第24話 生ける死者の王
世界が紅く染まっている。
草のように炎が揺れる大地。夕焼けよりも紅く、今にも血がしたたり落ちてきそうな空。風の音のかわりに聞こえるのは、開かれた冥府の門に群がるおびただしい数の死霊の声。
苦しく、哀しく、懐かしい世界。
アローがまだ幼かった頃は、少し目を閉じて、もう一度開くだけで、世界は紅く染まった。師匠に『正しい世界の見方』を教わるまで、紅い世界はつねにアローの隣に居座っていた。
(……ダメだ、ダメだ。完全に制御できなくても、少しくらいは抑えないと。ミステルもいない。ハインツが場をおさめられるとは限らない)
死霊は制御していなくても、ある程度はアローの命令に従う。だからグールは倒せるはずだ。問題はその後だ。アローには、全てが終わった後に死霊を冥府へと送還するための魔力が残されていない。
――この世界は生きている人間が思っているよりもずっと、死に満ちている。
人が生活している場で、近くで、誰も死んでいない場所などほぼ存在しないだろう。事故で、病気で、あるいは自殺や他殺で、人はたやすく死に至る。動植物も含めてしまえば、おびただしい数の死骸の上に、人々は生きている。
そして、その満ち溢れた死を、その死が奪った魂を全てをこの場に呼びだそうとすれば、世界が紅く染まる。特に人の命は紅い。
怨嗟、悲嘆、羨望、懐古、絶望、諦念、切望、孤独。
紅い世界に唸るような声が鳴り響き、『外』の声は何も聞こえない。
――七年前。
ヒルダと一緒に誘拐犯に捕まった時、アローは深いことは何も考えずに、死霊の力を借りた。その結果、一帯には死霊が溢れ出し、師匠が止めに来るまで教会の聖霊魔術師が出動する事態にまで陥っていたという。
あの時は師匠がいたから良かった。だが、今はいない。
人を食うグールと、ひとまず簡単な聖霊魔法である程度対処できる死霊を天秤にかけて、あえて制御を放棄した。だが、最悪の場合アローが死ぬまで死霊の召喚がとまらなくなってしまう。ハインツの活躍を祈るより他にない。
(ヒルダには怖い思いをさせてばかりだ)
彼女が死霊を苦手とするようになったのは、七年前の自分の失態のせいだ。それなのに、こんなことに付きあわせて、結局こんなことになって。トラウマの上塗りだ。
(彼女に謝らないと……)
そもそも、自力でこの死霊を収めて戻る方法を考えないことには、謝るもなにもないのだが。
アローが意識を保っている限りは、死霊たちは命令したもの以外は襲わない。アローが意識を失って、かつ死んでいない状態がいちばんまずい。死霊たちが命令を見失って、思い思いの行動を始めてしまう。
遺体などを使って正式な手順を使って呼びだした死霊とは違い、アローが自分を媒介にして引きずり出した死霊たちは、機会さえあれば生きる者の世界に這いだし、侵入しようとしている強い執念をもった亡霊だ。グールよりはマシというだけで、あの量を野放しにするわけにはいかない。
(杖を……杖は、どこ、だ……)
手には何も持っていない。自分の手がどこにあるかわからない。
紅い、紅い、紅い。身体が紅い世界の一部になって、溶けてしまったように。
(ダメだ……引きずられてる)
死霊に身体を乗っ取られかけている。魔力があと少しでも残っていれば、どうにかできたかもしれない。こんなことなら、ミステルがまだ召喚できている段階でどうにかするべきだった。
どこに誰がいるのかももう、わからない。
「ハインツ! 僕を殺せ! 今すぐに!」
力の限り、叫ぶ。少なくとも、今アローが死ねば、死霊は抑えられる。
あとのことは彼だけでも対処できるはずだ。だから――。
「その必要はないわ」
突然、紅い世界が引き裂かれた。
月明かり、草をちりちりと焦がす炎の名残。制御を失った死霊たちが寄り集まり、全てを呑み込んでいく。
