第25話 女達の争い

翌朝は、家の前で咲が出てくるのを待った。

玄関から出てきた咲は僕に気付くと、パッとはじけるように笑顔を見せる。

「勉が朝、私を待ってるなんて何年振り?」

たまたま一緒になることはあっても、咲を待って登校したのは中学一年が最後だろう。

「えへへー」

嬉しそうだ。

「薄情な幼馴染に、ずっと寂しい思いをさせられてきたからね」

ゆるんでしまう顔の言い訳でもするように言う。

「咲が、どんどん綺麗になるから」

僕のセリフも言い訳だろうか。

でも事実だし、釣り合わないと思ってしまったのは仕方がない。

なのに、幽霊になって尚更のこと釣り合わなくなったのに、こうして一緒に登校している。

「誰のために綺麗になったと思っているのだ」

両手の人差し指をほほに刺して、お道化どけて言う。

綺麗であることは否定しないんだ、なんてツッコめないほど、咲は本当に綺麗になった。

いや、その仕草は可愛いと言うべきで、可愛いと綺麗の間を行ったり来たりして僕を翻弄ほんろうする。

咲には、釣り合いなんて関係無いのだろう。

咲が求めるなら、僕はそれに応えるようにすればいいのだろう。

だから、そっと差し出された手をぎゅっと握り締める。

「えへへー」

また咲が笑う。

いや、そろそろ学校が近くなってきたから、人目は気にした方がいいと思うぞ。

まあ僕の方は、ニヤケっぱなしでも見えないから別に構わないのだが。


咲の席は、廊下側から二列目の前から三番目。

なのに咲は、自分の席を素通りして教室の後ろに向かう。

「おい、咲」

呼び止めても振り返りもしない。

目指しているのは、僕の席だと気付いた。

窓際の最後尾、その机にはコスプレ好きの光成が座っていた。

隣の席の雄介としゃべっている。

咲が雄介と光成の間に立って、真正面から光成を見る。

会話をしている二人の間に立つって、アイツはどういうつもりだ。

「え? あ、橘さん、おはよう」

光成は少したじろぐように挨拶した。

光成の戸惑いはよく判る。

会話をさえぎるように立たれて、しかも視線は強い。

「そこ、勉の席なんだけど」

「おい」

咲の意図を悟って、僕は止めようとした。

僕の席なんて言っても、半年以上も前のことなのだし、批判されるようなことでもない。

「あの、橘さん」

光成は繊細な男だ。

机の上に座るのは行儀が悪いけれど、ちゃんと空気を読んで対応する。

そのまま机から降りると咲との距離が近くなりすぎるので、わざわざ椅子側に降りる。

「ごめん。だけど、いつまでも勉のことを引き摺るのは良くないと思う」

一般的に正しい助言だ。

でも、咲には逆効果かも知れない。

「勉を忘れろって言うの?」

「おい、やめろ」

「あなたは、もう勉を忘れたの?」

忘れられるのは寂しいけれど、忘れることも大事だと思うぞ。

悲しみを蓄積していたら、人は日常を維持できないのだから。

「忘れてはいないけど、だんだんと思い返す回数は減ってる」

正直な答に、僕は安心する。

寂しさと矛盾するけれど、悲しんでいてほしいわけじゃない。

友達が笑っている方が、僕としても気が楽だ。

「……そう」

咲の冷たい声は、光成の表情を曇らせた。

「咲、光成が正しい」

そんな悔しそうな顔をするな。

本来、人はそうあるべきなんだ。


授業が始まって、僕は自席ではなく咲の横に立つ。

僕が見える部長は、こちらが気になるのかチラチラと視線を向けてくる。

咲はノートの隅っこに、「勉が好き」と書いた。

さっきの悔しいような思いが書かせたのか、僕への慰めなのか。

どちらにせよ僕は胸が一杯になって、咲の髪に触れる。

「授業中だよ?」と書かれた文字に、僕は欲情する。

いや、文字そのものに欲情するほど特殊な性癖は持ち合わせていないが、咲の顔は上気していたし、その文字はとろけるように乱れていたからだ。

コイツ、なんてイヤらしい文字を書きやがる。

僕が咲に触れていることに驚いたのか、部長が腰を浮かし、みんなの視線を集める。

部長は胸だけでなく、お尻の方も豊かで、男子の視線はそれらにも集まる。

「な、何でもないです」

顔を赤らめた部長が、取りつくろうように椅子の位置を少しずらす。

胸と尻の豊かさには相関性があるのだろうか。

「耳に触れて」。

僕の思考を遮るみたいに、咲の文字はかすようなとがったものになった。

髪をき上げ、その可愛らしい耳をあらわにする。

柔らかな耳朶みみたぶ

可愛らしい曲線と、何故か誘うような穴。

部長がにらんできた。

その視線に気付いた咲が睨み返す。

「おい、敵対はするな」

二人の女子の、視線の交錯に狼狽うろたえずにはいられない。

ノートには「こっち見んなボケ、って言って」と書かれる。

僕が言ったところで誰にも聞こえないのに、それで咲の溜飲が下がるのだろうか?

僕が言うのもなんだが、女というものは男が絡むと性格が悪くなる。

それを可愛いと見るか、みにくいと見るか。

部長は僕にチラリと目を向けると、後ろでまとめた髪を整えるように上体をらした。

ブラウスの胸元が弾けそうに強調される。

ワザとだろうか。

何にせよ、貧乳好きを黙らせてしまう迫力があるのは確かだ。

また咲の手が素早く動き、「無駄肉って言って」と無茶なことを書く。

やはり醜い争いと言わざるを得ない。

しかも「好き」はノートの隅っこだったのに、「無駄肉」はノートの真ん中にデカデカと書かれている上に、なんと蛍光ペンでマーキングまでした!

「好き」より「無駄肉」の方が重要なのか!?

咲の手は止まらず、続けて文字を書き加える。

「私だけを見て!」。

……やはり可愛いと訂正せざるを得ない。

更に咲は殴り書きのような勢いで、「胸に触れて」と書いて無い胸を反らした。

僕は咲の頭をポカリと叩く。

咲は僕を睨んでから、「やっぱり巨乳が好きなんだ!」とノートに型がつきそうな筆圧で書き、シャーペンの芯を二度も折る。

しゃぶりつきたいくらいなのを我慢しているのに、何を的外まとはずれなことを。

でも、不思議なものだ。

性衝動や性的欲求は、激しいばかりではなく、穏やかで、ただただ愛しいという思いにも転化する。

何となく差し出した僕の手を、咲は愛おしそうにつかみ、それを自分の頬に当てた。

じゃれつく猫みたいに、頬擦ほおずりをする。

誰かが見ていたら変な動作だろうが、幸か不幸か部長以外は誰も見ていない。

いや、先生が気付いていたが、僕のいるであろう位置を見て小さく微笑むだけだった。


「放課後、話したいことがあるの」

授業が終わると、咲は部長に声を掛けた。

さっきの授業中の争いは、放課後にまで持ち越されるのだろうか。

だが咲は続けて言った。

「勉はあの幽霊の子を連れてきて」

咲が何を考えているのか判らないが、幼馴染だから判ることもある。

咲の目は、何かをやりげようとするときの目をしていた。

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