第35話 帰り道

放課後、遅くまで教室でみんなと話をした。

「また明日」

雄介達や、部長、藤森さん、そしてミサと、そんな別れの挨拶を交わす。

最後に僕と咲が教室に残った。

また明日って、いい言葉だなと思う。

それは決して約束では無いけれど、当たり前のようにつむがれる日常を、今日と同じで平穏な楽しい明日を、意図せずに願う言葉ではないだろうか。

「咲、またあし──ぐはっ!」

「一緒に帰るのよ!」

意外と、言うタイミングが難しい言葉だったようだ。


校舎から出たところで、タマちゃん先生の後ろ姿を見つける。

いつもスーツで身を固めているが、やはり帰途にくのは嬉しいのか、心なしか足取りが軽く見える。

「あ!」

僕と咲が、同時に声を上げる。

先生が駆け出した。

その瞬間、少女みたいになった。

後ろ姿しか見えないのに、何がそう感じさせるのか判らないけれど、先生が笑っているであろうことが背中から伝わってきた。

校門前には軽トラが停まっていた。

先生はその軽トラに駆け寄り、「孝介さん!」と喜びがあふれるような声で言った。

……本当に、あの先生なのか?

初めて聞くメスの──いや、甘えの混じった女性の声だ。

運転席に座っている男性と目が合った。

正確には、僕じゃなくて咲と、だけど。

その男性は柔らかく笑って、ペコリと頭を下げた。

平凡と言えば平凡、タマちゃん先生の美貌びぼうからすると意外と言えるかも知れない。

でも、なるほどなぁ、と思わせる何かがあった。

どんな我儘わがままも受け入れてくれそうな、どこまでも優しく守ってくれそうな雰囲気がある。

その男性の視線に気付いて、タマちゃん先生が振り返る。

少女みたいな顔が、一瞬で厳しい先生の顔になる。

「まだ残っていたのですか。さっさと帰りなさ──痛っ!」

あのタマちゃん先生の頭にチョップを入れた!?

何だろう?

僕は大人と子供のへだたりを感じてしまった。

経験豊富で、何もかも僕らより高みにあると思える先生を、いとも簡単に叩いてしまえる余裕みたいなものに戦慄せんりつを覚えるのだ。

試しに咲の頭を叩いてみる。

いや、軽くだけど。

「何すんのよ!」

叩き返された。

まあ、先生達の関係と僕らの関係は同じではないから、叩けば叩き返されるというのもアリだとは思うが、何故か悔しい。

軽トラの男性は──間違いなく先生の旦那さんだろうが──咲の奇妙な動きを見て、何か納得したような表情になった。

たぶん、先生から僕達のことは聞いているのだろう。

「いつも美月がお世話になっています」

車から降りてきて、旦那さんは再び頭を下げた。

僕達も慌てて頭を下げる。

何だかとても不思議な感覚だ。

お世話になっているのは僕らの方だし、ずっと年上の人に頭を下げられるのも落ち着かない。

それに、先生を美月と呼ぶことにも。

そうか、先生はタマちゃん先生じゃなくて、旦那さんにとっては美月なんだなぁ。

「えっと、たちばなさん、だよね?」

先生から僕達のことを聞いて、ちゃんと名前を憶えているのだろう。

「隣に、沢村君もいるのかな?」

「は、はい!」

珍しく咲が緊張している。

「孝介さん、こやつらめは見えないのをいいことに、イチャラブな放課後を──痛っ!」

先生を子供のように扱うこの男性はいったい……。

「一度、家に遊びにおいで」

社交辞令では無い。

疑いもせず、僕が存在するのだと思っている目だ。

「もしかしたら、常識にとらわれない関係を続けるヒントがあるかも知れない」

僕達の関係は、常識からは逸脱いつだつしている。

そんな常識をくつがえす何かを、先生達は持っているのだろうか。

「じゃあまた」

旦那さんが言う。

「では、また明日」

先生が言う。

決して約束ではないけれど、再び会えることを願う言葉だ。

たとえ何かと不自由な身であっても、「また明日」を繰り返して人との繋がりを紡いでいこう。

そんな風に思えた。


「勉」

先生達と別れてからしばらく黙っていた咲が、静かな声で僕を呼んだ。

大体にいて女子は、他人のイチャイチャを見せられると対抗意識を燃やす。

さあ来い咲! 僕は人目を気にせず密着が可能な特別仕様だ!

まあ、周りは田圃たんぼばかりで人目など無いのだが。

「先生って歳の差婚だよね?」

ん? 真面目な話か?

実際のところ、どれだけの年齢差があれば歳の差婚と言うのか判らないが、少なくとも旦那さんは十年くらい年上に見えた。

「勉は、どれくらいの歳の差まで許容できる?」

いつだって自信に満ち溢れた咲が、どこか懇願こんがんするような目をした。

「プラマイゼロだ!」

咲のことを念頭に置いて、僕はそう答えた。

身の回りだけを見ても、十二歳のミサだってアリな気もするし、タマちゃん先生だってイケる、なんて思えなくも無いが、許容できることと求めることは違うだろう。

「もうすぐ、私は勉より一つ年上になる」

少し沈んだ声。

もしかして咲は、見た目の年齢のことを気にしているのだろうか。

幽霊は歳を取らないようだが、それは見た目だけのことで、そもそも鏡にすら映らない。

勿論、手足や身体は見ることが出来るから、咲の肌にしわが出来たり、シミが生じたりして二人の差は大きくなっていく。

でも僕は、見た目に変化は無くても、咲と一緒に歳を重ね、ちゃんと精神は成長していくのだと思っている。

三十歳になったときに僕は、三十歳の視線で三十歳の咲を見るのだ。

五十になっても、七十になっても、それは同じ。

「咲」

そんな心配は咲らしくない。

咲はいつだって、自信満々でおのれつらぬけば──

「私が大人になっても、勉は高校生のままかぁ」

あれ? 

もしかして、逆の心配?

「先生の旦那さん、大人って感じだったよね」

もしかして、年上の男性にかれたのか!?

咲が悪戯いたずらっぽく笑う。

「でもやっぱり、私には勉しかいないなぁ」

り取り見取りなのに、何を言ってるんだか。

「勉以外に触れられるのはイヤだし、勉が他の子に触れるのもイヤ」

やはりイチャイチャに感化されたのだろうか。

「勉」

咲が両手を広げた。

「私を、抱き締めなさい」

田圃の真ん中。

遠くからせみの声。

周りには誰もいなくて、でも特にロマンチックな雰囲気でも無くて。

だから僕は、少し躊躇ためらいがちに近寄って、幼馴染の素敵な命令に従うのだ。

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