第22話 命あるところのどこにもない場所
カタリナは笑う。
「アロー君は優しいから、きっと私を殺せないでしょう? そこの司祭さん、騎士さんもそう。私が公爵家の人間だから、なるべく死なせたくないはずよ。死ぬんだったら事故っぽく都合よく死んでくれないかなー、とか思ってない?」
「うむ、寸分の違いもなくそう思っているよ。君とは気が合うかもしれないな」
ハインツが悪びれもせずにそう答えると、カタリナは笑顔から一転、しかめ面を作った。
「いやよ、私は腹黒い男は嫌いなの」
「これはこれは、フラれてしまったな」
「この状況で軽口叩く神経には感服するぞ、ハインツ」
アローは呆れ半分、感心半分に口を挟む。
「ひとつ勘違いをしているぞ、ワルプルギス――いや、カタリナ・バートラン。僕だって優しくする相手くらい選ぶ。現に、ここにいるハインツに優しくした覚えはない」
「そりゃあ男だったら誰しも、優しくされるなら女性にされたいだろう」
「君と一緒にするな。割と深刻に迷惑だ」
「そんな話をしてる場合ですか!」
ヒルダの叱咤が合図となったように、カタリナの左手から呪符が放たれた。
「フライアの加護をここに!」
ハインツも護符を放つ。カタリナの放った火炎魔術の呪符は、ハインツの聖霊魔法で相殺される。しかし、すぐにカタリナはもう二枚呪符を取り出して、放つ。
ハインツの魔法は、聖霊魔法としては特異な即効魔法だが、攻撃と防御を同時にこなすほどの効果はない。弱い魔法だからこそ、ハインツの有り余る加護のおかげで即時発動できているだけだ。とりあえず弾ければ良く、討ち漏らしてもヒルダが対処できた大蝙蝠とは違い、個人同士での魔法対決だと分が悪い。
もちろん、その対処はアローの役目である。
「死を記憶せよ」
アローは杖で地面を突き、呪文を唱える。土を突き破って顕れたのは小動物と思われる骨だ。それはカタリナが発動させた呪符へと降り注ぐ。呪符による即効黒魔術は、術者本人よりも呪符にこめられた魔力を原動力とする。つまり、呪符そのものが消滅すれば、魔法の効果も消えるのだ。仕組みさえ分かっていれば、アローが小手先程度に使う死霊術と黒魔術の複合技でどうにかなる。
「さすが大魔法使いクロイツァの弟子ねぇ。こんなショボいのじゃやられてくれないんだ」
「君の専門は占いだろう。非戦闘員が無茶をするな。人の話は最後まで聞け。……それと、師匠が君にまで大魔法使いなんて呼ばれていたことに、僕は割と素で驚いている」
魔法どころか体術や剣術に至るまで仕込まれたアローにとって師匠は、「本業のよくわからない何かすごい人」である。一応黒魔術が本分というのが本人の証言だが怪しいものだ。
――それはともかく。
アローはちらとミステルを見やった。彼女は、アローとカタリナのどちらに手を貸すか迷っているようにも見えた。
「ミステル! 来るんだ」
アローは義妹を呼ぶ。
呼ばなくても、魔力を込めて命令さえすれば彼女は瞬時にこちら側につくだろう。彼女は使い魔で、最終的に主人であるアローに逆らえない。感情ではなく習性として、そういう存在だ。
だが、アローはあえてそれをしなかった。
ミステルは、恐らく自分が呪いに負けて死んだら、カタリナが理由をつけて遺体を引き取りにくるつもりだったことに気づいていただろう。だからこそ、自分の遺体の使い道をアローに委ねたのかもしれない。もちろん、アローを想ってのことでもあっただろう。だけどきっと、最後の抵抗として彼女はアローが遺体を焼くように仕向けた。
ミステルの真実を知らなければならない。どうしてそこまでして、カタリナに手を貸さなければならなかったのか。アローはそれを、理解する必要がある。
彼女の主として――何よりも、たった一人の家族として。
「赦して下さい、お兄様」
「赦すか赦さないかの問題なら、それは僕が裁くことじゃない。国も、神と呼ばれるものでさえも、死者に罰など与えられない。ミステル、お前を赦していないのは、僕じゃなくてお前自身だ。僕がお前にできることは赦すことじゃない」
死とは断絶である。死とは孤独である。死とはそれらによって作られた永遠である。
死霊魔術ですら、その断絶から死者を完全に連れ戻すことはできない。死者は死者であり、生者にはならない。
永遠に囚われた者に生者と同様の罰を与えても、何の意味も成さないのだ。彼らには償いの先に何もない。極刑に処された咎人も、死によって赦される。死という永遠よりも重い刑は存在しない。少なくとも人間の国の法では。
「ミステル……僕は君を赦すんじゃない。救いにきたんだ」
