第32話 彫刻の城と怪異の隙間

「おお、壮観じゃねーか!」

 ギルベルトが行儀悪く口笛を吹き鳴らす。

 朝の光を燦々と浴びながら向かった辺境伯の居城は。崖の中に建っていた。

 比喩ではない。本当に崖に埋まるようにして建っていたのだ。古代竜がえぐったのだと言われれば信じるほどに、大きくうがたれた崖の穴に、半分同化した石造りの城だった。

「スヴァルトの時代、あの大穴はスヴァルトの国とつながっていたと伝えられています。戦を終えた後、アールヴと人間は力を合わせてその穴をふさぎました。おかげであの地にはま長くともな人間が寄りつきませんでした。オステンワルド伯が討伐するまで、盗賊やならず者が住み着いていたそうです」

 辺境伯が用意した馬車に乗って城に向かう道すがら、御者をつとめる男が城の成り立ちを語ってくれた。

 スヴァルトの戦いが風化した頃、オステンワルドの元となった町は今よりももっと平野の方にあって、この辺りから度々やってくる盗賊に手を焼いていた。当時の領主はこの地に巣くう盗賊を捕らえ、その根城を調べた時、女神フライアの声を聞いたのだという。

「この崖に城を建てよ。闇の国を閉ざす堅牢の城を。悪しき妖精は帰り道を失い姿を消し、この地は山と森の恩恵を得て栄えるであろう」

 その言葉を信じた領主は崖に大きく空いた虚に城を建て、街を移した。

 はじめは気味悪がって移住しなかった人々も、城が完成し幾度か季節を重ね、不思議と実り多く森が豊かになったのを見て、女神のお告げを信じるようになった。

 そうして少しずつ人が移住していき、アイゼンリーゼと国交を結んで交易の要となったことで更に発展し、今のオステンワルドの街になったという。

 ちなみに、中心都市がオステンワルドに移る前の街は今でも存在している。アローたちも、オステンワルドにつく前に立ち寄った。かつてはこの地の中心地だったはずだが、百年以上経った今ではのどかな田舎町だった。

「今のお城は、当時の領主が建てた城を、アイゼンリーゼと同盟を結んだ記念に改築したものです。地元の人間は彫刻城とか言いますね。岩を彫って作った彫刻みたいでしょう?」

 確かに、崖の岩肌の色と城の壁は、どちらも灰褐色。同じ種類の石でできているのであろう。遠目に見れば、腕の良い職人が岩を彫刻して作った城のようにも見える。

 近くまでくると、城を囲い込む堀に水が満たされ、のんびりと水鳥が浮いているのが見えた。少なくとも、不吉な場所には見えない。

 馬車は城の正門にほど近い桟橋の前で止まる。

「ここからは案内がありますので」

「ありがとう」

 アローたちはそれぞれに礼を言って馬車を降りた。一行は横に並んで、岩に埋まるような外観のその城を桟橋の前でしげしげと眺める。

 ほどなくして、御者が言っていた案内とやらは現れた。さらりとした麻のドレスをまとった女性と、付き人らしき帷子をまとった男が二人。伯爵に代わって挨拶に来た、アレクサンダー辺境伯の縁者らしい。

「遠い地までようこそお越しくださいました。私はリリエ・アレクサンダー。辺境伯、ファルク・アレクサンダーの姪にあたります。本日は皆様をご案内するように仰せつかっております」

 その女性は、うやうやしく頭を下げた。

「叔父は職務で多忙なため、代理の私が参りました。叔父とのお時間はまた後でとりますので、まずはオステンワルド自慢の彫刻城を見て休まれてくださいね」

 歳は十八歳くらいだろうか。アローやヒルダよりも年上のようだが、顔立ちにはまだ少女のあどけなさが残る。笑うと人なつこい子犬のような愛嬌があり、同じ年くらいでもおかしくないように思えた。

 リリエのまとう麻のドレスは仕立てはしっかりとしたもので、質素ながら細やかな刺繍が美しい。グリューネの貴族は絹をふんだんに使った豪奢なドレスを好むというが、アローにはこれくらいの方が上品なように思えた。

「ドレスが気になりますか?」

「ああ、うん。王都の貴族とは違ったものだと」

「上質な麻生地はオステンワルドの特産です。お時間がありましたら、礼服やドレスの仕立て屋をお呼びしますから、ぜひお声がけくださいね」

 なるほど、王都からの客を迎え入れる割には質素な装いにも思えたが、特産品の宣伝を兼ねているなら納得もいく。王都に帰った時に、オステンワルドの生地が上質であるという噂が社交界に流れれば、それはこの地を豊かにすることに繋がるわけだ。

(しっかりしているというか、なんというか)

 怪異に困り果てて、一刻も早い助力を求めている、というわけでもなさそうだ。アローとしては、判断に迷う材料ばかりが増えていって困る。

(とりあえず、伯爵城を調べてみるか)

 想像だけしても仕方がない。アローはまず、リリエの案内に従うことにした。

 彫刻城は、外側から見たら城が半分崖に埋まっているようだったが、実際に崖に大きく開いた洞窟を利用して建てられたようだ。ところどころ、建物と直接洞穴が繋がる作りになっており、倉庫などに利用されているという。

「もっとも、ほとんどの洞窟は崩落の危険性などもありますから、城を改築する際に入口をふさがれてしまったそうです。この城の怪異も、そういったことが元になっているんでしょう」

「怪異のことについて知っているんだな」

 貴族を相手にしても敬語を使わないアローに、護衛たちは渋い顔をする。しかしリリエは気にした様子もなくクスリと微笑んだ。

「ええ、叔父に怪異の調査を進言したのはこの私ですから」

「なるほど」

 怪異の調査を依頼した当人であれば、リリエが堂々とした振る舞いなのも納得がいく。それと共に、怪異に怯えて依頼してきたのではないのだとしたら、ますます彼女の狙いが読めない。今は大人しく様子を見ることにする。

