第38話 伝説の裏にオトナの事情
緩やかな坂を、途方もない時間を駆けて歩いて、ようやく階段までたどりついた。
だけど、まだ中ほどということだ。延々と、地上に続く階段を昇る。
袖の中に運よくひとつ残っていた、例のキノコ護符で壁に光の筋を描いた。正しい用途で使えて、よかったのか悪かったのか。まだまだ地上は遠いようだ。
「リリエさん、スヴァルトには見えなかったけれど……」
ヒルダがおもむろに口にしたのは、そんな疑問だった。そんなことよりも竜をどうするかを考えなければならないのだが、リリエも無関係ではないのでアローも話に乗ることにする。
考えこんだところで、すぐに良い対処法を思いつくわけでもない。
「純血ではないだろう。父親か母親のどちらかがスヴァルトなんじゃないか?」
「リューゲの方は数百年、竜の封印と共にいたようです。あのステルベンという黒魔術師が、親兄弟の可能性はありそうですね」
ミステルの見解に、アローも頷く。あの男は少なくともリリエを攻撃する気はないようであったし、リリエも彼とは既知の様子だった。
スヴァルトがそう何人もこの地に残っているとは思えないので、リリエがスヴァルトの血を引いているなら、彼は彼女の縁者であると考えるのが自然だろう。
「少なくともあのスヴァルトの二人は、人間に味方するとはいわないまでも、この地に住む人々には多少の愛着があるみたいだ。うまいこと協力を取り付けられたらいうこともないけど、難しいだろうな」
「愛着ぅ? あるように見えましたかぁ?」
あからさまに不満を示したミステルを、アローは立ち止まり、振り返った。
「少なくともリューゲは、この地に女神の封印である彫刻城が建つのを黙認している。ステルベンもな」
「確かに、彼らが人間の都合に合わせているのは妙ではありますけど……」
そうは言いつつもまだ、ミステルはむすっとしている。恐らく、ステルベンがアローとヒルダを何の迷いもなく奈落に突き落としたので、心情的に納得がいかないのだろう。
「僕とミステルは魔力があるし、ステルベンは多少なりとも封印を長持ちさせることができると考えたんじゃないか? この土地じゃ魔術師は珍しいのだし」
「うーん……」
アローとミステルの会話は、ヒルダの疑問を解決するにはいたらなかったようだ。ヒルダは難しい顔で立ち止まる。
「スヴァルトって、伝説では破滅と闇を愛する妖精族よね。何かこう……思っていたより人間臭くて……途中で何だか怖くなくなっちゃった」
最初の怯えっぷりに比べて急に立ち直ったと思ったら、彼女なりの論理で恐怖を克服していたらしい。
ミステルの時も、慣れたらすぐに平気になった。ヒルダが恐怖するのは自分から意志の疎通の測れないのに加えて剣でも斬れない、という二つの条件を満たしている時だけなのだろう。彼女とは今後も何かと付き合うことが多そうだし覚えておこう、とアローは心にとめておいた。
それは置いておくとして。
「闇はともかく、破滅は愛さないだろう。ある程度血族の絆を尊重する性質をもっていないと、種族として社会性を維持できないぞ。ただ、人間やアールヴとは違った文化で生きているだけじゃないか?」
「うーん。アローの言うことも最もだとは思うけど、人間に敵意を持っていることに変わりはないんじゃ?」
「人間とアールヴが、手を組んだ歴史があるんだ。利害が一致すれば、スヴァルトと人間の間に絆が生まれる可能性はあり得る。伝説はあくまで勝者の側が脚色を含めて言い伝えたものだから、話半分に考えておいた方がいいぞ」
「……そうね、アローだってあんなに世間からズレまくっていたのに、今はこうして普通に生活してるものね」
「僕を引き合いに出すのはどういうことだ」
「私にとってアローは完全に文化圏が違う存在だったわよ、少なくとも会って数日は」
「……そこまでか」
ヒルダの言葉に、アローは思わず真顔になる。しかし、自覚が全くないわけでもなかったので、それ以上の反論はしなかった。
しかし、肝心のヒルダもそれっきり黙り込んでしまう。アローはミステルに目配せをしたが、彼女も心当たりはないようで肩をすくめた。
「どうしたんだ、ヒルダ」