「……っ!! だめなんです!!」
ミステルは絞り出すような声でそう叫ぶ。
「私は、お兄様が思っているような、いい妹じゃないんです。お兄様のことだけが大事で、他の人間なんて……お師匠様のことですらどうでもよくて……お兄様のためだって思えば、呪殺にだって手を貸しました。お兄様のためになんてきれいごとを言って、お兄様に全てを知られるのが怖くて、だから私なんて救わなくていいんです!」
「ミステル……」
ミステルは泣きそうな顔をしていて、だけど泣きはしなかった。霊に涙などない。
彼女は、アローのために、と言った。
呪殺に手を貸したのも、カタリナが犯人だということを隠したのも。カタリナと取引をしてまで、彼女がアローを守る方法は――。
「そうか。黒き森の管理者は、バートラン家だったな」
「あら、アロー君、ご理解が早くて助かるわぁ。もうちょっと鈍かったら、お姉さん、気を使ってネタ晴らししてあげたのに」
「必要ない」
「なーんだ、つまらない」
ミステルはアローの住む黒き森を守るために、カタリナに手を貸した。
恐らく、条件は黒き森に手を加えず、人を近づけないこと。カタリナならばそれができる。腹違いの弟たちにどれくらい話を通せるのかは別として、彼女だったら何らかの強迫材料を作って意のままに動かすくらいはやるだろう。
ミステルの望みはとてもささやかなものだった。あの暗い森の奥で、いつまでもアローと一緒に穏やかに過ごしたかった。きっと、それだけだったのだ。
「黒き森の管理権は王領にもあります。バートラン王家だけの采配でどうにかできるわけではないはずですが」
ヒルダの言葉に、カタリナは肩をすくめる。
「黒き森には資源の山が眠っているわ。森を越えた先には手つかずの鉱山。街道が整備されたら、交易も便利になる。バートランもそう簡単には譲らない。もめごとひとつで数年事業が停滞するなんてよくある話じゃない? でも、私はそんなのどうでもいいの。ミステルちゃんはアロー君と仲良く暮らせばいいと思うし、私はかわいい妹のエリーゼが戻ってくればそれでいいわぁ」
妹。カタリナにも妹がいた。腹違いで、家督争いに巻き込まれ、若くして死んだ。
彼女の語る言葉を、青薔薇館で聞いた情報と擦りあわせながら、アローはすんなりとミステルの『理由』に納得した。
アローが森に引きこもっていたのは、人に会わないためだ。持て余した霊媒体質を気にせずに、自由に、誰にも迷惑をかけずに過ごせる場所が、森の奥にしかなかった。少なくとも、アローが子供の頃には。
ミステルはその場所で一緒に育った。二人で狭い世界でいきていたから、あの世界を守ることだけが全てになってしまったのだろう。
アローが、頑なに師匠との約束を守っていたから。
ミステルと二人だけの世界に甘えきっていたから。
だから、アローもミステルも、二人で同じようにして、間違った。
本当は何も禁じられていなかったのに、箱庭のような世界に閉じこもった。
「馬鹿だな、ミステル。結局僕は森を出たし、そりゃあ不審者がられたり牢獄につっこまれたりはしたけれど、ヒルダと話したり、服を着替えたり、宿に泊まったり、娼館が何なのか知ったり……それでも、全然平気だったじゃないか」
師匠がすぐそばで見届ける必要がないと判断したその時から、二人には無限の可能性が与えられていたのに――全て壊してしまった。
「でも、お兄様……ああ、お兄様」
ミステルはその場にへたり込んで、兄を見つめる。
「私を……捨てないでください」
「どうしてそんなことを思ったのかしらないけど、僕はお前を捨てたりしないよ」
「使い魔だからですか」
「家族だからだよ」
それは、彼女の望む答えだっただろうか。わからない。
だけど、アローにとってミステルは、ただ唯一の存在で、どうしても捨てることなどできないものだった。
「死とは断絶、孤独、だけど生者はそこまで割り切れない。死を受け入れることは、こんなにも難しい。続いている未来に、続かなかった未来を重ねてしまうんだ。多分人間は全て、そういうものなんだ。そこにいるカタリナだってそうだろう」
急に話の矛先を向けられ、カタリナは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「あら、アロー君ってば、私も救うつもりなわけ?」
「悪いが、そこまでは責任を持てない」
ミステルを救う。それは必ずしもカタリナを救うことにはならない。
――救うことができればいいのだろうが、どうすれば救えるのかもわからない。だから、アローは自分の手の届く範囲を救う。
