第37話 竜の棺に黒妖精
女子二人のこそばゆいやりとりが終わったあたりでしれっと起き出したアローに、ヒルダが歓声をあげた。
「アロー、生きてた!」
「いや、そりゃ生きてるけど」
命を危ぶまれていたとは。
意外と早い段階で意識を取り戻していたアローとしては、大変に気まずいことこの上ない。ミステルは恐らく途中から、アローが目を覚ましているのに気づいていたのだろう。何とも気まずそうな顔をしていた。
「目立ったけがもなく何よりだ」
「アローは? めちゃくちゃ正面から壁にぶつかっていたけど」
「キノコで少し衝撃が和らいだから、大丈夫だ。僕は見た目よりは丈夫だぞ」
何せ、大魔法使いの容赦ないしごきに耐えてきたのだ。壁にぶつかることぐらい、些事である。
それはともかく、確認すべきことがいくつかあった。
「ミステル、リリエとギルベルトは?」
「無事です。一端、あの女を連れて撤退するように、あの傭兵に指示を出しました。彼もあの状況で、黒魔術師と一人で戦いはしないでしょう」
ミステルはおおむね、アローが想定した通りの動きをしてくれていた。出来の良い義妹兼使い魔で、大変にありがたい。
「それはそうだろうな」
リリエと知り合いだったようであるし、彼女が一緒の方には追撃しなかったのだろう。それか、たとえ生きていても上がって来るのに苦労するであろうアローたちを見過ごせないほどに、本格的にこの地底にあるものを知られたくなかったか。
「階段も見あたらないし、せっかくだから地底探索といこうじゃないか」
まだローブの中に残っていた魔法道具の中で、光を放つものをいくつか投げる。ふわふわとした光が辺りを照らし出すと、壁面にびっしりと文字が書かれていることがわかった。
「これ、何の字かな。ゼーヴァルトの公用文字ではないね」
ヒルダが興味深げに観察している。
「アールヴ文字だ」
「アールヴってことは、ここ、古代の遺跡ってこと?」
あまりこの手のことには詳しくないらしいヒルダが首を傾げ、壁に手を伸ばす。それをアローは横から止めた。
「触れるのはやめておいた方がいい。アールヴ文字は、それ自体が魔力を持っている。触れることで、何か魔法が発動するかもしれない」
「えええ……」
「僕もミステルも、アールヴ文字は完全に解読できないから、なるべく触れないように行こう。ましてやこれを残したのは恐らく、スヴァルトの方だからな」
これまでの研究から、アールヴもスヴァルトも使う言葉、文字は共通していることはわかっている。わかりあえる言語を持っているのに宿敵同士なのだから、何とも皮肉な話だ。
「リリエは、こんな地下深くまでくるつもりだったのでしょうかね」
ミステルは不審そうに辺りを見回す。
確かに、ここには階段もない。リリエは動きやすい格好にはなっていたが、こんな場所をうろつけるような服装ではなかった。
「目的地はきっと、中腹くらいだったんだろう」
そして、中腹くらいでも『スヴァルトの宝』を確認することには事足りるということだ。
「では、ここには何があると?」
ミステルは不審そうに、アールヴ文字に目を走らせている。少しでも何か、解読する手立てがないか考えているのかもしれない。
古代文字など全くわからないヒルダは、文字よりも洞窟の深さが気になっているらしい。上の方に光が見えないか、床の地面の岩質などを気にしている。
「うーん、この床を見る限り、ここまできちんと掘って作られているっぽいのよね。自然の洞窟にしては、床が綺麗に整いすぎているもの」
「では、このやたらと深い穴は何のために掘られたのでしょうね」
ミステルは半信半疑の様子であったが、ヒルダはあっけらかんと答えた。
「スヴァルトの宝とやらがとんでもなく大きくて、こんな地下まで掘らないと保管できなかったとか?」
「まさか。そんなに大きなものだったら、城の建設に影響が…………」
アローはヒルダの説を否定しようとして、ふと立ち止まった。
目の前に、巨大でつやつやとした質感の黒い石が現れたからだ。黒曜石に似ているが、その先端は鋭く、壁に半ば埋まった付け根には鱗状のものが見える。
いや、鱗状のものではない。これは鱗だ。そしてこの石は黒曜石ではない。
これは――巨大な爪だ。
「……竜だ」
アローの言葉に、今度はヒルダとミステルが否定的な意見を示した。
「…………え、これが? まさか」
「爪だけで人間一人分くらいありますよ」
