第34話 見る目と視る目、ついでに煉獄
「ううう……こっちに来てる間はただついて歩くだけでいいし、訓練もさぼれて気楽だと思ってたのに……」
テオの嘆きが廊下に寒々しく響きわたる。しかしアローとミステルはそれを軽やかに無視して、彼を引きずっていった。
栄光の手が効力を発揮している間、アローたちの姿は魔術師でもない限り見えないはずだ。多少なら声や音もごまかせるようになる。よほどの大きな音をたてなければ、まず気づかれることはない。
「君は、性格が根本的に騎士に向いていないな」
「厄介払いに騎士団につっこまれたんだって、アローさんたちが言ったんじゃないですか」
「図星か」
「まぁ、八割くらいは……少なくとも騎士で身を立てるつもりはないです。できればかわいくて家柄のいい女の子のところに婿養子に入りたいです」
「その歳でよくそこまで打算的になりましたね」
「貴族だってきれいごとじゃ生きていけない時代ですよ」
死んだ目で歳に似合わないことをほざく少年騎士に、アローはうろんな目を向ける。
「オレは貴族のことも騎士のこともよくわからないが、いいところに婿養子にいきたいのなら、相応の努力は必要なんじゃないのか?」
「そういう正論と向き合うほどは大人じゃないんですよー! 俺まだ十二歳ですよー! ちょっとくらい夢見させてくださいよー!」
「あまり大声を出さないでくれます? 貴方のせいで部屋を抜け出したことがバレたら、一生女性にモテない呪いをかけますよ?」
「そしたらミステルさんが責任とって俺を婿にしてください」
「お断りします」
「僕も君が義理の弟になるのはちょっと……」
「即答で否定しないでくださいよぉ」
がっくりとうなだれて、テオは深い深いため息をつく。
「結局なんで俺、連れてこられたんです?」
「さっき、窓を見て何か気になると言っていただろう」
「気のせいって言ったじゃないですか」
「気のせいかどうか決めるのは君じゃない。アレはいったい何のことだったんだ?」
テオは少しだけばつの悪そうな顔をして、一番近くの窓の、縁のあたりを指さした。
「この城の窓、三つおきに縁に白い石が使われてるんですよ。なんかうっすら文字が書いてあるように見えたので気になったんですけど、よく見えなかったし、多分ただの飾りだろうなって思ったんです」
「白い石?」
アローは少し戻って窓の縁を確認する。確かに三つおきに上に白い石がはまっていた。目を凝らすと魔法文字が彫ってあることがわかる。
「よくこんなものに気づきましたね」
「俺、目だけはいいんですよ。何かなぁって思って見てただけです。でもこの城、スヴァルトの宝が眠ってるとか何とか言ってたし、魔除けか何かじゃないですか?」
「ああ。テオの言うとおり魔除けの一種だな」
こういった城では、さほど珍しいものではないだろう。強い魔力を発しているわけでもない。実際、テオに言われるまでアローもミステルも気づかなかった。
テオはほっとしたのか、ニコニコと笑って後ずさりを開始する。
「ですよねー? 別に深い意味とかないですよねー! 部屋に戻っていいですかー?」
「ダメだ」
「何でですか!?」
アローは彼の首根っこを掴んで引きずり戻す。栄光の手はミステルに渡した。呪術道具なので、ミステルも多少は干渉できる。彼女は触る肉体がないので、魔力でそれを空に浮かせた。
空飛ぶ火がついた手首のミイラ。人に見られたら死霊魔術師への誤解が急加速する光景だが、そもそも人に見られないための呪術なので問題はない。
嘆くテオを引きずりながら、アローはなるべく人のいなさそうな方へと歩いていく。地下まで探りにいくのはまずいだろう。辺境伯と会うまでに部屋に戻らなければならないからだ。
「ミステル。その魔除け、とれるか?」
「はい、お兄さま」
「えっ、やめましょうよ! スヴァルトの何かこわいやつでてきたらどうするんですか」
「安心しろ、スヴァルトの何かこわいやつがでてくるなら、こんな魔除けひとつ増えたり減ったりしたところで何の影響もない」
「ていうか、死霊に話を聞くんじゃなかったんですか? 本当、俺必要なくないですか?」
「安心しろ。これからそれをやるところだ」
ミステルに外してもたった魔除けの石を、手元で観察してみる。
石は白瑪瑙のようだ。薄く掘られているのは古代文字の一種で、ごく簡単な厄除けだ。これ自体は庶民でも知っているほどに普遍的なものだ。使われている白瑪瑙そのものにも、多少は厄除けの効能がある。城中の窓に使われているのだとしたら、全てまとめればそれなりの成果をあげるのかもしれない。
とはいえ、付け焼刃感はいなめなかった。
(呪術的な円陣でも組んで配置すればもう少し効果がありそうだけど、この城の構造的に、窓があるのは洞窟のない側だけだしな)
