第20話 呪われない呪いはない

 王都が静かになり、煌々と月が輝き道に淡い影絵を作り始めた頃――。

 ミステルは兄が眠っているのを確認して、こっそりと宿を抜け出した。

 媒介となる遺灰さえアローの側にあれば、ミステルの行動範囲は意外に広い。実体がないのだから、すり抜けて外にでることも簡単だった。

 宿屋を出て、ミステルはすぐに墓地へと向かう。墓地では墓守がランタンを掲げて見回りをしていた。荒らされたばかりなので、警戒しているのだろう。

 彼女はアローとハインツがここで襲われた顛末を知らなかったので、この安穏とした王都でも事件が起こる時はいくつも起こるのだな、と感慨を抱いただけだった。

 ミステルは姿を見えないようにしているので、ただの墓守に見つかることなどない。そして彼には用事がない。

 ここに目的の人物はいなかった。次に思いついた場所にいくために、ミステルはふわりと飛んで建物の屋根に飛び乗った。そのまま屋根伝いに駆けていく。

 実体を持たないのはこういう時に便利だ。どこまででも、どんなやりかたでも目的地にいける。建物をすり抜けないのは、単に高い場所から見た方が場所がわかりやすいというだけだ。いくらミステルでも、方角はきちんと見なければわからない。

 月明かりに淡く照らし出された王都の陰影は、良くできた影絵のようにも見える。こんな時でなければ、素直にこの光景を楽しめただろう。

 ミステルは走る。教会の近くはできるだけ避けた。

 聖霊魔法の使い手が多い教会の近辺では、姿を見られる可能性が上がるからだ。騎士団にも近づかない。ヒルダがいたとてしも、今はミステルの姿が見えることはないだろうけれど、何となく気おくれした。それに、騎士団の中にも聖霊魔法術師はいる。

 少しだけ遠回りをして貴族の邸宅が多い区画へとたどりつくと、とある屋敷の裏庭にすとんと降り立った。

「こちらでしたか、ワルプルギス女史」

 裏庭の端、大きな樫の木のたもとに佇んでいたのは、カタリナである。ミステルは彼女のを探してここまで来た。

 この屋敷は、バートラン公爵邸である。

「ああ、墓地がねぇ……この前ちょっとやんちゃしたせいで、警戒強くなっちゃって」

「やはり貴方でしたか……何が目的であんなことを。おかげでお兄様は色々と勘付いておりますよ」

「いやいや、あの時点でアロー君はばっちり色々勘付いてたわよぉ。だって、わざわざミステルちゃんを置いて墓地で司祭と話しこんでたのよ?」

「えっ!?」

 ミステルは封印されていたので、アローがハインツと会っていたことを知らない。

 アローが目を覚ましたら、気配で気づくと考えていたからだ。そういえば朝になってミステルが自然に目を覚ましても、アローはぐっすりと眠りこんで中々起きなかった。あれは、墓地で大蝙蝠を掃討するのに魔力を消耗したせいだったのだ。

 今にして思えば、起きた後のアローは行動がいつになく突拍子もなかった。焦っていたとも言える。教会に行った時もそうだし、娼館に行ったのもそうだ。

「アロー君だってバカじゃないんだから、ミステルちゃんが隠し事しているのにも、あたしが怪しいってことにも気付いてるわよぉ。念のため、あの辺りに大蝙蝠召喚の呪術道具をいっぱい仕掛けておいて良かったわ。危ない橋を渡ろうとするなら、アローくんなら自分に有利となる墓地を選ぶだろうって思ったから」

「ワルプルギス女史、お兄様に何かあったらどうなさるおつもりだったんですか?」

「相手が天性の死霊術師で、場所が墓地よ? 大蝙蝠程度で死なないでしょ、大げさねぇ。アロー君は優しいから、自分が狙われてるってわかったら、周りを遠ざけて独りで何とかしようとするんじゃないかなーって思ったんだけど、思ってたよりしたたかだったわねぇ。すっかり教会を味方につけて、しかも騎士もとりこんじゃったでしょ?」

