填海に夜が降る 【自暴自棄】

意舞 由那

 街はずれ。周囲全てを田畑に囲まれた、もはや田舎と呼んでも差し支えない郊外地区。空はどこまでも高く見え、電信柱さえほとんどない。ビル街ではおおよそ聞かないような鳥の鳴き声まで響き渡り、遠くでは森のようなものさえ見える。

 来訪者の存在を最初から考えていないような道は、アスファルトと違い酷く歩きづらかった。卸したてのローファーにしなくて正解だったなあ……。あらかじめマップ機能で道の状況を調べておいたのだが、正直想像以上である。高を括らなくて本当によかったなんて思いつつ、未だ見えない目的地まで歩いていく。

 ただ、こんな辺鄙な、ある意味では患者さんが絶えなさそうなところにあるなんて…? なるべく土煙を立てないようにしつつ、改めて辺りを見回してみる。ネットにはそれらしい建物の写真があったはあったのだが、所詮電子の海の情報だ。書き換えられていたとしてもおかしくはない、いつのものかさえわからないし。すでにもう廃業している可能性だってある。そうなったらもう、お手上げなのだが。

 ふと、一陣の風が吹いた。思わず顔を逸らし、きゅっと目を瞑る。次にゆっくりと開いたとき、少し先にある白い無機質な建物が視界に入っていた。

「………あそこ、かな?」

 いきなり現れた…というには、そこの景色の記憶が曖昧だ。見えていたのに認識していなかった、間違い探しのような。他にそれらしき建物も見えない、きっとあそこでいいのだろう。看板であろう白い板にライトも当たってるし、少なくとも廃業はしていなさそうだ。よかったよかった。診療所のはずなのに何も書いていないのはさておき、人がいることは間違いない。

 ただでさえ、都市伝説のような噂に縋り付いてきただけなのだから。

 よしと気合を入れ、真っ直ぐその建物へ歩いていく。大丈夫、大丈夫。目深に被った帽子のつばを更に引っ張り、よく言い聞かせて。大丈夫、大丈夫…。

 きゃははは、と、誰かが笑った声がした。




「えーと、甘那あまな密奈みつなさん、でいいんだよね。初めまして、僕は新渡戸にとべといいます」

「はい、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 小綺麗に掃除されていた玄関とは打って変わり、荒れに荒れまくっていた受付を抜けて。まるで何か大型の動物が暴れまわったような惨状だったけど、何があったんだろう…? というかそんな状態でも営業しちゃうんだ? ふつふつと湧き上がる疑問は解消されないまま、それでも普通の病院のように診察室まで通される。やはりというか、密奈以外に患者はいないらしい。

 受付が大惨事だっただけで、診察室もいたって普通だった。医者用のデスクと患者が座る椅子、小さなベッド、奥の方に薬品と本が入ったガラス扉付きの棚が見えるだけ。新渡戸と名乗った白衣の男も、温厚そうな雰囲気が相余り医者にしか見えない。これで聴診器でも首にかけていたら完璧なのだが。

 彼が改めて手に持ったカルテを見下ろしたところで、ちらりとその背後を見やる。…紹介はされない、のかな。いやでも、看護師さんとかアシスタントさんとかもいちいち名乗らないよね…。いやでも、いやでも………。じろじろ見るのも失礼だと思い見やるだけにしていたのだが、気付いたのか新渡戸はああ、と声を上げた。

「彼のことは気にしないで。看護師みたいなもんだから」

「看護師さん…?」

「僕の優秀な助手なんだ」

 柔和な雰囲気を一層深めながら、軽く振り返りにこにこと彼に視線を向ける。それにつられ、密奈も改めてその青年を見た。黒いタートルネックのインナーに、少しぶかついたパーカー。こちらに興味は無いらしく、軽く俯くようにしてリノリウムの床を見つめている。

 背も密奈と同じくらいで、ひょっとしたら同い年かもしれない。新渡戸の助手と呼ぶよりも、親子…と呼ぶよりは年が近いような気がするから、兄弟だろうか? そう言われた方が納得できるくらいだ。……看護師さんには、見えないけれど……。また一つ新たな疑問が浮かんだものの、小さく頭を振り思考を切り替える。

