第5話 拝啓、混沌たる地下牢より

 その男は、ハインツ・カーテと名乗った。王都グリューネのフライアを讃える大聖堂に所属しているという。大聖堂の司祭という時点で、出世街道まっしぐらの男である。たとえ頬にべったりキスマークがついていたとしても、その服装を見れば司祭であることは疑いようがなかった。

「カーテ司祭。遅刻の理由をどうご説明なさるつもりですか?」

 据わった目で睨みつけるヒルダに、ハインツは芝居がかった様子で肩をすくめてみせた。

「いや、早く来たい気持ちはやまやまだったのだが、なかなか離してもらえなくてねぇ」

「いかがわしいお店の方に、ですか?」

 ヒルダの眼差しがどんどん温度を下げていくのを、アローは檻の中から見守っていた。この司祭、相当に信用されていない。

「いかがわしいとは失礼だよ、ヒルダ嬢。私はうら若き乙女から相談を持ちかけられて、それに答えていたにすぎない。聖職者として何の間違いも犯していない」

「頬に口紅をつけながら、よくもそんなことが言えたものですね」

「ああ、これは乙女が感謝の想いを伝えてくれただけのことだよ。君が目くじらをたてるようなことではないさ」

 その眼差しは冷たさを通り越して、灼熱の業火へ。怒り心頭の様子のヒルダの詰問を、ハインツはのらりくらりと言い逃れた。やがてアローの方に向き直る。

 完全に用事を忘れ去られていると思っていたので、やや驚いた。思わず背筋を伸ばす。

「君が容疑者とやらかい?」

「……不本意ながら。名前はアーロイス・シュバルツ。アローでいい。職業は死霊術師だ」

 聞かれそうなことは先に答えておくと、ハインツは興味深そうにアローの顔をまじまじと見つめた。そして、からかうようにめを細めながら、ヒルダにへと向き直る。

「なるほど、将来有望な美形だね。ヒルダ嬢、顔を見て情状酌量をするのは関心しない」

「していません。貴方と一緒にしないでください」

「これは手厳しい」

 さらりと流しつつ、ハインツはさりげなくハンカチを取り出して頬についた紅を落とした。

 ――とんでもない食わせ者がきた。

 アローは彼をつぶさに観察する。軽薄そうな言動だが、青金石の印章はかなり高位の司祭が持つ物だ。若くしてそれを持っているということは、それなりの実力があるということに他ならない。世間知らずのアローであるが、この手の知識は一通り師匠から叩き込まれている

 フライアは豊穣の神だから、男女の営みを否定しない。つまり、この男の立ち振る舞いは信仰にも実力にも全く影響しないと言うことだ。むしろ、この若さにしてこの地位にいるからこそ、多少の火遊びは問題にならないのだろう。牢の扉に護符がなければ、彼が持つフライアの加護がどれほどのものなのか、もっとはっきりわかったかもしれない。

 ハインツは、アローが印象や加護の確認を行っていることに気が付いたようだ。興味が戻ったのか、再びこちらに視線を向ける。

「ふむ、君は思っていたよりもきちんと知っているね。それと……見えるクチか。口先だけではなく、ある程度修練を積んだ本物の魔術師のようだね。その若さで感心なことだ」

「本物だとさっきから言っている。無実を証言するにも、僕の連れは奪われたままなんだ。ここまで連れてきてくれないか」

「連れとは使い魔のことかい?」

「厳密に言えば、そうだ。僕の荷物にあった、黒い包みをここに持ってきて欲しい」

 素行はともかく、ハインツは魔術知識に関しては確かなようだ。少なくともヒルダよりはよほど話が通じる。裁定役に魔術の素養がなければ、真実を証明するにも面倒なことになる。どういう思惑で彼がここまで来たのかはわからないが、この点に関して言えば素直にありがたい。

「なるほど、その包みというのは媒介の品かな。ヒルダ嬢、持ってきていただけるかい?」

「わ、私がですか?」

「他に誰がいるのかな?」

 ヒルダがあからさまに青ざめたが、ハインツにさらりと返され、しぶしぶ荷物を取りにいく。

「では、護符を一度外そう。ヒルダ嬢にも見える形で使い魔を出すことは可能かな?」

「可能だ。護符を外してもらえるということは、少なくとも貴方の見解では俺は容疑者ではないと判断されているのか?」

「そりゃ、容疑者だったらまず、自分が魔術師だということを隠そうとするだろうし……今更、魔術師が出てきて犯人ではないかと言われてもね。事件はもっと前から起こっているんだ」