カタリナはアローの言葉を、拒絶と受け止めたようだ。「ふーん」とつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「なーんだ、残念。あ、今からでも協力する気ない? もちろん、ミステルちゃんのための遺体だって調達するし。アロー君の死霊術を貸してくれるなら、死んでとか言わないから。まぁ、そこの司祭とヒルダちゃんは死んでもらうしかないけど」
「カーテ司祭はともかく、私を巻き込まないでください」
「いや、私も巻き込まないで欲しいのだが」
ヒルダが聖油をまとわせた剣を構える。ハインツも、護符を数枚取り出した。
「アロー、気を付けて、何かくるわ」
「あははは、ヒルダちゃんすごいわ。さすが戦女神様。本当はこの子たちが目覚める前に、私は逃げておきたかったけど、いいわ。見届けてあげましょう」
カタリナは嗤っている。死霊術師と、聖霊魔法師と、戦女神と呼ばれる騎士を前にして、何も恐れることなどないとでも言いたげに。
地面が、ごぼり、と。
まるで溶岩のように泡立った。ごぼり、ごぼり、ごぼり。
ある場所からは人の腕が。
ある場所からは乱れた頭皮と髪の毛だけをまとった頭蓋骨が。
ある場所からは蛇の尾が。狼の腕が。巨大な目玉が。蝙蝠の羽が。
それら全てが、腐臭を放ちながら地面から湧きあがり、ぐねぐねと動き、巨大な塊になって、それはやがて上半身だけが少女の姿を形作っていく。だが、それも長くはもたず、耳が落ちては拾い、目玉が落ちてはかき集め、と繰り返しながら蠢く。
「……カタリナ、これは何だ」
アローの問いに、カタリナはまるで愛しい者を見るかのような眼差しで腐った化け物を見つめながら、答える。
「私の妹のなりそこないよ」
「そうか。わかった」
アローは目を閉じる。そして、開く。
紅い光を宿した目で、カタリナを見つめる。
「それじゃあ、僕がこれから君の妹を救ってやろう。ミステルのついでで悪いけれどね」
「救う、ね。悪いけど無理よ。言ったでしょ? この『妹』たちはできそこない。妹の魂なんて宿っていないわ。あんなにたくさんの娘の魂を手に入れても、金にものを言わせて死体をかき集めても。アロー君、さっき私のことは救えないって言ったじゃない」
「責任を持てない、と言っただけだし、君を救うとも言っていない」
アローは粛々と訂正して、眼前に現れた『それ』を観察した。
異形の怪物は、ぼとぼとと肉片をこぼしながら首をもたげる。
(不完全なグールの寄せ集め、といったところだな)
腐乱しながらも見境なく動き回る生ける屍、いわゆるゾンビとは違い、グールはある程度意志を持ち、一見すると人間のようにも見える。
完全に死者を生き返らせる術はない。それは生まれつき死霊を自在に操ることができる、アローにすら無理なことだ。
そして、死んだエリーゼは特別な魔術の素養などはなかっただろうから、ミステルのようにしっかりとした自我を保った霊魂にはならなかっただろう。その上、カタリナは死霊術や呪術は本来専門外。
恐らく、カタリナの要望をある程度叶えられる折衷案として、ミステルはエリーゼをグールにすることを提案した。特定の魂を確実に呼び出すことは、アローならともかく、ミステルには難しい。もしエリーゼが呪殺であったのなら、呪いの残滓が残っているであろうからなおさらだ。だから、まずは外見だけでもエリーゼに近づけるようにした。
グールには定期的に人の血肉を与えねばならないし、付け焼き刃の知識でできるものではない。ミステルがどこまで力を貸したのかはわからないが、カタリナは幾度も失敗を繰り返し、この怪物を量産してしまった。
「大食らいで困るのよね。だから眠らせておいたけど、もういいわ。ここを離れる前に処分しなければいけない子たちだったから。不肖の弟たちを脅す材料くらいにはなってくれたし?」
カタリナの店にはグールを作れるほどのスペースはない。恐らく、バートラン家は彼女の行いが明るみに出ないように、協力していた。弟たちはきっと不本意だったのだろうが。
呪いで若い乙女の魂や生命力を奪い、時に遺体を秘密裏に入手して、――恐らくは明るみにでなかっただけで、アローたちが把握しているよりもずっと多くの少女たちを犠牲にして、この怪物が生まれた。
「ところでカタリナ。大蝙蝠の大量召喚と簡単な呪詛で右腕を失っている今の君に、このエリーゼもどきたちを制御できると思えないんだが、止めた方がいいんじゃないか? 下手をすると死ぬぞ」
