第36話 日常

「阿川ミサさん」

タマちゃん先生の、やや低いがよく通る声。

最近、朝のショートホームルームの出欠は、先生がその名前を読み上げることから始まる。

「はい!」

ミサが元気よく返事した。

それに合わせて僕が手を挙げると、振り返ってこちらを見ていた部長が普段とは違った声音こわねで「はい」と返事する。

なかなかのロリボイスだ。

もしかしたら声優でも目指しているのかも知れない。

「沢村勉くん」

僕の名前も呼ばれる。

「はい!」

僕が返事をする前に、咲が声を上げる。

こちらは普段通りの、いや、どこかちょっと嬉しそうな声色こわいろだろうか。

僕がいるのは判っているので、振り返りもせず当然の務めのように返事をする。

もちろん二人の名前もそれぞれ呼ばれるから、咲も部長も二回返事をするわけだ。

当り前のことだが、他の先生の授業では僕らの名前は呼ばれない。

この、朝の最初の出欠と、タマちゃん先生の担当する生物の授業だけである。

「昨日さあ」

隣の雄介がつぶやくように言う。

「タマちゃん先生の持ってる出席簿をチラッと見たんだけど、下の空欄に手書きで二人の名前が書いてあって、ちゃんと出欠欄に丸がしてあった」

いいのか?

出席簿を学年主任だとか教頭だとかに見せることがあるのか知らないが、後で怒られないことをいのる。


休み時間には、他のクラスの生徒が僕の席に来たりする。

パン! パン!

柏手かしわでを打って両手を合わせる。

一日に一人はこういう生徒がやってきて、この滑稽こっけいな行為を真面目に行うのだ。

「またバカ女が現れたわね」

ミサは心底バカにした口調だ。

何故か僕は、縁結びのご利益りやくがある存在として、一部の生徒からうやまわれているのである。

まあ咲は学校で知らない人のいないくらいの美少女であるし、死んで幽霊になったヤツがそんな美少女と付き合えたのだから、何か特別な力があるはず、などと考えたのだろう。

部長が脱ごうとしたら僕が見えるようになった、という話も変な形で伝わって、チラ見せしたら願いが叶う、みたいな噂も流れているらしい。

願いが叶うとしてもそれは僕の方で、つまり男の願いが叶ってるわけだが。

「ちょっと」

また咲が気色けしきばんでやってきた。

いや、咲の顔は見てないが、声で判る。

「あなた今、胸元を見せようとしたでしょう!」

僕の席は窓際だし、後ろの席はミサだから、角度を考えてすれば他の誰にも見せずに胸チラパンチラは可能だ。

咲に問い詰められた生徒は、逃げるように教室から出ていった。

「勉」

「はい」

「そんな必死にこらえるように窓の外を見なくていいから」

申し訳ないが、僕は手を合わせてくれる人に、いつも背中を向けて窓の外を見るのである。

「背中で語る、男のさもしさ」

咲はあわれみ、ミサは侮蔑ぶべつだ。

もう少しこの自制心を、褒めたたえてくれてもいいのではないか?

たちばなさん」

雄介が口を挟む。

「そう言ってやるなよ。勉もドンマイ」

爽やかに言うが、声は震えていた。

血の涙が見えるようだ。

隣に座る雄介としては、大体の状況は判るけれど見えない、という立場に置かれているわけで、僕と変わらない懊悩おうのうと苦悩があるのだろう。

いや、大半が煩悩ぼんのうかも知れんが。

「全身で語る、男のさもしさね」

さっきのミサのセリフを真似て咲が言う。

そんなに辛辣しんらつな口調では無い。

どちらかと言うとあきれた感じだが、それはそれで、Mに目覚めた雄介にとってはご褒美ほうびであるようだった。


昼休みになると咲と部長がやってきて、僕の机とミサの机を向かい合わせにする。

机の一辺に一人が座る形だが、傍目はためからは二人しか見えないし、それもわざわざ机の脚のある方に座っているのでおかしな光景だ。

だが今日は、咲が僕の真横に椅子を置いた。

一辺に二人だから、肩が触れるくらいの距離である。

「ほら、藤森さんも」

藤森さんはいつも一人で食べている。

と言っても一人メシのわびしさは無くて、女子が集まってワイワイと食べるのがしょうに合わないみたいだ。

だから咲の誘いもずっと断っていたのだが、今日はどういうわけかいつもは咲が座っている場所に椅子を持ってきた。

なるほど、それで咲が僕の隣に座ったのか。

それにしてもあれだ、僕は四人の美少女に囲まれている状態だ。

そこへ更に、一人の美女が加わった。

「ハーレムですね、沢村君」

言葉にとげがある。

そのくせ弁当箱のふたの内側に、卵焼きと焼鮭の切り身を載せて差し出す。

「おそなえです」

「ど、どうも」

食べられはしないが、気持ちは受け取っておこう。

それを見た藤森さんが、パンをちぎって載せる。

釣られるように部長がウインナーを、咲はご飯を。

「やっぱり断然、主食が絶対的に大事よね」

確かに、米が無ければご飯を食べた気がしない。

だが、おかず無しで米だけを食べる気もしない。

優劣など無いのだ。

なのに咲は「主食が大事」と強調したのは何故なのか。

私が主食であなた達はオカズなのよ、と言外げんがいに匂わせたのだろうか。

確かにみなさん、立派なオカズになり得ますが。

「あ?」

藤森さんが敏感に反応した。

「パンだって主食になるだろうが?」

まあ実際、藤森さんの昼食はいつもパンだ。

「勉はご飯派なの」

ニッコリ笑って否定する。

何か不穏ふおんな空気が漂う。

「そ、そのお弁当は先生が自分で作ってるんですか?」

部長が気を利かして話題をらした。

だが、ナイス部長、と言おうとしたら先生がせた。

部長、先生にお茶を差し上げろ。

たぶん君は、聞いてはいけないことを聞いたんだ。

「も、もしかして旦那さんが作るんですか? 家事の出来るご主人って素敵ですよね!」

慌ててフォローを入れる。

さすが部長だ、と思ったら先生が噎せた。

「あ、あれ?」

部長が戸惑う。

先生でもご主人でも無いとすると、ご両親と同居しているのだろうか。

それにしては可愛らしいお弁当だが。

「……沢村君」

「は、はい」

先生は、何故かいきなり僕に話を振ってきた。

「私の主人も、今のあなたと同じようにハーレム的な位置におりまして」

言葉に棘がある。

つまり、先生のお弁当は、そのハーレムの誰かが作っているってこと?

「まあ彼に罪は無いとしても!」

先生はウインナーに箸をぶっ刺した。

「きっとろくな死に方はしないでしょう」

「せ、先生?」

何かと不満が溜まっているのだろうか。

「孫や孫に囲まれて布団の上で老衰で死ぬといいです!」

ちょ、先生、言い過ぎ──って、あれ?

それって最高の死に方なのでは?

……どうやらただのヤキモチで、先生は旦那さんをめっちゃ愛しているらしいことが判った。

最近の日常は、いつもこんな感じで賑やかだな。

そう思って窓の外に目を向けると、咲と目が合った。

とても満ち足りたような笑みが返ってくる。

さっきの嫌味みたいな発言はただのヤキモチで、咲は僕をめっちゃ愛しているらしい……の、だろうか?

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