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「
「待ってー……久々のご飯だから、もうちょっと味わってたい」
「あ、そっか……。じゃあ喰い終えたら家の方来てね、俺診療所閉じてくるから」
「はーい」
第一診察室の隣にある第二診察室のベッドで寝転がる彼を見てから、部屋を出る。一応見回ってみるものの、樹が特に何も言わない以上妙なものが侵入しているはずもない。ま、ほとんど惰性の習慣みたいなものだしね…。ここ数年使っていない点滴室をさっと見回し、隣のレントゲン室も見て回る。
各部屋を覗きつつ、右腕だけ半袖の白衣を着た男―――
まあ、それが、自分の選んだ道なのだけれど。
玄関まで行ったところで、下駄箱の後ろに隠れるよう配置された小さなスイッチを押す。これで外の看板の電機は消えた、あとはシャッターを下ろすだけ。看板も…どうにかしなきゃなんだよなあ……。一日の最後で必ず頭を悩ませるのだから、さっさと片付けてしまえばいいのだが。よく樹に指摘されるけど、本当にズボラなんだよな俺。
一旦外へ出て、茂みに隠してある棒を取り出す。この田舎風景にわざわざ強盗に入るような人間なんていないだろうが、万が一の念のためだ。先端のL字型になっている部分をうまいことシャッターの端に引っ掛け、手の届く位置まで下ろす。腕を伸ばしかけたとき、ふわりと視界の横を白いものが横切った。あ、包帯解けかけてら。
右腕の肘から下を満遍なく覆うそれが解け、緩く垂れ下がっている。そういえばさっきの患者さんにも注意されたっけ…。どこがどう解れたのやら。解けないように左手で押さえつつ、シャッターを下ろして裏口から中に入った。そんなに時間も経ってないし、樹もまだ喰い終えていないだろう。
関係者以外立ち入り禁止、と自分の筆跡で書かれたプレートの下がったドアを開ける。中に続く階段は地下に続いているものの、その先は立派な居住区だ。作るとき好き勝手樹にリクエストしたので、日当たり以外は完璧な住まいと化している。うんうん、やっぱり住むなら都にしないとだよな。一人頷きつつ階段を降りていく傍ら、そうだと礼侍は振り返った。
「すぐに夕飯作っとくぞー!」
微かに返事したような声が聞こえる。きっと食べるのに忙しいのだろう。自分がもう少し有名だったらという罪悪感と、今日は手に入ってよかったという安堵が代わる代わる胸を刺す。たぶん、樹はそんなこと、気にしてないのだろうけど。
台所へ向かい、冷蔵庫を開ける。中には卵と野菜が少しと、調味料はすべて揃っていた。ご飯は朝炊いたのが残ってるから、オムライスかな。必要な材料を取り出し、いつものように包丁を握る。
ニンジンと玉ねぎ、ウィンナーをを取り出し手早く切り刻む。野菜類を先に炒めてからウィンナーを入れ、そこに冷ご飯を入れて。適当なタイミングでケチャップと塩コショウで味を調え、一旦皿に盛りつけて…。
できたチキンライスを卵で包む頃には、ほくほくと幸せそうな顔をした樹が食卓に着いていた。
「おいしかった?」
「うん、かなり進行してたからねー。もうちょっと来るのが遅かったら、もっとおいしくなってたんだけど。今回の部位はどこ?」
「やめて俺今料理中。部位脳だったんだよ」
「俺は平気だもん」
「そんな子に育てた覚えはないんだけど……」
軽口をたたきつつ、皿にオムライスを盛り付ける。普段の食事量が食事量だとはいえ、樹は少量でいいだろう。もう一つ少し小さめのオムライスを作り、食卓へ。待ちきれなかったのか、樹は食卓に台拭きを走らせていた。本当によく食べるなあ…。ありがとうと言いつつ、スプーンを二本取り出す。一本を樹の前に、一本を礼侍の前に。
「いただきまーす」
