第18話 青薔薇館の危険な談話

 何とかしてアローについていこうとするミステルをようやく説得し、アローはハインツと共に娼館、青薔薇館にやってきた。

 女性陣二人には、花街近くの昼間からやっている酒場で待機してもらっている。女性だけでは心もとないかと思ったが、ヒルダ曰く「剣で斬れる相手なら問題ない」とのこと。ミステルはそもそも、からまれても相手には触れることも叶わない。

 ちょうど客待ちしていたノーラが、アローとハインツの姿を見て嬉しそうに駆け寄ってくる。

「なになに、どうしたの? ひょっとしてアロー君、あたしのこと気に入っちゃった? ご指名かしら?」

 ハインツのことを無視するノーラの様子にアローはやや面食らい、ハインツはやや残念そうな顔をした。

「君にそちらの仕事を頼む気はない。できれば今、暇のある人間を集めて欲しい。なるべく、貴族の事情に精通した人間だと嬉しい」

 ノーラはそれだけで、何となくアローの求めているものを察したようだった。急に、ハインツを見つめて、艶っぽく微笑む。

「ねぇ、お代は教会に請求していい?」

「私は今回、アロー君の付添をしているだけなんだがね」

「いいじゃない。いつもあれだけ特別待遇にしてあげてるんだしぃ。健全な青少年のために奢ってあげるくらい、ね」

「ノーラ、僕はそこまで貧乏じゃないぞ」

「んー、アロー君はそこんとこ気にしなくてもいいの。お偉い司祭のハインツ様に、これは貸しだって釘を刺しているだけだからぁ」

 要するに、ハインツがこれを了承すれば、アローの依頼はハインツにとっても有益なものとうことであり、ノーラは情報の対価を教会に求めているということだ。やはり、この娼館で働いている女性陣は、表ざたにしていない仕事についても理解しているようだ。

「女将さんは不在だけど、いい?」

「私としては、そちらの方がいいね」

「あら、アロー君はそんなにアブナイのがお好きだったのかしら?」

「アブナイ、とは……」

「女将さんに内緒で私たちとイイお話しましょ、ってこと!」

 ノーラはそのまま、いつだったかアローが押し込まれたあの部屋に案内してくれた。

 そして、自分は一度出て、ほどなくして女性を二人連れて戻ってくる。どちらも女性も扇情的な胸の開いたドレスを身にまとっていて、もれなく目をみはるほどの美人だ。

「アロー君も一度会ってるわよね。この店の中でも、上級貴族の相手ばかりしている子よ。ちょっと『アブナイこと』も知ってるわ。色んな意味で、ね」

「名前は、確かバルバラとアグネスだったか」

「あっ、覚えていてくれたのね、嬉しいわぁ」

 蜂蜜色の巻き毛の娘がバルバラ、栗毛の娘がアグネスだ。

「恋の護符は効果があったか?」

「あの後すぐにお目当ての方が来てくれたから、効果はあったのかもしれないわ」

 バルバラが町娘のように無邪気に微笑む。しかしそれは一瞬のことで、彼女の笑みはすぐに妖艶なものへと変貌する。

「それで、アロー君の知りたいアブナイことって、どんなことかしら。護符のお礼にお姉さんが教えてあげるわ」

「では単刀直入に聞く。バートラン家について知っていることを教えてくれ」

 その言葉に、ハインツが少し意外そうな顔をする。

「君がそこを探るとはね」

「ハインツ、今の状況は『君が僕の頼みを聞いて、モテの極意がわかる場所に連れてきた』という解釈で頼む。これから話すことは、僕が勝手に興味をもって首をつっこんだことだ。君は適当に『そんなわけないだろう』とか言って流しておいていてくれ」

「なるほど。ではお言葉に甘えてそういうことにしておこう。『君、馬鹿なことを言っちゃいけないよ。娼婦がバートラン公爵家のことを知っているわけないだろう』……こんな感じかな?」

「そういう感じで頼む」

 酷い三文芝居だが、途中で女将が帰ってきた時の対策も兼ねている。恐らく、この娼館の女将は外部の、ハインツが言う所の『教会のしがらみ』と繋がっている。だからハインツは表立っては行動できない。してはいけない。たとえ体面だけでも、ハインツは暴走してよからぬことを聞いてまわるアローを止めていたことにした方がいい。

