第19話 七年前の紅い瞳

 ――どうして気づかなかったのだろう。彼の顔ははっきりと覚えていたのに。

 誘拐された幼いあの日、ヒルダは恐ろしい夢をみたのではなかった。

 夢ではなく、現実だったのだ。

 銀色の髪の少年。瞳は赤。

 あまりに紅い瞳が印象的だったせいか、うまく結び付けられなかった。だけど、アローは死霊術を使う時、瞳に紅い光を宿していた。魔術を使う時だけ、彼の蒼い瞳は深紅に染まる。

 恐らく、力を制御できなかった子供の頃、アローは常に紅い瞳をしていたのだ。彼はヒルダを助けようとして、死霊を暴走させてしまったのだろう。

 七年前に出会った少年の紅い瞳が、今のアローの面影と重なった。

「ミステルさん……何もできないかもしれないけど、私、やっぱりアローを助けたい」

「突然、何を言い出すのですか、貴方は」

 ミステルは呆れた様子でヒルダを見つめる。だが、ヒルダは引かなかった。

 アローはヒルダのことに気づいているだろうか? 恐らく気づいていないだろう。

 ヒルダはあの頃のように、貴族の令嬢らしくドレスを着てはいない。あの頃は、ヒルダはまだ幽霊恐怖症ではなかった。思えば、お互いの名前も知らないで遊んでいた。本当に、あの日ヒルダがアローと一緒に誘拐されたのは、不運な偶然だった。

 そして、そのせいでアローは都に出てくることができなくなったのだ。ヒルダを助けようとしたばかりに。

「アローが森に引きこもる原因を作ったの、私なの。前に話したでしょう? 昔、誘拐されたことがあるって。アローは私と一緒の時に事件に巻き込まれて、それで……私を助けようとしてそうなったんだと思う」

「何故今になってそれを?」

 ミステルは、疑っているというよりは、混乱しているように見える。ヒルダも混乱している。急に七年前のおぼろげな記憶が繋がったのだ。

「アローって、昔は常に紅い眼をしていなかった?」

「ええ、昔は今のように魔術による制御を覚えていなかったので……」

「私の記憶に残っていたアローは紅い眼だった」

「確かに紅い瞳は珍しいかもしれませんが……貴方、今になってどうしてそこに気がついたのです?」

「今は魔術を使わないかぎりは青い眼なんだし、しかも初対面ではそもそも顔を見せてくれなかったでしょう? すぐに思い出せというのは無理があるわ」

 それについてはミステルも納得せざるをえなかったようで「ああ……」とどこか遠い目をしながらうなずいた。

「では、責任を感じて、お兄様のことを守りたい、と?」

「それもないわけじゃないけど、さっきも言った通りに、私はアローやミステルさんと、ちゃんと友達になりたいの。友達を助けたいと思うのって変かしら?」

 ヒルダの熱い決意に反して、ミステルはただ悲しそうに目を伏せた。

「貴方がお兄様を守る必要なんてありません。私たちは魔術師です。魔術に対抗できるのは魔術だと考えます」

「でも魔術だって万能ではないでしょう」

「それは……」

「友達になれるかどうかはこの際置いておくのでいい。でも、騎士は護るものなのよ。たとえミステルさんがアローに何を隠していても、ね」

 ミステルはハッとして顔を上げる。

「貴方……」

「そりゃ気づくわよ。ミステルさんが本当はアローにナンパなんてしてほしくなくて必死に話題誘導してるのも、死因について頑なに病死だって言い張るのも、変だって思ってたわ。……まぁ、ナンパについてはさせたくない理由がよくわかるけど」

「わかっていたのに黙っていたのですね」

 アローはミステルに絶大な信頼をおいているし、基本的に世間知らずだ。だから彼だけなら、ごまかしきれたかもしれない。

 だけど、ヒルダやハインツ、ギルベルトと、他の人間も関わったことで、ミステルの言動の不自然さが際立つようになってしまった。いくらアローが鈍くても、客観的にみてミステルの理論には無理が多いし、実際彼は少しずつ疑い始めている。

 娼館を気に入った風でもないのに、急に青薔薇館に向かったのも、何かしら調べる価値があの場所にあったのかもしれない。

「黙っていてもいなくても、アローのナンパが成功するとは思えないし……そこはミステルさんにとって重要ではないでしょ。でも死因については、アローだってかなり疑っていたわ。今は貴方が嘘をついているとまでは思っていなくても、そろそろごまかせない。アロー、そこまでバカじゃないもの」

「当たり前です。お兄様は浮世離れしすぎているだけで知性ある方なのですから」

 ミステルに、ヒルダは手を差し出した。

 ヒルダの差し出した手を、ミステルは叩き落そうとした。が、実体がないので、その手はむなしくすり抜けただけだった。彼女が霊であることを思いだして顔がひきつったので、ヒルダにとってはある意味牽制の効果があったのだが。

 しかし、ここで引くほどヒルダは弱くない。

 強くあるために、と願ってここまできたのだから。

「剣で斬れるものからなら、私は自分もアローのことも護れるわ。斬れないものはお願いね」

「命令しないでくださいます?」

「でも、もしかしてだけど……私に呪いがこないのってミステルさんのおかげなのかな、って思っていたから。思い上がりかもしれないけど」

「……っ!!」

 ミステルの反応を見るに、ヒルダの勘は正しかったようだ。

 ヒルダには、ミステルはアローに自分の死因を隠そうとしているように見える。単純にアローを危険な事件から遠ざけたいのか、他にもっと理由があるのかはわからない。

 だけど、もしヒルダが呪いを受けてしまったら、ミステルとしては言い訳が苦しくなってくる。アローはミステルなら自分を呪いから守れると言っていたから、彼女が独断でヒルダを庇うことはできたはずなのだ。