「どうぞー」
言うが否や、樹はスプーンを引ったくり口に運んでいく。少量にしたものの、ぱくぱく食べていくスピードはやはりいつもと変わらなくて。ご飯の前に食べたのに、相変わらずよく食べるなぁ…。礼侍とていつもより腹が空いているが、それでも一気に食べ終えそうな樹には敵わない。それだけ、彼がいつも頑張ってくれているということだが。
樹が早々に食べ終え、礼侍が半分くらいまで食べ終えたところで。そうだ、なんてついでに持ってきていた麦茶を口に含んだ。
「ねぇ樹、今日のはどういう”言霊”だったの?」
幸せそうにお腹を擦っていた彼は、その言葉にすっと表情を変える。具体的に言うと、よくぞ聞いてくれましたとでも言わんばかりに。ああ…かなり進行してたんだな……。それでもって大満足だったんだな………。きちんと椅子に座り直したところを見ると、最近稀に見る超上機嫌のようだ。
「夢を見せることができる…っていうより、夢を操ることができる、の方が正しいかな? 自分もしくは相手が寝ている状態で、夢を見せる・相手の夢を見ることができる。使い勝手さえわかっていれば、夢の中に入ったり、好きなように変えられたりもできるね」
「え、それかなり便利じゃない? 存在意識下まで忍び込めるっていうか…。……いや待てよ、じゃあなんであの子は夢を見せることしかできないと思い込んでたんだろう」
「そりゃまあ、」
言いかけ、樹はぴったりとしたタートルネックと肌との境界線をぽりぽりと掻いてみせる。よく見れば、服では無いようだ。ボディーペイントにも似たそこに触れつつ、彼は再度口を開いた。
「見せたかったんでしょ。虐められてたけど、今はすごく幸せなんだよーって」
「なぁるほど……いい子だねー」
「ま、それができるようになった原因が、その虐められた傷なんだけどね」
身も蓋もないことを言うなあ………。毒舌と言ってしまえばただの個性だが、どこかで情操教育を間違えて無ければいいんだけど。やっぱり環境のせいとかかなあなんて思いつつ、最後の一口を口に運ぶ。こんな場所で、しかも四六時中一緒にいるのが俺ならまあ当たり前の話か。
樹の分の食器も持ち、台所へと運ぶ。水に浸けておいて、少し休憩したら洗おう。エプロンを脱ぎ、ついでに白衣も脱ぐ。半袖のシャツに、肘から下をすっぽり覆う崩れた包帯。
ちらりと見えるはずの皮膚は、真っ黒だった。
「そういえば礼侍、脳じゃないなら何と引っぺがしたの?」
「さすがに脳だと大騒ぎになるからね…。夢だよ、夢。彼女は夢を見せることができなくなった代わりに、夢を見ることができなくなった。話を聞く限りは現実も充実してるみたいだし、まあいっかなって」
「人は現実に生きてるんだから、別に問題ないんじゃない?」
「お、いいこと言うねー樹さん」
「俺の夢は、白凰堂のプリンをお腹いっぱい食べることだけど」
「微妙にツッコミづらいことも言うねー」
妙なボケを披露した樹は、特に気にすることなくお風呂入ってくるー、なんて奥へと消えて行った。沸かしながら入る予定なのだろう、勿体ないからそのあとすぐに俺も入らなければ。となると、樹が風呂に行っている間に片付けねばならない…。これは休憩している暇はなさそうだと、ふぅと一息つく。
少し経てば、流水音とばしゃばしゃという水がぶつかる音。片方はすぐに止んだが、もう片方は止む前に扉が開いたような音がした。それを咎めるような声と、何か言い返す不服そうな声。妙な立地にある診療所の地下では、今日もああ言えばこういう合戦が繰り広げられるのだろう。
きゃはははは、と、また誰かが笑っている。
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