第5話 慣れた部屋

 琉未るみの家に泊めてもらえることになったはいいが、一つ重大な問題がある。


「どうやって家から出ればいいんだ?」


 独井とくい家のトイレは玄関を開けて廊下を真っすぐ進んだ先にある。

 つまり、玄関を通るには姉ちゃんの前を通らなければならない。


「姉ちゃんを出し抜いて脱出……まず無理だ」


 勉強だけでなく運動も得意な姉ちゃんは俺よりも50m走のタイムが良い。

 体育の体力測定のあと、陸上部からスカウトされたと聞いたことがある。


「となると出口は……」


 カーテンを開けて窓の外を見ると、すぐそこに参子まいこ家、というか琉未るみの部屋がある。

 小学校低学年の頃はいつでも会えると喜んでいたが、さすがに丸見え状態はマズいことにお互いに気付いて基本的にカーテンは閉めたままだ。


「これくらいの隙間だったら渡れる……よな」


 俺の部屋と琉未の部屋を隔てる隙間は50㎝ほど。

 高さはあるものの、思い切り身を伸ばせば無様ぶざまながらも安全に移動できるはずだ。

 善は急げでもう一度琉未に電話を掛ける。


「……なに?」

「悪い。部屋の窓を開けてもらっていいか?」

「は?」


 さすがに説明が足りなかったらしくスピーカーの向こうから怒りの声が聞こえた。


「いや、玄関を通るには姉ちゃんをかいくぐらないといけなくてさ、窓からお邪魔しようと思って」

「マジで言ってんの?」

おおマジ」


 ため息が聞こえたと思ったら電話を切られた。

 すると、すぐにガラガラと窓を開ける音がした。


 そこには久しぶりにちゃんと顔を合わせる幼馴染の姿があった。

 俺がよく知る幼馴染の部屋着。ブレザーを着ているとわかりにくいが、Tシャツだとその胸の膨らみがはっきりとわかる。

 つい2週間ほど前までほとんど気にならなかったのに、急に琉未の女の部分を意識してしまう。

 