少し広い場所に出たところで、立ち止まる。整えられた石積みの壁がごつごつとした岩壁にかわる場所。この階には洞窟への入り口はないようだが、近くにきただけで十分だ。
「お兄様、『生贄』探しをなさるので?」
「ありていに言えば、そうだな」
「このジャリガキは必要あったのですか?」
「まぁ、厄除け守りのことの詳細を聞きたかっただけだから、はっきりと言えばないが」
「ほらやっぱり……戻っても良かったんじゃないですか」
隅っこで膝を抱えて愚痴を漏らすテオを見ようともせず、アローは杖を構えた。
「君を部屋に送る時間がもったいないだろう。栄光の手は無限に使えるわけじゃないんだぞ。それに、君の眼が信頼できるという意外な長所を発見した。全くのお荷物ではないと知って心底安心したぞ」
「アローさん、ちょっと俺に辛辣ですよね。何ですか、ミステルさんを取られまいと警戒しているわけですか。妹離れをする時期じゃないですか」
「そういうことを言うから雑に扱っているわけだが? 妹離れもなにも、ミステルは僕の使い魔だし、君がミステルを自分のものにできるというのは酷い思い上がりなので諦めた方がいいぞ。ほら、ミステルがネズミの死骸を踏みつぶした時みたいな顔をしているぞ」
「ゲンジツヲミセナイデクダサイ」
ミステルが毒を吐くどころか無言で、本当にすさまじい顔で睨みつけていたのがよほどこたえたらしい。テオは団子のように小さく丸まって床でいじけはじめた。
が、とりあえず今は彼の目の良さを借りる場面ではないので、無視して床に杖を置く。
別邸の女中が言っていたような『生贄』に相当する存在がいたのなら、アローが死霊を呼びだせば探し出せるかもしれない。もしいないのなら、それはそれで、別の線からリリエのいうスヴァルトの宝がもたらす災厄に繋がるかもしれない。
『死を記憶せよ』
瞼を閉じ呪文を唱え、再びまぶたをあげる。
その動作だけでアローの瞳は紅く輝き、その視界は緋色の炎に包まれる。
(……なんだ、これは)
城には、というよりは、永い間人が暮らし続けた場所には死霊が多い。
ずっと森で暮らしてきたアローにもそれはわかる。ましてやこの城は、過去の戦乱と、無慈悲な盗賊の行いの上に立っているから、死霊はいくらでもいるはずだった。
だが、今アローが見ているものは死霊ではない。煉獄の炎だ。弱い死霊などは、この炎の前では存在を保てずに焼き尽くされてしまうだろう。
(この城は煉獄の門とでも繋がっているのか?)
自分自身が煉獄に直結しているような存在なことを棚にあげて、アローは紅い炎を睨みつける。
ゆらゆらと、揺れる火。焼かれて悶えて、アローが繋いだことでわずかに漏れた現世の空気を感じ取り、懐かしい世界を求めて這いずる無数の手。
(まともな会話ができそうな死霊はいないか。なるほど、これは呪われた地だな)
あまり長時間見つめていると、引きずられる。紅い視界を閉ざそうとして、ゆっくりと瞼を閉じたその時。
《待って》
女の声がした。
《貴方、私の声が聞こえる?》
ミステルではない。ましてや、リリエでもなかった。
視界を切り替えず、もう一度目を凝らす。そこにいたのは黒い髪の少女。浅黒い肌に金色の眼。尖った耳。
(君は、人間じゃないな。スヴァルトか)
《人間たちにはそう呼ばれているようね》
(死霊ではなさそうだが)
《死んでいるようなものよ。貴方、リリエに呼ばれて来たのでしょう》
(リリエの知り合いか。ならば話は早い。僕らはこの城の地下にあるというスヴァルトの宝について知りたい)
《知る必要などないわ。帰りなさい。あれは人間が数人集まったところで、どうにかなるものではないの》
(それは君が決めることじゃないんだ。僕らはまだほとんど何も知らされていない。少なくとも、君がスヴァルトで、僕とあえて接触をとってきたのだから、リリエの話もまったく事実無根ではないということはわかった)
スヴァルトは人間を嫌い、アールヴを憎んでいた。ドワルフとも、利害が一致しただけで信頼し合っていたわけではない。自らの一族のみを唯一の是とする孤高の一族である。少なくとも伝説の上では。
だが、目の前に現れたスヴァルトの少女は、少なくともリリエを気にかけているように思える。
《あまり深入りはせずに帰りなさい》
(気づかいには感謝するが、どうするかは僕が決める。ひとまず、君の名前を聞いてもいいか。僕はアーロイス・シュバルツ。黒き森の死霊術師だ)
《名乗る必要はないように思うけど、いいでしょう。黒き森の魔法使い、私の名はリューゲ。この地で数百年を過ごす妖精族の生き残りよ》
(数百年、それは地下にいた、ということか?)