「彼女にもそれくらいの理解力があれば有り難かったな」

 しみじみとそう漏らすと、ハインツは肩をすくめて首を横に振った。

「それは君、彼女は騎士だからさ。たとえ物騒な事件がなくたって、君は職務質問くらいされただろう」

「何故だ? 何もしていないぞ?」

「君はその時代遅れの怪しい身なりをどうにかするべきだね」

 師匠が残した死霊魔術師の正装は、どうやらハインツにも不評のようだ。解せない。ミステルには大好評であったのに。

「女性でなくとも、ある程度身なりを整えることは必要だ。なぜならば人は印象に騙される生き物だからね。身なりがきちんとして、たとえば地位や名誉まであったら、たいていの人は相手が人格者だと思うだろう? たとえ裏でどんなえげつないことをしていてもね」

 間違いなく正装であるはずなのに、身なりを整えていないと言われる始末。さすがのアローも、これにはどんよりと暗い気持ちにさせられた。

 しかし、あからさまに遊び歩いてきた気配を丸出しにしてきたハインツが、自分を棚に上げた発言を行うことの意味については、考えないこともない。

「今のは、この事件に関する君の見解か? それとも単なる自己紹介か?」

「受け取り方は君に任せよう。ぼんやりしているのかと思えば、意外に頭は回るようだね。しかし、君が不審者だったのは確かだ。ここから出たらまず着替えたまえ。服は用意しよう」

「……これは師匠から受け継いだ大切なものなんだが」

「ならば大切にしまっておきなさい。そのままの姿で出すのは、私はともかくヒルダ嬢が嫌がりそうだしね」

 司祭が大げさに困っている、といった手ぶりをするその後ろで、ヒルダはうろんな顔でにらみつけている。いつの間にか戻っていたらしい。

「カーテ司祭。人の名を使って勝手なことをおっしゃらないでください」

 手にはアローの手荷物である黒い包みを、わざわざかごに入れた状態で持っている。

「汚れ物のように扱わないでくれ」

 アローが文句をつけると、ヒルダは申し訳なさと困惑の入り交じった顔になる。そんな彼女を見て、ハインツは得たりとばかりに口角をあげた。

「ヒルダ嬢、もしかすると君は死霊の類は苦手なのかな?」

「えっ!? いえ、決してそんなことは!!」

「別に隠すことではないだろう。死霊が苦手だなんて、戦女神と讃えられる女傑にも可愛らしいところがあるものだ。きっと男性陣が放っておかないよ?」

「そういうのは求めていません!」

 ヒルダは顔を真っ赤にして反論する。その態度が、ハインツの指摘が図星であることを如実に表していた。

 そんな二人のやりとりを眺めて、アローは一言。

「それならそうと早く言ってくれたら良かったのに。苦手なものは仕方がない。司祭にお願いすれば良かったな」

「いえ、その……苦手というか、できれば避けたいというだけであって!」

 ヒルダは慌てて首を横に振るが、苦手だということを白状したも同然だということにはたと気がついて、がっくりと肩を落とした。

「……本当に、少し苦手なだけよ。少しだけ、だからね?」

 戦女神にも、恐ろしいものはあるらしい。

 死霊を恐れるのは、何も特別に不名誉なことではない。魔術や神の祝福なしに、死霊などの霊的存在を見ることができる人間は一握りだ。そしてこの国は魔術研究があまり盛んではない。

 人間は自分の知見が及ばないものを、恐れる傾向にある。見ることができない死霊など、恐れる対象としてはむしろありふれたものと言っていいだろう。魔術の素養がない彼女が死霊を恐れていたとしても、不思議ではなかった。

「死霊を恐れることは、特別に恥ずかしいことではない。もっと自分に素直になっても僕は笑わないぞ。そこの司祭は知らないが」

 ちらとハインツに目をやると、ニヤニヤしていたこの司祭は思わぬ攻撃におどけた様子で肩をすくめて見せた。不用意にヒルダをからかったことを揶揄されて、この点において反論することはできない、と言ったところか。

 ヒルダの方は、ハインツの下世話なからかいよりも、死霊への恐怖がバレたことの方がよほど甚大であるらしい。静かに深いため息をつく。

「そうは言っても、個人の苦手意識で職業差別をするわけにはいかないわ」

「その割には迷うことなく僕を逮捕したな。その上、死霊術師と聞いて疑いを深めていたな?」

 何せ初対面で剣を突き付けられたのだ。死霊が怖いかどうかよりも、そちらの方がアローにとってはよほど心外である。現に彼女が誤認逮捕を行ったせいで、牢屋に入れられているわけだから。

