第13話 丑三つ時の少女

月明かりに照らされた、深夜の堤防を歩く。

オケラがうるさいくらいに鳴いているから、多分、湿度が高くて暑い夜なのだろう。

まさかとは思ったが、あの少女は前回と同じ場所にたたずんでいた。

銀色に照らされた川面かわもを見ているのか、それとも、またどこか遠くを見るような目をしているのか。

足音は立たないし、いきなり声を掛けて驚かせても悪い。

時間も時間だ、幽霊を見たかのように悲鳴を上げられても困る。

僕は鼻歌を歌いながら近付くことにした。

「うっさいわね! こんな時間にバカなの!?」

凄い少女だ。

鼻歌だけでここまで人をののしれるものなのか。

「退屈だったもので」

きっと少女も退屈しているはずだ。

幽霊なんて退屈で、流れる日々は無為になりがちだろう。

「あー、アンタは無駄で退屈な人生を送ってたっぽいもんね、死んだけど」

凄い少女だ。

退屈と言っただけで、ここまで人の生きざまを否定できるものなのか。

ご丁寧に過去形だ。

……確かに死んだけど。

しかし、取りつく島が無いとはこのことだ。

このままでは幽霊の存在まで否定されかねない。

僕は恐る恐る、少女の隣に腰掛ける。

草の匂いと、川面を渡る風。

「僕には幼馴染がいて」

いや、何を語り出すつもりだ僕は。

「……それで?」

あれ? 聞いてくれるのだろうか。

黄昏たそがれ時の少女、改め、丑三うしみつ時の少女は心持ち顔をこちらに向け、続きをうながした。

「何故か家族でさえ僕が見えないのに、その幼馴染は僕が見えるんだ」

「そう……良かったじゃない」

素っ気ないけど、とげは感じなかった。

「生きてる人と会話できるなんて貴重なんだから、こんなところにいないでその人のところへ行けば?」

やっぱり、素っ気ないけど棘は感じない。

ねたような……子供の頃、二人一緒にいても咲だけが褒められた時の、うらやましいような口惜しいような、ちょっとほろ苦い感覚。

それと似た感情を、この少女は抱いているのだろうか。

「貴重なのか」

「ええ」

「でも、どうすればいいだろう?」

「何が?」

「彼女は生きていて、日々の生活がある」

「幼馴染って女だったの!?」

幼馴染といえば女性だと世間の相場は決まっている、と思っていたが、そうか、同性の幼馴染も有り得るんだな。

「まあ何というか、僕には勿体無いくらい良くできた幼馴染で」

「そう、ご愁傷様」

「へ?」

「男同士なら、まだその関係を維持できたかも知れないけど、女性でしょ? いつまでも死んだ男に関わり合っていられないじゃん」

「だよなぁ」

「まあ覚悟しておいた方がいいわよ。やがて彼氏が出来て」

「いや、言わなくいていい」

「彼氏の方はアンタが見えないから、目の前で気付かずにイチャイチャし出したりしてさ」

「おい、やめてくれ」

「彼女の方も最初は、ちょっとダメだって、とか言いながら抵抗する素振りを見せるんだけど、だんだん目がトロンとしてきて、しまいにはもうアンタの存在忘れてほいさっさー」

凄い少女だ。

こちらの心情など構うことなく、言いたいことだけを言う。

「因みにほいさっさって、ロシア語で男のアレをしゃぶるって意味になるらしいよ」

更に追い討ちを!

「まあ日本語でも、よし行こう、みたいな意味だし、ラブホにでもしけ込むシチュだよね」

コイツ、小悪魔じゃなくて悪魔か!

「つとむくん、だっけ?」

「あ、ああ、そうだ」

「ご愁傷様」

コ、コイツ、大事なことなので二度言いましたを時間差で!

しかもご丁寧に名前を呼んでからダメ押しのように言い放つ、高等応用テクニックを!

「つとむくん」

「……なんだ」

「その人のこと、好きなの?」

「す、好きか嫌いかと問われれば、す、好きな方だろう」

「そう……」

あれ? 三度みたび、ご愁傷様と言われるかと思ったが……。

「手、出して」

「え?」

「ほら早く!」

急かされるままに手を差し出す。

月明かりに浮かび上がる見慣れた自分の手に、少女はその小さな手を重ねてきた。

「!?」

さ、さわれる!?

決して温かくはないけれど、確かな人肌の柔らかさが手のひらに伝わってくる。

幽霊同士なられられるのだろうか。

それとも、何かスキルのようなものがあるのか?

「人と触れ合うことは、かなわないのだろうか」

「さあ、かつて生きてる人と触れ合った幽霊もいるって都市伝説はあるけどね」

幽霊が語る都市伝説!

あまりの信憑しんぴょう性の低さに眩暈めまいがしそうだ。

「私達にも相性があってね」

「相性?」

「お互い見えることなんてまれなのよ」

「そう……なのか?」

「でなきゃちまたに幽霊が溢れかえってるよ」

そりゃそうか。

いま生きている人間よりも、過去から現在に至るまでに死んだ人間の方が多いだろう。

でも、僕が出会った幽霊はこの子だけだ。

「まあ全ての人が幽霊になるわけじゃないみたいだし、成仏して消えていく人もいるから、実際どれくらい存在してるのか判んないけどね」

「じゃあ、君と出会えたのは偶然なのか」

「そ。私なんかでゴメンね」

「いや、嬉しく思う」

「……ま、幽霊同士なら偶然。生きている人と認識し合えるなんて奇跡、ましてや触れ合うなんて、伝説レベル?」

そっか……伝説かぁ……。

可能性を、僕はどこかで期待していたんだろう。

少女のさっきまでの毒舌よりも、優しい口調で言われた今のセリフの方がこたえた。

でも、人と認識し合えることが奇跡なら、その奇跡の相手が咲であったことは奇跡の二乗なんだ。

だから僕は、何者かに感謝せずにはいられない。

「ちょっと」

「ん?」

「いい加減、手を離しなさいよ」

「あ、いや、君が離せばいいじゃないか」

二人の手は、お互いが握りあっていた。

「アンタから離すべきでしょう!」

「いやいや、差し伸べてきたのは君の方だ」

「だから……もういい!」

少女は、不貞腐ふてくされた顔をして、でも手は離さなかった。

何かに触れていられることは、こんなにも安心できることだったんだ。

それはもしかしたら、少女にとっても同じなのかも知れない。

無口になってしまった僕らは、手を繋いだまま、月に照らされた川面をずっと眺めていた。

僕がこちら側の存在なら、奇跡にすがることは悪足掻わるあがきなのだろうか。

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