伯爵城怪異舞踏会編

第27話 ヒキコモリの店は閑古鳥

 アーロイス・シュバルツは困っていた。

「客が来ないな」

「ええ、来ませんね」

 アーロイス――アローの言葉に、彼の義妹にして使い魔でもある魔術師霊ミステルは、静かに同意を示す。

 王都グリューネの片隅にある、カウンターと棚だけの小さな店。店名は『魂の言伝屋』である。死者と生者の間の伝言を承るのが業務内容で、いわゆる死霊魔術を専門とする。

 だが、客がこない。

 森で暮らしていた頃は、狩った獣の毛皮や魔法薬、護符や呪術道具などを売るだけで生活できていたので、商売の基本をわかっていなかった。それは認めざるをえない。

 それにしても、一週間に一人もこないのはさすがにまずいのではないか。

「私が思うに、この前、遺産相続でもめている家の相談に乗ったのがまずかったのではないでしょうか」

 ミステルは冷静に客がこない原因を推察しているが、アローには納得できないものだった。

「仕方がないだろう。家族にも見えるように、わざわざ教会から立会人まで呼んで召還したのは、向こうの希望によるものだぞ」

「ええ。ですが、人間、時には嘘も必要になりますので」

「僕に死霊の言うことをねつ造しろと?」

「ありていに言ってしまえばそういうことになりますね」

「それはもう、死霊を召還する必要性がないだろう」

「まぁ、あの件については依頼者側にも覚悟が足りなかったとしか……」

 少し前、ある貴族の遺産相続争いについて白黒つけるために、亡くなった前当主の死霊を呼び出した。魂の言伝屋にとっては初の依頼であり、アローとミステルは、それはもう真剣に取り組んだわけである。

 しかし、日頃から相続争いについてしのぎを削りあう親族たちに深い失望を抱えていたらしい亡き前当主は、死んだ後になってまで呼び出されたことに辟易していた。書面に残した遺産配分は全て破棄して、遺産は生前もっとも愛した妾に全て渡すなどと告白したものだから、それはもう大変な騒ぎとなってしまったのだ。

 アローもバカ正直にそれを伝えなければよかったのだろう。知らない方がいいことはある。

 しかし、教会の立会人もいたし、死んだばかりで意思も強めだった死霊は延々と泣き言を訴えてくるし、遺族は目を血走らせているし、という場面である。その状況で機転のきいた嘘をつけるほどアローは強い精神を持っていなかった。というよりは、長く森で隠遁生活を送ってきたこともあって、そういう発想自体がなかったとも言う。

 アローとしては誠実に生者と死者の橋渡しをこなしたわけだが、依頼者たちは大激怒。

 それ以来、ただでさえ多いとはいえなかった客足はぱたりと途絶えた。依頼するまではいかずとも、興味を持って相談に来る者は何人かいたのに、見事に誰も来なくなった。蜘蛛の子を散らすごとく。

 例の貴族が悪い噂を言い触らしたというわけではないだろう。

 ただ、気づいてしまったのだ。死者が生者にとって都合のいいことを言ってくれるとは限らないということに。

 元は同じ人間なのだから、それは当然のことだ。冷静に考えれば誰だってわかることなのに、死という断絶を経ると急に、残された人間は死者に『夢』を見る。

 死者は残された生者のことを心配し、見守ってくれており、だから不利益になるようなことはしないはずだ、と。

 一方で、これがさして知らない者や嫌っている相手が死霊になると、きっと恨んでいるはずだとか、呪っているはずだ、と認識が変わってしまう。

 生きている者は酷く傲慢である。死んでまで遺産相続の話で呼び戻された前当主の霊が、遺産を愛人に丸投げしたくなった心情はわからないでもない。

「しかし、これでは商売にならないな」

 現実的に考えて、ここから再びまともな依頼が来るとは思えない。他にアローができそうなことといえば、護符や呪術道具作りであるが、グリューネではどちらもさほど需要がないのだ。

「恋の護符でも売りますか? トビアス様はお喜びになられてましたが」

 王都に来てすぐに知り合った傭兵ギルベルトとその舎弟のトビアスは、たまにアローたちの店にやってくる。諸事情から、トビアスには女性にモテるようになる護符を作ることになっていたので、この前試作品を渡したところだった。