《答える義務はないわ。むしろ私が聞きたいくらいよ。貴方は何者なの? 目を開くだけで煉獄の亡者を引きつれる死霊術師なんて聞いたことがないわ》
(それについては、僕も答える義務はない。今回はこの辺にしておこう)
今度こそ、アローは目を閉じ、視界を閉ざした。
次にまぶたを上げた時には世界はただの壁に囲まれた廊下の端で、瞳も青に戻っている。
「お兄様、何が見えたのですか?」
「ん? 見えていなかったのか?」
「はい、煉獄の炎が酷くて……死霊ではなくて煉獄と繋がるなんて、どういうことなんですか、この城は……」
リューゲはどうやらアローだけを選んで接触してきたようだ。意図はわからないが……。
「…………うーん。とりあえず、一度部屋に戻るか。テオ、いつまでもいじけてるな」
まだ凹んでいるテオを引っ張り上げて、アローたちは部屋へと戻っていく。
その後ろで、岩壁から残滓のように一瞬ゆらめく炎の影が見えたのだが、彼らがそれに気づくことはなかった。
■
部屋に戻って、ミステルに先に中に入ってもらい、ヒルダに扉を開けてもらう。部屋に入って灯りを消すと、テオがソファにだらしなく寝ころんだ。この少年はたまに貴族であることを疑いたくなる。
「ここから辺境伯に会って、晩餐をこなして、それから地下調査ですか……一日に予定詰め込みすぎでしょう。地下は明日にしましょうよ」
「その辺は僕らに選択肢はないからな」
「わかってますけどぉ……」
グチるテオを横目に、ヒルダは灯を消した栄光の手を遠巻きにしつつ、深くため息をつく。
「それで、結局何か進展はあった」
「ああ、スヴァルトに会った」
「へー、そうなんだ……って、ええええっ!?」
ヒルダがぎょっとして声を上げたので、アローは口元に指を立て「しー」とささやいた。魔法で結界を作っているとはいえ、簡易的なものなのであまりに大声を出すとやはり気づかれてしまう。厳重な結界を作るのは魔力の無駄遣いだし、自分たちが静かにした方が早い。
「お兄さま、どういうことですか?」
ミステルもリューゲの姿と声は見ていなかった。急いで部屋に戻ったのでまだ詳しい説明もしていなかったのだ。
「妙だったな。制約に添って死霊を呼んだだけで煉獄に直結するし、スヴァルトを自称する女の子に声はかけられるし。使い魔のミステルにも見えなかったということは、僕だけを狙って接触してきたということだろう?」
「お兄さまに知らない女が……」
ミステルが若干ズレた点についてわなわなとするが、アローは気にせずに続ける。
「魔力的につながっている存在を無視して術者だけに幻覚を見せるなんて、そんな高度な術を使う理由もないだろう。彼女……リューゲと名乗っていたが、リリエと面識があるようなそぶりを見せた。馬車を襲った黒魔術師の正体のこともあるし、少し気になるところだな」
「でも、スヴァルトって伝説上の存在なんだろ?」
ギルベルトは半信半疑のようだ。アールヴと違って、スヴァルトが残したとされる遺産はほとんどない。アールヴも、宿敵の遺物を残しておくほど人がよくはなかったということだ。
何にせよ、存在を証明するものがほとんどないのだ。信じられないのも無理もない話だろう。
ヒルダは難しい顔になっている。剣で斬れる敵かどうか検討しているのかもしれない。それでも死霊よりかは、気分的にマシなようだ。比較的元気である。
「とりあえず、後は辺境伯に会ってみてから考えよう。リリエだってあそこまで言っておいて、やっぱり地下は見せられないとか言わないだろうから。とりあえず見せる分には、危険がないと考えているんだろうし」
「わかりませんよ? 我々を生贄代わりに捧げようと考えているかもしれません」
まだ不機嫌そうなミステルが、まるで子供のように頬を膨らませながら言う。
「教会の使者を生贄にって、疑ってくれと言ってるようなものじゃないか。いくら僕が世間知らずでもそれが悪手ってことくらいはわかるさ」
それでも警戒しておくにこしたことはない。黒魔術師の一件もあるのだ。
「ところで、テオ」
「………………なんですかぁ」
こちらはこちらでふてくされている。ソファに寝ころんだまま面倒くさそうな声を出す。
「君はコネで騎士団に入ったのか?」
