第21話 誘い

随分と遅くなってしまった。

僕の家も咲の家も明かりは消えている。

咲は怒っているだろうか。

それとも、もしかしたら落ち込んでいるかも知れない。

どちらにせよ、咲にちょっと迷惑をかけることにする。

今は授業中でもなければ、ここは教室でもないし、決して愛を叫ぶわけではないけれど──

「咲ーー!!」

大声で呼んだ。

一人絶叫ライブはしても、僕はもともと大声を上げるタイプじゃない。

でも、咲の名を思いっきり強く呼ぶことは、何故か清々しいような気分がした。

その勢いで愛を叫んでしまいたくなるくらいに、同時に何かが込み上げてくる。

いやいや、僕はいったい何を考えている。

僕と咲は幼馴染だ。

だからこそ成り立つ素敵な関係だ。

愛などでしばってはいけないし、この関係性も崩れてしまう可能性がある。

でも、僕が成仏できないのは、その辺りが関係しているのだろうか。

咲の部屋に明かりが灯った。

ややあって、またあの可愛らしいパジャマ姿にサンダル履きの咲が現れた。

「何時だと思ってるの!」

咲は怒っていた。

怒りを表すかのように、寝癖で髪が跳ねていた。

怒髪どはつ天をくというやつだ。

いや、寝癖もまた、可愛らしいのだけど。

「寝てるところをごめん」

「寝てないわよ!」

声は抑えているけれど、口調は強い。

「でも髪が」

「髪を乾かすのも面倒で、寝ようとしたけど眠れないまま横になってたの!」

「やっぱり、怒ってる?」

「どうして、そう思うの?」

「咲を後回しにしたから……」

咲が笑う。

いつものように、バカね、と言いたげな笑みだ。

「勉は昔からそうでしょ」

そうだっけ?

咲のことは、何よりも最優先に考えているつもりだけど。

「大事なことは後回し。好きな食べ物も最後に取っておくタイプ。寿司ネタで言うとマグロかエビ。イチゴショートのイチゴに、あとは……」

コイツは僕のストーカーか!?

「で、彼女は私の失言を許してくれたの?」

全部、お見通しなんだな。

「って、聞くまでもないか。私を安心させるために、問題を解決してから私のところへ来るんだもんね?」

僕はそんなヒーローみたいなものじゃないけど、咲のことを最優先に考えていると、咲のところへ来るのはいつも最後になる。

子供の頃から、二人で何か失敗したり、悪戯がバレたりしても、怒られるのはいつも僕の役目だった。

でも、最後に咲のもとへ駆けつけて、咲が僕を待ちびていたように笑みを浮かべてくれるのが好きだった。

自然と駆け足になって、自然と声は大きくなって、僕は嬉々としてその名を呼ぶのだ。

「幽霊で良かったことを、もう一つ見つけた」

「何の話?」

「真夜中に、咲の名前を大声で呼んでも近所迷惑にならない」

「私が迷惑よ!」

「そうか、そうだな」

「まあ……私一人の迷惑くらい、別に構わないけど」

「深夜でも?」

「大声で呼びたいほど恋しいのならどうぞ」

人差し指で、僕の鼻をつつく仕草をする。

その指先すら、ひどく恋しい。

「ねぇ勉、聞いていい?」

「なんだ?」

「逆に幽霊になって、いちばん嫌なこと……んー、違うか……えーっと、そうね、幽霊になって出来ないこと、これも違うか。そだ、今いちばん望むことは何?」

もしほんのわずかでも可能性のあることでいいなら。

生き返るというような、絶対に不可能なことじゃなくて、伝説レベルの可能性でいいのなら、何も迷うことは無い。

「咲に、触れたい」

それは、誤解を招く言葉かも知れない。

いや、誤解ではないのかも知れない。

僕は、その指先や、その髪だけでなく、咲の全てに触れたいのだ。

でもそれは、欲望ではなく、もはや願いだ。

「私の部屋に来る?」

咲は事も無げにそう言った。

部屋に二人きりになること自体は、今だって漫画の発売日にはしていることだし、抵抗は無いのかも知れない。

ただ、それは僕の部屋であって、咲の部屋には長らく訪れていない。

たぶん僕が、咲を女性として意識し出した頃から。

「さ、行こう」

緊張するのはおかしいだろうか。

どうせ触れられはしないのだし、二人でおしゃべりするだけのこと。

咲もそう思っているから、気安く誘ってくれるのだと思う。


静かに玄関を上がり、と言っても僕は物音を立てようが無いのだが、咲の動作を見ていると、ついこちらも息を殺すように行動してしまう。

暗い階段。

記憶を頼りに、手探りのような感覚で進む。

確か、おじさんとおばさんの寝室は一階だったはず

以前に訪れたときは、まだ咲のお祖母さんが生きていて、その介護のためもあって一階が寝室になっていたのだが、今はどうなのか。

二階のいちばん奥の部屋、その扉から明かりが漏れている。

昔と同じ場所、咲の部屋だ。

他の部屋からは、人の気配は感じ取れない。

どうせ僕は見えないのだし気にすることも無いのだけど、何となくホッとする。

思春期の男子としては、好きになった女子の親には苦手意識を抱いてしまうものだ。

「いらっしゃい」

咲が扉を開け、照れ臭そうに笑ってそう言った。

幼馴染とは言え、年頃の男女、しかも真夜中だ。

お互い異性を意識しないわけにはいかない。

「咲、どうして?」

僕は今更ながら、咲がどうして部屋に誘ってくれたのかを訊いた。

部屋に足を踏み入れる前に、確認しておきたかった。

「あの子とは、触れ合えるんだよね?」

幽霊の少女のことだ。

「いつ判ったのか知らないけど、私は教えてもらってないよね?」

にらまれる。

確かに、隠すつもりは無かったが言いそびれていた。

「私とて、嫉妬しないわけではないのだぞ」

咲の悪戯っぽい口調に、僕の胸が暴れ出す。

「さ、入るのよ」

咲のいざないに、僕はあらがすべを知らない。

ただのお喋りをするにしては、咲の笑顔は蠱惑こわく的すぎるように見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る