「だが、あれを持っていても僕はモテなかったぞ」

「それはお兄さまがバカ正直に死霊術師だと身分を明かされたからかと」

「死霊術師への偏見が酷すぎる……」

「よいのですよ。職業で人を推し量るような女に、お兄様はもったいないですから。ええ、大丈夫です。霊障とか起こしていません」

「霊障……?」

「お気になさらず。トビアス様は納得されたのですから、効果には個人差があるのかと思いますよ」

 実際のところ、トビアスも大してモテていたわけではなかった。ただ、恋の護符は娼婦の興味を引くものだったようで、色々と女の子に囲まれて詳細を聞かれることにはなったようだ。それだけで彼にとっては十分なほど満足な効果だったわけであるが、アローたちがそんな実状を知るはずもない。

「それに、恋の護符なら男性向けよりも、女性向けに作られた方が売れるのではないでしょうか」

「そういうものか?」

「ええ、女子の方が恋には熱心なものです」

 ミステルの言葉に、アローはいつぞやなりゆきで連れていかれた娼館で、恋の占いについてやたらと聞かれたことを思い出した。なるほど、確かに。

 そして、その娼館に連れていかれる原因となった事件も思い出した。

 ――王都グリューネ連続少女呪殺事件。

「カタリナの事件もあったし、やっぱり魔法道具を売るのはまだ少し抵抗があるな。使い方を間違われると思わぬ事態になるかもしれない」

「……そうですね」

 二人は少しの間、沈黙に身を任せた。

 アローとミステルが作った呪術道具を、そしてミステルの与えた呪術知識を悪用し、多くの若い娘の命を奪ったカタリナ。彼女自身は呪いに呑まれて消えてしまったが、二人ともまだ完全に割り切れてはいない。事情があったとはいえ、彼女の呪いに加担してしまっていたミステルは、尚更だろう。

「まぁ、いざとなったら森で魔物でも狩ってくればいいんじゃないか? 毛皮や牙は高く売れるぞ」

「完全に商売を投げましたね、お兄様」

 ミステルが呆れ混じりの顔になったところで、店に客が入ってきた。

「いらっしゃいませ…………何だ、君か」

「何だ、とはご挨拶だね、アロー君」

 そこに立っていたのは、フライア教会の司祭、ハインツ・カーテである。

 彼はどういうわけか女神フライアからからあふれんばかりの寵愛と加護を受けているのだが、本人はその加護をありがたがっているというよりは、いいように利用している。

 言動も何やら裏がありそうな気配をぷんぷんと匂わせているので、アローとミステルは彼の能力と取引が有用であることは認めつつも、あまり関わりたくないと感じていた。

 ついでにいえば彼は女性関係に極めてだらしがなく、それが不信に拍車をかけているともいう。

 とはいえ、つてがまるでない状態で王都にやってきたアローたちに一晩の宿を世話してくれたり、この店を開くに当あたって物件を都合してくれたのも彼である。恩人である以上、無碍にもできなかった。

「私はそろそろ仕事に干されているのであろう君たちに仕事をもってきてあげたんだよ」

「なぜ干されているとわかった」

「そりゃあ、貴族間で噂になったからね。例の相続争いに関する降霊術の一件は。教会に死霊を鎮めてくれという依頼がきたから、ふたを開けてみたら君たちが一枚かんでいた。これはさぞ商売がしづらくなっただろうと心配していたところだよ」

「それは面倒をかけたな。だが、僕は誠実に仕事をしただけだぞ」

「そう、君は基本的に誠実だ。形に残る物品の商売ならともかく、形のないものの商売には向かないな」

「僕に詐欺をしろとでも?」

 ミステルにも投げたその問いを、ハインツは彼女とは違う理論で返答した。

「人を救う嘘は必要だ。その『人』には『自分』が含まれるというだけの話さ」

 相変わらずこの司祭は、聖職者にふさわしくない発言を平然としてのける。うろんな目で見つめたあと、アローは本題を思い出した。先ほど彼は仕事を持ってきたといわなかったか。

「……非常に不本意だが、仕事の話を聞こう」

 この先、森ではなく都で生きていくと決めたのだから、商売はきちんとしなければならない。

 それに、アローはミステルに生身の身体を作ってやることをまだあきらめてはいなかった。魂を分けてもらうためにも、教会に顔が利くようになった方がいい。ハインツへの個人的感情はともかく、教会の仕事はおいそれと断れない。

