第28話 地を這う竜と馬ゾンビ
アレクサンダー辺境伯の治める地、オステンワルドは、黒き森の東の端と、南の高山地帯の間に挟まれた先端に位置していた。わずかな平野部分から山岳部にかけて隣国アイゼンリーゼとの国境線があり、黒き森の一部は共有地の扱いとなる。
王都グリューネからは馬車を使って半月ほどだ。乗り合い馬車とは違って、教会が用意してくれた立派な馬車だったので、長旅は比較的快適なものとなった。
「この馬車は教会から出ている。つまり、本来は教会が受けた仕事が僕に振られたわけだ。この先、教会が関わりあいになりたくなさそうな死霊がらみの話が、ハインツを通して僕のところに放り投げられることになることがわかった」
馬車の小さな窓から牧歌的な風景を眺めながら、アローは淡々と愚痴を言う。やることがないのだ。休憩で町に立ち寄った時以外は、基本的に馬車に揺られているだけなのだから。
森で引きこもっていた時期が長かったアローだが、逆に言えば森の中では気ままに出歩いていたということである。
都に向かう乗り合い馬車はこんなに長い間乗るものではなかった。度々あぜ道でくぼみにはまっては乗客全員で押し出す作業を手伝わされたりして、ある意味飽きることがなかったのだ。整備された街道を淡々と進む旅は実に味気なかった。
「お兄さま、夕方にはアレクサンダー辺境伯の元につきますよ」
アローに反して、ミステルは上機嫌である。彼女は霊体なので肉体的な疲労はない。アローと一緒に旅ができることを楽しんでいるようだ。彼女も都と森を往復するくらいしかしていなかったので、本格的な旅はこれが初めてである。死後の彼女に初めてというのも妙な話だが。
これはアローとミステル、二人きりの旅ではない。ヒルダと、ヒルダと一緒に世話係としてついてきた見習い騎士と、ハインツがよこした護衛がいる。つまり、御者を除けば総勢五名の一団だ。
「お嬢ちゃんはのんきだな。俺はアローに同意だぜ。退屈で死にそうだ」
傭兵、ギルベルトである。ちなみにトビアスは置いていかれたようだ。ギルベルトいわく「あいつがいると馬車がクソ狭い」だそうだ。それだけが理由ではないのだろうが、酷い言いぐさである。
「ギルベルト、君は霊に対処できるわけでもないし、ヒルダみたいに任務があるわけでもないんだ。別に無理してついてこなくても、帰ってもいい」
「おいおい、ここまで来てから帰れはねえだろ! せめて王都出てすぐに言ってくれよ!」
「すぐだったらよかったのか?」
「よくねえよ! それと俺も、ハインツの奴から前金渡されてんだよ。仕事しねえで帰るわけにゃいかねえ!」
なるほど、彼にも彼なりの事情があるようだ。
立場上、ハインツが王都を長く離れるわけにはいかない。王命があれば別かもしれないが、さすがにこの程度の騒ぎで上位司祭を首都から派遣などするまい。ハインツはギルベルトをお目付け役のつもりでよこしたのかもしれなかった。
(もしくは何かがあった時の『歯止め役』かな)
カタリナの一件で、アローは一度意図的に死霊を大量に召喚し、暴走させている。
生きた人間に直接的な危害を及ぼす大量のグールに、数で対抗するための苦肉の策だったが、収拾をつけられる保証はまるでなかった。一時的にでもヒルダが勇気を出して死霊とグールに立ち向かってくれたから、何とか収めるだけの時間と余裕を振り絞ることができただけだ。次の保証はない。
王都ですらそんな事態であったのに、上位司祭が少ないであろうオステンワルドで、死霊大暴走など起きたらどうにもしようがないわけだ。
ギルベルトならば、少なくともヒルダが苦手とする死霊が出た時に、恐れずに対処できるだろう。ハインツが口をきいたのだから、死霊に関する対処方も聞いているはずだ。
(死霊が苦手なヒルダだけに背負わせるのは酷だし、まぁいいか)
ギルベルトの存在に関しては心の中で折り合いをつけ、アローはあくびをかみ殺した。ガタゴトと、穏やかに馬車は進んでいく。
■
だいぶ日が傾いた頃、ようやく景色にオステンワルドの街並みが姿を現した。北には森、南には山。南の山肌を背に、街並みはまるで三角州のように森の方へと広がっている。
「もう少しですか!?」
御者の隣で楽しそうにはしゃいでいるのは、ヒルダと一緒についてきた見習い騎士の少年である。
