第4話 雨に唄えば

「もしもし、お嬢さん」

軽い口調で呼び掛けたものの、僕は冷や汗が出る思いだった。

僕の姿が見えて、僕の声がうるさいだって?

それってつまり……。

「何よ?」

やはり、言葉にちゃんと反応する。

雨にも濡れず、僕を認識する存在ということは……。

「つかぬことをおうかがいしますが、こんなところで何を」

「そっち!?」

確かに重要なのはそこではない。

でもこの子が幽霊だって、もう答は出ているようなものだし。

「あ、いや、いつから僕の言動を?」

「そっち!?」

これもまあ、大事な確認をせずに聞くことでは無いのかも知れないが、まずは僕がいま置かれている状況を見定めておきたい。

つまり、僕の尊厳は保たれるのかということを!

「堤防の上で絶叫しながら踊ってたとこからかしら」

「うわあぁぁぁ!!」

「うっさい!!」

恥ずかしい!

死んでるけど死にたい!

幽霊に転生(?)して半年、初めて出会った同属なのに、最悪のファーストコンタクトだ。

彼女の堂々とした態度から察するに、幽霊歴は僕より長いはず

恐らく、何らかのコミュニティに属しているだろう。

ならば、僕のすべきことは一つ!

「……三回まわってワンと鳴けばいいだろうか?」

屈辱だが仕方あるまい。

コミュニティ全体に恥をさらすより、彼女一人にひざまずく方を僕は選ぶ。

「はあ? そんなものは公衆の面前でしてもらわなきゃ面白くないでしょうが」

コイツ、真性のドSだ!

「……僕はどうすればいい」

「いや、うっさいから黙れって言ってんの」

「は?」

「あのねぇ、新人幽霊だか何だか知らないけど、素人の歌って踊る姿なんか見たくもないし、ましてや近寄ってきて観察なんかされたらウザいっしょ」

……ごもっとも。

女子だからもっと理不尽なことや無理難題を言ってくるかと思ったが、話せば判るタイプなのかも知れない。

もっとも、怒らせてはいけないタイプだとは思うが。

「すまない。世界に一人を満喫してしまっていた」

実際は多分、孤独感を紛らわせていたのだろうけれど。

「まあ、泣き叫んでばかりいるバカも多いから、楽しみ見出してるアンタは無様ってほどじゃないけどね」

僕は自分を無様だなんて一言も言ってないのに、敢えて無様を否定してくれてありがとう。

だが、今の発言から、僕のような存在が他にも沢山いるらしいことは判った。

彼女からは色々と教わることになりそうだ。

「沢村勉、高二だ。えっと、死んだのは高一のときだ」

「あっそ」

「ちょ、君は名乗らないのか!?」

「え? 私、アンタに興味無いんだけど」

なんて礼儀知らずで我儘わがままな女だ!

やはり女はちょっと可愛いと図に乗る。

見たところ中学生とは言え、コイツは現役時代(?)も退役後も、さんざん男を振り回してきたタイプに違いない。

「そうか。まあ、また会った時は挨拶くらいはしてくれるとありがたい」

地元の人間のようだから、また会うこともあるだろう。

生意気な女だが、知識と経験は豊富そうだし、敵に回したくはない。

ここは素直に引き下がっておいた方が良さそうだ。

「じゃあ、邪魔して悪かった」

「あー、つとむくん」

勉君!?

初対面の年下女子から名前呼びされるとは!

「キミが女の子のパンツを見ないように気遣う男子ってのは判ったから」

「なっ!?」

「またね」

……小悪魔だ。

いったん突き放しておいてから、ちょっと甘い言葉をささやく。

小娘だと思ってあなどっていたら、手練手管てれんてくだけたコイツの術中にまってしまう。

……でも彼女は、もう僕に興味を失くしたように川の方に顔を向けた。

これも彼女の作戦なのか?

気を引くような言葉の後に寄せ付けないような素振り。

男を振り回し翻弄ほんろうする常套じょうとう手段……でも無さそうだ。

ひどく寂しげな背中と、彼女がまとう空気。

そりゃあそうか。

中学生の女の子が、早すぎる死を経験したんだ。

何かと抱えているものはあるだろう。

僕はそっと、その場を離れた。


雨の中、一人で歩く。

日は暮れて、田舎道をハイビームで走る車が、僕に気付かず水飛沫しぶきき散らして通り過ぎる。

別に濡れるわけではないが、いつもなら舌打ちするか毒づいているところだ。

なのに何故か、いつしか僕は「雨に唄えば」を口ずさんでいた。

うろ覚えの英語を時おり鼻歌で誤魔化しながら、弾むように歩く。

おっと、こんな姿をまた誰かに見られるわけにはいかない。

でもまあ本当なら、傘を持ってそれをくるくる回し、時には空を見上げて笑顔で雨を受けたい気分だ。

濡れる感覚、水滴が髪を伝う感触、纏わりつくズボンの裾、どちらかと言えば不快なことであったのに、何故か恋しいような気さえする。

車が猛スビートで通り過ぎた。

実体があったならかれていたかも知れない。

誰も気付かず、声も届かず、何にも触れられず、痛みは無く、快楽も無く、それでいて心は確かにここにあって、それはきゅっと痛みを覚えたり、喜びや寂しさを連れて来たりする。

──ああ、そうか。

僕は誰かに認識してもらえたことが嬉しかったのだ。

直ぐそばに咲がいた僕は、恵まれていると言えるだろう。

でも、咲には咲の生活があって、何より、今を生きて、そしてこれからも生きていく眩しいような存在だ。

僕と咲は、近しい存在でありながら、大きな隔たりがある。

さっきの少女の顔を思い出す。

幼さの残る勝気な瞳と、貝殻みたいな小さな耳。

あの目が僕を見て、あの耳は僕の声を聞いたのだ。

たったそれだけのことが、これほど嬉しいことだとは。

雨がリズムを刻む。

「I'm happy again! I'm singin' and dancin' in the rain!」

誰かに見られていたならば、また絶叫して恥じ入らなければならないが、僕はステップを踏むように田舎道を歩く。

「よみがえる幸せ。雨に歌い踊る」

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