第26話 閑話:緑の国の女王陛下

 ハインツ・カーテは王宮にいた。

 公爵令嬢の起こした甚大な事件である。王家に報告しないわけにはいかない。……というのは表向きの理由だ。

 繊細な彫刻と絵画で飾られた長い廊下を抜け、金と宝石に彩られた扉の前にたどり着く。近衛兵に紋章を見せると、彼らは粛々と扉を開いた。

 赤いビロードの絨毯の先、階段の上、大理石と宝石と絹に飾られた玉座に座るその人の元へと、ゆっくり歩み寄る。

 膝をつき、頭を垂れる。くすくすと、年頃の少女のような笑い声が聞こえてきた。

「顔をあげよ、ハインツ・カーテ。お前がかしこまっているのをみるとおかしくてかなわんぞ」

「お言葉ですが、女王陛下。私はまだ不敬罪で処罰を受けたくはないのです」

「女神に愛された男が謙遜とはなぁ」

「私としては、面倒ごとを押しつけられない程度の、程良い愛され方をしたかったものですが」

「女王への不敬は気にするのに、女神への不敬は問題ないと。本当にお前は大したものだよ」

 カツカツカツ、と階段を下りる音。踵のなる音。

 女王が玉座を降り、ハインツのもとへと歩み寄ったのだ。

「顔をあげろ。命令だ」

「……おおせのままに」

 ハインツはようやく顔を上げる。

 そこにいたのは、女王と呼ぶには若すぎるあどけない少女。銀色の髪に森の木々のような深緑の瞳。少しだけアローを連想させたが、顔立ちが似ているわけではない。

 見た目は十代半ば。しかし、彼女は齢五十を越えている。

 この国は、この国を覆う森は、かつてアールヴと呼ばれる妖精族のものだった。はるか昔、大きな戦禍があって、ある人間の部族が山を越えて、命からがらこの地にやってきた。アールヴの王はその人間たちを気に入り、土地を分け与えた。人間たちは友好の証としてアールヴの宿敵であった黒鋼の妖精族を攻め落とし、部族の中でも一番美しい娘を花嫁として差し出したという。

 それがゼーヴァルト王家の始まりだ。

 この国の成り立ちを語る伝説で、王家は妖精族の血を引く特別な存在ということになる。といっても、大半の国民はその話を王家の権威を保つための作り話か、あるいは遠い昔の話で今はもう王家もただの人間の集まりだと考えている。

 だが、実際にはまだ妖精族の血は王家に受け継がれていた。アールヴは不老長生の種族。純血のアールヴが姿を消した今でも、直系の人間は若さを保っている。

 その血の秘密を守るため、女王は表にでるときは顔を隠す仮面を被るか、年相応の『影』を用意する。真の姿を知るのは、配偶者や側近など、ごく一部の者だけだ。

 この国には魔術師の育成、召集の決まりごとがない。それゆえに、魔術はこの国では表だっては重用されない。それは、王家の秘密に近づくものを避けるためにとられた政策だ。

 そのかわりに、王家はフライア教会と協定を結んだ。フライア教会との結びつきにより、ゼーヴァルトは聖霊魔法師の一団を抱えることになった。そして、王家と教会の間には、強い女神の加護を受ける聖職者を王家直属の配下に置く密約も結ばれている。

 何の因果か、ハインツはその密約の使者に選ばれてしまった。すべてはフライアの加護のためだ。

「して、例のクロイツァの弟子はどうだ?」

「青薔薇から報告を聞いたのではないのですか?」

「聞くには聞いたがなぁ。どうにもお前、わらわに報告していないことが色々とあるだろう」

「報告するまでもないことですよ」

「教会の利害か?」

「それもありますが、正直、何をどう報告していいのやらわかりません。クロイツァ様も、どうしてあんなものを拾ってきたのやら」

「あやつは物好きな上に常に退屈しておったからのう」

 甲高い少女の笑い声が、玉座の間にこだまする。

「で、お前はあれについてどう思う? その力をみてきたのであろう?」

「そうですね……一言で言うなら、化け物でした。歩く冥府の門。生ける死者の王」

「それはそれは、大きくでたものだな」

 何がおかしいのかニヤニヤと笑う女王に、ハインツは肩をすくめてみせた。

「しかし、困ったことに本人は至って善良な少年でして」

「ほほう? あの名だたる魔術師の中でも、もっとも変人であるクロイツァの愛弟子が? 善良だと?」

「ええ、世間知らずではありますが、割とまっとうな倫理観を持った、ある意味とても普通の少年でした」

「なるほど、それでは警戒するほどのことではないかのう」

 女王は何やら思案顔をしている。ハインツは嫌な予感にかられつつも、彼女の言葉を待った。いくら女神の加護を受けていようとも、教会で重用されていようとも、相手が女王であれば命令には従わざるをえない。本当であったら、自分が話しかけることも叶わないほどの身分差なのだ。