名前をテオドール・カペルマン。ヒルダはテオと呼んでいるので、皆も倣ってそう呼んでいる。若干十二歳。まだまだはしゃぎたいお年ごろである。騎士の訓練や雑務で鍛えているとはいえ、やはり半月ほどの馬車旅はこたえたようだった。
「俺、王都の近くしかいったことなかったんですよ!」
「そうか、よかったな、テオ」
キラキラと眩しい笑顔で語りかける少年に、アローは淡々と返す。
王都の近くも何も、物心ついてからのほとんどを森で過ごし、唯一行った覚えがあった王都についこの間七年ぶりに来て、初めての街中生活をはじめたのがアローである。
アローにとっては、王都グリューネも国境近くの街オステンワルドも、等しく馴染みの薄い土地だった。とりあえず今は馬車から早く降りたい。
「いやー、ずっと馬車に乗ってるのは大変でしたし、俺だって見習いだけど一応騎士なんだから、外で馬に乗っててもよかったんじゃないって思うんですけど、ヒルダさんがダメだって……」
「……そうやってはしゃぐからじゃないか?」
「ウザいからじゃないですか?」
「あっ、ミステルさん、ちょっと辛口すぎません!?」
ヒルダとギルベルトは、交代で馬車の護衛として外に出ている。今は街が近づいているので、二人とも馬上の人だ。テオは野営になった時の天幕番はしていたが、基本的に護衛としては戦力外通告されていた。本当にただの下っ端らしい。
「そりゃ俺は今年騎士団に入ったばっかですし、たまたま実家の家柄が良かったから何となく貴族の舞踏会に連れて行っても示しがつくだろうって理由だけで選ばれましたけど、一応騎士としてみてくれてもよくないですか?」
「そのチャラさで家柄が良いとかどういうことですか」
ミステルの氷のようなまなざしを、テオはあまり堪えた様子もなく舌をぺろりとだして受け流した。
「俺、第三夫人の三男坊なんで!」
世間に疎いアローであるが、知識の上では貴族階級がどういったものかはわかっている。側室二人目で、しかもその三男とくれば、間違いなく家の財産は少しも継承されることはないだろう。騎士団に放逐されたのもわかる。自分の領地は、自分の手柄によって手に入れろ、という意味である。
「……つまり、厄介払いか」
「ええ、お兄様。間違いなく厄介払いであろう案件ですね」
「兄妹して淡々と事実突きつけないでくださいよぉ!」
嘆くテオ。すぐそばで騒がれて、御者と馬とが迷惑そうな様子。
その時だった。
不意に何かに見られたような気配を感じ、アローはとっさに杖に手を伸ばす。
ここは馬車の中だ。他の誰かの視線を感じるのはおかしい。ましてや、外にはヒルダとギルベルトがいる。あからさまな異変を見逃すほど、彼らは無能ではない。
「ミステル、外を」
「はい、お兄様」
ミステルが姿を消し、馬車の天井を抜けて外に出る。テオがいる前でやってしまったが、説明は後だ。
ミステルはじっと辺りの魔力を探り、ハッとして馬車に戻ってきた。
「馬車を止めて! 降りてください!」
御者はぎょっとした顔をして、それでも手綱を緩めた。テオがわけのわからない顔をしながらも馬車を降り、アローが御者をほとんど抱えるようして馬車の外へと転がり落ちる。異変に気付いたヒルダとギルベルトが馬を寄せてくる。
「アロー、一体何があったの?」
「リントヴルムだ」
次の瞬間、地が割れ、馬車と馬が高く中空に跳ね上がる。
苔色の鱗を持つ首の長い竜が、その牙で馬車を粉砕していく。
地を這う竜。それがリントヴルムの別名だ。本来ならば、川の近くに住む魔物である。川からは遠く、街から近いこんな場所に出るのはだいぶおかしいが。
(あの視線の正体は竜なんかじゃない)
明らかに意思があった。こちらを探る目。伝承時代の古代龍ならともかく、今の世界を生きる怪物としての竜属に、故意で人間を『視る』ような意思は存在しない。
「アロー、あれを倒せばいいの?」
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
ヒルダとギルベルトがこともなげにそう言って馬から降り。
「待て、竜属はそう簡単に倒せるものでは――」
剣を抜いた後、二人の動きは早かった。
剣の天才であるヒルダと、歴戦の傭兵であるギルベルト。一緒に戦うのは初めてのはずだが、お互い全く邪魔にならない動きで地を蹴り、駆けて、剣を閃かせる。
「待て、リントヴルムの鱗はそこらの剣で斬れるほどヤワじゃないぞ!」
「だーいじょうぶですよー」
