第4話 モテたい不審者と戦女神

 アローがワルプルギスの店を訪ねる少し前のこと。

 騎士、ヒルデガルド・ティーヘは、王都グリューネ巡回の任務にあたっていた。

 ヒルデガルド――ヒルダは、この王都ではちょっとした有名人である。女性でありながら入団資格を得る十二歳にしてすぐに試験に合格、騎士となった。剣技では同期の誰にも決して負けはしない。国王御前試合では歴戦の猛者である隊長や副隊長格の騎士たちと渡り合い、戦女神ヒルダという大げさな二つ名がついたほどだ。

 もっとも、基本的に平和なこのグリューネでは、戦女神の活躍する機会などたかが知れている。街道に住みついた盗賊や森から這い出してきた魔物の討伐くらいで、あとは王都の警備くらいのものだ。

 それでも真面目な性格ゆえに真摯に仕事をこなし、上官からの覚えは極めて良い。後輩からも慕われていて、騎士生活は順風満帆だ。何も不満に思うことはない。皆が平和に過ごせるのならば、それは騎士にとっての誇りである。

 だからこそ、こんな平和な街で事件が起こったことは、彼女の心を暗澹たる気分にさせていた。

 しかも事件の捜査を依頼してきたのが、あまり関わり合いになりたくない人物だったのがいけない。

「あの軽薄な男の依頼だと思うからいけないのね。これは仕事、仕事よ!」

 ただでさえ苦手な相手からの依頼なのに、事件のあらましを聞くだけで拒否反応が出そうになった。依頼相手とは別の意味で、彼女にとって苦手なものだったのだ。騎士として、仕事を投げ出すわけにはいかない。こんな事件は一刻も早く解決してほしい。そのために、今日も彼女は自ら街の巡回を買って出た。

 一昨日も昨日も、事件のことなど何事もなかったかのように平穏だ。今日も何もないかもしれない。

 ――と思った彼女の予測は、鮮やかに裏切られた。

「……うっわ、怪しい」

 ひときわ異彩を放つ人物が、辺りをきょろきょろと見回しながら歩いている。

 通りすがる住民も、ちらりと彼に目をやっては、そそくさと逃げていく。その人が逃げていく様子を見て、さらに彼は首を傾げる。

「どうしてだろうね?」

 心底不思議そうに、彼は呟いた。

(どうしても何も、それだけ怪しい格好していたら、人も逃げるわよ)

 ヒルダの内心を知ってか知らずか、彼はのんびりとした足取りで歩いている。何やらぶつぶつと会話のような独り言をつぶやいているのだが、やがて彼が何に向かって話しかけているのか気が付いた。小脇に抱えた手荷物に話しかけているのだ。

(う、疑いようもなく完全にアブナイい人じゃない……)

 思わず腰の剣に手が伸びた。だけど、まだ剣は抜けない。怪しいだけの一般人かもしれない。怪しすぎるが。怪しすぎる。なるほど怪しい。だけどまだ何も起こっていない。

 声の感じでは、意外と若いように思える。彼はしきりに辺りを見回しながら歩き、そして何を思ったのか道行く若い女性にかたっぱしから声をかけまくっていた。

「すみません、よろしければ少しお話しませんか」

(そ、そこでナンパするの!? っていうか、これ、ナンパ? ナンパ……なの?)

 内心のツッコミが止まない。当然ながら、娘は全力で首を横に振って逃げていた。

「どうして彼女、あんなにおびえていたのかな?」

 心底不思議そうに首をかしげながら、彼は再び手荷物と会話しはじめる。

(そんなの、貴方が怪しいからに決まっているでしょ……)

 半ば呆れ顔になりつつ、彼の後をつける。彼はヒルダの存在に気づいた様子もない。

「僕がブサイクだからかと思っていたよ」

(どうしてそうなるの!? そもそも顔、見せてないわよね!?)

 ヒルダが後ろで内心呆れたりツッコんだりして忙しい中、のん気な不審者は、相変わらず通行人に全力で避けられながら大通りを歩いている。

「とりあえず、当面の宿を探そうか。さっきのとこは断られちゃったしね」

(だから、貴方が怪しいからでしょう!?)

