第34話 体育

「つとむくん」

ミサが会話の途中で僕の名前を呼ぶ。

授業中に好きなだけしゃべっていても、周りの迷惑にならないのが幽霊同士のありがたいところだ。

もっとも、咲だけは僕の声が聞こえるから、気になってこちらを何度か振り返っていたようだけど。

「扉、閉められちゃったわよ?」

扉? 何を言っているんだ。

だいたい今は授業中で──うぇ!?

着替えている女子がいた。

体育の時、ウチのクラスの男子は隣の教室に行き、隣のクラスの女子はこちらの教室に来て着替える。

ミサとの会話に夢中になり、いつの間にか休み時間になっていた。

次の授業は体育。

「ちょっ、待っ──」

「ちょっと、まだ勉がいるのよ!」

咲が慌てて大声を出す。

「沢村君の幽霊がいるってことは、世の中には他にも知らない人の幽霊とかいっぱいいるんでしょ? 気にしても仕方なくない?」

おい、えらくサバサバしてるな!

そういう女子は嫌いじゃないが、咲の視線は痛いほどに鋭いのだ。

それに、そんな女子ばかりではない。

絶対に着替えないぞ、という雰囲気をまとう女子もいれば、何だかモジモジしている女子もいる。

隣のクラスの女子なんかは、事情が判っていない子も多い。

だが──

意を決したように部長が脱いだ!

ポロリ、いや、ドーン! あるいは「どや!」。

凶悪なその主張。

まろび出た未知の軟体生物。

転び出るなんて表現を初めて使うくらいの衝撃だ。

それを見た藤森さんが、同じく意を決してブラウスのボタンを外し始める。

というか、二人ともこちらを向いて着替える必要は無いだろう?

「と、扉を開けるから! 勉、出なさい!」

「ちょっと、いま扉を開けられる方が嫌なんだけど」

「くっ!」

確かに着替え中に扉を開けられると困るだろう。

せめて僕は目を閉じて──え?

顔面が何かに圧迫される。

その匂いで、咲が僕の視線をふさぐために胸に抱え込んでいるのだと気付く。

「目を塞いでるから、今のうちに着替えて!」

それって、手のひらで目をおおえば済むことでは?

けれど僕の頬に触れるのは、控えめでありながらも柔らかさを伝えてくる。

咲はまだブラウスを脱いではいないが、半ばまでボタンは外されていた。

ほんの少し汗ばむ胸元と、慣れ親しんだ咲の匂い。

眩暈めまいがしそうだ。

「つとむくん」

「な、何だ」

「あなたの彼女も、十二歳に近いのね」

「……」

その言葉は、咲には絶対に伝えられない。


みんなが着替え終わったのか、咲が僕から離れる。

遠のく匂いと温もりが名残惜しい。

いや、何より愛しい人の心音が、届かなくなると同時に恋しくなる。

咲の鼓動は早鐘はやがねを打って、僕を包み込んでいた。

目を開くと、咲が上気した顔で僕を見ていた。

「あらあら、つとむくんの幼馴染はメスの顔になって──い、いひゃい」

ミサのほっぺをつねって黙らせる。

咲のことをメスなんて言うのは許せない。

咲はどんな時も、いつだって綺麗なのだ。

「勉のせいだ」

咲? 何を言ってるんだ?

「トイレ行ってくる!」

そんなに力強く言わなくても。

ていうか、もうすぐ体育が始まるぞ?

もしかしたら、切羽詰せっぱつまっていたのに、みんなが着替え終わるまで我慢していたのかも知れない。

「つとむくん」

「ん?」

「オスの顔になりなさい」

「は?」

何を言っておるのだコイツは。

「彼女、今まで苦労してきたでしょうね」

いや、確かに咲には苦労をかけたとは思うが……?


「男子の体育なんて見学しても仕方ないでしょ」

ミサにそう言われて、僕は何故か女子の体育を見学していた。

知らなかった。

女子の体育は、こんなに揺れるのだ。

……咲はあまり揺れてないけど。

「つとむくん」

「何だ」

「オスの顔になってるよ」

「……すまん」

生きていた時と違って視線をらす必要も無いから、ついつい遠慮なく見てしまっていた。

モラルとマナー、ルールは遵守じゅんしゅせねばならない。

「おかしいね」

何がだろう?

ミサは少し寂しそうな顔をしていた。

「もう子孫なんて残せないのに、オスになったりメスになったりする」

日差しが強い。

きっと暑いのだろう。

でも暑さは感じない。

だったら、女性を「女」として感じるのは何故だろう?

……もしかしたら、生殖とか子孫繁栄とか、そういったものを超えたところに人はあるのだろうか。

心を満たしたり、揺さぶられたり、悲しみや喜びを共有する存在として異性は必要なのかも知れない。

「沢村君」

部長が僕のところへ駆け寄ってきた。

揺れるものだから揺さぶられて心満たされる。

うん、人間はまだ、そんな高次な域に達していない。

「退屈してない?」

寧ろ楽しんでいるのだが?

「遠慮しなくていいからね」

何がだろう?

いや、まあ言いたいことは判る。

不躾ぶしつけな視線に部長は気付いたのだろう。

「……すまん」

言葉は届かないから、手を合わせて謝る。

「沢村君」

部長は意味深な笑顔を浮かべた。

さわれたら、いいのにね」

部長は満面の笑みを浮かべた。

ミサの視線が気になりつつ、僕はニヤけつつ、恐怖におののいた。

血相を変えた咲と何やら必死な表情の藤森さんが、こちらに走ってくるのが見えたからだ。

「死になさい」

ミサが耳元で言い放った。

死者に言うセリフじゃないけど、僕は反省するしかない。

僕は、揺れない咲が大好きなのだし。

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