 見せてもらった洞窟は葡萄酒の倉庫らしく、酒樽がいくつも置かれている。密閉された空間のように見えるが、城と洞窟の間は完全にふさがれてはいないようだ。細く鳴くような音がしている。わずかながら空気が入り込んできているのだ。

「洞窟の奥の方は一定の気温が保たれているので、長く保存するものは奥に保管されています。だけどこの辺りはこうやって風がわずかに入り込むのです」

「これが君の考える、怪異の正体というわけだな」

「其の通りです。今までこの城で語られてきた異音の怪異は、恐らくこれが原因ですね。定期的に補修はしているのですが、今は使われてない塞がれた洞窟に入り込む空気の音が、奇怪な音に聞こえるのでしょう」

「私たちの任務は怪異の調査ではなかったのですか?」

 突然、怪異の話のネタ晴らしをされて、ヒルダもしきりに首を傾げている。さすがにここまで来ると、他の面々もリリアの言い分がかみ合っていないことに気が付いているようだ。

「城で使っている洞窟は、どれもさほど奥行きはなく、横穴も存在しません。しかし、改築される以前には、かなり深い洞窟と繋がっていたといいます。そのせいか妙な音がするとの話は、ずっとありました。もう何代も前からです。今更どうということはありません」

「……つまり、単なる風の音では済ませられない事態が起こっているのか」

「端的に言えば、そういうことですね。詳しいことは、お部屋でお話します」

 リリエに促され、一向は洞窟を離れて城の内部へと戻っていく。

 アローは城を観察しながら、考えを巡らせる。

 洞窟と繋がっているところ以外は、さほど普通の城と変わっていることはない。ただ、崖の近くのあたりはやはり陽があたりづらいのか、明かり取りの窓は少なく壁には蝋燭立てが取り付けられていた。

 明かりをつける程度なら、簡易魔術がそれなりに普及している。長く安全に明かりをとりたいのなら、蝋燭よりも確実だ。維持費もそれほどかからない。

 それでも燭台をとりつけるのは、やはりオステンワルド独特の、聖霊魔法以外を忌避する風潮ゆえなのだろう。

(そういえば、ミステルが別邸の女中頭が僕らを探っていた風なことを言っていたな)

 初日に別邸へと案内されたのは、たどりついた時刻が遅かったためかと思っていた。だが、食事の仕入れや使用人たちの働きにも影響があるのだから、急ごしらえで晩餐会が用意されたとは考えにくいだろう。元から初めは別邸に案内される予定だったのだ。

(僕らに何をさせる気なんだ?)

 夜中にこちらの動向を探っていたらしい女中頭の行動は、はじめ聞いた時には「黒魔術に対する極端な恐れからきたもの」として流していた。相手が直接的な行動に移ったわけでもなかったし、まずは城の噂を精査することの方が重要だったからだ。アローが誤解で投獄されたことで、こちらの信用が若干薄れてしまった手前もある。

 だが、ミステルが聞いてきた女中の会話を聞くに、この地の住人も妄執のように黒魔術やスヴァルトを忌避しているわけでもないらしい。

 少なくとも、スヴァルトに関しては「子供の頃に必ず聞かされる怖いおとぎ話」程度の認識だと思われる。

 黒魔術にしろスヴァルトにしろ「地域に根付いた伝承のおかげで、関わり合いになりたくない不気味なもの」という曖昧な恐怖の対象なのだ。

 恐怖の基準がぼやけているから、街の門兵はよくわからずにアローを黒魔術師だと独断し、しかも特に罪状はなかったにも関わらず思い込みでこじつけて捕縛してしまった。

 曖昧な恐怖が、具体性を伴った「怪異」に進化するにはきっかけがいる。

 たとえば、洞窟の音が悲鳴のように聞こえたとして、それだけでは「不気味だ」という感情をかきたてるだけで終わる。

 しかし、そこに「壁をふさぐ時に洞窟に取り残された子供がいた」という噂を付け加えると、急にただの不気味な音が「怪異」へと変貌する。

 城には「怪異」が存在する。そこに、城に奉公しにきた少女が行方知れずになる。すると「怪異」はまた進化する。そうやってどんどん「怪異」は育つ。

 ささやかな妄執が連鎖し、そこに猜疑心が加わると、「怪異」はだんだんそれ自体が一種の「呪い」となる。

 スヴァルトの伝承、残酷な盗賊の行い、城でおこったささやかな事件、全てが「怪異」が生んだ「呪い」を吐きだす。

(さて、話を聞いてみないとわからないが、どこまでが本当の意味での「怪異」だろうな?)

 燭台の数を数えながら考え事をするうちに、一行は目的地にたどりついたようだ。通されたのは、控えめながらの毛織物の絨毯が敷かれ、重厚な木の円卓とビロードを貼った長椅子が用意された部屋だった。

 リリエのドレスを見た時にも思ったが、この城全体の調度が質素ながら気品にあふれていて、辺境伯の人柄をうかがわせる。

「どうぞ、おかけになってください」

 リリエは微笑み、そして、自分はひとりがけの椅子にこしかける。護衛二人のうち一人が彼女の後ろに立ち、もう一人が部屋の入口に立った。

 アローたちがそれぞれ円卓を挟んで三人と二人で腰かけたのを見届けると、リリエはようやく本題に入った。

「実は、皆様をお呼びしたのは怪異の調査のためではないのです」

 彼女は、そう切り出した。

「この城の地下にはスヴァルトの宝が眠っています。それがもたらす災厄から我々を救っていただきたいのです」

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