第7話 生と死の天秤

 ひとまず行く場所があるので付き合って欲しい。そう言われて、ヒルダに連れてこられたのは、何故か仕立て屋だった。

「この仕立て屋に、何か情報がありそうなのか?」

「いいえ。貴方にまず何よりも必要なものがあるでしょう?」

 アローははて、と首を傾げた。ミステルは複雑な顔をしている。

「ミステル、事件調査に仕立て屋が必要な心当たりがあるか?」

「ありません、ありません!」

 ミステルの反応が気になったが、協力を申し出たのはアロー側であるからして、ヒルダに関係ないからこの店を出ようとも言えないわけである。

 仕立て屋はそれなりの大きさがあった。所狭しと布地が並んでいる。

 様々な色の無地、派手な柄の入った織物、ビーズの刺繍が入った生地、麻、綿、絹、ビロード。

 その棚に積まれた布の間をすり抜けると、すでに仕立て終わった服が並ぶ部屋につく。使用感があるものばかりなので、どうやら古着らしい。

「この仕立て屋、使われなくなった衣装を下取りしているのよ。裏通りの露天商から買うよりはまともなものが揃ってる。ドレスだけじゃなく、魔術師のローブもあるわ。適当な服を買って、そのローブは着替えましょう」

 どうやら、アローの服を着替えさせたいらしい。ミステルが必要ないというのも道理である。アローも必要だとは考えていない。

「これは死霊術師の正装だ。着替える必要はないぞ」

「貴方、昨日たっぷりと自分の格好が不審だって思い知らされたでしょう? カーテ司祭に普通の服を用意してもらったのに、あれはどうしたの」

 それを言われると反論しづらいのだが、かといって着替えたいわけでもないのだった。ハインツが用意した服は、教会の巡礼者用に用意されたものだから、フライアの祝福を浴びている布地で仕立てられていたというのもある。

 死霊術師は、特定の神に属さないのだ。フライアが死霊術師でも信者判定してくれるとしても、それはアローの信心によるものではない。信じていない神のための衣類を着るのは、フライア信者にしてみれば冒涜であろう。

 要するに――。

「えーと、その……落ち着かなくて……」

 死霊術師の布事情は、結局気分の問題の範疇である。説得を試みるにはいささか弱く、アローはごにょごにょと口の中で呟き目をそらした。

 ヒルダはため息をついて、むすっとしているミステルを見やる。どうやら、説得する対象を切り替えたようだ。

「ミステルさんも、お兄さんが格好いい服を着ている方がいいでしょう?」

「……それについてはやぶさかではありませんが、変な女に言い寄られては困ります」

 彼女はぼそっと小声で呟いたのだが、アローにもしっかりと聞こえていた。

「ミステル、心配しなくても、俺は服を変えたくらいでモテたりしないぞ」

「お兄様、そこでそれを言いますか?」

「貴方、見た目以前に、圧倒的にナンパに向いていないわ」

 女性二人の白けた眼差しに、さすがのアローも少しばかりたじろいだ。確かに、ナンパして生贄を探しにきたのに、モテないことを自信たっぷりに宣言してしまったのは、失態というべきところだろう。戦う前から敗北宣言をしたに等しい。

 いや、戦って敗北した後といえなくもないが。どうなのだろう。アローは少しの間考え込み、そして思考を投げ出した。

 ここでヒルダの求めに応じないことで、過ぎ去る時間の方がもったいないと気が付いたからである。

「わかった、わかった。着替えればいいんだろう?」

「ひとまず、格好さえ何とかなれば、私も安心して隣を歩ける」

「隣を歩けないほどに僕の格好は酷いか」

「酷いわ。ミステルさんがその格好を止めなかった理由は何となくわかるけど」

 釈然としない気持ちで、アローは渋々服を選び始めた。王都で流行の着物などさっぱりわからないが、酷いのを選ぶとヒルダが無言で手から服をもぎ取っていくので、彼女の判定に任せることにする。

 アローは自分がモテない外見だと信じている。だから服だけで自分が魅力的になると思ってはいないし、むしろ顔を隠せないのはナンパに不利だと本気で考えていた。

 おおむねミステルが先回りして、アローが変な女に引っかからないように間違った啓蒙の仕方をした結果である。

 だからヒルダの言うことは半信半疑のままだ。それでも彼女に従うのは、彼女の信頼を勝ち得るためでもある。事件に関わるのであれば、騎士である彼女との縁は無視できない。

 最終的に、藍色の生地に金糸の文様を刺繍したローブで妥協した。着丈が短いが、その分動きやすい。

 今後事件に関わっていけば、もし多少なりとも危険なことに巻き込まれるかもしれない。戦闘しなければならない場面に出くわすとなれば、動きやすさは重要だ。

 アローも、常日頃からこんな重い正装のローブで暮らしていたわけではない。森にいた頃は狩りや採集をしていたから、これくらいの着丈の服の方が着慣れている。フードもついているから、ヒルダと別れたら被ればいい。