その光景を前に、彼女は立っていた。アローは呆然として、彼女が地面に突き立てた剣の切っ先を見下ろす。
アローの身体にまとわりついていた死霊が、聖油をまとった剣に貫かれて、苦悶のうめき声をあげながら地に還っていくところだった。
その場に座り込んで、アローは目の前にいる少女を見上げる。
「ヒルダ……」
「剣で斬れるものなんて……何も、怖くない」
自身に言い聞かせるように何度も言っていたその言葉を、彼女は改めて口にする。その声がまだ震えていることには気づいていた。それでも、彼女の手はもう震えていない。
「アローが死ぬ必要なんてないわ。私は戦女神よ。友達くらい守れる」
ヒルダが駆ける。襲い来る死霊の群れを斬り捨て、地を蹴り、襲い来るグールを迷いもなく斬り捨てる。
「ヒルダ……君がそこまでする必要なんて……」
「私が何のために剣を手に取ったと思ってるの? 守られる必要なんてなくなるようによ。むしろ私が守れるように、よ。だから今は私に大人しく守られてて!」
振り返りもせずに彼女は、今後は統制を失い暴れ狂う死霊を両断する。
まるで踊りを踊っているかのように、鮮やかな動きだった。
紅が散っていく。
彼女が剣を振るった後に、道ができていく。
まるで、戦場で兵を鼓舞する戦女神のように、その美しい剣閃が死霊を還していく。
「アロー! とりあえず何を斬ればいいのかだけ教えて!」
ヒルダの声に、アローは慌てて返事をする。呆けている場合ではない。
「まずカタリナについているグールを倒してくれ! 頭を狙うんだ」
「わかったわ。思ったよりも簡単で安心した」
ヒルダの行動は早かった。同じ標的に近づくヒルダを敵とみなしたのか、死霊の群れから一部が離れ、ヒルダに向かって襲いかかる。それを彼女は難なくかわし、斬り捨て、死霊と争って肉の半分が溶けているグールへと肉薄する。
そこまで、わずか数秒。
柄でグールの頭を突き飛ばし、カタリナから離れたところで首筋に剣を突き立てる。
耳を引き裂くような断末魔とともに、グールの身体が肥大化し、ごぼごぼと泡立ち、崩れ落ちた肉と骨が地面でのたうちまわる。
「う、うわ……あっ、これ、これっ、斬らないとダメ!?」
若干素に戻ったヒルダが慌てふためいたが、彼女が行動に移すよりも早く、死霊たちがその残骸に食らいついていた。
「あーっ、やだ、やだ、ひゃああああっ」
口では悲鳴をあげつつも、ヒルダはまだ残っていたグールの残骸をひとつずつ剣を突き刺していく。情けない悲鳴をあげているのに、着実に一撃で仕留めていくあたり、さすがの戦女神様である。
「さて、そろそろ私の出番かな」
気が付くと、ハインツがアローの隣に立っていた。
彼の護符を数枚取り出すと、地にばらまく。
「……いやぁ、ヒルダ君も何とか立ち直ってくれてありがたいね。さすがの私も、君を手にかけるのはためらわれた」
「…………ためらわれた理由は聞かないでおこう」
「邪推しないでくれないか。私は君の味方だよ、今のところはね」
ハインツの放った護符から光が放たれる。
「だからこれは貸しにはしないでおくよ、安心したまえ――フライアの加護を!」
アローが死霊をあえて暴走させたその時から、彼はこの聖霊魔法を組み立てていたのだろう。護符から放たれた光が巨大な円陣を描き、暴れる死霊たちを呑み込んでいく。
紅い光と白い光が混ざり合い、死霊たちがその光の中にゆっくりと溶けて、消える。
聖霊による亡霊の異界送還魔法だ。この規模で展開しようと思えば、本来なら最低でも数人の術者が必要となる。祈りの時間は、大人数用意しても数十分かかるはずだ。
「君の聖霊魔法はでたらめだな」
「いやいや、それはアロー君にだけは言われたくないな。君の死霊術は死霊術の枠を逸脱しすぎだ。君は冥界の門番の生まれ変わりか何かかい? さしずめ生ける死者の王といったところか」
「さぁ? 僕にもわからない。僕がどうしてこういう風に『生み出された』のか」
