第35話 彫刻城アンダーグラウンド

 辺境伯ファルク・アレクサンダーは、質実剛健の人、という印象だった。

 白髪に近づいた髪と顎髭で、眼窩に収まった琥珀色の目が鋭い。リリエは姪だと言っていたが、孫と言われても信じるだろう。

 会見は淡々と進んだ。ようやく情報がいったのか、街の門で誤認逮捕した件のことについて謝罪された。何か入用なものがあれば何でも言ってほしいと申し出てくれたので、遠慮なく魔術に必要そうな鉱石やテオに使わせる弓を用立ててもらうことにする。

 スヴァルトの宝の詳細については「リリエに案内させるので直接見て確かめてほしい」以外のことを聞きだすことはできなかった。会見の後、再び晩餐会に連れて行かれ、慣れない作法にぎくしゃくしながら食事をする羽目になったからだ。

(もうこれ、かぶりついちゃだめかな)

 肉のかたまりにナイフを入れながら、何度思ったことだろうか。森で自給自足をやっていた頃が懐かしい。骨がついたまま肉を煮込んだり炙ったりして、豪快にかじっても良かった。食べ終わった後の骨は死霊術の練習台にしてから、森に帰ってもらっていた。あの生活に今だけ戻りたい。

 ふと、リリエの方を見やる。彼女は貴族の子女らしく、上品に肉を切り分けて食べていた。ソースも飛ばさない。

 前の失敗で変に力が入っているのか、テオはアローよりもギクシャクしていた。音を立てそうになる度に、密かにヒルダに足で小突かれている。彼女も地味に行儀が悪い。

 辺境伯邸の食堂には窓がなかった。城の中では洞窟側に位置するらしい。明かり取りはわずかにしかなく、いくつものランタンが炎の穏やかな色で食堂を照らしている。

「城の構造が気になりますか、アロー様」

 アローの視線に気づいたらしい。ちょうど主菜を食べ終えたリリエが、ナイフとフォークを置く。

「様はいらない。舞踏会はここでやるわけじゃないのだろう」

「いつもは離宮で行うのですけど、今回はこの城の庭と一階の広間を開け放ってやる予定です。さすがに洞窟側は暗すぎますので」

(まぁ、確かに暗いと色んな意味で危ないな)

 何せ塞がれているとはいえ、城の向こう側にはいくつも洞窟があるのだ。要人を迎え入れるには警備が大変だろう。

「晩餐の後、一刻ほど休まれてから件の場所にご案内いたしますね」

「よろしく頼む」

 リリエは薄く微笑んでいたが、少し疲れているようにも見える。何か言いたくても言えないような視線が一瞬だけアローを見つめ、そして離れた。

「…………」

 この食堂は、薄暗い。

 ランタンの灯りのみなのもあるが、ファルクとリリエの間にある空気が暗澹としている。二人とも言葉をあまりかわさない。

 ファルクの妻は他界しているという。息子夫婦もいると言うが、今はアイゼンリーゼに出ているらしい。舞踏会の時に、客を引きつれて戻ってくるのかもしれない。

 リリエの両親はわからない。ファルクはそこには言及しなかったし、リリエ自身も語らない。

(一瞬だけ、視るか)

 これくらいの灯りなら、一瞬目が紅く光ってもごまかせる。

 そう思って、アローは一度まぶたを閉じ、そして目を開ける。

「――――っっ!!」

 ガタンッ、と。

 静かな食堂に椅子が倒れる音が響き渡り。

「ど、どうしたの、アロー?」

「お兄様?」

 ヒルダとミステルが驚きの声をあげたのを聞いて、アローは自分が驚いて立ち上がったのだと理解した。

「……いや、何でもない。……何でも、ないぞ?」

 心臓がばくばくと音を立てている。

 アローが視界を切り替えたのはほんの一瞬だけ。それでも確かに見えた。

 黒く大きな竜が牙をむきながら食卓を飲み込もうと首をもたげている姿が。だが、それだけだった。黒い竜は何かに阻まれるように、そこに静止していた。

(あれは一体、何だったんだ? 死霊でも、煉獄のものでもなかった)