 ヒルダは(彼女判定で)まともな服を着たアローを前に、ご満悦の様子である。

「うんうん、まともな格好をすればだいぶ変わるわね。……杖はちょっと不気味だけど」

「言っておくが、服だけだからな。杖は替えられない」

「ええ、魔術師にとっての杖は騎士にとっての剣や槍と同じだから、そこまで贅沢は言わない。あ、着替えさせたのは私の方だから、お代は払っておくわよ」

 財布をだしかけたヒルダを、アローは慌てて制した。服を着替えただけで、まだまだ事件解決には少しも役立っていないというのに、お金を出させるわけにはいかない。

「僕だって無理に君を付きあわせているのだから、お金は自分で払おう。心配するな。僕はこれで意外と金持ちだ。金貨三枚あればたりるか?」

 財布代わりにしている皮袋から、金貨を取り出してヒルダの手に握らせようとする。その手がアローの方へと押し戻された。

「き、金貨三枚!? ちょっと待って、貴方買い物の仕方わかってる?」

「それくらいいくら僕でもわかる。お金を出して品物とおつりを受け取るんだろう」

「そうだけど、そうじゃなくて。そのローブだと銀貨十枚くらいね。金貨一枚でもおつりがくるわ」

 なるほど、通貨の使い方の認識が甘かったようだ。

 森で生活している間、魔術道具の作成などで得た金銭の管理はミステルに任せていた。ミステルの前は師匠が管理していた。アローはひたすら森で自給自足に近い生活をしていたので、自分でお金を使うのは都に来る前、乗合馬車に乗った時が初めてだ。

 カタリナの店で銀貨二枚を出したのも、いつもミステルが買い物のついでに都の情報を仕入れるのに、銀貨一枚を渡していることを知っていたから、単純にもう一枚上乗せしたにすぎない。

「まさか金貨以外もっていないの?」

「……いや銀貨、銅貨も持っている」

「そうね。金貨をポンと出す前に、まずは店員に値段を聞くことね」

 ヒルダは長く深く息を突きながら、アローから財布を奪い取った。そして、服を買うのに必要な分の銀貨だけを抜き取って、財布をアローの手に戻す。

「素行の悪い店員だったら、貴方金貨を無駄に持っていかれるところだったわよ」

「そんなものか?」

 商品の値段を誤魔化す意味が、アローにはわかりかねた。わかりかねている間に、ヒルダの説得相手はミステルに移動する。

「……というか、ミステルさん、止めてあげてよ。このポンコツで世間知らずなお兄さんを」

「お兄様を騙すようなことをしたら、私が呪ってねこばばした金貨の倍の額を損するように仕向けた上で、しっかりとお金は回収いたしますので問題ありません」

「問題だらけよ」

 もう一度、静かに深くため息をついて、ヒルダはうなだれてしまった。

「ゼーヴァルトやこの近隣の国で使われているデュカ貨幣だと、金貨一枚で銀貨十五枚分、銀貨は銅貨五枚とほぼ等価よ……」

「なるほど……勉強になった」

「本当に森から出たことがなかったのね」

「ああ」

 さすがに、お買いものすらできないポンコツ扱いされたのは、アローのささやかなプライドを傷つけられた。しかも、どうやら事実らしいので、反論のしようがない。

 ヒルダは気を取り直して、ローブの会計を済ませ、更衣室を借りてアローは服を着替えることになった。死霊術師の正装については、小さくたたんで荷袋に無理やり詰め込む。

 店を出たところで、ヒルダが切り出した。

「アローが森を出たのって、ミステルさんに、その……実体を作るために? ミステルさんは使い魔で……妹?」

 彼女の中で使い魔と妹が上手く結びつかなかったようだ。首を傾げる彼女に、順を追って説明する。

「正確には妹だった使い魔だ。ミステル自身は病死している。僕は死霊術師だから、ミステルの遺灰を媒介にして、魂を呼び戻した。今のミステルは、俗に言うレイスだな」

「レイス……幽霊じゃなく?」

 ヒルダはその辺りには詳しくないようで(幽霊が怖いのだから、興味がないのは当然だが)よくわからない様子で首をひねる。

「レイスは、魔力や魔術の知識を保持したまま死霊や生霊となった魔術師のことだ。生前と同様に魔術を使うことができる。ミステルは僕と同じ死霊術と、あとは呪術が専門だな」