「別にいいわよ、死んでも」
カタリナはケロッとした様子でそう答える。
「死んだらエリーゼのところにいけるわねぇ」
「司祭として言っておこう。罪人と善人が同じ場所にいけるなどという幻想は捨てておいた方がいい。フライアは自由奔放な女神だが、罪を推奨する神ではないからね」
「……つまらない男ねぇ」
ハインツがカタリナの注意をひきつけているうちに、アローはちらりと横目でヒルダを見る。グールは不死属だ。通常の剣の攻撃では死なない。聖油を用いているのでその辺りは大丈夫だろうが、むしろ問題になるのは彼女の精神状態の方だ。
「大丈夫……大丈夫……剣で斬れる。怖くない。大丈夫。剣で斬れる……」
剣を構えて固まったまま、ぶつぶつと呪文のように唱え続けている。全く大丈夫ではない。
(ヒルダにこれ以上無理をさせるのはダメだな)
カタリナは開き直って逃げることをやめているし、この出来そこないのグール達をどうにかしなければ、エリーゼを救うも何もない。
カタリナがすぐにグールをけしかけてこないのは、まだ何か守りたいものが残っているか、純粋にグールを使役するだけの『対価』が不足しているか。
前者ならばなんとかして彼女にそれを出させるしかない。前者でも後者でも、カタリナが全てを放棄してグールを野に放てば阿鼻叫喚間違いなしだ。グールは人を食う魔物だ。できぞこないでも、そこは変わらない。
「死を記憶せよ」
杖で地面を突く。恐らく周辺で死んだ小動物の骨であろう。無数の小さな骨の集まりが矢になってグールに降り注ぐ。しかし、不死属な上に、元々きちんとした形を成すことすらできていない存在では、足止めにもならなかった。崩れ落ちた腐肉が、土の上でぶきみなあぶくを立てる。
墓地の時とは違い、制御がしやすい骨を使うだけでは対処できない。そしてハインツの護符による聖霊魔法は、カタリナが使う呪符とは相性が悪く、相殺しかできない。彼が上位の聖霊魔法を使うだけの猶予を作りだすには、ヒルダに頑張ってもらうしかないが、彼女にグールを相手にして大蝙蝠の時と同じ立ち回りをすることを望むのは酷だろう。
そうなると、自然と使える手は限られる。
「アロー君、かっこういいこと言ったけれど、手詰まりかしら? ここは墓地みたいに死霊を使い放題じゃないものねぇ」
カタリナはにたにたと笑っている。もう失うものがないから、本当にどうでもいいいのだろう。
しかし、アローは天性の死霊術師である。
この程度で手詰まりになることなど、ない。
「君は少し勘違いをしている。死霊なんて別に墓地にいかなくても、本当はそこらじゅうにいる。特定の人物を呼び出すつもりならともかく、ただ死霊を呼び、力を借りるのはどこでもかまわない」
確かに、骨や死体を直接使おうと思えば、墓地が最適だ。大蝙蝠の時は単純な物理攻撃が効く相手だったから、骨だけでどうにかできた。グールはそんな小手先の魔術ではどうにもならない。だが、方法がないわけではない。
アローが骨を使役するのは、制御が比較的容易だからである。制御できるかどうかを度外視すれば、方法はいくらでもある。
やってみたことがないというだけで、理論上は――できる。
「ミステル。頼みがある」
「何ですか、お兄様」
まだ少し迷いのある眼差しで、しかし彼女はしっかりとそう答えた。
ミステルの世界は今まで、アローだけでできていた。彼女はアローだけを守ろうとしてきた。守るべきものには自分自身すら、入っていなかった。
「僕が制御しきれない分は、お前が制御してくれ」
「ですが、お兄様……」
「大丈夫だ。あの時と違って僕は一人でもないし、小さな子供でもない。それと……」
ハインツとヒルダを振り返る。
「二人とも、僕が暴走しそうになったら殺す気でとめろ」
「お兄様!」
気色ばむミステルをアローは手振りでなだめた。
「ミステル、殺す気で、だ。殺せとは言ってない。でもまぁ、手加減したら止まらないと思うから、殺さない程度に殺す気で頼む」
「難しい注文だね」
「わ、わわ、わか……った」
ガクガクしているヒルダはともかく、ハインツは頼ってもいいだろう。
そして、ミステルは何だかんだ言っても最後にはアローを助けてくれるだろう。
だから、アローは杖を掲げた。
瞳の紅が煌々と輝く。
死霊は、どこにでも存在する。命のあるところ、全てに。
「勘違いを訂正してやる。――この世界に誰も、何も、死んでいない場所など、ない」
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