう簡単に触れていいものでは……。

「勿論どこでもってわけにはいかないけど……髪とか耳とかなら、好きなだけ触ってくれていいから」

破廉恥はれんちよ!」

また後ろから冷やかしが聞こえてくる。

「ミサちゃん」

「何かしら、咲ちゃん」

お互い「ちゃん」付けで呼び合うが、ミサの方は年下扱いされて対抗して呼んでいるのだ。

「邪魔しないでね」

「う!」

邪魔するつもりだったのか。

まあ今のところ、物理的に僕の邪魔を出来るのはミサ一人ではあるが。

つんつん、とミサが遠慮がちに背中をつついた。

「……私だって、ときには何かに触れたい」

背中越しに届く声は、小悪魔じゃなくて年相応の少女の声だ。

何も触れられない僕らは、普通の人よりずっと強く、触れるということを渇望かつぼうする。

僕だからというわけではなくて、邪魔したいわけでもなくて、ただ何かに触れたくなることもあるだろう。

「判ったわ」

「まだ何も言ってないが」

「勉の表情を見れば判る。絶対に触るなって言ってるわけじゃないの」

良くできた彼女だ。

嫉妬しっと深いと自分で言いながら、妥協点を提示してくれる。

「頭を叩くのはオーケー、髪をでるのはダメ。手を繋ぐのはギリセーフにしておくけど指をからめるのはアウト。それから──」

細かいなオイ。

「触れたら触れただけ、私に優しくすること」

……それは、妥協点などではなく、我慢の限界点なのだろう。

咲は唇を噛みながら、ぎこちなく笑った。

「じゃあ、さっきミサに背中をつつかれたぶん」

僕は咲の頭を撫でた。

髪が揺れて、窓からの光をキラキラとはじいた。

何故かミサも立ち上がって僕の真似をした。

触れられなくてもいつくしむように、小さな手のひらで咲を撫でた。

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