 しかし、ヒルダは口元にひきつった笑みを浮かべている。

「再三に渡っての残念な通告になるけど、貴方の格好はどこからどう見ても、寸分の疑いもなく怪しいわ。死霊術師という職業に理解がなかったことについては、ごめんなさい」

 ここまで何度も言われてしまうと、さすがにアローも少しばかり自分の認識を怪しく思いはじめていた。ミステルはを信用してはいるが、彼女もたまに都に出る以外は森に引きこもっていた身だ。基準値がずれている可能性は高い。職業理解が足りなかった点は素直に謝られてしまっただけに、余計にいたたまれなさが増す。

「僕もここまで全否定されたことは予想外の事態だった。妹と共に認識を改める必要性を感じている。それと、僕の職について理解を示す姿勢にはお礼を言っておく」

「何というか貴方、格好と世間ずれしすぎている以外は、普通に良識的なので対応に困るわね……」

 それぞれ、何となしに和解の道を示したところで、ハインツが牢の護符を解除してくれた。魔力を阻む壁がなくなったので、瓶に閉じこめられていたミステルが勢いよく飛び出す。そして鉄格子の向こうにいアローに愕然とした。

「お兄様!! ああ、何てことですか……卑劣なる騎士に囚われて!! どうぞこのミステルにご命令ください。必ずやあの女騎士を呪い殺して……」

「ミステル、それはむしろ僕の容疑を深めるだけなのでやめてくれ。それと、彼女は割と理解のある人物みたいだよ。初対面のことは水に流そう」

「ああ、お兄様はどうしてそう、お優しいことをおっしゃるのです。それではこの女がつけあがりますよ」

「大丈夫、話せばわかるよ」

 怒りに任せて怨念をまき散らすミステルをなだめすかして、ヒルダとハインツを横目でみる。ハインツは何もしなくても見えているのだろう。苦笑いで肩をすくめてみせた。一方、ヒルダは怯えたところを見せないように必死に耐えている表情。彼女にしてみれば、アローが何もない虚空に話しかけているように見えるはずだから、さぞ不気味な光景なのだろう。

「ミステル、こっちにおいで」

 できるだけ優しい声音でそう呼びかけると、義妹も少しは気持ちが収まったらしかった。

「はい、お兄様」

 素直に鉄格子に近づいた彼女の額に、手を当てる。

「お前の姿を誰にでも見えるようにする」

「良いのですか?」

「僕の疑惑はあらかた晴れている気はするけど、念のためにね。一応、僕の容疑を完全に晴らすためにも必要なことだから、理解してくれるか」

「わかりました。この女に姿を見せるのは気乗りしませんが」

 額においた手からアローの魔力を受け取って、うっすらとしていたミステルの輪郭がはっきりとわかるようになる。後ろでヒルダが「ひゃっ」と声を上げたのは気にしないことにした。慣れてもらわないと話が進まない。

 生きていた時と寸分違わぬ姿で、ミステルは地面に降り立った。姿がはっきりとしたところで、魂に人の肉体のような重みはない。地面に立っても足音一つならなかった。

 その後ろでヒルダはぎゅっとつむっていたが、静かさに違和感を覚えたのかおそるおそる目を開く。そしてミステルを見てきょとんとした顔になった。

「…………お綺麗ですね」

 思っていたよりも人間そのままで怖くない、という意味なのか、それとも言葉通りミステルが綺麗な顔立ちだと言いたいのか。両方なのかもしれない。

 これにはミステルも出鼻をくじかれたらしい。数度口をパクパクさせた後に、小さく「何も知らないくせに」と呟いて頬を膨らませた。

「さて、君はアロー君の使い魔ということでよろしいのかな? 私としては……恐らくヒルダ嬢も、アロー君が犯人ではないだろうと考えてはいるが、一応形ばかりでも説得力のある理由を考えなければならなくてねぇ」

 ハインツが大げさに残念そうな表情を作ると、ミステルは不信感を露わにする。

「お兄様、この男は女の敵の匂いがします」

 兄がナンパ師を目指していることを棚上げしてそう言った妹に、アローは真顔で首を横に振った。

「別に変な匂いはしないよ。むしろ花みたいな匂いが……」

「お兄様は少々世間に疎いところがありますので、お気づきいただけなかったようですが、それは商売女の好む香水の移り香だと思われますよ」

「商売女? 店をやっているのか?」

「ご安心ください。お兄様には縁のない店ですから」

 兄妹のかみ合わない会話を微妙な顔で聞いていたヒルダは、ため息混じりに紙を貼り付けた木板と、インクとペンを手に取った。ミステルの瓶を取りに行く時に、一緒にかごにいれてきたらしい。

「ここで立ち話をしていてもらちがあきません。必要なことは早くまとめてしまいましょう」

 誰の何を責めているのかよくわからなくなっている状況に、ひとまず全員がヒルダの案を満場一致で可決することになった。

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