「そうね……私たちも何でもかんでも知っているわけじゃないわ。寝物語に貴族の話を聞いているだけだから。酔っぱらいの戯言も多いし」

「ああ、でも確か……そうね、あそこの家は、御当主の今の奥さまが二人目なのよ。最初の奥さまに先立たれて……」

「最初の妻とは娘を一人。後妻の方とは三人。息子が二人、娘が一人。最初の妻の娘は、結婚もせずに出奔して、今は路地裏で骨董店を営んでいるとか」

「あら、でもお金を出しているのは家の方でしょう? 出奔とは言わないんじゃないかしら」

「そうかもしれないわね。後妻の方の息子二人は、跡継ぎ争いをしているとか。そういうのが嫌で家を出たのかもしれないわね」

「後妻の娘は、亡くなったのよね。三年ほど前だったかしら……病死と聞いているわ」

 まるでただの世間話をするように、三人の娼婦は語っていく。

「後妻の娘は病気がちだったんですってね。跡継ぎ争いに巻き込まれたのではって噂もあったわ。どちらかが彼女を手駒にして、有力な貴族か他国の王族に嫁がせて縁を持とうとしたのね」

「貴族ってそんな話ばかりね。こんな平和な国なのに」

「あら、その貴族の次男坊に身請けをねだっていたのは誰かしら?」

「いいじゃない。次男坊なんてどうせ、跡継ぎじゃないのよ。お情けで小さな領地を分け与えられた夫と、一緒につつましく暮らす奥様の夢を見るくらい許してほしいわ」

「やれやれ、君たちの寝物語は根拠がよくわからないものだね」

 ハインツが適当に口を挟み。

「君たちの話では、そのうち、前妻の娘と後妻の娘は、手と手をとりあって逃げようとする御大層な物語までついてきそうだ。どれもこれも、根拠がない」

「仕方ないじゃない。所詮は『酔っぱらいの戯言』よ」

 だが、彼女たちはその戯言をわざわざ選んでアローに聞かせている。ハインツが口先だけで否定しながら、話題を誘導する。

「後妻の娘が亡くなったのは、呪いだという噂もあったわね」

「そうそう。今思えばあれが『美人薄命病』の始まりだったのかもしれないわ」

「やだ、怖ぁい。私たちも死んじゃったらどうしましょうね」

「大丈夫よ。私たちみたいな商売女は、いくら美人だってその手の病にはかからなくてよ。面倒な男にいれあげて、身を滅ぼす心配をした方が賢明というものね」

「酷いわ、アグネス。少しくらい夢を見させて」

 とりとめのない噂話のようで、バートラン家の内情はしっかりと把握している。息子たちの争い、巻き込まれる娘たち。話自体はそう珍しい類のものではない。アローが森の中で魔法書の合間に読んでいた物語の本にも、家督争いをする貴族の話くらいはあった。

(カタリナにも妹がいたんだな)

 バートラン家の一人目の娘、それは今のカタリナ・ワルプルギスに他ならない。

 アローが確認したかった点はいくつかある。その一つが、バートラン家の問題は教会が手出しできないものなのかどうか、だ。

 ハインツはアローが提案するまで、一切の口を挟まなかった。それが端的に、王家にも繋がりがあるバートラン家に教会が干渉すると、まずい立場になることの証明だ。

 もうひとつは、はっきりと言えば、カタリナが味方であるかどうかだ。カタリナには、少なくともミステル以外の娘たちに関して言えば、手にかけるだけの知識と財産を持っている。彼女は呪術道具を収集しているし、使い方を知っているだろう。占いによって不特定多数の女性を集めることも容易だ。だが、彼女には理由がない。

 バートラン家の家督争いについても、美しく若い娘を次々と呪い殺すこととの接点は見えてこない。何せ相手の家柄はばらばらであるし、彼らは妹をより有利な相手に嫁がせる手駒として見ていた。少なくとも妹に関して言えば、死なれては本末転倒だ。

 そして、カタリナにはミステルを殺すだけの技量はない。何せカタリナの店の呪術道具は、一部を除いてはアローとミステルが納品していたものだ。ミステルは自分が作ったもので呪われるほど愚かではないし、ミステル自身が言った通り、彼女を呪い殺せる技量の者がこの国にいるとも思えない。

(いや……一人だけいる、僕にも気付かれずにミステルを呪い殺せる人間が)

