第23話 死霊と共に踊れ

 中空に燃える紅の円陣。煉獄の緋色。数多の屍を越えた戦士がたどり着く、永遠の野の、花の色。血の色、生まれいずる命の色、傷つき流れ出る魂の色。

『死を記憶せよ』

 円陣から紅い炎が燃え上がる。その血の紅から、腕が、足が、獣の牙が、尾が、翼が、奔流のように押し寄せる。

「な、何……!?」

 さすがのカタリナも驚いたようで、数歩後ずさる。

「死霊魔術は死霊を呼び戻すことが本質。通常なら、媒介となる死体や人間を用意して、それに降ろす。だが、僕にはその必要はない。僕は僕自身の身体を媒介にして、いくらでも死霊を呼べる」

 死霊との距離があまりに近すぎる、特異体質だからこそできることだ。通常の死霊術ならばこんな簡単に、大量の死霊は呼べない。

 ただ、死霊を呼べば呼ぶほど制御が利かなくなる。今もアローは、死霊術の基礎とも言える召霊呪文で死霊を辛うじて繋ぎ止めているだけだ。制御を間違えば、それこそグールどころじゃなくなる。

「お兄様、多少のことは気にしないでください。制御不能になった霊は私が送還します」

「ありがとう、ミステル」

 ミステルは迷いを振り切ったのだろうか。制御を離れて暴れ出した霊に、ミステルは手をかざす。

『死と共に舞踏せよ』

 彼女の声に従い、死霊は霧散する。彼女が霊体でも問題なく術を行使できることを確認して、アローは呼びだした死霊の群れに杖をかざす。

「剣」

 杖を剣の形状に変化させ。

『死を記憶せよ』

 次の呪文で死霊を束ね、一元化させる。それは人の形を取り、やがて血濡れの甲冑をまとった騎士の姿へと変貌する。

「死霊騎士レヴァナント、汝の敵を殲滅せよ」

 アローが向けた剣の切っ先には、カタリナの呼びだしたグールの群れ。

 死霊の騎士は人ならざる者の咆哮をあげながら、グールへと斬りかかる。通常の物理攻撃ならば効かない不死属のグールも、同じ不死属が霊体で作り上げた剣で斬れば、話は別だ。

 グールにまとわりつかれ、腕を食われ、足をかじられながらも、死霊の騎士は一つ一つ、着実にグールの頭を潰していく。死霊の集合体であるこの騎士は、身体の一部を失ったくらいでは止まらない。

「できそこないとはいえ、私のかわいいエリーゼだったものなのよ。そう簡単に全部殺さると思わないで」

 カタリナが火炎魔術の呪符を放つ。

 ハインツがすぐに聖霊魔法でヒルダと自分を防御するが、その加護はアローの元には届かない。

 ハインツの魔法が届かないのではない。ハインツはアローの元まで魔法を展開しなかったのだ。聖霊魔法は黒魔術以上に、死霊魔術との相性が悪い。聖霊の加護はせっかく呼び出した死霊を送還してしまう。ミステルのように使い魔として契約されているのならともかく、レヴァナントは呼び直しになる。

 それに、そもそもアローは聖霊魔法に守ってもらう必要もない。

『死を記憶せよ』

 アローが呼びだしたのは、罪人の魂と、彼らを焼く贖罪の炎。

 カタリナの黒魔術の炎を、はるかに大きな炎で持って飲み込み、打ち返す。

 草が焼け焦げる匂いと共に、グールの一体が巻き込まれて消し炭となった。自分の身は、死霊が守る。

「そろそろ観念してくれないか、カタリナ。君の妹を救うためにも」

 アローはレヴァナントをどうにか制御しながら、必死にある魂を探していた。

 絶対にこの場にいるはずの死者の魂。カタリナの妹、エリーゼ・バートランの魂を。

(もうそんなに長く持たない。そろそろ見つけないと)

 内心焦りながら、探したその時――大地が、揺れた。

 地震ではない。断続的に、しかし静かな鳴動で地はうねるように揺れて。

「ハインツ、ヒルダを連れて逃げろ!」

 アローは振り返りもせずにそう叫び、自らも剣を使いグールを地道に剣で斬り捨てる。魔法道具でできたこの剣は、聖油を塗った剣と同様に、死霊も斬ることができる特別製だ。ある程度なら、物理攻撃によって対処できる。

 ――早く、早くエリーゼを見つけなければならない。

 生きた者があまりにも死者に執着している場合、死者は安らかな眠りに旅立つことができない。生きている者の方が生命力の分だけ魂の力は強く、引きずられてしまうからだ。

 だからエリーゼは必ずこの近くにいる。カタリナの、すぐ近くに。

 地面がまた揺れた。

 レヴァナントに斬られ、アローの出した炎に焼かれたはずのグールが、再び地を這って寄り集まり、形を成す。

(もしかして、このグールは集合個体か?)

