第30話 確信と不安

「やだっ!」

聞いたこともない女の子っぽい声が、派手な色をした藤森さんの口からこぼれた。

窮屈きゅうくつそうなブラに収まった胸を咄嗟とっさに腕で隠し、はだけたブラウスで身を包むように背中を丸める。

それが寧ろ扇情的せんじょうてきに見えてしまう。

「……空耳?」

身をかがめながら、辺りをうかがうように視線を彷徨さまよわせる。

僕が見えているわけでは無さそうだ。

「藤森さん?」

呼び掛けてみるが、反応は無い。

「気の……せい?」

あどけない声だ。

呼吸を整えるように胸を押さえ、自嘲じちょう気味に笑う。

気のせいでは無いと思うが、一瞬だけシンクロしたのだろうか。

「ちょっと……会話してみたかったな……」

それは僕もだ。

チャイムが鳴って、藤森さんは慌ててブラウスのボタンを留めて立ち上がる。

だらしないような立ち居振る舞いに見えて、きちんと第一ボタンまで留める。

「このまま放って帰っちゃう……のは、さすがに不誠実か。たちばなはともかく、沢村に怒られるのはイヤだしな……」

幻聴かも知れないと思いつつ、藤森さんは半ば信じているのでは無かろうか。

「あれ? でも、さっきの言動がクラスメートに公開される可能性は……」

まあ僕としても、どこまで報告するか迷うところではあるが。

教室に向かう藤森さんの足取りは酷く重くなり、泣き笑いみたいな表情を浮かべてつぶやいた。

「……おぼえてろよ」

その捨てゼリフは少しちぐはぐに思えて、僕は苦笑しながら、歩幅を合わせて藤森さんの隣を歩いた。


他のクラスの生徒は帰り出しているのに、うちのクラスはまだ全員が残っていた。

僕と親しかった人も、そうでない人も、やはり結果を見届けないと帰る気になれないのだろう。

雄介はすでに戻っていて自分の席に座っている。

藤森さんも不貞腐ふてくされたような態度で席に着く。

教壇に立つのは、咲と幽霊少女、そして僕だけだ。

「じゃあまず、雄介君の方から発表しましょうか」

咲が僕に目配めくばせする。

少女の見てきたものを聞き、通訳しろということだろう。

僕は脚色せず、配慮や思惑を交えずに少女の言葉をそのまま伝えることにした。

「えっと、東側の階段を使って、三階の図書室へ行き……」

僕が少女の言葉を聞いて少し吟味ぎんみしてから伝えるのとは違って、咲はほぼ同時に僕の言葉をみんなに伝える。

「え!?」

みんなの視線が声を上げた雄介に集中した。

別に幽霊などいるはずがないと高をくくっていたわけではないだろうが、いざ言い当てられると雄介は動揺してしまったようだ。

「図書室の前でスマホを取り出すと五分ほどゲームに興じ」

「!?」

今度は声が出なかったようだ。

「どんなゲームかはともかく、画面を見ながら幽霊少女って巨乳だったりするのかな、ぐへへと──」

「ちょ、ちょっと待った! ぐへへなんて笑ってねー!」

巨乳かどうかは気になって呟いたわけだ。

そして多分、エロいゲームだ。

「図書室前から離れると、そのまま三階の男子トイレに入り、入り口から二番目の便器で……ちょっと、そこまで言わなくていいんじゃない?」

「待って待って! その幽霊少女は男子トイレの中まで入ってきたのかよ!?」

「……そうみたいよ?」

「判った」

「え?」

「判った、もういい。俺は信じる」

教室がどよめいて、咲はニッコリ笑う。

「ありがとう。でも雄介君、手は洗いましょうね」

「うっ! ……はい」

笑いは起こったけれど、空気はどこか張り詰めていた。

疑念が晴れるというよりは、真実に身構えるような気配が満ちる。

先生が気遣わしげに教室を見渡してから、やや不安そうな目を咲に向けるのが見えた。

このまま続けていいのだろうか。

咲や部長のように、全ての生徒が僕の存在を受け入れられるわけではないのだ。

「じゃあ次は藤森さんね」

僕はどこまで話すべきだろう。

咲は、さあ、包み隠さず言え、という顔をしているが。

「ま、待って!」

藤森さんは、何故か赤い顔をして狼狽うろたえていた。

何故かってことはないか。

さっきまでの言動を思えば、恥じらう気持ちも判る。

「沢村、もしいるなら話すのは前半だけに! ……いや、もしいるなら、全部、何もかも話して」

藤森さん……。

僕は、咲に言葉を伝える。

全部、何もかも「僕の言葉」で伝えればいいのだ。

「いるよ」

「え?」

「いるから、前半だけを」

「そ、それって?」

「勉の声を、そのまま伝えてる」

「……うん、聞かせて」

教室が静まり返る。

固唾かたずを呑むように、みんなの視線が咲の口許に集まる。

「ジムノペディ、とても素敵だった」

「っ!?」

「優しく深い音色で、いつまでも聴いていたかった」

「……」

贅沢ぜいたくを言っていいなら、また聴かせてほしい」

「うん……うん!」

「以上」

「え?」

藤森さんが拍子抜けしたみたいな声を出す。

「勉がこれ以上は話さないって顔してるんだから、仕方ないじゃない」

咲が唇をすぼめ、藤村さんは唇を噛んだ。

「……橘さん」

「何かな?」

「ごめんね」

「え? いや、謝ってもらうようなことじゃ」

「それから沢村」

藤森さんが目を閉じる。

見えないから、僕を思い描いてくれているのだろうか。

「ありがと……」

拍手が起きた。

咲は笑顔を浮かべかけて、少し戸惑ったように表情を硬くした。

危惧していたことだ。

その拍手は満場一致ではなくて、どこか不穏ふおんな空気をはらんでいた。

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