 理由は判然としない。だけど、確かにこの方法ならば、恐らくアローでも気づかない。

 カタリナの背景を知ったことで、今まであまり考えないようにしてきたことが急に現実味を帯びてきた。

 何らかの理由で、カタリナが呪殺に加担しなければならない状況にあったとしたら。

 そして、それを店の常連で呪術に関しては豊富な知識をもっていたミステルに協力を請っていたら。

 アローを疑わせることなく、ミステルを呪い殺すことができる人物、それは――。

「……ミステル自身だ」



 その頃、花街近くの酒場で女子二人は葡萄酒を囲んで談笑していた。

 というよりは、ヒルダが一方的にミステルの愚痴を聞いてあげていた。ミステルは葡萄酒を飲むことができないし、他にすることもなかったからだ。

「ああ、お兄様が商売女の餌食になってしまったらどうしましょう」

「アローはこう言ってはなんだけどその手のことにとことん鈍いから、そういうことにはならないんじゃないかなぁ」

 ミステルはアローに待機を命じられてしまってから、一事が万事この調子である。

 彼女には実体がないから、姿を見せないようにしていればアローについていくこともできた。それなのにこんな状態になっているのは、ヒルダが呪いの標的として狙われている可能性が高いので、何かあった時に対処できるようにするためだった。

「私のせいでアローについていけなかったみたいで、本当にごめんね」

「別に、貴方が謝ることではありません。お兄様の頼みは何よりも優先すべきところですから」

 ぷりぷりとしつつも、ミステルは律儀に付き合ってくれている。

 花街の近くということもあって、この酒場は荒ぶる暴れ牛亭よりもだいぶ荒んだ雰囲気だった。飲んだくれている男と、隙あらば自分の店に連れて行こうという扇情的な衣装の女。そんな客ばかりだ。明らかにヒルダとミステルは浮いている。

 それでも絡まれずに済んでいるのは、ヒルダがまがりなりにも騎士の制服なのと(店主がちらちらと様子を見ているので、下手を打つと別の意味で絡まれそうではあるが)ミステルが誰か近づくたびに美少女が台無しになるほどの殺気を放っているからである。

 そして彼女は再び嘆く。

「お兄様は純真なですから! 騙されて襲われていたらと思うと……」

「アローが襲う方に回ることは一切想定されてないあたり、信頼があるのかないのか微妙なところね」

「だって、お兄様はあんなにお美しいのですよ!? しっかりと隠しておかなければ、悪い女が虫けらのように次から次へと湧いてきますよ!?  無理やり手籠めにされてしまうやも!」

「とりあえず、前からそうだろうなとは思っていたけど、アローが自分がモテない外見だと思っている原因が確信できたわ。私の推測、間違っていなかったわ……」

「ヒルダ様はお兄様のこと、心配じゃないのですか!?」

「そうね、ある意味ではとても心配だけど……でも、ミステルさん。少しくらいはアローのことを信用してあげて。アローはミステルさんのこと信じてるからこそ、離れても大丈夫だって思ったんだろうし。ね?」

「う……」

 過保護と言う自覚はあるらしく、彼女は急にしゅんと黙り込んでしまった。

「確かに、お兄様を心配しすぎるのは、裏を返せばお兄様を信用していないということになるのかもしれません。ですが、お兄様は……お兄様は、あんな何もない森の中で何年も……」

 そういえば、とヒルダは思った。

 そもそも、どうしてアローは森から出てこなかったのだろう。彼の様子を見ていると、人と関わることを厭っていたわけではないようだ。そうじゃなければ、あんな怪しい身なりをしながら行く先々でナンパをする、などという発想にはならないだろう。

 ミステルのためにどうしても必要だからいやいやナンパしていたのであれば、彼も頭が悪いというわけではないので、成功率をあげるために下調べくらいはしたはずだ。少なくとも彼はきっと、ナンパに関しては「やってみれば上手くいくかもしれない」程度の楽観的な気持ちで臨んでいたのだ。

 ヒルダに剣をつきつけられても、ハインツにひやかされても、彼は怒りもしなかった。魔術や暴力に訴えることもなく、平和的に話し合いで解決を試みている。

 アローはむしろ、人間と関わることを楽しんでいるようにすら見えた。

「あの、ミステルさん……差し出がましいことを言うようだけど、アローってどうして森に引きこもっていたのかしら?」

「それを知ってどうなさるんです? ヒルダ様」

 ミステルがじっと見つめてくる。真意を測ろうとするかのように。

「アローは基本的に、人間が好きよね。ミステルさんのために実体を作るっていうのも、もっと物騒な手を使えば早くできるけど、なるべく人を傷つけたくないからナンパなんて斜め上の手段に出たくらいだし」

「そうですね。お兄様はお優しいですから」

「そんなに優しくて、話してみれば普通に友達になれそうなアローが、森に引きこもる理由なんて何もなさそうででしょ。だからミステルさんのことがあるまで森を出なかったのって、何か深い理由があるのかなって思ったの。アロー、特異体質だとか言ってたし、その辺関係あるの?」

