第36話 危険ですので真似しないでください

 困った。

 深淵の闇に投げだされながら、アローは悠長にそんなことを考えていた。

 もちろん、今の状況が宿屋に泊まれなかったりいきなり地下牢にぶちこまれたりすることの、数倍まずい状況なのは理解している。

 しかし、そこまで焦ってもいなかった。絶体絶命と言うほどではない。命の危険度で言うならば、カタリナを相手にした時に死霊を大量に暴走させた時の方がよほどまずかった。

 吹き飛ばされる程度のことなら、育ての親にして師匠でもある大魔法使いクロイツァには、割と日常的にされていた。だから、アローだけなら問題なく対処できるのだ。

 問題はヒルダも一緒なことだった。そしてどこまで落ちるかわからないことだ。それはひとまずそれは助かってから考えることだろう。

 アローは袖の中に仕込んでいた護符を空中にばらまいた。悠長に選んでいる暇はない。どれか当たりはあるはずだ。

 危険がありそうだと判断した時点で、ありったけの魔法道具を仕込んできたのは正解だったと言える。

『誓約せよ』『誓約せよ』『誓約せよ』『誓約せよ』『誓約せよ』

 いくつかの護符が反応して光を放つ。当たりだ。

「ひゃっ!?」

 ヒルダの悲鳴が聞こえた。どうやら彼女も無事なようだ。

『展開』

 ばらまかれた護符から幾重にも生まれる光の円陣。その光が糸のようアローとヒルダの身体にからまり、浮き上がり、勢いに負けて落ち、また別の光の糸が追いすがるようにからまっていく。

 糸状に展開していく魔法道具である。

(こういう使い方するものじゃないけど……)

 本来は、迷宮探索用の光源であり、目印となる夜光菌精だ。わかりやすく言うならば、魔術で石の中に封じ込めた光るキノコの妖精である。正しい使用方法では、少しずつ小出しにして暗い壁にこのキノコの菌糸をすりつけていく。今までたどってきた道の目印になる上に、微力ながらも光源になるというものだ。

 たとえば洞窟の奥で突然魔物に襲われてランタンや松明を落としても、この糸をたどれば逃げおおせるという便利なしろものだった。

 しかし、アローはこの菌糸に別の使い道を見つけた。この護符を破壊すると、菌精は一気に増殖、辺り一面に拡散する。一気に五つほど拡散させたので、菌糸は糸を通り越して布のように一面に拡散し、やがてゆらゆらと一枚の大きなキノコの傘を作り上げた。――アローとヒルダを上に乗せて。

「な、何これ……」

「キノコだ」

「な、何それ……」

「護符だ」

 アロー自身も、説明の不足は感じていた。しかし、長々と本来の用途や菌精の性質について語るわけにもいかない。

 当然ながら、ヒルダは困惑している様子である。

「ちょっと意味わかんないんだけど」

「護符に封じ込めたキノコの妖精なんだ。引き裂いたらまた菌糸に戻るぞ」

「そ、そうなんだ……」

「ちなみにこれはあくまでキノコなので、自力では飛べない。つまり、僕らは底についた後、徒歩でこの途方もない深さから階段を登ることになるわけだな」

「……底までちゃんと階段があるといいわね?」

「ああ、その想定はしていなかった。最悪、崖を自力であがる方法を考えなければいけないのか」

 菌糸が絡み合って成長してできたキノコの傘は、ゆっくりと空気をはらんで降下していく。

 アローに風の聖霊魔法が使えれば、あるいはこのキノコを利用して浮上を試みることができたかもしれない。しかし、残念ながらアローの手持ちの魔法では、空を飛ぶことはできなかった。