 カタリナはグールを量産したわけではなかった。一つのグールを失敗を重ねつつも諦めきれずに作り直し続けていたのだとしたら。

「ミステル、地下だ!」

 次第に統制を失いつつある死霊たちを、必死に冥府へと送り返していたミステルが、ハッとして振り返る。

 複数いるように見えたグールだが、取り込んだ屍肉を再構成して複数に見せているだけで、実は全て個体だったのだ。本体が別にある。そして、先ほどから地面が断続的に揺れているのは――。

「カタリナ、何をした?」

「私? 私は何もしていないわ。だって、もう私が制御できるようなものじゃないもの、この子」

 そう言ったカタリナは、地面に座り込んでいる。立てないのだ、右足の膝から下がなくなっている。時がすぎるほどに、術を使うほどに、彼女の身体は対価を支払っていくのだ。最終的には、呑まれて消える。魂の欠片すら残さずに。

 地面がうねる。座り込んだ彼女の足元から、手が伸びた。白くて細い、少女の手。レヴァナントの放つ紅い光が、その手をぼんやりと浮かび上がらせている。

 その手が、カタリナの膝を這い上り、栗毛の少女の上半身が土の下から現れる。

「エリーゼ……隠れてなさい」

 カタリナは淡々と、這い上ってくる少女に語りかける。

 少女は答えない。土の中から出てきた少女の下半身は、腐敗した肉の寄せ集めでできている。

(違う、エリーゼじゃない)

 それは、確かに元はエリーゼだったのかもしれない。カタリナが最後まで守ろうとしたものが、このエリーゼ、グールの本体なのだとしたら、素材はきっとエリーゼ本人の亡骸なのだろう。呪いの気配を微かに感じる。

 だが、そこにエリーゼの魂はない。死霊の姿を、本質をはっきりと見ることができるアローにはわかる。その異形と化した人だったものに宿っているのは、少女ではなく。

『死と共に舞踏せよ』

 ミステルが、アローの制御を離れてしまった死霊を使役し、グールの本体を叩こうとする。しかし、少女の背中から『生えた』無数の腕が、死霊をかき消した。

「お兄様、レヴァナントを。私が使える範囲の死霊では、あれは消せません。呪いが深すぎます」

 呪われれば呪われるほど、死霊は死後の安寧から遠ざかり、邪悪に、そして凶暴になる。

「……すまない、もうレヴァナントを制御できる自信がない」

 単純な命令ならまだ戦わせられたが、カタリナからグールの本体を引き離すとなると、難しい。死霊召喚で新しく作り直すのも無理だ。結局、死霊の数が増えるほどアローの制御は利かなくなる。暴走してしまえば、後々面倒なことになる。まず間違いなく、王都にいることはできなくなるだろう。

(それでも背に腹はかえられないか)

 その時。

「フライアの加護よ!」

 ハインツの聖霊魔法が、地を這うグールをアローの作りだしたレヴァナントごと光をもって焼き尽くす。

 撤退したのかと思えば、少し離れた場所で広範囲の聖霊魔法を展開していたらしい。レヴァナントも失ったが、これで本体以外のグールはほとんど駆逐できた。

「君の召喚したレヴァナントも消してしまって、悪かったね」

「いや、助かった」

 とはいえ、アローが使える魔力は限界に近い。無差別な死霊召喚自体はさほど魔力を消耗しないが、制御には恐ろしく魔力を使う。二回目のレヴァナント生成はもちろん、煉獄の炎を呼ぶのも、制御下においては難しい。

 そして、エリーゼの魂のありかがわからない。恐らくグールの本体の呪いが強すぎて、彼女の魂は深い眠りについている。

 対処方法はある。

 カタリナごと、グールの本体を全力で叩けばいい。アローとミステルで、ハインツが浄化の聖霊魔法を行使する間の時間稼ぎくらいはできる。

 ただ、それだとカタリナは死ぬ。確実に。そしてエリーゼの魂も砕け散る。

 二人とも深い呪いに絡め取られたまま、安らかに眠ることなどできなくなる。

(僕は、救うと誓った)