ゆっくりと光の粒が月夜の薄闇に溶けて、後に残されたのはアローたちと、カタリナ、そして一人の死霊――エリーゼ・バートラン。
「カタリナはまだ生きてるな」
アローが尋ねると、エリーゼは少しだけ困ったようにうなずいた。
『ええ、まだ……時間の問題だと思うけど』
カタリナの身体は、すでに腰より下が存在していない。グールに食われたのか、それとも今までミステルに肩代わりさせていた対価が、ここにきて全てカタリナの元へと向かったのか。
どちらにしろ、彼女は長く生きられないだろう。カタリナもそれがわかっていたので、逃げずにアローと相対した。
かつては確かにエリーゼだったものを、守ろうとして。
アローは杖をついて、重い身体をひきずりながら彼女に歩み寄る。
「カタリナ。何か言い残すことは」
カタリナは苦笑しながら、濁った目をアローに向けた。
「……ないわ。本当、嫌になっちゃうわね。その辺の死霊をぜーんぶ無条件で従えるなんて、何なの、アロー君」
「僕が何者なのかは、僕自身もわからない。だから答えることはできない」
「君は生きながらにして死者の王にだってなれるってことよ」
「普通に制御できていなかったし、普通に乗っ取られかけたが。死霊が無条件で従うのは僕が僕である間だけだ。だから残念ながら、そんな大層なものじゃない」
何せ、ヒキコモリである。
静かで孤独な森の中が、今はこんなにも懐かしく、遠い。
「……でも、君にエリーゼと話す時間くらいはあげられるぞ」
魔力はすっかり尽きているが、アローは元々魔力なんて使わなくても死霊を見て、話せる。カタリナの手をそっと握ってやるだけでよかった。そうするだけで、彼女にもエリーゼが見える。
『カタリナ姉さん』
「エリーゼ……ごめんね……私、エリーゼを生き返らせたかっただけだったのよ。最初は本当に、それだけだった」
『それを私が望まなくても、ですか』
「そうよ。憎んでくれてもいいわ。私、こんなことになってもあんたを生き返らせようとしたこと、後悔していないもの」
ただ、大切なものを取り戻したいだけ。
たったそれだけの願いを、『死』は無慈悲に切り裂く。
生きている者は皆、自分もいつかたどりつくその終りを、受け入れることも待ち望むこともできない。
『憎みはしません。ただ、同じ場所に姉さんが来てくれないことだけが哀しいです』
「そうね、私は……ずいぶん、呪われたものね」
呪いをかけた分だけ、人は呪われる。カタリナは死してもなお、呪いの対価を払い続ける。魂さえも対価とされ、安寧の地へ旅立つことはないだろう。
「私にはお似合いの最期だわ」
自嘲めいた声音でそう言って、ふと思い出したように彼女はアローを見つめる。
「アロー君、ミステルちゃんを怒らないであげてね。彼女に取引を持ちかけたのは私の方よ」
それが彼女の最期の言葉だった。
カタリナ・ワルプルギスの身体は、呪いに呑みこまれて、闇の中へ消えて行った。
◆
カタリナが消えたその場所をじっと見つめていたエリーゼは、ふと決意を固めたようにアローを振り返った。
『ありがとうございました』
エリーゼはそっと頭を下げ、その姿は闇の中へと溶けて消える。
「あ、ああ、あれ、どこに行ったの?」
すっかりいつもの調子に戻ってしまったヒルダがあわあわしながら指をさしたが、アローにもその質問に答えることはできなかった。
彼女は死者がゆくべきところにはいかなかった。それは確かだ。
「多分、だけど……カタリナを追いかけたんだと思う」
それが意味するところがわからないほど、ヒルダは鈍くない。怖さよりも複雑さの方が勝ったようで、急にしゅんとしてしまった。
「それじゃ救われなかったってこと?」
「望んで選んだんだから、あれが彼女にとっての救いだったんじゃないか」
たとえその先に得るものはなかったとしても。