「ようやく話を聞いてくれる気になったみたいで助かるよ。このままではヒルダ嬢をつれてきたのが無駄になるところだった」

「ヒルダもいるのか?」

 アローが小首をかしげると、苦虫をかみつぶしたような顔でヒルダがハインツの後ろから顔を見せた。

「また押しつけられたのよ」

 書類を抱えて、彼女はすでにげっそりとした様子である。

 彼女が真面目すぎるから断れないのか、それとも以前の呪殺事件の一件以来変に縁ができてしまったからか。いずれにしても、どうやらまた貧乏くじをひかされてしまったようだ。

「何だか悪いことをしたみたいだな」

「ううん、別にいいのよ。アローが関わるっていうなら、多少は気心知れてる私が来るべきだったと思うし。ただ、カーテ司祭が絡んでると嫌な予感しかしないだけで」

「ああ、その気持ちはすごくよくわかるぞ」

「信頼って大事ですね」

「あの、ヒルダ嬢もシュバルツ兄妹も、私に対して少し風当たりがきつくないかね?」

「「「気のせいですよ」だな」ですね」

「声を綺麗に揃えないでくれ……」

 大げさに嘆く仕草をするハインツをまるっきり無視して、ヒルダはアローに書類を差し出す。そこに書かれていたものは――。

「城の怪異調査?」

「ええ。この国の北東部を大きく覆っている黒き森の中でも、東の端の方。アレクサンダー辺境伯の居城ね。森の外れということで、交易的にも重要だし、近くには国境と砦もある。……といっても、東側に接してるのは友好国ばかりだし、やっぱ森があるし……。まぁ、とにかく、無碍にはしづらいけど急いで何とかしなければっていう程ではない、みたいな感じ?」

「曖昧だな」

「そうねぇ。敵国に攻め込まれそうだとか、重要な街道にたちの悪い山賊が住みついて砦の人員で対処が難しいとか、そういう案件ではないから。でも……アロー向けだと思う」

「うーん、僕向け、となると」

 アレクサンダー辺境伯の領内には、かつて東の国アイゼンリーゼとの条約を締結する際に使った離宮も存在する。ゼーヴァルトの中でも古くから要所と扱われてきた土地のようだ。特に死霊が絡む気配はないが。

「アイゼンリーゼとの条約締結百年目なんだって、今年。それで辺境伯の居城で大規模な舞踏会を行うことになったんだけど……問題があって」

 辺境伯の居城で、夜な夜な地下から獣の咆哮や泣き叫ぶ声が聞こえてくるようになったのだという。

「なるほど、そこで僕向きの話か」

 歴史ある城や屋敷ならば、どこであっても少なからず幽霊や魔物の噂は出る。しかし今回はあまりに証言が多かった上に、大切な舞踏会を控えているとあって、無視できない状態になったようだ。

「なるほど、怪異の実態調査ということだな。死霊であれば僕が対処できるし、魔物であれば……できれば教会に対処していただきたいところだが、しがらみだの何だのでどうせ腰が重いんだろうな」

「ああ、それについては申し開きするつもりはないよ。わざわざ君の所に仕事を持ちかけるくらいだからね」

 ハインツはいけしゃあしゃあと言ってのけ、アローはじっとヒルダを見つめる。

「で、大丈夫なのか、ヒルダ」

「何が?」

「僕向きと言う時点で、確実に君向きじゃないが、その様子だと君が同行するんだろう?」

 ヒルダは戦女神と呼ばれるほどの剣の達人だが、死霊は大の苦手だ。しかも死霊は剣による物理攻撃だけでは、対処できない相手である。

 彼女は教会前の彫像のごとき虚無の表情で、中空を見つめていた。

「…………剣で斬れる敵が出てくるといいわね」

「別に無理しなくてもいいんだぞ」

「そうですよ、ヒルダ様はお忙しいのでしょう?」

 ミステルがすかさず割って入ったが、ヒルダは表情を沈痛な面持ちに変えて首を横に振る。

「どっちかというと、私が怖い想いをする確率よりも、アローがズレにズレまくったことを言って事態を渾沌とさせる可能性の方が高いと思うから大丈夫よ。ミステルさんじゃ止めに入れない場面もあるだろうし」

「ああ……」

 これについてはミステルもどこか納得したようにうなずいてしまった。ハインツは薄ら笑いで肩をすくめている。

 アローだけが釈然としない顔でため息をつく。自分は彼らにどう思われているのだろう。

「いいだろう。どうせ店にいたって暇なんだ。借りもあるし、教会に恩を売ってやる」

 かくして『魂の言伝屋』初の大仕事が始まったのだった。

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