 カタリナのしたことは許されることではない。どんな理由があっても、人殺しにはまちがいないのだ。ミステルも共犯だが、彼女は死という報いをすでに受けている。彼女は最後まで、アローに助けを求めることもなく、その運命を受け入れた。それで罪が消えるわけではない。しかし、現実に彼女はもう呪われていないのだから、少なくとも神と呼ばれる存在は彼女の魂を赦しているのだろう。

 カタリナの罪は重く、死をもっても償いにはならないかもしれない。神すらも赦しはしないのかもしれないが。

「……どうせ、人なんていつか死ぬ」

 戦場で千人を殺した英雄も、妹のために幾人もの少女を殺したカタリナも、どちらにしても人殺しだ。死はどこまでも『平等』なのだから。

「ハインツ、ミステル。無茶だとは思うけれど、少しの間だけ僕を庇ってくれ。僕はエリーゼを召喚する」

「お兄様、それは危険すぎます!」

 止めようとすがるミステルを、手で制した。

 救える範囲は救う。それが、今のアローにできる全てだ。

「だけど、やるしかないのだろう?」

 ハインツが護符を数枚取り出す。ミステルも死霊をいくつか召喚する。

 ハインツはともかく、ミステルはアローの使い魔だ。本人の霊体としての魔力ももちろんあるのだが、その存在はアローの魔力に依存している。つまり、アローの魔力が尽きかけているということは、彼女自身も活動限界が近いと言うことである。

「遺灰に戻ってしまったら、ちゃんと呼び直してくださいませ、お兄様」

「もちろんだ」

 アローは剣を杖の形態に戻し、その先端をカタリナと、カタリナにまとわりつく少女のなれのはてに向けた。カタリナは動かない。彼女の眼は濁っている。グールの本体に、魔力を食われているのだ。

 目を閉じる。

(名前は、エリーゼ。エリーゼ・バートラン。公爵の娘。栗毛の髪、歳は十六か七くらい……)

 青薔薇館で聞きだした情報と、今目の前にいる『エリーゼだったもの』を元に、生前の姿を瞼の裏に思い浮かべる。

(カタリナの腹違いの妹、死因は病気……)

『違うわ』

 答える声があった。

『私、兄さんに呪われたの。カタリナ姉さんの店から持ちだした道具で。下の兄さんが、私を王族に嫁がせる話をまとめようとしたから、邪魔をして』

(君は、エリーゼか?)

『そうよ。エリーゼ・バートラン。ありがとう。私、ずっと出てこられなかったの』

 栗毛の、優しげな容貌の少女だった。カタリナとは似ても似つかないようにも見えたが、腹違いなのでこんなものかもしれない。

『カタリナ姉さん、自分の集めた道具で私がこんなことになったから、責任を感じて……私のために』

(そうか、君も辛かったな)

『いいの。私はもう。それよりも姉さんの魂を救って……このままじゃ、姉さんは煉獄に連れて行かれてしまうわ』

(それは――)

 突然、エリーゼの姿がぐにゃりと歪む。

 アローはハッと目を開いた。

「お兄様、逃げてっ!」

 ミステルが叫び、ついに魔力が尽きたのかその姿がぷつりと掻き消えて。

 アローの目の前にはカタリナから奪った魔力で再びよりあつまったグールの群れが押し寄せている。

 アローの魔力はほぼ尽きている。制御ができない。でも、このグールを倒さなければ、王都が危ない。カタリナはもうこの化け物を抑える力を失っている。ハインツの聖霊魔法なら何とかなるかもしれない。しかし、いくら彼が絶大な加護を得ていると言っても、一人でこの呪いの塊のようなグールを祓うには相当時間がかかる。その時間を作れるほど、アローには余力がない。ミステルももう、遺灰に戻ってしまった。

「……ハインツ、最悪の時は『殺してでも』止めてくれ」

 ひとつだけ、方法はある。

 自分にだけ使える最大の切り札。

『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』

 杖にすがって、渾身の力を使って叫ぶ。

 地面が紅く紅く燃えて、死霊が一斉に湧き上がる。

 死霊を呼び出すだけなら、魔力はほとんど必要ない。アローはそういう風にできている。この力のために、森の奥に引きこもっていた。

 だけど、今は――。

『敵を滅ぼせ』

 それだけ命じて、アローは制御を手放した。

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