彼女を引き留めることは、アローにだったらできただろう。だけど、カタリナの犯した罪を知った上で、共に逝くと決めたエリーゼを止めるのは無粋だ。
「運が良ければ、呪いから解放されることもあるだろう」
「う、運なの?」
「ああ、運だ」
口ではそう言ったが、そんな運はほぼ存在しないものと同義。カタリナがしたことを思えば、当然の結果といえないこともない。
「呪殺事件の首謀者でも、戦乱の英雄でも、人の命を奪うことに差があるわけじゃない。人はその命を奪った分だけ、等しく裁かれるべきだ……本来はね」
「それはそうかもしれないけど……」
「人間への贖罪は死によって断絶するが、悪霊に支払う対価はその人間の死を問わない。対価を支払い終えるまでに魂が少しでも残っていれば、長い時をかけて浄化されて、逝くべきところへ逝けるかもしれない。そういう『運』があれば。なければ、悪霊の一部になっておしまいだ」
「えっ、じゃあ、エリーゼさんは?」
「彼女がいったことで、カタリナの支払う対価が少しでも減れば、『運』が残るかもしれない。それは『救い』ではないのか?」
エリーゼは冥府での安寧を拒み、いまだ生きている自分を殺した兄を憎むでもなく、ただ自分のために罪を犯したカタリナのために消えた。それが彼女の救いだというのなら、アローがそれをどうこう言う筋合いはないと思う。
「それに、カタリナのやったことが許されるとは思わないが、僕としては多少の救いくらいは残っていてほしい。エリーゼのためにも…………友人としても」
カタリナが相談していた相手が、ミステルではなく自分だったらどうだっただろう。
アローはあの森を、ミステルとの暮らしを守ることにそれほどの執着はなかったし、せいぜいエリーゼが安らかに旅立てるように呪いの後始末をしたくらいだろう。
ミステルが関わらなければ、カタリナはここまでできなかった。そういう意味では、ミステルも罪は重い。罪は重いが、結局彼女も死んでいる。アローが引きとめているだけだ。アローが手を離せば、彼女はたやすく消える。そんな存在に報いを受けさせるなんて馬鹿げている。生きている人間の方が強いのだ。
死は平等に、その魂から権利を奪う。償う権利さえ、奪う。
ただそれだけのことなのに。
「何で君が泣くんだ、ヒルダ」
「……もっと、もっと何とかできなかったの、って。最初に、エリーゼさんが殺された時に、誰かが気づいてればとか。そしたらカタリナさんも、ミステルさんも……誰も死ななかったかもしれないのに」
「気づいていたとしても、相手が公爵家だからねぇ。教会もおいそれと手出しできないし、家の中でのことだから、せいぜい暗殺の可能性があるものの詳細不明、で片づけられたと思うよ」
ハインツが至極現実的なことを言う。
実際、そうやってエリーゼの不審な死は握りつぶされたのだろう。それが、カタリナを凶行に駆り立てた。
公爵家内部のことには、公爵家で片をつけるしかない。そして、公爵家の関わったことには、教会や騎士団は消極的になる。そう実体験をもってわかっていたからだ。
「それでも、こんなに人が死ぬ前に何とかできたんじゃないの?」
ヒルダがぽろぽろと涙をこぼすのを、アローはどこか羨ましく思いながら見つめる。
アローは、今まで死に対して鈍感だった。
物心ついたころから、死者があまりにも近くにいすぎたせいだ。
ミステルが死んではじめて、死という断絶の現象を受け入れざるをえなくなった。それすらも、約束があったとはいえ結局ミステルの魂を呼び戻しているのだから、全てを受け入れているとは言い難い。
死者はすぐそばにいる。別れはあっても、触れることが叶わなくても、すぐそばに。その透明な隣人が、他の人間にとっては存在すらも感じ取れないものだということに対して、鈍感すぎたのだ。
人は、死を、永遠の別離を悲しむ。