「言っておきますが! お兄様のためですからね! 別に貴方のためでは!」

「うんうん、アローのためよね。大丈夫よ、それはちゃんとわかっているわ」

 思わずニコニコとしたところで、後ろから声をかけられた。

「ヒルダ、ミステル、随分仲良くなったんだな」

 振り返ると、アローとハインツがそこに立っており。

「仲良くなっていません!!」

 ミステルの悲鳴のような声が、むなしく酒場に響き渡った。



 アローは悩んでいた。

 ハインツの態度を見る限り、呪いの一件にカタリナが絡んでいる可能性は高い。恐らく、ミステルも一役買っている。

 だけど、それをミステルに問い詰めていいものかどうかわからない。彼女は頑なに自分の死因を病死だと言い張ってきた。それは、アローに事件との関わりを気づかせたくなかったからに違いない。

 ミステルはいつも自分を優先してくれた。義理の妹になってから七年間、ずっと、実の兄のように慕ってくれた。死してなお共にありたいとまで言ってくれた。

 彼女が間違いを犯したというのなら、兄として正すべきなのかもしれない。たとえ、彼女の命がもう戻ってこないとしても。

「結局、お兄様は何を確認しにいかれたのですか」

 ミステルは娼館での話題が気になって仕方がないようだ。

「まさか、商売女に色事を教え込まれていたのでは……」

「いや、そんな暇はない。少々下世話な話題は聞いたが。これから僕は、ワルプルギスの店に行く」

「今からですか? もう陽が沈んでいますよ? 明日出直しましょう」

 墓場の整備をした時点で陽が傾いていたのに、青薔薇館で話し込んだせいでもうすでに日が落ちて、東の空は藍色に染まっていた。西に残っている赤い光も、すぐに紺碧に塗り替えられていくだろう。

「今から行っても、この時間ですとワルプルギス女史はご不在かと思います」

「……確かに、今日はもう遅いが」

 カタリナが呪殺事件に絡んでいたとして、教会はバートラン家が関わっているために手出しができない。恐らく現行犯であるか自白がなければ、騎士団も手を出せないだろう。

「ねぇ、アロー。カタリナさんの何が気になってるの?」

 ヒルダが率直な疑問を口にする。青薔薇館での話を知らないヒルダとミステルに、アローの考えに全て従えというのは無理があるのだ。かといって、何もかも話すことはできない。

 隠したがっているのだから、ミステルはアローをカタリナから遠ざけるだろう。ヒルダは騎士としての職務があるので、事件の手がかりがあるのなら見逃すことはできない。

 アローは観念した。手札はいくつか出しておかないと、肝心な時に後手に回ってしまいかねない。

「僕は、ワルプルギスが事件に絡んでいると考えている。根拠はいくつか。まず、この王都グリューネで彼女の店以外に、呪術道具を仕入れられる場所がない。見知らぬ流れ者の呪術師がやってきて、自前の呪術道具で不特定多数の女性を狙うなんて、現実的じゃない。そんな不審な人物は今までいなかった。……僕以外には」

 呪殺事件の捜査が始まって初めて発見された明らかな不審者だったからこそ、ヒルダは思い切って逮捕に踏み切った。アローがあまりにも世間ずれしていて、おまけに不審すぎて御者の記憶に留まっていたため、すぐに誤解が晴れた。

 恐らく、それまでにも騎士団は宿屋を片っ端からあたったり、不審な人物が住みついた場所がないか調べたりくらいはしているはずなのだ。だから誤解だと判明するのも早かった。

 となると、犯人は元々都にいた人間である可能性が高い。カタリナが店に出入りしていた人間の存在を意図的に隠したか、カタリナ自身が事件の主格として関わっていたという見方が強まる。

「更にもうひとつ、不特定多数の女性……それも容姿が整った若い娘を選んで呪いの護符を渡すやり方。これは占い師をやっている彼女だったら、苦労せずにできる。元々占いの店があって、そこにいつも通りに客が来ているだけだ。端からみたら、何も不審なことはない」

「それは理解できます。ですが、呪殺の動機がありませんよ?」

 ミステルは、アローにカタリナとの関わりを持ってほしくないのだろう。少し焦った様子で彼女を庇い立てする。

「動機については僕も全く想像がつかない。状況証拠だけだ。だからこそ、彼女がこれらの不審な点について、明確に答えられるならよし。僕が謝ればいいことだ」

 困惑しているミステルを、じっと見つめる。

「今日はもう遅いから彼女がいないかもしれないというのは、その通りだと思う。ヒルダも付きあわせてしまった。だから店に行くのは明日にしよう。……ハインツ」

「はいはい、君はなかなか司祭づかいが荒いね」

「教会に協力しているのだから、乙女の告解を聞く以外にも真面目に働いてくれ」

「ご忠告痛み入るよ」

 肩をすくめたあと、ハインツは羊皮紙に書かれた書状をヒルダに手渡した。

「それを騎士団に届けてくれるかな? ヒルダ嬢も無関係ではないから、届ける前に必ず目を通しておいてくれ」

「……わかりました」

 少し釈然としない様子でヒルダが書状を受け取ったのを見届けて、アローはミステルの方に向き直る。

「今日はもう宿に戻ろう、ミステル」

「わかりました、お兄様。ワルプルギス女史のところへは、また明日」

「それともう一度言っておく」

「……? 何をですか」

「僕はお前を信じる。何があっても」

 ――その時のミステルの今にも泣きそうな顔を、アローは生涯忘れることはないだろう。

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