アローが止める言葉を、彼等は聞いていない。
慌てて転んでこぶでもつくったのか、額をさすりながら妙に緊張感のない様子でテオがそう言った。
「ヒルダさん、今回は特別任務ということで騎士剣の中でも魔物討伐特化の魔法剣持たせてもらってますから。まぁ、実力的にも家柄的にも、あと数年もすれば上位騎士になること確定済みみたいな人ですしね?」
彼の言うことは事実なようで、平凡な剣では傷をつけるのが限界であろうリントヴルムを相手に、ヒルダは前足の腱を切り、比較的柔らかい喉笛を割いて、苦悶のあまり大きく首をもたげたリントヴルムの目玉を、剣で刺し貫いたところだった。人間ひとりは丸のみにできそうな竜を相手に、だ。
「竜属と戦うのは初めてのはず、だな?」
思わずテオに確認してみたが、彼は仮にも騎士であるくせに全く戦いに参加する気もなさそうに、ただ眺めている。
「そりゃこの国平和ですから、竜となんて戦う機会ないです。でも、一応、討伐の前例がないわけじゃないんで、座学で弱点とかは叩き込まれてます」
「そ、そうか」
つまり、ヒルダは知識と剣技だけで確実にリントヴルムを圧倒しているわけだ。
一方で、魔法剣など持ち合わせていなさそうなギルベルトも、腹に突き立てた剣を引き抜いたところだった。
「こいつ多分、まだ成長しきってない幼竜だなぁ。割と柔かったぜ」
「…………」
アローはがっくりとうなだれて座りこむ。たった二人でリントヴルムを何とかしてのけてしまった。
少ない魔力でも操れる人間や動物の骨が少ないこの街道で、死霊術に頼らずに切り抜けられたのはありがたい。ヒルダとギルベルトの剣技に感謝しよう。護衛にギルベルトをよこしたハインツにも、ひとかけらくらい感謝してもいい。
しかし、だ。
「幼竜とはいえリントヴルムをあっさり撃退するな……」
「え? でも、魔物討伐は騎士団の仕事だから、これくらいはできないと……。ほら、騎士団の馬は魔物慣れしてるから大きな音がしたり獣が暴れても逃げないのよ」
ヒルダは何事もなかったかのようにそう言って馬を撫で。
「俺は普通に傭兵やってる時は、ほとんど魔物狩りの依頼ばっかだったからなぁ。知ってるか、ああいう鱗のある魔物は目や口以外に尻の穴に剣ぶち込むって手もあるんだぜ」
ギルベルトが比較的知りたくなかった魔物の対処法をのたまう。
「なんなんだ、君たちは」
頭を抱えてうめいたアローに、ヒルダは苦笑を返す。
「というか、アローがそれを言うのはダメだと思う」
「どうしてだ」
「忘れているみたいだけど、貴方も大概色々と規格外よ?」
それを言われると立つ瀬がない。むぅ、と黙り込んだ。何せ、うっかり王都を死霊で溢れ返させるところだった男(前科二犯)である。
「すみませーん、ちょっと質問いいですかぁ?」
テオが空気を読まずに手をあげる。
「馬車がなくなって馬が足りないんですけど、どうします? 歩いたらさすがに夜になって、街の門しまっちゃいますよ?」
リントヴルムは倒せても、最初に襲われた馬と馬車が戻ってくるわけはない。散らばった荷物はある程度回収できるとして、街の閉門まで間に合うように行くには――。
アローはじっと辺りを見回す。人間は全員無事。足りないのは馬と馬車。オステンワルドまで、あと少しだ。馬車はどうにもならないので諦めるとして。
「ヒルダはテオを一緒の馬にのせてやってくれ。ギルベルトは御者さんを頼む。ミステルは宙に浮けるからいいとして、僕は……」
ううむ、と考えこんだ後に、アローはふと思い立って杖を掲げた。
『死を記憶せよ』
先ほど死んだばかりの馬車の馬が、赤黒い血肉を落としながらも起き上がり、いびつな動きでアローの元まで走ってきた。
「よし! これで人数分だ」
「よし、じゃないっっ!!」
ヒルダが悲鳴をあげたものの、代替案もなく、結局二人乗りの馬二頭とゾンビ馬一頭、幽霊ひとりと言う謎の一団は、オステンワルドへの道を再び歩み始めた。
ヒルダの馬に乗せてもらいながら、今更のようにテオが青ざめている。
「どうして馬が生き返ったのか、なんでミステルさんが空を飛んでいるのか、聞いてもいいですか、ヒルダさん」
「世の中、知らない方がいいこともあるわ」
先輩女騎士のすげない言葉に、テオは青ざめたまま粛々と頷いた。
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