 その答えは、この城の地下にあるのだろうか。

 視界を切り替えなければ、気配すらわからなかったあの黒い竜の正体が。



 微妙な空気に終わった晩餐会の後、リリエはぴったり一刻ほど間を置いて部屋を訪ねてきた。

「お待たせいたしました。地下へとご案内いたします」

 動きづらいからだろうか。彼女は裾の短い町娘風の格好をしている。

「あの、つかぬことをお聞きしますが、お着替えになられましたか?」

「いいや、僕は最初からこの服装だぞ?」

「……そうですか」

 リリエが戸惑うのも当然と言える。オステンワルドに着く手前からずっとアローは使者として恥ずかしくない程度に質の良い魔術師用のローブを着ていたが(某死霊術師の正装はヒルダに全力で却下された)晩餐の時よりも明らかに着ぶくれていたからだ。

「ねぇ、アロー。やっぱそれ、無理あるんじゃ」

「備えあれば憂いなしだ」

 部屋に戻った後、アローは荷物の中から持てる全ての護符をローブの下に仕込んでいる。

 食堂で見たものが何なのか、アローにも説明ができない。だからヒルダ達にも「変なものが見えた。城の地下絡みかもしれない」とだけ伝えている。

 ただ、ものすごく嫌な予感しかしないので、何かあった時に少なくとも同行者くらいは何とか庇えるようにしておきたかった。

 何かがあった時に、彼の得手である弓がない現状は危険すぎるので、テオは留守番である。弓があったとしても、彼は十二歳だ。いくら目が効くといってもそこまでの機転がきくとも思えない。

 置いて行かれることにホッとするのかと思えば、一人にされるのは若干複雑なのか、彼は恨みがましい目でアローたちを見つめる。

「早めに戻ってくださいね? 俺ずっとぼっちとか嫌ですからね」

「わかったわかった」

 テオをなだめて部屋に戻すと、地下に向かうことにする。

 城の地下への入口は、意外にも外にあった。城の壁と洞窟の岩肌の隙間に、小さい扉がある。アローはぎりぎり普通に通れたが、ギルベルトは屈まなければならなかった。

「ああ、でも中は案外広いんだなぁ」

 彼の言うとおり、中は二人横に並べそうな程度には広い。そして手をぴんと伸ばして飛び跳ねても、天井に届きそうにないくらいには高い。

 城の中とは違い、魔法的な仕掛けは機能しているらしく、ところどころにほんのりとした光が点滅している。それでもだいぶ暗いので、リリエはランタンを掲げたまま、先へと進んで行った。

 ぼんやりとした魔法の灯りは地下を照らすには明らかに光が足りず、らせん状に続く階段の先は闇に溶けていた。

「足元にはお気を付けくださいね」

 淡々とそう言って、リリエは暗い地下への階段を下りていく。

 恐れを知らず、傭兵なため夜の戦闘にも慣れたギルベルトが先を行き、アローとミステル、ヒルダが続く。

(さて、ハインツはどこまでこの地下のことを知っていて、僕らをここによこしたのかな)

 ここにきてハインツのことを思い出したのは、テオがただ適当に選ばれたわけではないのであろうことに察しがついたからだ。

 テオの目の良さは本物だ。そしてまだ十二歳だから言動は子供っぽいが、全く頭が回らないわけではないだろう。そして、彼は他の武芸はろくにできないのに、弓だけは騎士団入団年齢の下限で試験に合格できる程度には得意なのだ。同年代からすれば、かなりのものだろう。

 つまり、彼は立派に戦力として使えるのだ。本人には全くその自覚がないから、せっかくの特技なのに弓矢も持ってきていない体たらくであったが。

 アローは死霊術に特化した魔術師だから、黒魔法はあくまでそこそこ使える程度。ミステルは黒魔法を使えるが、アローの使い魔ゆえに、アローの魔力が尽きたら行動不能になる。ヒルダ、ギルベルトは近接戦闘のみ。そして遠距離武器のテオ。

 恐らく、ハインツが個人の采配で都合よく動かせる、最少人数で最強の面子なのだ。

(完全に高度な戦闘を視野にいれているじゃないか。ちょっとこっちの領主と協力して、魔物退治してくれみたいなノリじゃないぞ)