「落ちないでよ」


 そんな気持ちの変化なんて露知つゆしらず、琉未はそっけなく俺を心配する。


「落ちねーよ」


 とは言ったものの、いざ窓から身を乗り出すと大事な部分がヒュンとする。

 小さい子供ならともかく、今の体格なら余裕で琉未の部屋に手が届くのに2階の高さがその難易度を上げていた。


「本当に大丈夫? 震えてるけど?」

「平気だって。実の姉とキスするのに比べたらこれくらい、うおっ!」


 琉未の部屋のサッシに手を掛けそのまま身を乗り出すとバランスを崩してそのまま部屋にダイブしてしまった。


「いてて」

「ちょっと、すごい姿勢だけど」


 エビぞりのような体勢で上半身は床に着き、脚は壁に付いている。腹はぶつかった衝撃で痛いし、腰は変な曲がり方をして痛い。


「ほら、いつまでも寝てないで」

「ああ、ありがと」


 差し伸べられた手を何も考えずに握り、俺は立ち上がった。

 それと同時に琉未のスマホが通知音を響かせる。


「あっ!」


 琉未が急いでスマホを確認すると、やってしまったという表情を浮かべた。


「今のって手を繋いだことになるんだ」

「ああ、まあ、別に俺の財布から出るわけじゃないしそんな気にしなくても」

「気にするの!」


 突然大きな声を上げる琉未。

 その声に驚いたのか琉未の両親が部屋に駆けつける。


「琉未、どうしたの?」

「ごめん。なんでもない。連が窓から入ってきただけだから」

「そうなの? ケガはしてない?」

「大丈夫。心配しないで」

「それなら良かった。れんくん、いろいろ事情があるみたいだけど、自分の家だと思ってゆっくりしていきなさい」

「はい。ありがとうございます」


 扉越しに娘の言葉を聞いて、それで二人は納得してしまったようだ。


「連、うちの親にめっちゃ信頼されてるからね」

「そりゃどうも」


 模様替えもされていければ、琉未の部屋着が変わったわけでもない。

 それなのにちょっとだけ久しぶりに訪れた幼馴染の部屋が今までと全く違って見えた。


「なにジロジロ見てんの。何も珍しくないでしょ?」

「ああ、悪い。ちょっと久しぶりだなって」


 モリオカートやスカッスブラザーズの対戦で遊んだゲーム機もそのまま置いてある。

 ログボアプリがインストールされる前日だって琉未と二人で遊んだのが遠い昔のようだ。


「靴を持って来てないから出掛けられないでしょ? ゲームでもする?」

「そうだな。お言葉に甘え……って!」


 何も変わってない部屋に大きな変化を発見してしまった。


「この布団、これから俺がお世話になる部屋に運ぶんだよな?」

「なに言ってるの。ここで寝るのよ」

「それはダメだろ!」


 高校生の男女が別々の布団とは言え同じ部屋で一夜を共にするなんて俺の倫理観が許さない。っていうかまず琉未の両親が許すな!


「悪かったわね。部屋が少なくて」

「そういう問題じゃなくて、なんなら廊下でも」

「そんなことしたらうちの親がすごく気を遣うわよ?」

「うぅ……」


 あっさりと宿泊を認めてくれるほど俺を信頼してくれている琉未の両親。

 たしかに俺が廊下で寝たら琉未を叱りそうだ。


「それに、連にあたしを襲う度胸なんてないだろうし」


 にひひと小憎たらしい笑みを浮かべる。琉未の指摘は事実だし、そもそも俺には弐田にったさんという心に決めた人がいるんだ。

 

「まあそうだな。別に琉未と同じ部屋だからといって何も起きないか」


 一方的に攻撃されてばかりじゃ悔しいのでちょっとだけ反撃する。

 琉未はちょっとだけムッとした表情を浮かべた。


「2年生になってからモテモテだからあたしなんか眼中がんちゅうにないですよね。そうですよね」

「いや、あれは単にログボ目当てだからモテてるわけじゃ」

「ふーん? そのわりには必死に顔がゆるむのを我慢してるみたいだけど?」

「なんでそれを!」

 

 しまった。墓穴ぼけつを掘った。こんな反応をしたらニヤけるのを我慢してると自白じはくしたようなものだ。

 

「琉未こそ、なんでそんなこと知ってんだよ。ここ最近ずっと俺を避けてるくせに」

「それは……ほら、急にモテ始めた連を見張ってたというか、舞い上がって性犯罪に走らないか監視してたというか」

「犯罪なんかに走らねーよ! むしろ怪しいアプリに選ばれた被害者だからな」


 売り言葉に買い言葉。この2週間発散できなった言葉を次々に浴びせ合う。

 気付けばずいぶんと時間が経っていた。


「はぁはぁ……なんか久しぶりだな」

「あたしと口喧嘩で張り合うなんて、腑抜ふぬけてはいないみたいね」


 俺達は毎日こんな感じだった。ことある毎に衝突して、何となく元のさやに戻ってる。

 そんな日々が一方的に終わってしまったように感じていたけど、それはただの勘違いだったようだ。


「なあ、なんで俺を避けてたんだ?」

「それは……」


 さっきまでの勢いはどこへ行ったしまったのか、琉未は体をもじもじさせる。

 そうやってわきを閉めると胸が強調されて目のやり場に困ってしまう。


「今までみたいに接してログボ目当てだと思われたくなかったから」

「え? そんな理由? 俺が何か怒らせたわけじゃなく?」

「そんな理由って……あたしにとって大事な理由なの」

「……ごめん」


 ログボ目当ての女子なんてそれこそ把握しきれないほどいる。

 姉ちゃんなんてログボ関係なくスキンシップを取ろうとしてくるし、別に琉未がログボをゲットしても何とも思わない。


「あたしはさ、ログボとか関係なく連と一緒に居たいと思ってさ」

「え……それって」

「あ゛あ゛あ゛! 違う! そういう意味じゃなくて、今まで通りの腐れ縁の幼馴染同士、毎日対戦できればいいなと」

「お、おう。そうだな。俺も久しぶりに琉未と言い合って楽しかった。うんうん」


 まるでプロポーズのような琉未の言葉に一瞬ドキっとしてしまった。

 日付が変わって姉ちゃんの連続ログインボーナスがリセットされるまであと12時間。

 琉未と一緒の部屋で過ごす時間はまだたっぷりと残されている。

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