「アローさん、何ですかその死体に石投げるような質問」
「いや、騎士団には入団試験があったが、君はどうなのかと思って。ヒルダは試験を受けたんだよな?」
「ええ。女は試験を受けて認められなければ、いくらコネがあってもそう簡単に入団できないわ。ものすごいお家の事情があれば別だけど」
「お家の事情とは……」
「ちょっと火遊びがすぎて、貴族と結婚もできなければ修道院からもお断りされちゃった子とかが、厄介払いにおしつけられたりって場合があるわね。そういう子は長持ちせずに商家とか辺境とかにお嫁にいっちゃうけれど」
ヒルダは直接的表現を避けたが、何となく「火遊び」には「ショーカン」の時と同じ気配を感じる。
「…………騎士団は厄介ものの吹き溜まりか」
「そう言わないで。平和な国だし、適当な縁故で入ってくる人もいるけど、それなりに真面目な騎士だっているんだから」
「そうだな、ヒルダは真面目だしな」
「そうね。で、テオは試験、受けたの?」
アローに変わってヒルダが尋ねると、テオはばつの悪そうな顔で起きあがり、もごもごとつぶやいた。
「…………受けましたけど」
「受けたんだ!?」
「ヒルダさん、自分で聞いといてその反応ひどくないですか?」
「いやだって、貴方、剣も槍も下手じゃない」
「そうですけど。僕にだって特技くらいあるんです!」
必死に力説するテオに、アローは首を傾げながら首を挟んだ。
「弓か?」
「何でわかったんですか」
アローが言い当てたことがあまりに意外だったのか、テオはぽかんと口を開ける。だいぶ間抜けな顔だ。
「君は目がいい。周囲を観察する力がある。馬車から脱出した時も意外と冷静だった。馬ゾンビも嫌そうにしていたけど案外すぐ慣れていたな。動物の血抜きを間近で見る機会も多かったんじゃないか? つまり、弓矢を使って狩りをしていたことがある、と」
テオは少し嬉しそうな顔でこくこくとうなずくと、力説し始めた。
「俺、よく領地の森に遊びに行って、森番に狩りを教わっていたんです。だから弓だけは自信あるんですよ! ……それで、弓矢が使えるので……その、弓兵になれるんじゃないかって騎士団につっこまれてしまって……」
後半は苦い顔で尻すぼみ。おそらく、テオにとっては騎士団入りは不本意だったのだろう。十二歳の覚悟なんてそんなものだ。
親にしてみれば領地を継ぐ望みはほぼないテオを、目の良さと弓を使えることを武器に騎士団へ入れたことは厄介払いなどではなく、それなりの真心だったのかもしれない。
親の心子知らず。子の心も親は意外に知らなかったりもするわけだが。
「でも私、テオが弓使ってるのを見たことないわよ」
「だって……この国平和だし……戦もないのに、護衛もできない弓兵なんて何の役に立つんだって……猟師にでもなれって……みんな、馬鹿にするから……」
ごにょごにょとふくれっ面で呟くテオに、ヒルダは苦笑いをしながら彼の方を叩く。
「明日、暇を見て城下に弓を買いに行きましょう。そして次にそういうことを言われたら相手に当たるギリギリで矢を射かけてやりなさい。護衛もできないなんて口は叩けなくなるわ」
「矢が刺さっちゃったらどうするんですか?」
「刺さらないギリギリで射れる腕があるなら、護衛だって何だってできるわよ」
女だと馬鹿にされても剣で容赦なく黙らせる。戦女神と呼ばれるヒルダがそれを言うのは重みが違った。テオが神妙な顔になってカクカクと頷く。
「でもアロー、何でテオに騎士団のこときいたの?」
ヒルダが首を傾げると、アローは窓から外してきた魔除けの石を磨きつつ、ため息をひとつついた。
「この面子で何ができるのか知りたかった。テオだけは、実力がいまいちわかってなかったからな。何もできない子じゃなくて心底安心したぞ」
「俺は弓で身を立てるよりも可愛い貴族の女の子のところに婿入りし……」
「諦めろ」「諦めなさい」「諦めとけ」「いい加減にしたらどうですか」
テオが夢を語りだした途端、この大合唱である。
「……ひどくないですか」
テオの浅はかな夢がボロボロに突き崩されたところで、迎えが来た。
――辺境伯との会見の時間がきたのだ。
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