第23話 キス
鳥の
目を開けずとも、気配から朝であることが判った。
不可解なのは、後頭部を包むような柔らかさで、その心地よさが寧ろ不安を
目を開けたら、現世では無いのでは?
そんな不安を
その優しい手の動きに、何も恐れることはないのだと目を開く。
「おはよ」
初めて目を開いた赤子のように、目に映るもの全てが新鮮に見え、そしてその中心にいる咲が絶対的なものに感じられた。
僕は手を伸ばして、咲の
すべすべさらさらふにふにだ。
この世のものとは思えない。
天国は、現世にあった!
だが天国の
僕の手は、咲の頬から首へとなぞるように動き、やがて魅惑的で柔らかな曲線を描く乳房へと──
「こら!」
手の甲を叩かれる。
うむ、痛い。
痛くて、涙が……出ないのだけど、でも、僕は顔を
「もう……。ちょっとだけだよ?」
咲は何か勘違いしている。
僕の手を握り、それを
「咲ー、起きてるのー?」
咲のお母さん!?
「ひゃ、ひゃい!」
声を裏返して慌てる咲と同じように、僕も飛び起きる。
見えはしないと判っていても、これは条件反射みたいなものだ。
扉が開いて、おばさんが顔を見せた。
「お、おばさん、ご無沙汰しております」
ベッドの上で正座して、深々と頭を下げる。
「お、お母さん、ご無沙汰!」
僕に釣られて、咲が
「……咲、精神状態が優れないなら、学校は休んでいいのよ?」
体調じゃなく精神状態?
「え、あ、大丈夫!」
「でも……パジャマも下はジャージだし」
確かに、咲は学校のジャージを履いていた。
「こ、これは、
「……咲」
咲のおばさんは、何かを察したように優しい顔になった。
「な、何?」
「女性の身体はデリケートでね、大人になってからもお漏らしすることがあるのよ?」
「お、お漏らしなんてしてない!」
「じゃあ、どうして?」
「う、あ、お、お漏らしです……」
「いいのよ、ちゃんと洗濯しておくから、今日は休みなさい」
「あ、ありがと」
扉が閉じられる。
不本意で不服そうな顔をした咲が、僕を
僕のせいなのか?
「勉が触るから」
「触った時には
腕を叩かれる。
「うっさい! その前から手の動きがイヤらしかったの!」
なんて理不尽な。
これだから女は、と思ってしまうが、懐かしい腕の痛みと
「じゃあ続きを」
「するわけないでしょ!」
もっとじゃれていたかったが、僕のせいで昨夜から寝てないのだ。
ここは寝かせてやるべきだろう。
「咲」
「何よ?」
「髪は触っていいか?」
「……いいけど」
僕は咲の頭を撫でる。
僕はずっと髪に触れながら、咲の寝顔を見続けた。
「デート行こっか」
咲は目を覚ますと、髪を
中学以降、咲と二人で遊ぶことは減ったが、それでも買い物に付き合わされることは時々あった。
その度に「デート」と称していたから、今さらときめくようなことでもない。
要は二人で出掛けましょうということだ。
でもまあ、手を繋いだり、腰を抱いたり出来るのだろうか。
こんなことを言うと笑われてしまうだろうけれど、今の僕は、とにかく咲に触れていたかった。
それを察したのか、それとも咲も同じことを思ってくれてるのか、咲は僕の手を引いて外へ出る。
……。
「おばさん、以前はもっと厳しくなかったか?」
僕達は手を繋いで、街の中心に向かって歩く。
まだ授業は終わっていない時間。
学校を休んだなら外出は
「んー、やっぱりね、ほら、婚約者が死んだと思ってるから」
「婚約者!?」
「勉はどう思ってたか知らないけど、うちの両親は私が勉と結婚するものだと思ってたのよねぇ」
なんて馬鹿なご両親だ。
自分の娘なら、より相応しい相手を求めるべきだ。
「まあ、勉がいなくなった直後と、幽霊となって現れた後とのギャップが激しかったから、余計に心配してるんだと思う」
僕が死んでから、幽霊として自我が目覚めるまでタイムラグがあった。
ぼんやりと自分の葬式は見たから、一日かそこらの自我の喪失だが。
「もう半狂乱でね」
咲に声を掛けたのは葬式後のことで、その時には咲は泣いているだけだった。
いや、たった一日や二日で随分と
「もう病院で暴れて暴れて、お母さんじゃ取り押さえられないから、お父さんに
僕は、咲に大きな借りを作ってしまったのだろう。
その借りを返すために、僕は今こうして存在しているのかも知れない。
「咲」
「ん?」
「ごめん」
咲が微笑む。
「許さないわ」
そのセリフを聞くのは何度目だろう。
微笑みながら、咲は一生、僕を許さないつもりだ。
成仏することも、いなくなることも、決して咲は許さない。
「勉」
「ん?」
「キスしなさい」
キスして、とお願いされるより嬉しくなるのは何故だろう。
「いや、でも、人通りが」
田舎とは言え、街の中心部に近いところだ。
物事というのは、時と場所を
「大丈夫よ、見えないんだから」
咲はコンビニの前で立ち止まり、人待ち顔を装った。
灰皿の前でタバコを吸うサラリーマン。
買い物を終えて出てくるおばさん。
駐車場に入ってきた車。
それらは全て
好きと、ごめんと、触れられる喜びを込めて、僕は咲と唇を合わせた。
「……ん」
咲の人待ち顔が、
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