第10話

 判然としない意識のなか開いた目に映った壁掛け時計の針が午前九時過ぎを指していたので、慌てて体を起こした。しかし起き上がる最中に、今日自分は登校しなくてもいいのだと思い出して、安堵と物悲しさが混じった空気に包まれてベッドの上に座り込んだ。

 おととい徹を殴った件で僕は昨日から来週いっぱいまで、十日間の停学になった。

 処分を告げた石渕先生の説明によると、概略としては特に大きな怪我もない生徒同士のいざこざなので、停学処分を課すほどの問題ではないということだったが、休み時間の教室前の廊下という非常に人の目の多い場所で騒ぎを起こしたことと、僕が無抵抗の相手に一方的に暴力を振るったことを重くみて今回の処分になったということだった。

 おととい学校から帰って来てから昨日の夕方までは全身の疲労と脱力感が酷くベッドに横たわって眠っていたが、人間ずっと眠っていることもできないようで、一度目覚めて寝つけなくなると、立ち上がって部屋の中を歩き回ったり、再びベッドに寝転がって朦朧としたりを繰り返して、覚醒と半覚醒のような状態を行き来しながらうずく身体を持て余して過ごした。そしておそらくその一連の行為のなかでまた深く眠りについて、今に至るらしい。

 カーテンが開け放たれた窓から取り込まれる陽の光はすっきりと室内を照らして、意識をゆるやかに目覚めさせていく。机の上では使用不能になったスマートフォンが清々しい光のもとにその無惨な姿を晒していた。

 サイドボードに置かれていたペットボトルを手にとり水を飲み込んだ時、胃に水が沁みわたる感触で自分が空腹であることに気づいて、僕は食物を求めて階下に下りた。

 リビングには今日も母さんの姿はなく、ガラステーブルの周辺に空き缶とおつまみの空袋がちらばっていた。この二日ほどリビングに足を踏み入れていなかったので、母さんがいつ帰って来ていたかも、これらがいつの酒盛りの残骸なのかもわからない。今はそれらを片付ける気力もなかったので、そのままにしてキッチンの方へと進み、ダイニングテーブルの端にあった食パンの袋から一切れパンを取り出してそのままかじった。もそもそとした乾いた食感が今の自分の有り様と馴染んで飲み下すたびに気持ちが落ち着いていく気がした。

 こうやってキッチン側から改めて雑然としたリビングを眺めると、この場所でつい三ヵ月前まで和やかな家族団欒の光景が繰り広げられていたことが幻だったかのように思われてくる。自然光に満たされたリビングに父さんや母さんの姿はなく、視界にはゴミの散らかった誰もいない空間が広がっているだけだ。もうあの日々は戻ってこないのだとはっきりと思った。

 父さんの浮気が発覚したのは、夏休みが始まる一ヵ月ほど前のことだ。同じ町内に住む噂好きのおばさんが「お宅のことが心配だ」と言って家を訪ねて来て母さんにみせたスマートフォンの画像のなかに、父さんが若い女性の肩を抱いて夜の繁華街を歩いている姿が写っていたらしい。

 その晩帰宅して早々に画像を突きつけられた父さんは、言い訳をするでも狼狽えるでもなく、リビングの床に座り込んですすり泣く母さんの前に立ちつくし、無言のままうな垂れていた。

 食べかけの食パンを片手に持ったままテレビに近づき、木製のテレビボードの端に伏せられている写真立てを手にとった。そこには濃い藍色の背景を前に正装して三人並んだ僕たち家族の姿があった。

 写真好きだった父さんは僕が生まれた年から毎年必ず結婚記念日に写真館で家族写真を撮り、その一番近影の写真を小さくプリントして普段みんなの目につくテレビの脇に飾った。

 それらの写真にはにこやかに笑みを浮かべる僕ら三人が存在していて、今こうやって当人の目から見ても幸福な理想の家族のイメージそのものに見える。でも、表面的にはなめらかで凹凸のないその理想の画は、完璧を維持しようとするが故に過分に張りつめていて、一つのヒビで崩壊してしまう脆さを孕んでいた。

