一人になりたいときは、いつもこの工場に来ていた。ここなら引火するものも、人も来ない。否―――もうない、か。危ないからと、またあんな事故が起こったら危険だからだと、もう撤去されてしまったわけだし。……その処置が、もっと早かったら。あいつらがここを見つけなかったら。あいつに気付かなかったら。俺が、もっと早く来れたら。俺が、俺が―――。

「……………………しょう

 考え事は、いつもここでするようにしている。そうすればもう誰にも被害はいかないし、あいつだって。安心して考えに耽られる場所。考えすぎて暴走しても、我に返るまで誰も来ない場所。

 それでも、あいつが来てくれるしまう―――場所。

「………悪い。考え事、したくて」

「また夢でも見たんだろ。あの時の夢」

 あの時、という単語に、翔と呼ばれた青年が反応する。あの時―――あの時。どうしようもなく俺が幼くて、頼りにならなくて、助けることができなかったあの瞬間。間に合わなかった、あの時。あの、事件。

 苦しかっただろう、辛かっただろう。想像を絶するほどの痛さだっただろう。ごめんな、本当に、ごめん。何度謝っても謝り足らず、何度涙を零したことか。きっと今の自分の足掻きなんて、あいつが味わった苦しみに比べれば毛ほども無いだろう。

 だからこうして悩むのも、筋違いにも程があって。

「助けてって…あの目が、俺を見てくるんだよ。炎の中から、俺に助けてって言って来るんだよ。でも、俺は何もできない。何もしない。火が怖くて、手を突っ込んで差し出すだけでよかったのに、それだけでよかったのに。できなかった。できなくて、あいつの目が、ずっと、ずっと俺を見てくる―――」

「翔!!」

 俺が、あの時あの場所にたった一人残った、俺だけが。俺だけが―――あいつを救えたのに。俺が助けられなかったから、あいつは。どうして勇気が出なかったんだろう。どうして、どうして。目頭が熱くなる。奥歯を噛み締める。思い切り拳を握って―――。

 ―――翔の体から、焦げ臭いような匂いが香った。すかさずもう一人の青年が肩を掴むと、在り得ないその匂いは影を潜める。……また、またやりかけた。今度いつまた同じ過ちを犯すかわからないのに、どうしてこいつはまだ傍にいてくれるんだろう。肩から伝わってくる体温に、ぽとりと涙が落ちる。

 あいつは、この温もりを、知っているんだろうか。

 この世にも、拓真たくまみたいに良い奴はいるんだって―――知ってたんだろうか。

「…………………なぁ、翔」

 ぽろぽろと落ちていく涙はどこか他人行儀に思えて、熱だけが燻っている。熱い―――熱い、痛い。これでいい。俺には、これでいい。そんな翔の肩を、拓真は掴んだまま。離れないように、離さないように。

「お前の病気―――治せるとこ。やっと、見つけた」

 ゆっくりと、翔は顔を上げる。涙で濡れた頬に、隙間から差し込む朝日が反射して。大泣きしたあとの子供の様な顔に、拓真は悲しげに眉を寄せた。それを見ても、翔はぼうっと遠くを見つめるだけ。

 これが―――治せる?

「悔いるのは、病気直してからでも遅くないだろ? 今日行ってみようぜ、とりあえず飯でも食ってさ」

「…………………」

「朝起きたらいないんだもん、普通に驚いたわ。一旦帰ろうか、な」

「…………………」

 翔は何も答えない。沈黙を肯定と受け取ったのか、拓真は背を向けて歩き出した。いくら時間がかかろうと、翔は絶対に着いてきてくれるという絶対的な信頼が背中から伝わってくる。付き合いの長い友達の、泣きたくなるほどのやさしさ。………本当に、お前はお人好しで馬鹿で、良い奴だ。

 その背中が角を曲がる前に、ふらふらと翔も立ち上がる。涙で無理やり光の灯った瞳が、なんだか彼から魂が抜けているように感じさせて。

 誰かが、彼の魂を連れて行ってしまっているような。

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