 ミステルはますます、疑惑を深めたようにヒルダを睨みつける。

「もう一度言いますけども、それを知って、ヒルダ様はどうなさりたいんです?」

「その……出会ったきっかけはあんなのだったけど、アローはいい人だって思うし、困ってることがあるなら助けてあげたいの。お節介だとは思うけど」

「えっ?」

 ヒルダの答えは、ミステルにとっては意外なものだったようだ。剣呑な眼差しが、見開かれる。きょとんとした顔をしていると、彼女は歳相応の可愛らしい少女だった。

「あのね、実は私……その、友達があまりいなくて」

「は?」

「剣のことばっかりだったから、同年代の女の子とは話が合わないし……かっこいいってキャーキャー騒がれるんだけど、遠巻きっていうか……」

「はぁ……」

「男の友達もいないのよね。ほら、やっぱ男の子って基本的には女の子よりも力が強いものだし、私に剣で負けたりすると相当悔しいらしくて、結構敵視されたりもして。だからって手を抜くのは自分にも相手にも失礼だから、手合せは全力でやるんだけど……何かこう、怖がられたり、物陰からじっと観察されてたりで……後輩には尊敬してくれる子もいるんだけど、それこそ……」

「ああ、『戦女神』ですものね……」

「それ! その大げさな肩書のせいで全ての同年代に遠巻きにされてるの!」

 ヒルダにとって、その称号は名誉なものであると同時に、果てしない重荷でもある。

 まだ十代の少女なのだ。ヒルダにだって友達とお喋りをしたい時もあるし、美味しい物を一緒に食べたいと思うことがある。先輩騎士にまざって荒ぶる暴れ牛亭で食事をする時だけが、それとなく充実している気持ちになるが、やはり時折寂しいのだ。だって普通に女子と一緒にお菓子とか食べたいし。

「アローとミステルさんは、久々にたくさん話せた同年代で……何と言うかその、友達みたいだなって……思ったりしたら、怒るかしら」

「…………え、友達、ですか?」

「あ、いや、私が勝手に友達になれたらいいなって思っただけであって、拒否権はあるから! というか、今職務中だし! あ、でも、その……アローのことを知りたいと思った理由については、それよ。友達のためなら、力になってあげたいものでしょ?」

 ミステルは完全に呆れた表情になっている。

 ヒルダはいたたまれなくなって、うつむきながらちびちびと葡萄酒を飲んだ。一方的に友達だと思っていたなんて、恥ずかしいことこの上ない。ほぼ毎日顔を合わせてしまっているが、出会ってまだ数日で、しかも初対面で投獄してしまった騎士と友達になるなんて、冷静に考えるとどうかしていると自虐した。

(い……いっそすっぱりと斬り捨てて……)

 そう、思ったのに。

「……お兄様が森にずっと引きこもっていたのは、ヒルダ様がご推察された通り、体質のせいです」

「えっ?」

 ミステルがあっさりと語りはじめたので、今度はヒルダの方がきょとんとする。

「いいですか? 一度しか言わないですので、心して聞いてください。お兄様は生まれつき、死霊が見える、声もきける、あまつさえ話すことすらできる特殊体質です。本当はあの墓場でやったような術式を使わなくても、お兄様は話そうと思うだけで死霊と対話できたはずです」

「えっ、それじゃあ何で……」

「お兄様には、生きている人間と死んだ人間の境目がないのです。貴方は魔術や呪いの類を使わずに、生きている人間を思い通りに操って制御することが可能だと思いますか?」

「思わないわね」

「お兄様にとっては死霊がそれです。死霊にも生きた人間のように接することができるので、逆に制御がききません。お兄様にとっての死霊術は、暴走しないために制約をかけるためのものです。今でこそ魔術で自分の力を押さえていますが、子供の頃は全く制御できなかったそうです。動物霊なら大丈夫だけど、人間の霊は意志が強すぎてだめだと」

「そうだったんだ……」

 人間と同じように死霊が見える。それはどういう世界なのだろう。

 ミステルのように、生前の姿をきちんと保てるならともかく、きっと多くはそうではないのだろう。自分だったら、見るだけで卒倒するかもしれない。ヒルダは思わず想像して、すぐに首をぶんぶんとふって不吉な場面を振り払った。

「それでも幼い頃は、たまに師匠について都に行っていたそうですが、七年前、都でできた友達と遊んでいる最中に、不慮の事故で大量の死霊を暴走させてしまったらしくて。私はそのすぐ後くらいに引き取られたのですが、その頃にはもう、お兄様は都には行こうとしませんでした。お師匠様に禁じられたから、と」

「七年前?」

 七年前。死霊の暴走。都でできた友達。

 ヒルダの中で、初めてそれが自分の記憶と繋がった。

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