 これが任務中でなければ、声にだしてツッコみたい。肩をつかんでガクガク揺すってやりたい。

「すみません、よろしければお茶でも……」

 また、道行く少女に声をかけて、小さな悲鳴と共に全力で逃げられている。もう何をしたいのかわからない。

(言動がおかしすぎて、逆に心配になるわ……)

 不審な言動に似合わずのほほんとした様子の彼に、何となくお節介心をくすぐられてしまう。ヒルダはどこかはらはらとしながら、それでも自分の職務を忘れなかった。足音を忍ばせて更に追いかけていく。

 だんだん裏路地の方へと入って、彼は不意に立ち止まった。そのまま、延々と手荷物との一人会話を続けている。

 こちらから声をかけてみるべきか、もう少し様子を見るべきか迷っていると、不意に彼がこうつぶやいた。

「こんなことじゃ、生け贄を探すのも大変だな」

(――生け贄?)

 どくん、と心臓がざわつく。

 聞き間違いではなかったと思う。確かに彼はそう言った。ヒルダはいつでも剣を抜けるように、手をかける。

 入り組んだ路地を行く彼を追いかけ、怪しげな店に入っていくのを見届けた後、その店の門扉を前に立ち尽くした。


 グリューネに暗雲をもたらす連続女性呪殺事件の犯人は、今、この中にいるのかもしれない。



 アローは再び、困っていた。思えば、王都に来てから困っていないことがない。

 鉄格子の向こう側に、アローと同年代の少女が剣を片手に立っている。金色の長い髪をきちんと結い上げていて、翡翠色の意思の強そうな瞳が印象的だ。神秘的な美貌を持つミステルとは、種類の違う凛とした美少女だと思う。

「ヒルダさん、あの手荷物だけでもここに持ってきてくれないか?」

「認められません。貴方の荷物はこちらで大切にお預かりしています。容疑が晴れたら全てお返ししますので、もう少しご辛抱願います、アーロイス・シュバルツさん」

 何度目になるかわからないやりとりを交わす。ここは王都騎士団領内監房である。カタリナの店を出たすぐ後に、アローは少女騎士に剣で脅されてここに連れてこられた。

 何故か自分にはとある事件の容疑がかかっているようだ。アローが把握できたのはそれだけで、何も教えてもらえないし言い分も聞いてもらえない。ミステルの遺灰も杖も取り上げられて、丸腰のまま地下牢に放り込まれてしまった。

 全く身に覚えがないことなので、弁解のしようもない。何が起きているのかすらさっぱりわからないし、ミステルがいなければ潔白を証明することすらできないのだ。

「そこを何とかできないのか、ヒルダさん。大事な荷物なんだ」

「先ほどから気になっているのですが、どうして私の名前をご存じなのですか?」

 翡翠色の瞳が気味悪そうにすがめられる。どうにも、職業を聞かれてバカ正直に死霊魔術師と言ってしまったのが失敗だったらしい。必要以上に怪しまれている。カタリナの言うとおり、死霊術師への誤解と偏見は深刻なようだ。

 しかし、ヒルダの名前を知った理由は、死霊術とは何一つ関係ない。

「名前はヒルデガルド・ティーヘ。僕の一つ下で、十六歳。上流貴族の出自で、戦女神ヒルダの異名を持つ剣の達人。僕の荷物を押収した少年騎士が、聞いてもいないのに熱く詳細に語ってくれたぞ。怪しい術など使っていないので安心してくれ」

「……後できつく叱っておきます」

「あと、僕のことは気軽にアローと呼んでくれ、戦女神ヒルダさん」

「善処いたしますので、戦女神はやめてください」

 まさか、経歴を全部さらされているとは思いもよらなかったようだ。少女騎士――ヒルダは恥ずかしそうに頬を赤くしている。こうすると、凛とした印象が和らぎ年相応に見えた。

「とりあえず、冷静になって話をきいてくれないか。僕は疑われている罪状について全く身に覚えがない。今日、都についたばかりなのに誰をどう呪殺するんだ? 本当に犯人なら、バカ正直に職業を死霊術師なんて言うと思うのか? というか、死霊術師を何だと思っているんだ。呪殺師と混同しないでくれ」

 死霊術師の誤解がとければ、大体のことが解決する気がする。アローはそう判断したが、ヒルダの反応は白けたものだった。

「その意見は考慮させていただきます。しかし、不審な行動を貴方がしていたことは紛れもない事実です」

「どこが不審なんだ?」

「ご自覚がないので? ご冗談はほどほどにお願いいたします」

 真顔で聞き返されても、アローにはまったく意味がわからない。もしかすると、知らない内に何かをやらかしていたのかもしれない。何せヒキコモリの世間知らずだ。

 今更気づいたところで、後の祭りである。牢獄に入ってからでは意味がない。

 アローにできることは、少しでも誤解を解く情報を提示することだ。死霊術師差別、反対。

「大体、呪殺の疑いと言うけど、君たちは呪殺に関して正しい知識を持っているのか? 呪殺なんてそんな簡単なものじゃないぞ? まず、知り合いじゃないと難易度が跳ね上がる。材料だっているだろう。僕は何年も森に住んでいて、妹以外の人間に会ったのなんて数年ぶりなんだ。知っている人間なんて数えるほどしかいない」