「私をただの幽霊と一緒くたにしないでいただきたいですね。それなりの魔術を収めた者には、死しても力が残るのです」

 心なしか得意げに胸を張るミステルに、ヒルダは少しばかり同情めいた眼差しになる。若くして病死したと知って、思う所があったのかもしれない。

「そういえば、ミステルのことはもう怖くないんだな」

「ここまで生き生きとされているとね……。貴方の言動にいちいち驚かされてばかりで、ミステルさんが霊だってこと、忘れかけていたわ」

 今は誰にでもミステルの姿が見えるようにしているから、なおさら霊体であるという認識が薄れているのだろう。ヒルダの幽霊嫌いは、ひとまず「常に幽霊だと認識できる様相でなければ耐えられる」範囲であるようだ。

「……君には、一応言っておこう。僕は、ミステルがただの病死ではないと思っている」

「お兄様、それについては、私が何度も申し上げている通り……」

 反論しようとするミステルを、手で制する。彼女はぴたりと押し黙った。ミステルがアローの意志を優先しているからではなく、彼女は今、使い魔として存在しているために、主人であるアローが拒絶したことは実行できないのだ。普段はこういった強制はしないが、今だけは黙っていてもらう。

「ミステルは病死と言ったが、病名は不明だ。僕は薬学の知識もそれなりにもっているつもりだけど、ミステルが何の病気なのか、どんな薬を使えばいいのかさっぱりわからなかった。そしてみすみす死なせてしまった。だけど、ミステルの死因が『呪い』なら話は別だ」

「呪い――つまり、グリューネの事件とかかわりがあると?」

「わからない。呪殺の技術は死霊術と黒魔術の融合で生まれた物も多いし、僕はもちろん、呪われたミステル自身にも気付かれない呪いなんて、相当高度だ。呪いなら、僕とミステルは薬学以上に専門家だから、なおさら可能性は低い。でも、時期は一致する。ミステルが病気になったのは都から帰った後だった」

「それは確かに……気になるわ」

「だから、僕には君たちに協力したい事情がある。ミステルの死因がただの病死なら、僕は何の憂いもなくナンパに励もう。万が一、死因が呪殺なら、僕はその犯人を止めなければならない」

「まさか、かたき討ちを?」

 ヒルダが真剣な目でそう尋ねてくる。そんなことはさせないとでも言いたげで、アローは彼女をなだめるように肩をすくめて首を横に振った。

「かたきなんて討ってどうするんだ。意味がない。人は死ぬ。いつか死ぬ。僕も、君もだ。それが生きる者にとって避けられない運命だからだ。原因が病気でも、殺人でも、死は全ての者に平等に訪れる」

「……相手に命で償わせようとは思わないのね」

「たとえばここが戦場だとしたら、誰が誰を殺しても運命だと考える人は多いだろう。死は誰も差別しない。死ぬ者も残された者も受け入れなければならない。そういう意味では、ミステルを使い魔にして、肉体も与えようと思っている僕は間違っている」

 ふ、と自嘲に近い笑みが漏れた。

「僕は、もう間違っているんだ、ヒルダ。死は平等だが、その平等を受け入れることは難しい。だからむやみに人を死なせる者がいるなら、僕は止めなければならないと思う。これが僕の理由だ。納得いったか?」

「ええ」

 ヒルダは力強い眼差しを不意に緩めて、くすりと笑った。表情を緩めると、彼女は急に歳相応になる。

「私も、少し貴方に協力したくなってきたわ。怖がりなところばかり見られたんじゃ、格好がつかないもの」

「僕としては、は凛々しい君よりはにこにこ笑っている君の方が好きかもしれない」

「…………本当に、貴方って…………」

「どうかしたか?」

「何でもないわ。天然って怖いわね。行きましょう。機密事項は教えられないけれど、大衆に公開されてる情報なら分かる場所があるわ」

「わかった」

 歩きだしたアローとヒルダの背を、ミステルはじっと見つめる。

 ヒルダと親しくなりつつあるアローに、いつもの独占欲を爆発させるわけでもなく。

 ただひたすらに、悲しい目で二人の背中を追って自分も歩き出した。

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