正面から尋ねてみる。ヒルダは少し迷うようにうつむいた後、意を決したように顔をあげる。
「さっきアローが気絶した時、アローの周りにたくさん死霊が寄ってきて……私、全然、何もできなくて……結局ミステルが何とかしてくれてね。……アロー、昔は常にあんなものを見ていたの?」
「ああ……そういう」
今のアローは無意識でも死霊をちゃんと制御できる。だから本来は少しの間気絶をするくらいでは、ヒルダに見えるほどの死霊が寄ってきたりはしないはずだった。だが、ここはスヴァルトの遺構だ。スヴァルトの魔力は、煉獄のそれに近いのだろう。おかげでアローまで影響を受けまくっている。
「気にするな。あんなものと言っても、昔の僕には必要なものだったんだ」
死霊に育てられて、師匠に人間として生きる方法を教えてもらえるまで、紅い世界はアローの味方だった。アローは死霊とは、いわば共生関係にあったのだ。死んでいるものと「共生」というのもおかしな話だが。
「……ごめんなさい」
ヒルダは申し訳なさそうに頭を下げた。死霊であるミステルは複雑な顔で兄の顔を見て、アローは何だか悪いことをいったような気分になりつつ歩きはじめる。
「リューゲとステルベンにとっても、そうだったのかもしれない」
「えっ、何が?」
突然話がを戻されたのが不思議だったのだろう。ヒルダが戸惑ったような声をあげたが、アローは構わず先に進んだ。話をするたびに足を止めては、永遠に地上にたどり着かない。
「人間が女神の神託を受けて作り上げた彫刻城は、結果的に言えばリューゲの役目を軽減させたのかもしれない。いや……むしろ、元々あの城はそのために作られたのかもしれない、という話だ」
「つまり、女神の神託なんていう話は嘘で、スヴァルトと協定関係にあったと言いたいのですか? お兄様」
「古代竜が暴れ出したら、どの道この近隣の街は壊滅だろう。いっそ竜の膝元で直接監視した方がいいというのは、理屈としてわからないでもない。ある日急に滅ぼされるのではたまったものではないからな」
「言われてみれば、確かに」
ヒルダもミステルも、納得した様子で顔を見合わせた。
「普通は神殿などで管理するのだろうけど……この辺りの土地は豊かだ。数百年眠っている竜を危険視して、手放すには惜しかったんだろう。事実、今にいたるまでオステンワルドは、それなりに栄えている」
無論、この城がつくられた頃にはゼーヴァルト王国は成立した後である。フライアの伝説は、アールヴの末裔である王家との折り合いを考えて、この地の領主が捏造したものと考える方が自然だ。
そもそも、神に愛されるということは、明確な神託を与える類のものではない。フライアに愛されているハインツだって、神託なんて受けていないだろう。神様に聞いた必勝法があるならば、彼はそれを惜しみなく利用するはずだ。彼が受けた女神からの愛は、常人よりもはるかに簡単に聖霊を使役できる、という種類のものだ。
これは死霊と煉獄にやたら愛されているアローでも、同じことだった。死霊が全て上手くいくように力を貸してくれたりするのだったら、アローはモテを目指して都に出ることもなかった。実際、死霊術は誤解の火種にこそなれど、ナンパには何一つ役立っていない。
「リリエさんは封印の強化に、教会が頼れると思っていたみたいだけど?」
「うーん、スヴァルト側で手詰まりなわけだからなぁ。ただ、フライアの伝説を捏造するにあたって、教会が一枚かんでいた可能性は否定できない。教会がいかなる時も人民の味方というわけではないだろうし、王家に絶対忠誠を誓っているわけではないだろう。ハインツを見ているとわかる通り」
「……謎の説得力だわ」
ヒルダのため息が聞こえた頃、前方にぼんやりと明かりが見えてきた。
「皆さま、ご無事でしたか!」
ずっと探していたのだろうか。着替えもせずに、服をあちこち泥だらけにしたリリエが、ランタンを片手に階段を下りてきた。
「詳しいことはリリエに聞かなければならないが……」
迎えが来たことでどうにも気が緩んだのか、眠くなってきてしまった。
護符を駆使していただけだから魔力はさほど消耗していないとはいえ、昼には城内を探して回り、気詰まりな晩餐を経て、更に夜通し階段を昇っているわけだからそれも道理である。
