第3話 黄昏の少女

幽霊に対する常識、固定観念というもの。

存在が確かではないのに、そんなものが出来上がっているが、実際に自分が幽霊らしきものになってみて判った。

常識など通用しない。

物に触れられない、というのはよく聞くが、その代わりに壁をすり抜けたりしているシーンは有りがちだ。

なのにそれが出来ない。

つまり窓もドアも開いていない部屋だと、完全に閉じ込められてしまう。

実体は無いのに遮断は有効、かと思えばさっきみたいに咲と重なったりする。

もしかしたら空気や水みたいに、形が自在に変化しているのかも知れぬ。

脚はある。

浮いたり空を飛んだりは出来ない。

咲以外には誰からも見えないのだから、元から消えているようなものだが、自分の意思で消えたり現れたりも出来ない。

幽霊のメリットなど、どこにも無いのである。

いや、透明人間にも等しいから、まあ……その、悪用出来ないこともないのだが。

それはともかく、部屋、あるいは家から出られないのは困る。

家族に混じってリビングでテレビを見たりは出来ても、みんなが寝静まったあと、暗い家の中で一人でいるのは侘しいものだ。

……寧ろ、家族が団欒だんらんしている中に、一人でいるのが侘しくなることもある。

だったら、暗くて一人であっても、外を彷徨さまよっていた方が退屈しない。

幽霊は眠れないみたいだし、寒さも暑さも感じないのだから、自由に動き回れる外の方がいい。

だけど咲の部屋で夜を過ごせるなら──

「外、面白い?」

へ?

「まあ他人の後に付いていけば、コンビニだって出入り出来るし、家にいるより面白いか」

なんか勝手に納得してるな。

「いや、深夜徘徊ばかりするのも何かとツライものがあってだな」

「だったら」

来た! 私の家に──

「今日は一人で家を出るね」

くっ! つまりは自分の家にいろと?

……そうだった。

女というのは思わせぶりな表情を作っておきながら、実は何も考えていないのである。

いや、本能的に男の気を引く顔をするように出来ているに違いない。


咲が僕の家を出る。

僕も一緒だ。

母親が咲に「またね」と笑顔を向けるが、少し胸がチクリとする。

慣れないものだ。

僕はいないのだけど、自分の母親にいないものとして扱われることは少し苦しいことなのだ。

まったく合わない視線、向けられない言葉。

閉められたドアは、まるで拒絶のように感じてしまう。

「勉」

優しい咲の顔。

これも無意識に作られるものなのだろうか。

あるいは本能的なものなら、それは否定すべきものじゃなく、本能的な優しさではないのか。

「私には見えてるから」

……女というのは、ずるい生き物だと思う。

幼馴染でありながら、それこそ死んでいても、ドキドキさせるような表情を作るのだ。

心臓は動いていなくても心はあって、心が震えるから、胸はドキドキするのだろうか。

「そうだな。たった一人が咲で良かった」

父親だけ、母親だけ、あるいは妹だけに見える、というのを想像してみると、どれも何か違うというか、色々と困るような物足りないような気がする。

だから割と素直にそう思えたのだか、咲の方は何故か僕をにらみ付けていた。

「ま、まあ、アンタの面倒を見られるのは私くらいだし!」

それも、あながち間違いではないかも知れない。

「く、腐れ縁だから仕方ないわね!」

何を怒っているのだ。

だいたい女は、意味不明なことですぐに感情が変化する。

「この、唐変木!」

確かに僕は偏屈で、気が利かないと女子にはよく言われるが、何も今それを言わなくてもいいだろう。

「じゃあね!」

「あ、咲」

「な、何?」

「いや、また明日」

「ふんっ!」

隣の家、つまり咲の家のドアが開かれ、そして乱暴に閉じられる。

……やはり女というものは理不尽である。

せめて夜になるまでは、付き合ってくれてもいいだろうに。


地方の県庁都市の町外れ。

見るべきものなどあまり無い。

街の中心部まで行けば、それなりに賑わう場所もあるし退屈しのぎにはなる。

つまりは所詮、退屈しのぎだ。

夢中になれるものがあるわけじゃない。

歩いても疲れないから遠くまで行ってみたりもしたけれど、不思議なことに疲れないと面白味が薄い。

疲労感は達成感を連れてきて、達成感は知らない景色をより綺麗に見せてくれるのだろう。

人とはそういう風に出来ていて、死んでしまうとそのバランスが崩れ、何かと感覚のズレが生じる。

「はぁ……河原にでも行くか」

そう言えば、死んでから独り言も増えた。

一人でいる時間が長いと増えるものらしいが、何せ声を出しても咲以外に聞かれることが無いものだから、余計に独り言が出てしまう。

「この時間だと、河原から見る夕日が綺麗なんだが、今日は生憎あいにくの空模様だな」

独り言ではなく、もはや一人語りだ。

鼻歌も歌う。

いや、鼻歌くらいならいいが、激しく身体を揺らしてシャウトさえする。

「ふっ」

誰にも見えないと知りつつ、途中でひどく恥ずかしくなって、今まで一曲歌い終えたことがない。

「僕もまだまだだな」

空を見上げた。

雨が落ちてきた、ようだ。

濡れるという感覚が無いから、降り始めは気付きにくい。

堤防に生える雑草が、雨粒を受けてポツポツという音が聞こえ出す。

「ん?」

堤防の斜面に、一人の女の子が座っていた。

「雨が降り出しても立ち去ろうとせず、物げに川面を見つめる少女、か」

僕は斜面を降り、その少女の正面に回った。

僕が通っていた中学の制服を着ていて、白いパンツを履いている。

いかん、ひざを抱えて座っているものだから余計なもの、いや、貴重なものが見えてしまった。

「僕は紳士だからな」

そう呟きつつ、僕は何故か唇を噛み締めて少女の隣へと移動する。

「ふむ、気はキツそうだが、なかなか愛らしい顔をしているな」

少女は川の方に顔を向けていたが、視線はどこを見ているのかよく判らなかった。

黄昏たそがれ時に黄昏てるな。何か嫌なことでもあったのだろうか。ここは年長者として相談に乗ってやりたいところだが、いかんせん──」

「あーもう、うっさい! アンタ、さっきから何なの!?」

「なかなか狂気じみた独り言を吐く少女だ。黄昏てたのではなくやさぐれていたのだろう……か? え?」

少女の目は、真っ直ぐ僕を見据えていた。

僕のことが、見えてる?

雨が強くなってきた。

堤防に茂る草の葉はしずくを落とし、誰かが捨てた雑誌も濡れそぼっていく。

なのに、少女の制服も、その髪も、全く濡れていなかった。

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