第8話 先生

進路指導室は、一般の教室から少し離れたところにある。

妙に静かで、部活動や放課後特有のざわめきは、あまり聞こえてこない。

咲と先生は向かい合って座り、僕は咲の隣に立った。

窓からの光が先生の生真面目な顔を照らす。

随分と綺麗な人だな、と改めて思う。


咲は自覚してないかも知れないが、僕という存在は咲の大きな負担になっているだろう。

気遣うことや、周囲に対する対応、それから、今後のことへの不安。

誰にも相談できないどころか、愚痴や軽口すら話せない。

だったら、答など無くても話せる相手はいた方がいい。

さて、咲は先生にどう話を切り出すのか。

信じてもらうには、それ相応の話運びというものが大切だろう。

「先生、勉が幽霊になったんですが」

アホなのか!?

咲がこんなに使えない子だとは、長い付き合いなのに知らなかった。

いや、コイツは元々こういうヤツで、打算とか駆け引きとか一切しないタイプだったか。

先生は先生で、あきれた顔もせずに微笑む。

ああ、この人は、随分と可愛らしい大人でもあるんだな。

「不思議なことですね」

そして否定もしない。 

いきなり信じたわけでも無かろうが、先生としても一人の生徒を亡くした上に、その幼馴染がうったえてくるのだから頭から否定するわけにもいかないのだろう。

「信じてくれるんですか!?」

「いえ、幽霊を信じるかはともかく、最近、似たようなことを言ってきた生徒がいまして」

え!?

咲が僕を見る。

僕はブンブンと首を振る。

僕の存在に気付いている生徒など、全く思い当たらない。

「誰ですか!?」

先生にいた方が早いので、僕と咲は身を乗り出す。

「相談してきた生徒の名前を明かすわけにはいきません。それに二宮さんは、そんな気がすると言ってきただけで──あ」

……この先生もアホだった。

冷たい雰囲気、厳しい授業、不愛想で滅多に笑わない。

なのにこの先生が、一部の生徒から「ちゃん」付けで呼ばれている理由が少し判る気がした。

どこか抜けているというか、意外とドジっ子なところがあるのだ。

「こほん。幽霊などいません」

「全否定して相談を無かったことにする気だ!」

「た、他言無用でお願いします」

保身に走った!

というか、教師が生徒にモジモジしながら頭を下げた!

「勉、二宮さんだって! 何か思い当たるフシある?」

咲は隠す気も無いようで、先生の前なのに構わず僕に話し掛ける。

「その、沢村君も同席しているのですか?」

「ええ、ここに立ってます」

先生は、僕からは少しズレた位置に視線を向けて立ち上がる。

逃げるのかと思ったが、部屋の隅に立て掛けられていた折り畳みのパイプ椅子を持ってきて、咲の隣に置いた。

なんだろう、今まであまり関わることは無かったけれど、僕はこの先生に惹かれた。

「元気ですか、と尋ねるのも変ですし、完全に信じるわけにはいきませんが……信じてみたいですね」

誰か、大切な人を亡くしたことがあるのだろうか。

先生は珍しく、とても柔らかな笑みを浮かべて言う。

信じてみたいということは、きっと幽霊でも会いたい人がいるということだ。

「咲、ありがとうございますって伝えてくれないか」

立っていても座っても、どちらが楽とかいうことは無い。

でも、仮に幽霊を信じたとして、普通は椅子を用意しようなどとはなかなか考えないのではないか。

だから、僕はその気持ちに嬉しくなった。

「先生、勉がありがとうございますって」

「いえ」

先生は少しうつむく。

お礼を言われたり、褒められたりすると素っ気なくなるタイプの人らしい。

大人の女性という雰囲気をまとっていたのに、不意に子供っぽいような顔をのぞかせる。

「で、二宮さんはなんて言ってたんですか?」

「……生徒の鋭く執拗しつような追及に、やむなく口を割ってしまったというていで」

「はあ?」

「いえ、彼女が言うには、朝いちばんに教室に入ると、毎日ではないそうですが誰かの気配を感じると」

部長……それで僕に本を……。

「誰かの気配が、どうして勉になるんですか?」

「さあ、それは私には判りませんが、悪い気配で無いのなら、やっぱり会いたい人だったらいいなぁ、と思うんじゃないでしょうか」

「勉が、二宮さんの会いたい人?」

咲が僕に目を向ける。

うん、咲らしい綺麗で怖い顔だ。

「その、彼女とは文芸部でよく本を読んだ仲だ」

「それで?」

「考察や議論を積み重ね、それなりに親交を深めてはいた」

「……まあ、本の貸し借りをしていたのは知ってるけど」

何だか不服そうだ。

「私とは漫画で、二宮さんとは小説なんだ」

どっちが上とか、より深いとかは無いのだが、ちょっとねたように口をとがらせるのは何故なんだ。

だいたい女というものは、すぐ優劣をつけたがる。

「私から見ると、たちばなさんは独り言、というか一人芝居をしているようにしか見えませんが、沢村君は服を着ているのですか?」

何の疑問だ!?

前後に繋がりが全く無いじゃないか!

「当たり前です! 勉は変態じゃありません!」

さすがは幼馴染、すかさず否定してくれる。

「道路の真ん中で絶叫しながら歌うことはありますけど」

なんてこった!

僕の一人コンサートがバレてる!?

「道路の真ん中で絶叫する方が、変態的な自己顕示けんじ欲なのでは?」

先生、死者にむち打つのはやめてください。

「勉、もしかして脱げないから服を着てるだけなの?」

「お前は僕と何年の付き合いなんだ! 僕に露出趣味など無いし、歌うことは……ストレス発散だよ」

「私、勉の声は好きだけど?」

「だ、誰もそんなことは聞いていない」

「それに、勉が変態だったとしても、ルールは守るって信じてるからね」

咲、そこで私は理解者だよ、みたいな笑みはいらない。

僕は変態ではないし、信じてもらわなくてもルールは守る。

でも……ルールやモラル、そういったものは全てのしがらみを失えばどうなるか判らない。

僕には咲がいるから、生きる人達のためにあるルールやモラルに従っている。

だけど本当は、死んでしまえばそんなものは関係ない。

咲が、僕を繋ぎとめているだけのことだ。

「道路の真ん中で歌うのは、ルール違反ではないのですか?」

「……」

……さすが先生、幽霊になった生徒にも厳しい。

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