 護衛がハインツの息がかかったギルベルトである時点で、もっと警戒すべきだった。

「アロー、何か考えてる?」

 後ろから心配そうにヒルダが耳打ちしてくる。

「ああ、考えてる。ハインツのことを」

「何でカーテ司祭のことなんか」

「こんな少数精鋭を組んでくるくらいだから、ハインツはきっとこの底に眠るものの正体を知っていたんだろう」

「アローは何なのか予測ついてるの?」

「……さあ、そこまでは」

 本当は何となく予測はついていたが、あまり話し込むとリリエに気にされてしまうだろう。足音の他には、どこからか入り込んだのか、時折悲鳴のような風の音がするだけだ。

 不意に、空気が変わった。

 今まではらせん階段を延々と降りていたのが、広大な地下洞穴が眼前に広がる。広がる、と言っても光はほとんどない。ゆらゆらと魔法の灯りが舞っているが、見えるのは鴉の羽よりも黒い闇。

『お兄様、お気を付け下さい。魔術の気配がします』

 ミステルが声には出さず、アローにだけ伝わるように言った。アローも心の中だけでそれにこたえる。

(地下からか? それとも馬車の時と同じのか?)

『どちらも、です』

(なるほど、わかった)

 アローはローブの中に大量に仕込んでおいた護符の中から、魔法文字の刻まれた石をいくつか選んで手に取った。それとほぼ同時に、リリエは立ち止まる。

「ここから先は、今までのような通路ではありません。足を踏み外したら地底まで落ちてしまいますので、しっかりを壁につかまりながら降りてください」

「今んところ、何もねえなぁ」

 ギルベルトがぼやいた、その時だった。

「お兄様!」

 ミステルの声に、アローは隣にいたヒルダの腕を引いてその場に足をつく。

「伏せろ!」

「えっ? あ、きゃああっ!?」

 アローの叫び声に、リリエが悲鳴を上げてランタンを取り落した。ランタンは闇の中に転がり落ち、代わりのように闇の奥底から火蜥蜴を模した炎がアローの頭上をかすめていく。

「小賢しい真似をしますね。嘆きなさい、ルサーリィ!」

 ミステルの命を受けて、火蜥蜴の尾がもたらす炎に、嘆きの妖精がもたらした涙の豪雨が降り注ぐ。

「リントヴルムといい火蜥蜴といい、よほど竜がお好きなのですか?」

「そういえば、スヴァルトは竜を従えることを得意としていたらしいな」

 アローはいくつかの光源魔法の石を辺りにふりまく。浮遊する光の石は、やはり洞窟全貌を照らすことはできなかったが、敵の姿は浮かびあがらせた。

 円筒形の洞窟の、壁を這うように伸びるらせんの階段。その対岸、下方にその男はいた。不気味な護符で顔を巻いて隠しているので、容貌はうかがえない。だが、体格からみて成人男性であることは間違いないようだ。

「この地より去れ、異教の民よ」

 男は、確かにそう言った。

「異教も何も、今この地を治めているのはフライヤの信徒たちだ。僕は特別女神を信仰しているわけじゃないけど、一応教会の命令で来たからには、君の言葉は訂正されてもらおう」

 男は答えない。杖の代わりらしい、煮えたぎる溶岩のように赤く光る剣の切っ先をこちらへと突きつける。

 アローは握っていた護符の内ひとつを彼に向かって投げつけた。男の放った火の魔法と、アローの護符の防御結界が空中でぶつかり、弾けた。

「君は何が目的だ? この地下に何があるのか知らないが、それを使って何かするつもりなんだったら、僕も割と本気を出す」

「小賢しいことを言うな、浅はかな人間よ。あれは元々我々のものだ。我々の手で始末をつける」

「始末をつける? それじゃあ目的は一緒なんじゃないのか? 協力しあう気は」

「――ない」

「うん、知ってた」

 踊りくるう火蜥蜴の尾を、アローは防御結界の護符をいくつか投げて封じ込める。こちらの方が上にいる分、まともに相手をするのは不利だ。

「何かわからねえけど、あいつ斬ってくればいいのかぁ?」

「あそこまで行くことができればの話よ!」

 ヒルダとギルベルトがそれぞれの剣を抜くが、足場となるのは二人がようやく並んで歩ける階段のみだ。魔法をかわしながら、相手のいる位置まで肉薄するのは無茶だった。自分たちだけだったらミステルとアローが援護していけるかもしれなかったが、非戦闘員のリリエがいる。

 そのリリエは、震えながらも壁にもたれるようにして立ち上がったところだった。彼女の表情には不思議と恐怖はなかった。ただただ、哀し気だ。

(知り合い、かな?)