「それを証明できる方はいらっしゃいますか?」

「だから、あの荷物を持ってきてくれ。それで証明できる。あれには僕の使い魔が宿っているから」

「魔術的な物品を証拠として扱う場合は、魔術知識を持つ公的機関の協力が必要となります」

 思いの外面倒くさい。先ほどから堂々巡りもいいところだった。

 遺灰がすぐ近くにないと、ミステルと会話することはできない。当然ながら、姿を見せることもできない。

 ミステル以外にアローが森から出ていないことを、証明できる人物はいないはずだ。カタリナだって、ミステルとしか会っていないというだけで、アローが森から出なかった証明はできない。

 まさか、人と関わらずに引きこもって生きてきたツケを、こんな形で支払うことになるとは思わなかった。

「ところで、そもそもあの手荷物の瓶はどういった用途にご使用なさっているのですか? しきりに話しかけていたように見えましたが」

 アローがミステルと話していたところを、ヒルダは見ていたらしい。とすると、彼女は結構前からずっとアローの後をつけていたのだろう。ミステルも気づかないほどに気配を殺していたということだ。これはすごいと思う。戦女神は伊達じゃない。素直に感心した。

「別に君が心配するほど怪しいものじゃない。あれはミステルの……僕の妹の遺灰だ」

「ひゃっ!?」

 ヒルダは思わず剣を取り落とし、青ざめた顔で手をぱしぱしと払いだした。まるで汚いものを触ったかのような反応に、少しムッとする。

「人の妹を相手に失礼だな。死後に使い魔になれるくらい強い魔術師霊なんだぞ、もっと敬意を払え」

「だって、遺灰って……!」

「汚いものを扱うようにしないでくれ。あれにはミステルの魂が宿っているが、僕がそばにいなければただの灰でしかない。ミステルに証言させるにも、そばに持ってきてくれないと意味がないんだ」

「そそ、そういう、もの、ですか?」

 青ざめた顔で引きつった笑みを浮かべるヒルダを見て、アローはがっくりと肩を落とした。彼女に頼んでも、持ってきてもらうのは無理そうだ。

 まさか王都に来た初日に、知りもしない呪殺事件の容疑者扱いされるとは思わなかった。ナンパどころか今夜の宿も得ないまま、ここで足止めである。死霊術師への偏見は根が深い。

 アローは今、ミステルを復活させることで忙しいのだ。呪殺なんてやっている場合ではない。生きている人間じゃなければ魂を少し分けてもらうことなんてできないし、呪殺された人間の身体には、術者の魔力が残るから素材として使いづらい。だから呪殺なんてもったいないことはしない。

「ん……?」

 そこで、はたと気がつく。カタリナが言っていた若い娘ばかり死ぬという『美人薄命病』とやらが、この連続呪殺事件のことではないだろうか? つまり、都で流行っているのは病ではないということだ。

 そうなると、事情は変わってくる。冤罪であることにかわりはないが、少なくとも他人事ではない。

 ミステルも、病死ではなかった可能性が高くなるからだ。

(でも、ミステルだって魔術師だぞ? 魔術師を簡単に呪殺できるわけがない)

 アローの助手として、共に魔術をたしなんできたミステルだ。呪術から身を守る方法くらい、心得ている。むしろ呪術に関して言えばミステルは、アローよりも詳しいといっていいだろう。

 それに、魔力によって殺されたのなら、ミステルは自分の死因を『病』だとは言わないはずだ。

(どうも、不穏な匂いがするな)

 調べなければいけないことが、いくつかできた。

「どうかされましたか?」

「いや。容疑を晴らす機会はいつ与えられるのかと思って」

「それは……」

 ヒルダの毅然とした態度が、少しだけ緩んだ。

 彼女は困ったように肩をすくめる。

「申し訳ありません、魔術に関する事件には教区の担当司祭が同席することになっております。司祭が来るまでお待ちいただくしかありません。連絡はもういっているはずなのですが……」

 つまり、騎士をせかしたところで、その司祭様とやらが到着してくれないことには、潔白の証明もしようがないらしい。

(うーん、これは牢屋に一泊かな?)