たとえそれが少し話しただけの相手でも、一時は自分の命を狙った相手でも、その魂の救いを願って泣けるヒルダの優しさが、うらやましい。
アローは死んだ人のために泣くことはできない。ミステルが死んだ時ですら、涙ひとつ流さなかった。
死は断絶であっても別離ではない。アローにとってはそうだった。
そこにいるけどいない。いないけどいる。そういうものだったからだ。
(僕は結構、ひとでなしなのかもしれないな……)
微かに自嘲を漏らす。
ひとまず、反省は後だ。今はやらなければならないことが残っている。
残っているのだが……。
「ヒルダ、ハインツ。多分、この屋敷の地下には、カタリナが呪術に使っていた隠し部屋があると思う。あのグールはそこから這い出してきていた。対処は君たちに任せる。被疑者行方不明だからな」
それだけ伝えると、アローはぱたりと大の字になって地面に倒れた。
「アロー、大丈夫?」
「大丈夫じゃない。もう一歩も動けない。魔力も体力も残ってない」
いくら死霊召喚にさほど魔力を割かなくていいといっても、あれだけ魔法を連発すればこうなるのは至極当たり前だ。正直に言えば、意識を保っているのも限界に近い。
「ちょっと待って、アロー。私、この状況どうやって収拾つければいいの?」
公爵邸の庭を大蝙蝠の死骸であふれさせ、裏庭を半壊させ、公爵邸の壁にも戦いの余波で破損多数。犯人が公爵家の人間と言うことで、協議して穏便に揉み消すことになるのだろうが、騎士としてはまだまだ下っ端の方であろうヒルダが事の顛末を報告するのは、荷が重いだろう。
「じゃあ、ハインツ、頼んだ……」
「いや、待ってくれ、この後始末を私がするのか。これは騎士団の管轄だぞ」
「面倒なことは全部騎士団に押し付けないでください、カーテ司祭!」
ギャアギャアと言い争う二人の声を聴きながら、アローは目を閉じる。
森から出て、自分は結局何ができたのだろう。
死んでしまったミステルを、現世に取り戻したかった。
理由だけ言ってしまえば、自分だってカタリナと大差はない。ただ、アローの方がカタリナよりも具体的な方法を知っていて、目標に近い結果を得るだけの技術を持ち合わせていただけだ。
一歩間違ったら、自分もカタリナのようになっていただろうか。
(……いや、きっとそうはならなかったな)
七年前、一度間違った。
不用意に死霊を呼び出し、途中から死霊に身体を乗っ取られて暴走し、異変を感じてやってきた師匠に止めてもらってことなきをえた。
それから森に引きこもって。
師匠がいなくなったのは、五年目のある日だった。
「これから少し旅に出る。また会う時まで、達者で暮らせ」
師匠はどこにいくとも、いつ戻るとも言わなかった。――森を出るな、とは言わなかった。
自分もミステルも、森を出ないでひっそりと生きるという手段にとらわれ過ぎていた。いつでも森を出て良かった。よくよく考えれば、師匠はアローたちがどこにいても、その圧倒的な魔法の力で居場所を探し出せたはずなのだから。
もしかすると、今回のことも世界のどこかで、魔法を使って覗き見ているのかもしれない。
今回、師匠は来なかった。
少なくとも、アローのことはもう放置していても大丈夫だと、判断したと言うことだ。だからきっと、師匠が信用してくれる程度には自分は上手くやれているのだろう。
(眠って、起きて……それからミステルを呼び出して……それから)
それから、どうしよう。
可能性はいくつもある。アローは生きている。死と言う隣人と背中合わせで、それでも自分が見ている世界は今、紅く燃えていない。
「ねぇ、アロー! ここで寝ないで! せめて宿屋まで頑張って! ねえってば!」
ヒルダの声を遠くに聞きながら、アローは深い眠りに落ちて行った。
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