第14話 可能性

困ったことになった。

いつものように朝一番に学校に来て、いつものように二番目に教室に入り、そしていつものように自分の席の机に座った。

そこまではいい。

だが部長、どうして君は僕の席に座るのだ。

僕が君の方を向いて座り直せば、絵面的に大変なことになるのだぞ?

幸いというか、部長は本を読んでいるので、部長の顔と僕の股間の間には障壁があるわけだが。

さすがに机の上から部長を見下ろしているのは気が引けたので、僕は隣の雄介の席に移動する。

二人きりの教室で、こうやって隣同士になるのは初めてのことだから少し気恥ずかしい。

「今回は随分と分厚い本だな」

その気恥ずかしさを誤魔化すように話し掛ける。

部長の横顔は綺麗だ。

特に本を読んでいるとき、彼女の知的な目が文字を追うさまに、僕は何故か惹かれる。

「もしかして、一緒に読もうということなのかな」

勿論、部長には聞こえないし、彼女の目は乱れることなく文字を追う。

でも時おり本から目を離し、窓の外に見入ったりする。

それは目が疲れたからと言うより、何かを待ちびるような、何かをがれるような姿に見えた。

部長が本にしおりを挟み、教室の時計に目を向ける。

そろそろ他の生徒が登校してくる頃だ。

「えっと」

耳に心地いい、優しい声。

辺りを見回し、そして呟くように小さな声で続けた。

「また明日」

はにかむようにそう言うと、部長は自分の席に戻る。

なるほど、僕が存在するものとして行動するつもりか。

いや、だったら僕の席を占領するなよと……なんて、ツッコめたらいいのにな。

僕が確固たる存在なら部長はここに座りはしないだろう。

淡く希薄なものを感じ取ろうとしてくれてるから、僕はもどかしくて自分が嫌になる。


二番手登校は、珍しいことに咲だった。

咲は部長に挨拶した後、躊躇ためらいなく真っ直ぐ僕に向かって歩いてくる。

部長が、咲の背中を目で追っている。

おい、まさか──

「勉、おはよう!」

部長が腰を浮かし掛けた。

「珍しく早起きしちゃったから二番手、あ、勉がいるから三番手か」

咲は屈託くったくなく笑う。

どういうつもりだ?

恐らくは先生に相談したあの日、咲は部長と話し合ったのだろうけど、もう少し準備というか相談があってもいいのではないか?

……まあ、猪突猛進ちょとつもうしんなところは咲の魅力の一つではあるが、幼馴染としては危なっかしくてヒヤヒヤさせられる。

「なるほどなるほど、勉は隣の席で戸惑っていたわけだ」

そう言えば雄介の机に座ったままだった。

そして咲はやっぱり、事情を察している。

「咲、少しくらい相談してくれても──」

「本当にいるの!?」

椅子がガタンと音を立てる勢いで、部長が立ち上がった。

物静かで、おしとやかな部長が珍しい。

咲が振り返ってにっこり笑う。

「隣の席に座って、ずっと二宮さんを見てたみたいよ」

こら、誤解を招くような言い方をしないでくれ。

まあ、いくら部長に信じたい気持ちがあったとしても、半信半疑、全て鵜呑うのみにするわけでは──

「どこ?」

部長が雄介の机の前、つまり僕の目の前に立つ。

視線を動かしながら、あるいは凝視しながら、何かに触れようとするように手を伸ばそうとする。

……半信半疑ではなく、ほぼ信じていることを確信に変えようとしているみたいだ。

「ちょ、近い! 近いから一歩下がって!」

咲の声に、部長はビクッと動きを止める。

「勉は机に座ってるから! もうちょっとで密着するの!」

「咲、どうせ触れはしないのに、そんな必死に止めることも無いだろ」

多少ドキドキはするけれど。

「う、うるさいわね! 二宮さんがけがれるでしょうが!」

……ひどいことを言われたが、確かに死や霊といったものは穢れととらえる向きもある。

そう言えば神社とかも、身内が亡くなったら一年くらい参拝しちゃいけないって聞いたことがあるな。

亡くなった本人の場合はどうなのか聞いたことは無いけど。

「ここに目があって」

おい、目潰しのように指が刺さったぞ。

「いま勉の視線は斜め下を凝視してるわ」

いや、机の上に座っていても、部長より背が高いから斜め下になるだけだぞ?

咲の言い方だと巨乳に目を奪われているみたいじゃないか。

「私が、見える?」

部長は、それどころじゃないみたいだ。

真剣な眼差しは、僕のひたいくらいの高さに照準が合っている。

「あと三センチくらい下」

咲が誘導する。

「ここよ、ここ」

また目潰しを食らった。

でも、部長と目が合った。

「え?」

「え?」

部長の瞳の中で、一瞬、僕が像を結んだような気がした。

眼鏡を外し、ゴシゴシと目を擦る仕草が子供みたいで可愛らしい。

さっきまで文字を追っていた目が、少し赤くなる。

何度かそれを繰り返すが、もう視線が合うことは無い。

胸が高鳴って、そして落胆する。

部長の表情と僕の表情は、きっと同じだ。

「二宮さん、もうそろそろ誰か来るから」

可能性を模索するように目を凝らし、まばたきすらもどかしげに虚空こくうを見つめていた部長は、溜息をいて目を伏せる。

「またね」

独り言ではない。

ちゃんと僕に届くと信じて口にした言葉だ。

「うん。また」

昨夜、奇跡と繋がり続けることに疑問を感じたばかりだが、新たに芽生えた可能性に希望を見出してしまう。

咲が僕を見て笑った。

何だか頼もしいようなその笑顔は、奇跡など普遍的なことだと言っているように見えた。

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