 逆に考えるんだ。ここが本当に都市伝説通りの場所なら、このくらいの謎なんてあって当然。むしろ謎が無い方がおかしいくらいだ。だからきっと、……きっと。

「単刀直入に言います。ここに来れば、私の病気が治るって聞いて、来たんです」

 顔を上げ、真っ直ぐに目を合わせる。新渡戸の目に映る自分の顔は言葉とは裏腹に頼りなく、何かに怯えているようだ。……その通り、とても怖い。今までどんな先生も、どんな機関も自分の抱えている「病気」の原因がわからなかった。皆首を傾げ、あまつさえ集団幻覚とさえ診断されかけて。そんなはずがない、―――そうであったならどんなに楽だったかと、毎晩ずっと願っていたのに。

 ここも駄目だったなら、頼る場所はもう無いだろう。それくらい探し回って、同じ数だけ失望した。どうしてと泣き叫んで、どうにもできなくて。原因さえわからなくて、対処法なんて以ての外で。誰か助けてと、顔を見せず叫んだあの日。

 新渡戸は何も言わない。言葉を待つように、柔らかな眼差しのまま視線を返している。……大丈夫、大丈夫。今までのように言い聞かせ、大きく深呼吸。きっと、きっとここなら。


「私、…………私、人に夢を、見せることができるんです」




「私は二年前まで、いじめに遭っていました。

「地元の中学で、原因はいじめっ子の好きな子を私が振ったから。自分で言うのも何だと思いますが、よくある話だとは思います。

「でもプライドを踏みにじられた挙句、好きな人が振られたという事実をあの子は許せなかったみたいで……。三年間ずっと執拗にいじめられて、高校に入ってやっと解放されたんです。そういうことがあったから、わざと誰も受けなかった県外の高校に入学して。

「友達もすぐにできて、女子校だから恋愛沙汰での揉め事も特に起こりませんでした。それどころか、みんな優しい子ばかりで。逃げ出せてよかったって、心の底から思いました。

「ただ、それでも、それでも時々―――いじめられた日々を、夢に見るんです。助けてと叫んでも、みんな見て見ぬふり。手を伸ばしても踏みつけられて、蹴られて、傷が増えるだけ。諦めてされるがままになって、どんどん私が壊れていく夢。それをずっと、ずっと繰り返し見ていました。

「……………見ているだけなら、それでよかったんです。夢は、朝になれば覚めますから。

「ある日、急に友達の一人が言ったんです。夢でいじめられている私を見たと。高校の友達には誰一人中学の時のことを言ってなかったので、その時は不思議だなとしか思わなかったんですけど…。夢の内容を聞いてみても、されてきたことの一部と合ってました。だから、正直に話すことにしたんです。

「いじめの原因とか、されてきたこととか。全部全部話して、それで私を嫌いになったらもうそれは仕方ないからって。でも、みんな慰めてくれたんです。辛かったね、もう大丈夫だからね、って…。そのあとみんなでご飯を食べに行ったりして、それで有耶無耶になったんですけど。

「次の日は別の子が。また次の日は別の子が。私の夢を、見るようになってきたんです。

「単なる偶然には思えなくて、不思議を通り越して怖くなってきちゃって。そのまた次の日、わざと別の夢を見るようにしたんです。寝る直前にホラー映画を見て、そうすれば夢に出てくるでしょう? 狙い通り、その日の夢は映画の内容を追体験する夢でした。怖かったけど、よかった、助かったって思ってました。

「別の子から、まるでホラー映画の主人公になったような夢を見たんだと聞かされるまで。

「たぶん、ですけど。私が夢を見る直前まで、最後に話した人に夢を見せられるんだと思います。高校の関係で一人暮らしなので、家族もいないし。スーパーで買い物して店員さんと話した日は、クラスの誰も私の夢を見てないって言ってましたから。

「誰かに夢を見せられる病気。

「私の思考を、体験を、夢を通じて伝えてしまう病気。

「……………あの、新渡戸先生。私、病気なんですよね…? 私がおかしいんじゃなくて、私の何かが悪くて、こんなことが起きてるんですよね…………?

「だって、夢を見るんじゃなくて、夢を見せられるんですよ? こんなことありえないじゃないですか。最後に話せば、最後に話すだけで、相手に好きなように夢を見せることができる。嫌な夢だって、素敵な夢だって、自分が見たもの全てを伝えられる。そんなことって、ありえますか…? こんな、現実世界でこんな変なこと、起こりますか?