 事態はアローが思っていたよりも厄介なようだ。

 確かに、魔術師が容疑者の場合、魔術的な対抗手段がなければまともな捜査ができないのは納得できる。犯人が人の心を操る術をもっているとしたら、いくらでもねつ造ができるからだ。今も、この牢屋の鍵には魔術封じの護符が巻きつけられている。

 魔術の師匠はさほど素行のよろしい御仁でもなかったので、何かがあった時のためにと冗談交じりにこういった護符の壊し方も教えてくれていた。だが、さすがに実践したことはない。そもそもそれを実行に移した時点で、ヒルダに問答無用で斬り捨てられても仕方がない。それに、脱獄したらナンパどころではなくなってしまう。最終手段にしておきたい。

 身の潔白を証明する手段も足りていなかった。何せこちらは王都にきたばかりで、街の地理ですら七年も前に一度来た記憶と、ミステルの案内頼みでいたのだ。この点もついても、カタリナの証言はたいして期待できない状況である。待ち伏せされていたということは、カタリナの店に行く前の行動を問沙汰されているのだから。

 ――しかし。

「僕が犯人で、逃げられる術を本当に持っているのだとしたら、そもそもおとなしく捕まるわけがないだろう」

「……それもそうですが、死霊術師とのことですし」

「だからどうして世間は死霊術師と呪術師を一緒くたにするんだ」

 ヒルダはますます困惑した顔になったが、もう一つため息を吐くと、まっすぐな目でアローを睨みつけた。

「世間の認識不足については私には何とも言いかねますが、今回の嫌疑については先ほども申し上げました通り、貴方自身が不審だったからでしょう」

「だから、どこが?」

「真顔で聞き返されても困ります。まさか、本気で自分は至って普通だと思ってらっしゃいましたか?」

「うん」

 素で何がおかしいのかわからないアローは、小首をかしげる。そんな彼の様子に、ヒルダは頭を抱えて深い深いため息をついた。

「まずは、その怪しげなローブを脱ぐことをおすすめします。あと、人と話す時はフードを取ることを」

「怪しげって、これは師匠から受け継いだ財産だぞ。魔術師の正装だ。それに、フードを取ると顔を見られてしまうじゃないか」

「何か魔術的な理由がおありですか?」

 疑わしそうな目を向ける彼女を、アローは不思議そうに見上げた。顔を隠すのにどうして魔術が関係あると思ったのだろうか。

「いや、ブサイクで恥ずかしいからだ」

 ヒルダは頭を抱えてその場に屈みこんだ。アローの発言は、何故か酷く彼女を脱力させてしまったらしい。第三者が見ればそれも当然のことなのだが、何せアローは世間に疎すぎた。

 やがて立ち直ったらしい彼女は、呆れた様子で立ち上がって腕を組む。

「……今すぐフードを外してください。これ以上、嫌疑を深めたくないのでしたら」

「…………わかった。死ぬほどブサイクでも笑うなよ」

 顔を見せないという選択肢は用意してくれそうもなく、アローは渋々とフードを外した。これ以上不用意に疑われると、ミステルとの再会が遠のいてしまいそうだ。

「…………」

 顔を晒した途端に、ヒルダはきょとんとした顔で黙り込む。

「無言になるほどおかしいのか?」

「いえ……あの、つかぬことをお聞きしますが、本気で言っていますか?」

「何が?」

「…………いえ、あの」

 まじまじと見つめて、今度は真顔で首をひねるヒルダを一瞥して、アローは居心地が悪くなってくる。

 青みがかった銀髪に、月夜のような深い紺碧の瞳。ずっと樹海暮らしをしていたせいで、日焼けを知らない白磁の肌。それらが作り物のように完璧に配置された顔。

 よほど特殊な性癖を持つ人間ではない限り、間違いなく美形と評価するであろうその顔の造りを、アローは醜いと信じている。浮世離れした世間知らずな兄にうるさい女の影が寄りつかないようにと、森にいた頃からミステルに日々啓蒙されてきた。「お兄様の見た目は人を驚かせるので、他人には見せないようにしてください」と――。

 それをアローは曲解していた。アローはミステルやヒルダを美人だと思う程度には美形について理解していたが、何せ朽ちかけの死霊を見慣れているので美醜の基準が独特になっていたのである。美人はどこまでも美人に見えるし、人間の形をしていればとりあえず綺麗なのではないか、というガバガバの基準をミステルの言動を参考に補正した結果、顔を隠せと言われる自分はよほど変な外見なのだろうと判断していた。