「貴方はいちいちお遊びがすぎるんです。ヒルダ様を狙うようなことをしなければ、お兄様をも少しの間引きつけることができたかもしれないのに……」

「あら、私はミステルちゃんのためを想ってやったのよ? アロー君に近づいてくる年頃で美人の女の子。さぞヤキモキしてるだろうと思って。条件的にもヒルダちゃんなら問題なかったし? まぁ、ちょーっと呪いづらいタイプではあったけど。でも、ミステルちゃん、あの子のこと庇うんだもん。お姉さんびっくりよ?」

「……あの方は、無関係ですので」

 ヒルダが想像した通り、彼女にかけられた呪いを祓ったのはミステルだ。

 それは彼女が予測したように、ミステル自身の呪殺を肯定する材料を減らすためではない。ヒルダに呪いをかけるのは、予言をしてきたカタリナ自身だとわかっていたからだった。

 呪ってくる相手がわかっているのなら、はじくのは簡単だ。ミステルはカタリナがヒルダにあの予言を与えた直後に、こっそりとヒルダに呪い避けの術式をかけていた。だから血紅石など最初から必要なかったのだ。

「無関係だから、ねぇ。アロー君さえよければそれでいい、って感じだったミステルちゃんがそんなこと言うなんて、思っていたよりもヒルダちゃんと仲良しだったのかしら?」

「そんなことはありません。お兄様が責任を感じることがないようにです!」

 しかし、カタリナの言っていることはそう間違いでもなかった。

 ヒルダが友達になりたいと言った時、少しだけ、本当に少しだけだが、彼女と友達になってもいいように思えたからだ。

 アローに救われて以来、ミステルの世界にはアローしかいなかった。師匠ですら、アローを通して接していただけで、壁の向こう側のような存在だった。カタリナとの関係は、利害の一致でしかない。

 初めて、友達になりたいと言ってくれたのがヒルダだった。アロー以外に何も存在しない世界から、手を差し伸べてくれた人。

 彼女は幽霊が苦手で、幽霊が苦手になった原因はアローで。だけど、それを思い出して彼女が真っ先に言ったのは、アローを護りたい、だった。恨み言のひとつだって言わない。彼女が強くなろうとする気持ちは全て、自分が大切だと思ったものはなるべく自分の力で守りたいと言う、純粋なものでできている。

 それは、何があっても他の誰かを救うために力を使おうとする、アローの姿とも重なった。

 だからこそ、ヒルダとはアローのことを抜きで友達になれたらと、一瞬普通にそう考えてしまい――即座にそれを否定した。

 なれるはずがない。自分は彼女のような、光の似合う人間とは相いれない。

 そして、できればアローと同じように、ずっとミステルにとって光の中にいる、届きそうで届かない存在でいてほしい。

 ミステルの沈黙をどう受け止めたのだろう。カタリナは、急に白けたような声で、吐き捨てるように言った。

「まぁ、ヒルダちゃんのことはもういいわ。怪しまれているみたいだし、私も王都でことを起こすのはしばらく控えようと思っていたところ」

「そうしてください。出立は早朝にお願いします。これ以上は私も庇い切れませんので」

「そう急かさないでよ。大蝙蝠を大量に召喚した時にちょっと無茶をしたから、私、今そんなに早く動けないのよねぇ」

 ゆっくりと、カタリナが樫の木の下から庭へと歩み出る。

「ミステルちゃんほど、上手く呪い返しの対策ができなくって。だから私、今、こんななの」

 薄淡い月光の下で見る彼女には、右腕が存在していなかった。

「そりゃそうよね……ミステルちゃんだって、呪いの反動を消し切れなくて結局死んじゃったのに、呪術に関してはミステルちゃんよりも素人の私が、完璧にできるなんて思い上がりだったわ。大蝙蝠の召喚と、ヒルダちゃんへの呪いの返しでコレ。次はもっと考えて使わないとね」