 黒魔術で空を飛ぶのも、得意分野からはずれているので無理。風の魔法は、アローが使う闇属性主体の魔法と相性が悪い。煉獄の炎は、火属性ではないのである。

「ねぇ、アロー。このキノコが、どこかに着地するのを待つしかないってことでいいの?」

「そういうことだな……ん?」

「ん?」

 轟音が聞こえ、空を見上げる。

 遙か上空から赤い光が高速で近づいてくる。あれは……。

「火蜥蜴の尾だ!」

 おそらく、ステルベンと呼ばれていたあの黒妖精が、アローたちが助かったことを察して魔術を放ったのだろう。

「えっ、どうするの?」

「どうするって」

 そう言っている間に、槍のように火は降り注ぎ、キノコの傘に大きく穴が空く。風をはらむことができなくなったキノコは急速に降下速度を速めていった。

 つまり、このままでは底に激突する。

「だ、大丈夫なのコレ?」

「正直わからない。……死を記憶せよ」

 城の中でもあれだけ煉獄と近かったのだ。ここではもっと近いのだろう。

 そう思って放った呪文は、煉獄の門から躍り上がった火をもって火蜥蜴の炎の半分を相殺し、白い煙を当たりにまき散らす。

「アロー! 受け身取って!」

「は?」

 ヒルダの言葉を理解するより早く、彼女はアローの腕を引いて飛び降りていた。

 飛び降りると同時にヒルダが引き裂いたキノコの傘の一部がほぐれて菌糸に戻り、仲間を求めて再び広がる。

 彼女がそこまで狙っていたのかはわからないが、それが壁の一部にとりつき、結果的に言えば命綱の役目を果たした。おかげで地面に叩きつけられることはなかった。

 ――なかったのだが。

 戦女神と呼ばれるヒルダほどは、アローの運動神経はよくない。

 アローも森で自給自足の生活をしていたくらいなので、決して鈍くはなかった。が、突然投げ出された空中で瞬時に受け身をとれというのは無理な話である。

 谷底に落ちてつぶれなかったかわりに、結構な速度で岩壁に激突した。

 菌糸のおかげで大けがをするほどの衝撃ではなかったとはいえ、目の前は白くはじけ飛んだ。要するに気絶したのである。

「あ、アロー、しっかり!」

「……………………」

 ヒルダがぺちぺちと頬を叩いたが、反応なし。

 アローは完全に目を回していた。



 二人は重みでじわじわと伸びていく菌糸に、ゆっくりと谷底まで連れて行かれた。煉獄の炎もアローに付き添うように降りて来たので、二人の周りだけがほのかに明るい。

「大丈夫? 死んでないよね?」

 ヒルダは底につくなり慌ててアローの息を確認する。気絶しただけなので、呼吸も脈も正常だ。

「はぁ……びっくりした」

 ほっと胸をなでおろした、その時だった。

 どろりとしたものがヒルダの指に絡みつく。目を瞠るとそれは、横たわるアローの下からじわじわとしみ出している。

「まさか、怪我を…………っっ!」

 アローの身体には血が流れるような傷はない。どろりと粘着質に広がるそれは、煉獄の火に照らされて赤黒く、意思をもったかのように蠢き。

「……っ、あ、やだ……っ」

 赤黒いそれはごぼごぼと煮えたぎるように泡を放ち、半ば骨の見えた腕が伸びる。

 ヒルダはその手から逃れようと後ずさり、むなしく空をきったその腕は、今度は気絶しているアローの方へと向いた。

 ――僕、死霊によく世話を焼かれるんだよね

 ヒルダは思い出した。

 カタリナの一件で三日半も眠り込んだ後、アローは何でもないことのようにそう語ったのだ。

 アローはあまりにも強すぎる霊媒体質のせいで、無意識に死霊を使役してしまうのだ。むしろ普段、彼は意識的に制御して死霊を遠ざけることで、普通の人間と同じように暮らせているのだと。

 自然に眠ったのではなく衝撃で気絶したことで、アローは死霊の制御ができなくなってるのかもしれない。

 血の色の腕はどんどん湧き上がって来て、崩れ落ちた肉がぼたぼたと床にこぼれる。白い骨がボロボロと崩れ落ちる。赤く光る泥が泡をたてて、煉獄の炎を吐く。ゆらゆらと気持ち悪い嫌悪感を纏った赤が揺れる。