 もちろん、ヒルダはそんな事情を知る由もない。思いのたけを力強くアローに叩きつけた。

「もう少し積極的に顔を出した方がモテるんじゃないの!?」

 予想外の回答に、今度はアローが面食らう番だった。

「何故だ!? それと僕がモテたがってることを知ってるのもどうしてだ!?」

「あれだけ、行く先々でナンパしていたじゃない」

「そこ見てたのか!?」

「もうずっとツッコミたくて仕方がなかったのよ、こっちは! とにかく、何をどう勘違いしたのかわからないけど、顔を隠す作戦は完全に逆効果よ!」

「顔が悪くても人柄が良ければモテると妹が言っていた!」

「人柄以前の問題だし、貴方は言うほど顔が悪くないわ。むしろかなり良い部類よ」

「お世辞を言っても、やっていない罪の自白はしないからな?」

「信じなさいよ、そこは!」

 いつの間にか、ヒルダの口調から敬語が消えている。それだけの衝撃だったのだろう。彼女にしてみれば、アローが顔を隠して怪しさ満点の格好をしていたからこそ、不審に思ったのだ。仮に彼が流行りの服を着て道行く若い女性に声をかけまくっていたとしたら、軽薄な男だとしか思わなかったわけである。

 女性の方としても、数人はすんなりと引っかかっていたかもしれない。一人会話については怪しまれても致し方ないが。

 とはいえ、森育ちで世間知らずの極みであるアローには、ヒルダの率直な意見よりも、愛する妹であるミステルの言葉の方が重かった。ミステルはアローの曲解を否定しない。むしろ都合が良いものとして肯定しまくっていたので、アローの基準値は斜め上に突き抜けたままだった。

「おかしい……ミステルが僕に嘘なんてつくはずがないのに……そうか、君は僕に気を使ってくれているんだな。いいんだぞ、笑ってくれても。大丈夫、この国の人々は皆僕よりは多分美形だ」

「自虐的にならないで! 別に気を使ったわけでもないし……もう、何か私が悪いみたいじゃない……」

 暗澹たる表情でつぶやくと、ヒルダは慌てて首と手をぶんぶんと横に振る。アローは、彼女の言葉を自分なりに解釈して、納得し、うなずいた。

「そうだな。ミステルもパーツは悪くないと言っていた。一部だけ見せていればあるいは美形に見えなくもないかもしれない。配置が微妙なだけで。これからは顔半分くらいチラ見せする方向で……」

「別に変な配置とかじゃないから安心して!? っていうか貴方、色々大丈夫なの!? そのミステルさんって人に騙されていない?」

 遠い目になっているアローの肩を、鉄格子ごしに掴んでがくがくと揺するヒルダ。

「大丈夫、大丈夫だ。揺らすな。人柄に関して言えば、それほど悪くないと思う。……あの、本当にそろそろ揺さぶるのをやめてくれ、目が回る」

「あっ、ごめんなさい」

 ヒルダがパッと手を離す。二人の間に、微妙な空気が横たわった。

「あれ、何の話だっけ」

「……こほん、フードを外した方が怪しまれないという話だったはずです」

「そうだったな?」

 何だか気が抜けてしまった。アローはかびくさい牢屋の床に、足を投げ出して座り込む。

「ああ、ミステル以外の人間とこんなに話したのは久しぶりだ」

「私もこんな風に話したのは久しぶりな気がします。取り乱して、失礼しました」

「今更、敬語に戻さなくてもいい」

「それもそうね。はぁ……何だか貴方が犯人じゃないように思えてきた」

「最初からそうだと言っている」

「生け贄がどうのと言っていたのは貴方じゃない」

「それには深い事情が……」

「おや、ずいぶん仲良しになっているんだね」

 突然横から割って入った声に、鉄格子を挟んで二人が同時に横を向いた。

 そこには背の高い男性司祭が立っている。金糸で刺繍を施された白い長衣に、琥珀色の石を繋いだ首飾りは中心に豊穣の女神フライアの紋章入りの青金石がある。ゼーヴァルト国民の大半が信仰している、フライア聖教の司祭正装だ。

 状況的に考えて、彼がヒルダの言っていた、魔術事件に同席する担当司祭であることは間違いない。

 しかし。

「ん? どうしてそんな怪訝な顔をするのかな? 私の顔に何かついているかい?」

 ついていた。

 いかにもついさっきまで遊んでいましたと言わんばかりに、頬にべったりと女の口紅の跡が。

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