 浮気が発覚してしばらくは平然を装っていた母さんだったが、それでも父さんの帰りが遅くなったり、家で父さんのスマートフォンの着信音が鳴る度に神経を尖らせるのがわかり、次第に父さんの態度や言動の端々を取り上げて嫌みを言っては、自分の不幸を嘆くことが多くなった。そして、残業続きで父さんの帰りが遅い日が続いたある晩、父さんが食べ切れずに夕食のおかずを残すのを見た母さんは、突然奇声を上げて大声で父さんを罵倒し始め、手当たり次第に物を投げつけて父さんを家から追い出してしまった。父さんが出て行ったあとの室内には、粉々に砕けたガラス食器や陶器の破片が散乱し、玄関先で泣いている母さんの嗚咽だけが切々と響いた。今思うとあまりにも突然であっけない一家離散だった。

 その翌日から母さんは一心不乱に仕事を探し始めた。何かに追い立てられるように求人雑誌や求人サイトをチェックしては履歴書を送って、面接を受けていた。食事時に話すことも、いかにも本や雑誌に書いてありそうな『女性の自立の素晴らしさ』や『支え合う母子家庭の美談』ばかりになり、一切僕や父さんの話題は出さずに訥々とそれらの話を語っては一人満足気な笑みを浮かべた。まるでこれまでの生活などなかったかのように立ち振る舞う母さんの姿に異様さと不安を感じながらも、僕はどうすることも出来ずただ傍でその姿を眺めていた。

 それから一ヵ月ほどの間、不採用を知らせる通知ばかりが届く日が続き、ついには近所の大型スーパーのパートも不採用になって、母さんはぱったりと家から出なくなった。何日間も服を着替えず毎日虚ろな表情のまま酒を飲むだけの母さんの様子を見かねた僕は、母さんを連れて心療内科を受診した。診断名は不安神経症だった。

 僕は再び写真立てをテレビボードの上に伏せて置くと、手に持っていた食パンのかけらを口に詰め込み、後方のガラステーブルの周りに散らかった空き缶と空袋を片付け始めた。缶類を一つの袋にまとめてキッチンに片付け、今度はお菓子やおつまみの袋をまとめて捨てようと小さなゴミ袋を持ってガラステーブルの方に戻る。さきイカやチーズ鱈、ポテトチップスなどの袋を片っ端からゴミ袋に詰めていくと、テーブルの上のA4サイズのチラシが目についた。母がここのところ毎日のように集会に参加していると思われる宗教団体の勧誘チラシだった。天地創造をイメージしたのであろう神々しい図版の印刷されたチラシの中央には大きく『真実の幸福』という文字が記されている。    

 心療内科を受診してから数日後、僕が学校の夏期講習に行っている間に家を訪ねて来た勧誘員の話を聞いた母さんは、あっさり心療内科への通院を拒否し、そのかわりに宗教団体の事務所に足繁く通うようになった。ほとんど寝巻きのような服装のまま、化粧もせず、瞼の開き切らないぼんやりとした目をしてそろそろと集会へ出かけていく母さんの姿を目の当たりにした僕は、わずか一ヵ月あまりの間に世界がすっかり様変わりしてしまったことを悟り、日に日に身体が周囲の景色から浮き上がっていくような感覚を憶えた。

 『理想の家庭』の崩壊によって、母さんから与えられていた『優秀で素直な息子』という役割の一切を失った僕は、学校やそれ以外の日常生活でも自分がどう振る舞えばいいのかわからなくなってしまい、今までの自分が築いてきた交友関係もなんだか他人事みたいに感じられるようになった。一ヵ月前までは眼に映るあらゆる場所にあらゆる人と存在していたはずの自分の姿はどこにも見当たらず、そこにはもはや滑らかでよそよそしい風景があるだけだった。不安感から縋るように勉強をしてみたりもしたけれど、自分しかいない世界で問題を解いても解いてもそこにはただ答えがあるだけで、答えを解いた自分の姿を映す瞳を見つけることはできなかった。

 ゴミをすべて捨て終わって、二階の自室に戻った。ベッドに仰向けに寝て目を閉じ、また目を開けて横向きになりサイドボードに伏せられている写真立てを起こした。そこには高校の入学式の日に校門の前で撮られた家族写真が収められていた。

 一階でインターフォンのチャイムが鳴った。こんな昼間にやって来るのは、宅急便か、近所のおばさんか、宗教の勧誘ぐらいだろう。そう思うと身体から力が抜けて動く気力が無くなった。

 僕は横たわったまま写真を見つめた。写真の中の僕は柄にもなくピースサインをしている。階下では何度目かのチャイムの音が反響していた。

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