 ミステルがカタリナを探して王都を駆けていた頃。

 アローはローブに着替え、杖を持ち、ミステルの遺灰が入った袋を腰にくくりつけて、出かける準備を整えていたところだった。

「ミステルは肝心なところでツメが甘いなぁ」

 嘆息混じりに呟くと、窓を開ける。夜のひんやりとした空気が吹き込んで、アローの銀髪を揺らす。

 アローは寝たふりをしていただけだ。ミステルはよほど焦っていたのか、それともアローのたぬき寝入りが余程真に迫っていたのか、気づかず部屋を抜け出していった。

 彼女の気配がどんどん自分から離れて、しばらく戻ってくる様子がないのを確認すると、こうして外出する支度を整えた。

 夜空の散歩を楽しんでいるだけならそれでいい。見つけたら、目が覚めたらいなかったので心配で探しに来た、と言えばいいだけのことだ。

 だけど、恐らくそうじゃない。ミステルは隠しごとをしている。

 ミステルを呪い殺したのは、ミステル自身。

 正確に言えば、少し語弊があるだろう。呪いは自分自身にかけるものではない。

 ただ、他者が受ける呪いを被った場合ならば話は別だ。

 神の加護を借りる聖霊魔法とは違って、黒魔術と呪術は悪霊の力を借りて魔法を発動させる。聖霊とは違い、悪霊は対価を要求する。素質として秘めている魔力の量にもよるが、基本的に悪霊は対価があれば力を貸してくれるので誰でも多少なりとも使うことができる。聖霊の加護を借りるための、許しを乞うような長々とした詠唱も必要ない。

 簡単な呪文、魔法陣、道具などで発動させることができる。悪霊に気に入られたら、対価をさほど払わずに契約し、魔法を使えるので、それが黒魔術における『素質』ということになる。

 黒魔術の悪霊との契約が『術者側の対価の支払い約束』で発動するのに対して、呪術の場合は発動した後に『悪霊側に望んだ結果に相当する対価の取り立て権利』が発生する。そこに交渉の余地はなく、悪霊は術者から容赦なく対価をとりたてていく。これを『反動』あるいは『呪い返し』と呼ぶ。

 呪術の場合、成功しても失敗しても対価は容赦なく持っていかれるが、特定の個人を狙う場合や、弱い災厄をばらまく時は、黒魔術よりも有効だ。

 だから呪術を使う者は反動をさけるために、生贄を用意する。それは小動物であったり、特殊な作り方をされた人形であったりする。自分の身代わりに呪いの反動を受け止めるものが必要なのだ。ミステルは呪術師でもあったので、よく呪いの反動を受けるための依代人形を作っていた。

 それでも、所詮依代は依代である。あまりにも大きな呪い返しがくると、受け止めきれずに結局術者を害することになる。だから呪い返しは人形よりも、動物が望ましいとされている。

 ミステルは呪術に精通していたので、呪い返しを効果的に払う方法ももちろん知っている。だから、ミステルは自分が『呪いの依代』となったのだ。他人が受けた呪いをかわりに受け続けた。もちろん、呪いの影響をそらすための依代は用意していたのだろうが、反動を肩代わりした上で、更にその反動を他にそらすのは至難の業だ。全て綺麗に弾くことなどできるはずもない。

 ミステルは上手く隠していたと思うし、まさかアローも彼女が他人の呪いを引き受けているとまでは考えなかった。だから違和感を覚えつつも、それが直接的な呪いの気配ではなかったために気づけなかった。

 そして、何度も何度も呪いの反動を肩代わりしている内に、ミステルはついに呪いにじわじわと蝕まれて命を落としたのだ。

 この想像が正解だとしたら、ミステルは呪殺事件の犯人を知った上で、庇っていることになる。彼女にとって、最大の誤算は恐らく、王都にきたその日にアローがヒルダにつかまって、呪殺事件の話題が伝わってしまったことだろう。その上、アローが事件に率先して関わるようになってしまった。ヒルダとの出会いがなければ、アローは呑気に王都でナンパしては玉砕し続けていたかもしれない。

 ミステルは死ぬまで秘密を隠した。アローに助けを求めることだってできたはずなのに、死ぬまで自分の中に呪いを溜めこんで、何も伝えずに自分から死ぬことを選んだ。緩慢な自殺だ。

「だけど僕は……お前を信じる。――お前を、救ってみせる」

 窓から身を躍らせ、屋根を駆け、雨どいを伝って地上に降りる。

 アローは走りはじめた。

 たった一人の妹を救うために。

 彼女の犯した罪を、一緒に背負って生きるために。

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