第19話 隔たり
少女は誰もいない放課後の教室を、どこか懐かしそうな目で見回した。
そんな目をしていると、子供っぽい姿が不意に大人びて見えて、僕より長く存在していることを実感させられる。
実用本位の無機質な時計、誰かが仕舞い忘れた掃除道具、気にも留めなかった掲示物。
日常を意識すれば、日常がかけがえの無いものだと気付く。
毎日のように見ている僕ですら懐かしく感じるのは、それらが確かな存在であるからだろうか。
「ここに座って」
窓際に咲が二人分の椅子を用意する。
一つは自分の隣に、もう一つは机の向かいに。
つまり僕は、咲の隣に座れということなのだろう。
「私は橘咲。あなたは?」
「名乗る必要ある?」
僕はこれを通訳しなければならないのだろうか。
「勉、ほら、何て言ったの?」
何も見えない空間を見つめ続けるのは間が持たないのか、咲は僕を
「つとむくん、オブラートに包まず私が言った通りに伝えるのよ?」
ふんぞり返って椅子に座る小悪魔。
「それは僕が判断する」
「……まあいいわ。場合によっては、私も実力行使するから」
実力行使!? 何か僕の知らない幽霊の力でもあるのか!?
「勉、勉?」
「あ、いや、名乗りたくないそうだ。僕もまだ教えてもらってない」
警戒しつつ、少しニュアンスを変えて少女の言葉を伝える。
「そっか、残念……。でもまずは、勉の友達になってくれてありがとう」
「はあ!?」
予想外の言葉に、少女は腰を浮かし掛けた。
僕も驚いたけれど、咲はこういうヤツだ。
「ふ、ふん! 保護者気取り? ていうか、友達以上ですが?」
……どう伝えればいいのか。
「勉?」
「あ、いや、まるで保護者みたいだって。それから、幽霊同士の繋がりは友達より強いって」
「あー、うん、ちょっと偉そうだったね、ごめん。でも、勉のことは自分のことと同じみたいなもので、何て言えばいいのかな……その、私にとってもありがとうって言いたかったの」
咲は言葉を選びながら、何も見えない
「それから、幽霊同士の繋がりは私には判らないけど、そんなに強い繋がりがあるのなら勉にとって喜ばしいことだって思う。幼馴染として、ちょっと口惜しいけど」
「バカなの?」
「おい!」
「幼馴染とか友達とか恋人とか関係ないの。アンタは生きてて、死者と関わり合ってる
……その正論を、咲に納得させるのは難しい。
僕自身、それを受け入れることが出来ずにいるのだし。
「えっと……生きている人間は、死者を忘れるべきだって」
「無理!」
咲が立ち上がる。
まるで少女のことが見えているみたいに、身を乗り出して声を放つ。
「忘れる? 有り得ないから! 勉は私の半身なのよ!」
ああ、実態を失った僕は、咲にとって今までの二分の一の存在だと思っていたのに、咲は自身の二分の一だと言う。
咲が咲である要素、こんなに綺麗で、可憐で、正義感が強くて、面倒見のいい咲を形作る何かに、僕が寄り添えているなら。
「バカじゃないの?」
コイツ、悪魔か!
でも、僕も同じことを思う。
咲はバカだなぁ。
失ったものなど、さっさと切り捨てれば、咲はもっと幸せになれると思うぞ?
「つとむくん」
「……なんだ?」
少女が立ち上がって手を伸ばし、机越しに僕の
そのまま手を首の後ろに回し、強引に僕を引き寄せる。
少女の唇が、僕の目の前にあった。
「ちょ、何!? もしかして
不自然な動きをした僕を見て、咲は察した。
僕は少女の小さな手を首に感じる。
それは肌の柔らかさを、引き寄せる力を、そして生者との
咲は僕らを引き離そうとして手を伸ばした。
力の及ばない関係。
幻に触れようとするみたいに、無意味で
「あなた、寂しさを
触れられないから、咲は言葉を武器にした。
触れられる僕は、少女を引き離す。
「何よ」
少女は僕ではなく、咲を
「寂しさ? そんなものは時間と共に薄れていくわよ。結局、みんな一人なんだから……」
そう言いながら少女は席を立ち、僕の横に来た。
ちょこん。
「な!?」
小さいお尻を、僕の
「さあ、この状況を、この女に説明しなさい」
「出来るかっ!」
だが、僕が少女を引き
「それって、もはや嫌がらせよね?」
咲の目に敵意が宿った。
咲、やめておけ。
見えない、触れない、口もきけない相手とのケンカほど無意味なものは無い。
「あなた、大切に思ってくれる人がいなかったんでしょう?」
「っ!」
少女は身を固くした。
ぎゅっと、縮こまるみたいに、小さな身体を更に小さくした。
「あなたはきっと、忘れられちゃったのよね? だから生死の隔たりを大きく感じるんじゃないの?」
「咲、やめろ」
「私は絶対に勉を忘れないし、あなたが生前に持っていた希薄な関係と一緒にしないで」
「咲」
「何よ?」
「咲、ありがとう。でも、もうそれくらいにしてあげてくれ」
僕との繋がりを大事に思ってくれてるのは嬉しい。
でも、少し言い過ぎだ。
とは言え、少女を責めた咲を責めるのは酷だ。
咲には、少女の今にも泣き出しそうな顔は見えていないのだから。
……表情は、いったいどれだけのものを伝えてくれるだろう。
そしてそれを認識してもらえないということは、どれだけの孤独を連れてくるだろう。
僕らに涙は出ない。
でも、普通の人と同じように、悲しみに肩を震わせ、苦悩に顔を
少女にどんな過去があるかは知らない。
けれど痛みを
「我慢するな」
少女は歯を食い
「僕にしか見えないんだから」
それは寂しいことだけど、でも人目を気にせず泣けるのだ。
僕が何度もそうだったように。
少女はまだ、幼い中学一年生の顔のまま、僕に
「……勉?」
状況が把握できずに、咲は
初めてかも知れない。
僕は、咲をひどく遠くに感じてしまった。
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