アローも、通常であればこれを岩盤を削りだした彫像か何かだと思っただろう。信仰の象徴として巨像を作るのは、神話の時代から脈々と受け継がれている文化だ。この城だって、岩盤の穴にわざわざ作っている。女神のお告げという、宗教的な意味合いがあったからだ。
だが、すでにアローは竜を見ているのだ。
「僕が晩餐会で見た影は、多分コレなんだ」
晩餐会で見たあれが、竜の魂の一部だとしたら納得がいく。
リューゲと名乗ったあのスヴァルトが言った通り、確かにこれは人間が数人集まったところでどうにかなるものではない。古代竜なんて、ひとたび暴れればオステンワルドが一夜にして消え去るだろう。
オステンワルドどころか、この国の危機に発展しかねない。
光の神族、聖霊を味方に付けたアールヴにとって、何故スヴァルトが宿敵だったのかというと、古代の竜族を味方につけていたからだ。
竜族を使役することだけは、アールヴたちにはできなかった。
スヴァルトを加護した竜族の代表的存在、常闇竜ユベルテュランは何もかもが漆黒の、強大な竜だったと言う。
(さすがにユベルテュランそのものではないだろうけど、間違いなく眷属だろうなぁ、黒いし……)
本格的に頭を抱えたくなってきた。これは教会がどうのという問題ではないし、人間がどうこうできる問題でもない。
だが、フライアが封印としてこの洞窟をふさぐ形で城を作らせたというのは、それなりに信憑性がある。アールヴに味方した女神フライアの信徒が、神託に沿って建てたのだから。
窓にあった封印は、おまじない程度のものだった。本来、おなじない程度のものなど必要なかったのだ。恐らく、窓に嵌めたメノウなどではなく、この彫刻城全体が封印として機能している。
「あのステルベンとかいう黒魔術師は、リューゲの関係者、スヴァルトの血を引く者なんだろうな……」
それならば、彼の言い分はわからないでもない。人間が勝手にスヴァルトの遺産を封じ込めたおかげで、スヴァルトはこの竜を回収することすらできないわけだ。
「でも、あの人始末するとかいってたんだし、この竜で何かするつもりなわけではないのよね」
「人間がこの竜の力を利用する前に、殺してしまおうかという算段でしょうか?」
ヒルダとミステルがそれぞれ疑問を口にするも、答えは出ない。黒妖精の竜使役がどうやって行われていたのか、使役によってどんな威力を持ったのか。伝説はそこまで教えてくれはしないのだ。
「そもそも、リューゲとステルベン、推定スヴァルトである二人と知り合いなリリエの存在は何なんだ?」
疑問の答えも出なければ、この谷底の出口もわからない。
闇の中を魔法道具のほのかな明かりを頼りに進んでいく。舞踏会前の怪異調査にきたはずなのに、どうして洞窟探索になってしまったのか……。
洞窟の中は少しずつ坂道になっているようだった。ぐるぐるとまわりながらアールヴ文字の浮かぶ道を歩く。
気が遠くなるほど登った後、急に広い空間に出る。
《人の忠告を聞かないのね》
「っきゃぁぁぁぁっ!?」
突然降ってきた声に、ヒルダがミステルにしがみつこうとして空振りする。そのまま地面をじたばたと這ってアローの足にしがみついた。戦女神とは。
そこに立っていたのは、城で死霊召喚を試みた時に見た、あの少女。
「お兄様、あれが例のスヴァルトの女ですか」
「ああ、今回はミステルにも見えてるんだな」
「ええ、まあ」
リューゲの姿は変わらない。
《ステルベンに会った?》
「あの黒魔術師のことだな」
《そうよ。悪いわね、彼は少し頭が固いの。でも、地底をみてきたならわかるでしょう。ここは常闇竜の棺。スヴァルトの宝、もとい、ありがたくもない置き土産よ。人間の手に負えるものではないわ》
淡々とリューゲは語る。
「君はさしずめ番人といったところか」
《そのようなものね》
「それで、君の番人としてのお役目はいつ終わるんだ? 近いうちなんだろう?」
《どうしてそう思うの?》
「リリエは、君を救いたい、と言っていた。そのために教会を呼んだ、と。フライアの神託によって常闇流の封印を上掛けする彫刻城が建築されたのなら、教会の人間ならあるいは封印を強化する方法がわかるかもしれない、と彼女は踏んだわけだな」
《確証もないのに、自信たっぷりね》
「詳細を隠そうとしたのは、棺の番人でありスヴァルトである君を救う打診だったら、教会は依頼を受けてはくれないからだ」
リューゲは半ば呆れたような顔つきをして、静かにため息をついたようだ。ため息、といっても彼女はミステルと同様の霊体である。あくまでそういう仕草をしただけだ。