 怖い。怖い。怖い。

 ヒルダはギュッと目をつぶった。七年前もこんなことがあった。

 たまたま、都に来ていたアローと偶然会って、仲良くなって、一緒に誘拐されて、それから。それから、アローはヒルダを助けたい一心で、死霊を大量に呼び出してしまった。

 それからだ。ヒルダが、死霊を怖がるようになったのは。

 そしてアローが、森に引きこもってからつい先日まで、外の人間との関わりを断つようになったのも。

(アローは……ずっとこんな世界を見ていたの?)

 制御して普通の人間と同じ世界が見えたというのなら、アローはそれまでずっとこんな恐ろしいものに囲まれて生きていたということだ。

 自分は、それを何の疑問にも思わずに――。

(そんなの……そんなのって)

 怖い。怖い。怖い。

 しかしその時、ヒルダの心にあったのは、恐怖よりもはるかに強い憤りだった。

「……このっ、アローから離れなさい!」

 今持っている剣は竜などの魔物との戦闘を想定して支給されたものだから、少なからず死霊にも効果はあるはずだった。

 アローの元に群がる死霊を、ヒルダは必死に剣を突き立て、煉獄の沼に還す。

「お願い、アローを、連れて行かないで!」

 何故、連れて行かれると思ったのか。

 わからないが、ただ、このままにしていたらアローが死霊によって煉獄へと連れ去られてしまうように思えて仕方がなかった。

 彼の魂に何があって、死霊を呼びよせているのかはわからない。だけど、それがアローの望んでいるものではないことくらい、わかる。

 ほんの少し前にできた友達のために、死霊を暴走させたし。

 たった一人の妹のために、あんなに世間知らずなのに、師匠の言いつけを破ってまで森から出てきた。

 アローは死霊のために生きているわけではない。生きた人間と友達になりたくて、家族になりたくて、本当にそれだけの――人間だ。

『死と共に舞踏せよ』

 その声と共に、紅い光が弾ける。

 ヒルダが眩しさに目を細めると、そこには見知った姿があった。黒髪を二つにまとめて、藍色のローブを身にまとった少女。

「大丈夫ですか、ヒルダ」

「ミ、ミステル……」

 恐らく、二人を追って降りてきたのであろう。ミステルがそこに立っていた。

 ミステルは元死霊術師であり、彼女自身も強い意思を持った死霊である。アローが死霊の制御を失っていても魔力が尽きたわけではないから、彼女は普通に力を行使できるらしい。

「ごめん、アローが気絶しちゃって、死霊がどんどん出てきて……私、どうしたらいいかわからなくて……」

「私が無事な時点で、お兄様の無事もわかっています。安心してください。少し死霊が暴れたようですけど、これくらいでは兄様には傷ひとつつきませんから」

「…………ミステルぅ」

「まだ何か不安が?」

「怖かったよおおおおおお……」

 剣を投げ出してめそめそと泣きはじめた戦女神に、さすがのミステルも若干鼻白んだ。

「ま、待ってくださいヒルダ。大丈夫だと言ったでしょう! わ、私は貴方に、お礼を言うつもりで」

「お礼? 何の?」

「そのっ、あの黒魔術師が火蜥蜴の尾などを使って、攻撃などするからっ! 貴方がいなければ、もっと深刻な事態になっていた可能性もあったわけでしてその……あの、お兄様を、その」

「ミステルぅぅぅ、アローを助けてくれてありがとぅぅぅ」

「何で貴方が先に言うんですかっ! 私が、珍しくも! 素直な気持ちで感謝を伝えようとしているというのに!」

 号泣するヒルダを相手にバタバタと手をふって抗議するミステル。

 その光景を、ようやく目を覚ましたアローが見ていたわけなのだが。

(…………二人が落ち着くまでもう少し、寝ているフリをしていよう)

 彼は珍しく、的確に空気を読んでいた。


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