「ハインツ、ひとまず、あれに関してはお前と教会の采配にまかせよう。ただし、監視はおこたるなよ。何せ、生ける死者の王なのだろう?」

「それに関しては、教会も他人事ではありませんので。ご心配には及びません。彼は目の届く範囲で管理いたします」

「そうしてくれ。今は平和なこの国だが、いつ何があるかわからん。山の向こうでは戦が始まっているというではないか。この国に火の粉が降りかかることがあれば、あれを使う機会もあるやもしれぬ」

「……『使う』とは?」

 先ほどから彼女はアローのことを道具のように呼び、扱っている。

 アローの肩をもつわけではないが、少しばかり違和感を覚えて、ハインツは女王を見た。少女の姿をしたこの国の長は、ぞっとするほどに美しい笑みをたたえてそこに立っている。

「ハインツ、『あれ』は兵器だ。人間の身体と心を持った、道具だよ。そういう風に作られた。どこの誰がそんなものをこしらえようと思ったのかはわからぬが、あれを殺さずに生かしておいたクロイツァはなかなか肝がすわっておるな」

 微笑みをたたえた女王は、再び階段を昇る。しかし玉座には座らず、その後ろ、様々な形の色硝子を嵌めて作られた世界地図を見上げた。

 中心の、山に囲まれたほんの小さな国がゼーヴァルト。豊かで恵みに溢れていながら、険しい山のおかげで他国の侵攻を逃れてきた小国。だが、それも永遠ではない。交易のためには街道の整備が必要で、街道が整えば多くの兵士を送ることができるようになる。都合のよいものだけがやってくるわけではない。

「この国が戦火にまみえることになった時、あれが我らの切り札になるかもしれぬぞ」

「いくら特異な体質といっても、所詮は一人の少年ですよ?」

「そうか? ……そうだな、もしこの平野が凄惨な戦場となったとしよう」

 女王は白い指で緑の色硝子をなぞる。

「敵も味方もたくさん死に、しかし敵の兵力は大きく我が国が押されているとする。そこに件のクロイツァの弟子を置いて、死霊を無差別に呼び出すようにさせればどうなると思う?」

「それは……」

 完全な制御はできなくても、アローはひとまず呼びだした死霊に命令を与えることができる。アロー自身が最後に与えた命令だけを拠り所にして、無限に死霊を召喚し続けてしまう。それは彼が死ぬまで止まらない。やがて彼自身も死霊に操られて、ひたすら暴走を続けることになるだろう。

 七年前の事件では、クロイツァがそれを解決した。バートラン公爵邸では、ヒルダが敵を減らしてくれたおかげでアローはわずかながら制御を取り戻すことができ、ハインツが死霊の送還を行うことでことなきを得た。

 だが、止めてくれる相手がいなければどうなるだろう。あるいは、途中で止める前提であえて暴走させることができるならば。

 人が死に過ぎた戦場では、アローは敵味方関係なく、全ての死者を味方につけて一方的な殺戮ができるのだ。たとえアロー本人がそれを望んでいなくても、敵の部隊を殲滅すると言う命令さえ与えられれば、あとはもう、彼自身にも手におえない死者の部隊ができあがる。それは確かに、人間と言うよりは兵器に近い。

「……そう怖い顔をするな、ハインツ。たとえばの話だ」

「いえ、私もそのような状況になれば、彼の協力を考えるかと思います」

「まっとうな倫理観をもった、兵器のか?」

「そうです。まっとうな倫理観に育て上げたのだから、彼を人として扱えと言いたいのでしょうね、クロイツァ様は」

「まったく、あやつに子育ての才能があったとはなぁ」

 女王陛下は大きくため息をつき、玉座に座り直した。

「まあ、いいさ。何にしろ、あれを他の国に渡すわけにもいかん。クロイツァは何を考えているのか雲隠れしておる。手元に置くためなら多少の強引も構わぬ。教会にもそう伝えておけ」

「かしこまりました。女王陛下の仰せのままに」

 ハインツは再び、膝をつき。そして、玉座の間から退出する。

(兵器ねぇ……。具体的な話をするってことは、この国の平和も長く持たないのかな)

 来た道を引き返しながら、ハインツは考える。

(ギルベルトにはアロー君の出自について調べてもらおう。それから、騎士団に話を通して、アロー君が関わりそうな事件にはなるべくヒルダ嬢をつけてもらうことにしよう。彼女だったらアロー君も警戒はしないだろう。必要があれば青薔薇の娘たちにも協力させて……)

 そこまで考えて、ハインツは足を止め、遠くなった玉座の間を振り返る。

「……全く、女王陛下も無茶なことを」

 いくら女神に愛されようとも、中間管理職の苦労などさほど変わりがないのだろう。

 ハインツはひとつ小さなため息をついて、再び歩き出した。

 ひとまず、花街に行って己の職務を果たしにいこう、と。

 当然ながら、それは教会には秘密のごく個人的な職務である。

「私にだって、純朴な少年少女の青春を見守りたいと思うくらいの情緒はあるんだけどねぇ」

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