「やっぱり、私がおかしいんですか? みんなもおかしいって言ってるんです、私はおかしいって。でも、私だけの問題じゃなくて、最後に話した人なら誰でも夢を見る。変ですよね、起きるはずがないし、原因なんてまるでわからない。私はおかしいんです。でも、で「イ  タ ダキ   マ ス      」




 はっと、我に返った。……あれ? 私、今まで何をして……? 目の前に座る白衣の男は、変わらずにこにこと微笑むだけ。ただ今まで気が付かなかったが、白衣が右腕だけ半袖だ。そこから延びる腕は肘から下が余すところなく包帯に覆われており、指先でさえ皮膚がまるで見えない。それでもペンを握ってはいるので、怪我をしているというわけではないのだろう。

 いつの間にか、助手と呼ばれていた青年は姿が見えなくなっていた。いついなくなったんだろう、全然気が付かなかった。ずっと悩まされていた片頭痛が最近酷くなってきて、その話をしだした辺りはいたと思うんだけど。……?

 あれ?

「どうかした? 甘那さん」

「あ、いえ…」

 またぼうっとしかけたところを微笑まれ、慌てて背筋を伸ばす。ん、あれ、本当になんだっけ? ぱっとシャボン玉のように消えてしまった何かを思い出そうとするものの、何だったかまるで見当がつかない。いやでも、片頭痛が酷くなってきた原因がわからなかったわけだし…?

 なんだか混乱してきたような密奈を後目に彼はデスクの上に広げられた紙に何かを書き記すと、さてと伸びをした。あ、やっぱり右利きなんだ。なんとなく目で追うと、反動でずり落ちた半袖にはらりと白いものが落ちる。見れば、きっちりと巻かれているように見えた包帯の一部が解けかかってしまっていた。

「先生、包帯が」

「え? あぁ、ちょっと解けちゃったみたいだね。ありがとう、後で直すよ」

「はい」

 先程何かを書いたとき、弾みで解けてしまったのだろうか。その割には場所がおかしい気もするけど。もしくは、ぼうっとしているうちに気が付かなかっただけでどこかにぶつけていたのかもしれない。……どのくらい、ぼうっとしてたんだろう?

 首を傾げてみるものの、都合よく時計を見ていたわけでもない。頭が痛すぎて意識を失ってたとか? ただ、その割には寝かせられたりとかもしてないし…? 頭にいくつものはてなマークが浮かんだところで、とんとんと腰を叩きながら彼はこちらに向き直った。

「片頭痛だし、ちょっとこの診療所から出せるお薬は無いかな。ここが専門としてるのは、一応精神科だし。どうしても治らなかったら、知り合いの大学病院とかに紹介状書くからまた来てね」

「はい。どうもありがとうございました」

「いえいえ、お大事に」

 椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。その拍子に、ぽすんと何かが落ちた。あれ? 帽子? 被ってきたんだっけ? 一応拾い上げてみるものの、随分と前に買ってもらって依頼ほとんど被ったことのない自分のもので。おかしいな、帽子は髪型が崩れるからあまり好きじゃないのに…。

 腑に落ちないところはあるが、もう頭は痛くない。最後にもう一度頭を下げて、診察室を出た。そのまま受付に向か………おうとして、見るに堪えない惨状だったことを思い出す。というか、そもそもお代はいいって言われたんだった。無残な光景に苦笑しつつ、誰もいないそこに頭を下げ診療所を後にする。

 田舎の中の田舎。そんな言葉のために用意されたような風景に、密奈は鼻歌を口ずさむ。よかった、先生のおかげで長年の悩みがやっと解決できた。足取りは軽く、もう鎮痛剤と仲良くする生活とおさらばできると思うと嬉しくて仕方ない。腕のいい先生だったなあ、どうして精神科が専門なんだろう? それに、こんな場所で……。

 …………あれ、なんて。思わず立ち止まり、振り向いてみるものの診療所は変わらずそこにある。やはり看板には何も書いておらず、寂しく照らされたライトだけが人のいる印で。立地も変で、何故だか荒れている場所もあったけど、良い先生のいる診療所。片方だけ半袖になっている白衣と、だぼだぼのパーカー。

 どうやって、治してもらったんだっけ?

 ぼうっとしていた前後の記憶が無い。いや、ぼうっとしていたからこそ無いのか? でも先生は特に何も言ってなくて、……あれ、先生の顔………? ぐるぐると回り始める思考は先を行くはずもなく、立ち止まったまま。診療所で何があったかも、微笑んだ誰かの顔も、二度と浮かび上がることは無く。

「………ま、いっか」

 スキップでもするような心持ちで、密奈は田んぼ道を歩いていく。複雑なことは苦手だし、治った事実は変わらない。それでいいや、いいじゃないか。悩みは解決した、とても嬉しい。これで明日から、私は普通の日常に戻ることができる―――。

 段々と診療所が離れていく。見えなくなっていくにつれ、彼女の記憶からも消えていく。


 きゃははは、と、また誰かが笑った気がした。

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