「アロー、どうする……これから」
ヒルダはさすが鍛えているからか、まだまだ元気そうだ。けろりとしている。アローも森育ちなのだから体力がないわけでもないのだが……。
「……寝る。とりあえず、昼まで寝る。眠い頭で何か考えても無駄だ」
リリエのこと、竜のこと。課題は山積みだったが、今日明日の危機ではない。
「ミステル、僕が寝ている間に、テオの弓選びを済ませてやってくれ。ギルベルトなら、武器屋の選び方もわかるだろう」
「かしこまりました、お兄様」
寝て起きて、それから竜の封印と、制御方法についての調査。
やることは山積みだ。
(さて、この場に死霊使いである僕が呼ばれた理由を、本気で考えてみないといけないな)
■
懐かしい夢を見た。
まだミステルがいなかった頃、王都であの事件を起こすまえのことだ。
それは、師匠に酷く叱られた日の夢だった。
「またお前は、死霊を操ったな」
アローの意思はお構いなしに、死霊の方が勝手によって来て色々やりだすのだから仕方がない。そう思ったが、当然ながら師匠にそんな言い訳が通用するはずもなく。
あの頃、アローはまだ自分の力を全然制御できていなかった。
朝起きると部屋中が死霊だらけになっていることが日常茶飯事で、師匠の顔を見てようやく我に返って死霊を追い払う日々だったのだ。
気付いたら身の回りの世話は無意識に死霊にさせてしまったので、当時のアローは今以上に浮世離れしていた。拾ったのが稀代の魔術師クロイツァでなければ、どんどん人間離れして魔物に近い存在になっていただろう。
クロイツァはアローの力を段階的に封じる護符を作って、それをだんだん簡易的なものにしながら慣らすことでアローを「人間」にした。
杖でげんこつをもらって泣いた後、師匠は深いため息をついた。
「私は弟子をとる柄でもないし、ましてや子育てなんてもってのほかだとおもっていたのだがね」
「じゃあ、何で僕を拾ったの?」
「そりゃあ、お前、面白かったからだよ」
さして期待していなかったとはいえ、予測をはるかに上回る愛のない答えがかえってきて、そこはかとなく傷ついた。しかし師匠は、まだこぶのあるアローの頭をくしゃくしゃとなでて笑った。
「お前を人間に戻せるのは私くらいのものだ。なかなか刺激的だ。それに、お前くらい変てこな奴じゃないと、私の弟子や家族になんてなれっこないんだよ」
それは褒めているのかけなしているのか。幼少のアローは大変複雑な気持ちにさせられたが、不思議と嫌ではなかった。
「僕を人間に戻すことが、師匠の楽しみなの?」
「ああ、そうだ。お前はその気になったら人間や動物の死霊どころか、煉獄の炎や妖精族の魂すら呼べるくらいのバケモノになる。だが、その身体は間違いなく人の胎から生まれた人のものだ。だから、お前を真人間にして、お前に何かをさせようとしていた奴を出しぬいてやりたくてね」
師匠、クロイツァはそういう人だった。自分が気に入れないものの体面を潰すのが大好きだったし、一度気に入ったら存外大切にしてくれる人だった。
さんざん杖でげんこつをくらったし、修行は厳しいなんてものではなかった。破天荒な性格の師匠には振り回されてばかりだ。だけどアローは――直弟子ではなかったミステルでさえも、不思議と邪険にされたことはない。
決して優しいとはいえないし、愛が深いようにも見えないのに、悪意もまるで見えない。師匠はある意味でとても無邪気な人だった。突然アローたちをおいて旅に出た時も、あっけらかんと「しばらく留守にするから」とだけ言い置いて出て行った。
その気になれば妖精族の魂すら呼べるバケモノ。
アローはそうなるはずだった。アローを人間の女に産ませた何者かによって。
(だけど、師匠……)
幼心にひとつだけ、ずっと疑問なことがあった。
(僕はどうして母さんの霊は、一度も呼べたことがないんだろう?)
何故かその疑問を口にしてはいけない気がして。
それはアローが師匠にした、ただひとつだけの隠し事だった。
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