 アローはそう結論づけた。やはり、黒魔術師とは何らかの因縁があるようだ。

 それはともかく、今は相手の攻撃をやめさせなければ話にならない。

「ヒルダ、ギルベルト。向こうに渡ることができればいいんだよな」

 アローも杖を構える。目を閉じて、開く。紅の光を宿したその瞳の視界は、やはり煉獄に火に満ちていた。明らかに他の場所に比べて冥府に近過ぎるが、今は好都合だ。

「死を記憶せよ!」

「な、何!?」

 リリエが壁にすがりながら震えた悲鳴を上げる。

 洞窟の壁から、闇の底から、アローが召喚したのはこの周辺で死んだありとあらゆる人間の、獣の、魔物の、骨。

 骨が集まり、結束し、闇の中に歪な橋を作り上げる。

「二人とも、行け!」

「わかったわ!」

「おう!」

 ヒルダもギルベルトも早かった。ヒルダが怖がらなかったのは、非常時と振り切ったのか、それとも慣れのたまものか。ギルベルトは、元より気にするほどの繊細さを持ち合わせていない。

 アローも少し遅れて、骨の橋を駆けていく。

 先に渡りきったヒルダとギルベルトは、男が呼びだしたらしい火蜥蜴の本体と戦っている。足場が狭いながら、彼らは無駄のない動きで着実に追い詰めていた。

 火蜥蜴は彼らに任せて、アローは骨の橋を解体する。

「死を記憶せよ」

 解体した骨を矢に変えて男に降り注がせるが、今度は相手が結界を使って骨をはじく。

(簡単に捕まえさせてはくれないか)

 竜を従え、複数の火蜥蜴を使役しつつ防御魔法も展開できるとなると、少なくとも黒魔法の腕前だけなら相手の方がアローやミステルよりも遥かに上手だ。

 だからアローは賭けにでた。

「君はリューゲという名のスヴァルトを知っているか?」

 男はぴくりと反応した。どうやらカマかけは当たりだったようだ。

「何故お前がその名を」

「僕は彼女を救いに来た。彼女が救ってほしいと僕に接触してきたんだ」

 もちろん、嘘だ。

 彼女はこの男と同様に、アローに立ち去るように言ってきた。だが、彼がリューゲの関係者なら、もし彼女を救うことを目的としているのなら、そこにつけこむ余地はある。

 地下にある何かを止めることが目的なら、利害は一致しているのだ。戦うなんてはっきりいってバカバカしい。

 男はすぐには答えなかった。だが、意外なことにもう一つの声が答えた。

「そうよ、ステルベン! 私はリューゲを助ける方法が知りたいの! お願いだから無意味な戦いはやめて!」

 階段を伝ってここまで降りて来たらしいリリエが、息を切らしながら駆け寄ってくる。

 だが、彼女にステルベンと呼ばれたその男は、静かに首を振った。

「我々は人に与しない。あんなことになっても、あれが我々の宝だったのは事実だ。たとえお前の頼みでもそれは聞けぬ。何者にも扱えぬあれを滅ぼすためなら、リューゲの命も、俺の命も、喜んで差し出そう。教会の使者どもも、あれを押さえるための礎にでもなっていただこうか」

「ステルベン!」

 リリエの叫び声とほぼ同時に、階段の一部が崩落する。

「あっ!」

 火蜥蜴を斬り伏せたところだったヒルダの足元が崩れ。

「ヒルダ!」

 アローはとっさに手を伸ばす。手が届くものの、アローの足元ももろく崩れ。

「アローさん!」

「アロー、ヒルダ!」

 リリエとギルベルトの声が遠ざかり、ヒルダとアローの身体は闇の中へと投げ出された。

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