第33話 賑やかな朝

僕の存在が認知されたからといって、僕を友人が認識できるわけじゃないのは今まで通りで、コミュニケーションを成立させるのは難しい。

でもどういうわけか、二番手登校は雄介と和明だった。

彼らなりに、コミュニケーションを取ろうとしてくれてるのだろうか。

二人は僕の後ろの席にいぶかしげな顔を向けてから、次に僕の席を凝視する。

「いるのか?」

「いるの?」

僕は二人に笑顔を向ける。

伝わりようが無いのだけど、二人は僕が「いる」と判断したのか、鞄から何かを取り出し、それを僕の机の上に広げる。

って、エロ本ではないか!

死んでから一度も見てなかったんだ、さすが、同性の友達は話が判るなぁ。

……。

……おい。

どうして五十路妻が僕の机の上で痴態ちたいさらしているのだ?

しかも垂れ巨乳ではないか。

これはあれか?

新手の嫌がらせか何かなのか?

「今更だけど、たちばなさんを悲しませた罰だ」

……そう言えば、雄介は以前から咲のことをよく褒めていた。

もしかして、好きだったりしたのだろうか。

だとすれば、罰は甘んじて受けよう。

でも、五十路の痴態はともかく、五十路の裸体を否定する気にはならない。

子を産み、子を育てた軌跡が、そこには刻まれているのだから。

それは、生きてきた証だ。

そう思って改めて五十路妻に目を向ける。

……僕は、綺麗事を抜かしたのだろうか?

「阿川」

僕は後ろの席の少女に話し掛ける。

「何?」

「君はもっと騒ぎ出すかと思ったが」

エロ本とか、そういった物には拒否感を持っていそうに見える。

「だって、河原によく捨てられてるわよ? あとミサでいいわ」

なるほど、見慣れているわけか。

「阿川」

「何よ?」

「五十路の裸体をどう思う?」

「五十路だろうが三十路だろうが、永遠の十二歳にかなうものなど有り得ないわ。あとミサって呼んで」

なるほど、一部の属性の男にとっては真理だろう。

あどけなさとあやうさと、無垢むくと性への目覚めの狭間はざまにあって、独特の美しさを持つ年頃ではあると思うが、まあ言ってみれば「ちんちくりん」だ。

「つとむくん」

「何だ?」

「あなたは私にれられる上に、好き勝手にしても罪には問われないのよ?」

なるほど、属性に関わらず、男は女の言動に翻弄ほんろうされるものなのだろう。

コイツは小悪魔だ。

「阿川」

「なぁに?」

「僕には咲という彼女がいて、彼女は僕のために君のことも認めてくれた」

「判ってるわよ。私だって感謝してる。あとミサって呼びなさい」

「……ミサ」

「えへ、なぁに?」

「楽しい学校生活にしような」

「……つとむくんにも、感謝してる」

「僕は何もしてないが?」

「何をしても罪には問わないわ」

……コイツは、小悪魔だ。


次に登校してきたのは咲だった。

「勉!」

お怒りモードのようで、僕の目の前に来ると机をバンと叩く。

五十路妻の裸体がわずかにねる。

「どうして一人で学校に行くのよ!」

あれ? エロ本に怒っているわけじゃない?

雄介と和明は目をらしている。

「いつものことじゃないか」

「だからどうしていつも通りなのよ! 私達、公認のカップルになったでしょ!」

公認、なのかなぁ。

「……何よ、これ?」

今ごろエロ本に気付くのか。

咲が雄介に目を向ける。

「い、いや、勉も久し振りに見たいんじゃないかなぁ、なんて、あはは」

目を逸らしながら言うな。

咲が鼻で笑った。

咲は人を嘲笑することは滅多に無いが、咲に鼻で笑われるとМに目覚める、と誰かが言ったことがある。

「勉が、私以外の女性に興味を持つわけ無いじゃない」

ちょ、そこまで言われると僕は……。

心の中で懺悔ざんげした。

「橘さん、男というものは──」

「私は勉以外の男性に興味が無いのだけど?」

「う、あの、何でもありません」

雄介は反論できない。

だがコイツは緊縛きんばく好きでSのはずなのだが、どこか恍惚こうこつとした表情をしていた。

僕も何も言えず、心の中で更に深く懺悔した。


次に登校してきた部長は、エロ本と雄介に冷たい目を向けてから、「おはよう」と僕に言った。

というか、さっさとエロ本を仕舞え。

その直後にやってきた藤森さんは、エロ本に気付くやいなや、それを雄介に投げつけた。

みんな、誰が犯人か直ぐに判るんだなぁ。

って、そんなことより!

藤森さんが素っぴんではないか!

「さ、沢村」

明るい色だった髪も真っ黒になっている。

「お、おはよ」

「お、おはよう」

戸惑いながら挨拶をする。

「た、橘」

「何よ」

「いま沢村、何か言った?」

「おはようって返したに決まってるでしょ」

咲はややねたように言う。

「ほ、他には?」

他に何か言う暇など無かったので、咲は僕を見て「何かご意見は?」という顔をする。

「藤森さん、めっちゃ可愛いじゃん」

僕より先に雄介が口を開いた。

「お前に聞いてねーよ!」

「……すんません」

雄介の顔がまた恍惚となった。

コイツはもうダメだ。

僕は改めて藤森さんを見る。

スカート丈も咲より長くなって、部長と同じくらい。

今までが派手だったぶん、地味すぎるような気がしてしまうが、化粧で強調されていた気の強そうな顔が、程よく意思の強そうな顔になっている。

口紅に隠されていた唇は、控えめながら春の花を思わせる。

「なんだ、ただの類稀たぐいまれな美少女──痛っ!」

咲に頭を叩かれた。

「ちょ、沢村は何て言ったんだよ!?」

咲は言いたくなさそうな顔をして、僕と藤村さんの顔を交互に見る。

……まあ、ただ褒めるのは僕らしくないか。

「可愛くなったのに言葉遣いで台無しだ。あとピアスのせいでアンバランス、愚の骨頂である」

「……えっと」

昨日は同時通訳のように僕の言葉をみんなに伝えていたが、今は頭の中で言葉を組み立て直しているようだ。

「その、全体的にいい感じなのにピアスがちょっと浮いてるって。あと、言葉遣いを良くすればもっと可愛くなる、みたいな……」

嫉妬深くて、褒めたことは素直に伝えたくないくせに、けなすことも伝えたくないのだろう。

「か、可愛く……あ、ありがと」

藤森さんが頬を赤らめる。

「おい、今くらいの改変ならいいけど、ちゃんと僕の意思は尊重してくれよ」

「わかってるわよ!」

いつの間にか、僕の机の周りには登校してきたクラスメートが集まっていた。

挨拶だけをして席に戻る者もいたが、咲の通訳がまだまだ必要なようだった。

部長が五十音表を出してくるが、そんなものでは追いつかない。

更に阿川ミサの名前を咲からみんなに知らせてもらうと、彼女も僕と一緒に質問攻めにあった。

ミサの言葉を僕が咲に伝え、それを咲がみんなに伝え、僕自身の言葉も咲がみんなに伝える。

朝っぱらからもうてんてこ舞いで、忙しくて慌ただしくて騒々しいのに、咲は輝くような笑顔をしていた。

たぶん、それは僕もミサも同じで、こんな賑やかな朝が来たことを、喜ばずにはいられないのだ。

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