《全く、あの子は……》
「それで、君はどれくらいそこの番人をやっていられるんだ? ステルベンとやらがどうにかするあてがあるのなら話は別だが」
《私の魂はもってあとひと月ね。数百年もったんだから褒めてほしいものだわ。元々、人間やアールヴに竜の力を利用されないためのものだったけれども、いつの間にか人間が上に封印の城を作って、街まで作って、いつの間にか人間のために守っているみたいになってしまったわね》
口ではそういいつつも、リューゲはリリエを上の人間もろとも切り捨てようとはしないのだ。ステルベンも、リリエには攻撃しなかった。少なくともリリエは、二人のスヴァルトの信頼をある程度得ていることになる。
《ステルベンは貴方たちの魂と、自分の魂を使って封印を強化するか、できることならこの常闇竜を死滅させたいと思っているのでしょう。貴方は何だか人間とは思えないほどに煉獄と深くつながっているし……》
「人の兄を、勝手に封印結界かわりにしないでいただきたいです」
ミステルがぷりぷりと怒ったのを見て、少しだけスヴァルトの幽霊への恐怖が薄れてきたのだろうか。ヒルダは気を取り直したかのように立ち上がり、わざとらしくコホン、と咳払いをする。
「リューゲさん、でしたよね」
《ええ、そうよ。貴方に名乗ったつもりはないけれど》
「常闇竜は剣で斬れるのかしら」
《馬鹿にしているの?》
「いえ、それなりに本気です。弱体化させることに成功した場合、剣で斬れる?」
《できるものならね。実体はあるから。でも、常闇竜の魂までは殺せないわ。呪いを受ける覚悟をすることね》
リューゲは呆れを通り越して蔑みに近い笑みを浮かべていたが、アローは真剣にできるのかどうか考えいた。
今の時点ではまだ封印がなされている。竜は目を覚ましていない。目を覚まさないままに弱体化させ、物理的に殺すことは可能だろうか。
そして呪いを防ぐことは、可能だろうか。
そもそもリリエがリューゲの代わりになれる可能性があるというのは、一体どういうことか。
「…………物理的に倒すのは現実的ではない。けど、こういうのはどうだ?」
「何かいい案があるのですか、お兄様」
「封印強化も、倒すことも難しいなら、使役してしまえばいいだろう。スヴァルトはかつて使役していたんだから」
《馬鹿なことを言わないで! そんなことができるのなら、とっくに私とステルベンがそうしてるわ! ここにスヴァルトは二人しかいないのよ》
「いや、三人だ」
「えっ?」
「どういうことですか?」
ヒルダとミステルが声をあげる。
「リリエ・アレクサンダーは人間ではないのだろう? 少なくとも半分はスヴァルトの血を引いているんじゃないか?」
《…………っ》
リリエ、ステルベン、リューゲ。この三人の関係を単純に説明できるのはこれしかない。
今のところリリエには特別な魔力は感じないし、肌は白いし、髪も黒くはない。スヴァルトの特徴は満たしていない。
だけど、ところどころに違和感はあった。姪という肩書を持ちながら、両親の影があまりにも薄い。辺境伯ファルクと並んでも会話もほとんどない。隠し事を明かす機会を先延ばしにするような、煮え切らない態度。
思えばこんな危険な地下迷宮に、伯爵城では高貴な身分にあるはずの彼女が、自ら案内役を申し出るのも奇妙といえば奇妙だった。
「いずれにしても、このままではほぼ詰んでいる。未曽有の竜災害なんてごめんだからな。できることをするしかないんじゃないのか? 君とステルベンとリリエ。この三人だけが制御できる可能性があるなら賭けるしかないだろう」
放っておいたらリューゲの魂が尽きて、竜は目を覚ます。
ステルベンに任せておいてどうにかなるのなら、彼はもっと早い段階でどうにかできたはずだ。できないうちに終わりの時が迫り、しかし人間の力を借りることもせずにあがいている。
リリエは恐らく、再封印をできる望みにかけているだろうが、彫刻城という女神謹製封印で抑えられないものを、あとひと月の付け焼刃でどうにかできるとは思えない。
(全く、ハインツは何を考えているんだ……)
もし、彼がこの事態を知っていてアローたちをここに行かせたのならば、失敗すればどうなるのかわからないわけでもないだろうに。
それでも――やるしかない。
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