前夜の月

 いよいよ明日、ウェルがルナーエ国へ嫁ぎにくる。運命の出会いからもう三年の月日が流れていた。

 会えない間、彼への想いが途切れずにいたこと。また、ウェルも私を想っていてくれたことに、うれしさと安堵感がこみ上げている。

 私一人だけの想いだったらどうしよう。そんな考えも久々に会ったウェルの笑顔で吹き飛んだ。


「もう再会から一年も経ってしまったのね」


 十七歳のあの日。放浪していたウェルと城から逃げた私の出会い。今でも鮮明に覚えている。

 窓辺に移動して、月を見上げた。いつもより光を強く感じる。

 アイテイル様が祝福してくれているのかもしれない。そんな都合のいい解釈をする。

 お父様とウェルは初めて会ったときに意見の相違があり、婚姻の際お父様を説得するのに時間を要した。

 最終的にウェルの誠意とお母様の説得で渋々了承。

 困ることもあったがそれだけお父様が私のことを考えてくれているからだ。


「失礼します。王女様」

「イヴェールね。どうぞ」


 長い金糸雀かなりあ色の髪に深紅の瞳。私の専属護衛であるイヴェール。明日からウェルが私の夫兼護衛となるため、彼女は任を解かれることになっていた。

 わかっていたことだが、いざそのときになると寂しい。

 イヴェールが静かに扉を開けて部屋へ入ると、私の隣へと並んだ。


「いよいよ明日です。待ち遠しくて眠れないですよね」


 茶化すような言葉といたずらな笑み。明日から聞けなくなるのだとしみじみ思った。


「えぇ、そうですね」

「王女様、改めてご結婚おめでとうございます。まさか、あのとき会いました殿方と結ばれるとは思いませんでしたよ! 貴族たちはさぞかし悔しかったでしょうね」


 貴族は私の夫の座、ゆくゆくは騎士団長になる地位を狙っていた。私の大切な伴侶の座をまつりごとの道具にされることは承知していた。しかし、ウェルと会ってすべてが変わった。

 やはりアイテイル様のお導きではないのかと思ってしまう。


「それに武術の実力も確かと聞きました! 安心して騎士団長様も譲位できますね。肩書きだけの騎士団長なんて誰もついてきませんから!」

「ウェルはルナーエ国のことを理解して努力していました。本当に感謝しています」


 お父様もお母様と婚姻するために得意ではなかった武術を会得して、国一番の騎士との手合いで勝利したと聞いていた。

 真剣に伴侶のことを考えてくれる殿方は、こんなにも美しい努力を積み重ねてくれるのか。

 もちろん私も相応の努力を積み重ねてきたと思っている。お母様が今すぐ譲位されても女王として恥ずかしくない成長をしたとお墨付きをもらっていた。


「王女様もここ数年で見違えるように成長しましたよ! おきれいになられましたし、自信もついたって感じですね。堂々としています」

「私だけ立場に胡坐あぐらをかいて待っているわけにいきませんから」

「それでこそ王女様です!」


 どこかイヴェールの笑顔が無理をしているように見えた。

 弾んだ声は宵闇に溶けて、静寂が訪れる。月を見ながらあの日のことを口にした。


「ねぇ、イヴェール。あのときどうして追わなかったのですか。あなたなら簡単に私を捕まえることができたはず」


 十七歳のあの日、私は一度次期女王としての重荷に耐えられなくてイヴェールたち護衛を振り切って逃げ出そうとした。

 しかし、よく考えればおかしな話。体力も足の速さもイヴェールなら簡単に追いつくはず。それはわざとしなかったことと気づいていた。


「あぁ、あれぇ。お気づきだったのですね」


 彼女は口ごもっていたが、真剣な目を向けると観念して事の経緯を話した。


「あのとき、王女様に一人で考える時間を与えるべきだと思っていました。少し時間をおいてから合流するつもりでしたらまさかまさかのウェル様登場でしたよ。うれしそうに目を輝かせている王女様を見て、しばらく様子をうかがおうと思いました」

「そう。私のためだったのね。ありがとうイヴェール。あなたがウェルと結ばせてくれたものですね」


 イヴェールは突然顔を逸らして肩を震わせた。どうしたのかと思い声をかけようとしたとき、小さな嗚咽が聞こえてくる。


「王女様。私、王女様の結婚はうれしいのに、同時に悲しくて切なくて苦しいのです。王女様と過ごした毎日がもう訪れないと思うと……私は……胸が張り裂けそうです」

「い……イヴェール」


 彼女と過ごした十年。かけがえのない時間。本当の姉のように接してきた彼女は、明日から一端の星永せいえい騎士と王女という関係になってしまう。

 イヴェールは振り返ると私をきつく抱きしめた。この温もりと、離れてしまう。

 そう思ったとき、自然と涙がこぼれた。


「すみません王女様。こんなこと言っても困ってしまうのはわかっています。でも……心を隠して見送れるほど希薄な関係ではない。ただの主君と護衛の関係ではない。この十年が……どれだけ大切な日々だったか……」


 いつも私を茶化して楽しい時間をくれたイヴェール。いつも心に寄り添ってくれたイヴェール。刻んできた思い出が頭の中を駆け巡った。


「イヴェール。私も……」


 涙と嗚咽で次の言葉が出てこなかった。大切な人と離れることがこんなに悲しいものなのか。

 しばらく抱き合ったあとイヴェールはうるませたルビーの瞳を私に向ける。


「王女様。いままで隠していたことがあります。明日をもって私は騎士を引退します」

「えっ!? そんな……そんなこと聞いてないわ!」

「せっかく幸せな気持ちでいる王女様を邪魔したくなかったのです。前日になってしまい申しわけありません。もう数年前から決めていたことなのです」


 イヴェールはすべて私のために。ウェルと婚姻できてうれしい気持ちとイヴェールと離れてしまう悲しい気持ちで感情がかき回される。

 どんな顔をしていいのか、どんな言葉を紡げばいいのか。


「私は王女様が同じ気持ちになってくれている。それだけで十分です。ご迷惑おかけして申しわけありません」

「謝らないで。あなたは……本当の姉のように慕っていましたよ。いえ、私の姉です。いままでありがとうイヴェール」

「……ありがとう。アエスタス」


 その言葉は彼女が姉としてくれた感謝の言葉だった。今夜はイヴェールとともに同じ寝台で眠りにつく。彼女のぬくもりを最後まで感じたかった。



 翌朝、ウェルが自国からやってきた。お母様やお父様とのあいさつ。貴族へのあいさつを済ませて東の庭園で一息つく。


「ウェルおつかれさまでした」

「アエスタスもおつかれさま。今は陛下の言葉に甘えて休もう」

「ウェル様。これから大変なのですよ! 数日後には婚姻の儀もありますし! 頑張ってくださいね」


 昨晩のことが嘘のようにイヴェールはいつも通りだ。彼女の笑顔をみるとほっとする。

 そのとき、イヴェールがウェルのお腹に拳を突いた。


「……ウェル様。王女様は次期女王であり私の大切な妹です。本当に……頼みましたよ!」


 イヴェールの真剣なまなざしの前にウェルは小さくうなずいた。


「もちろんだ。アエスタスを幸せにする。そして、どんなことからでも守ってみせる」


 彼女は安心したような穏やかな顔を見せた。感傷に浸りそうになったとき、ひとつの声が響いた。


「あら。いつのまに私はこんなに大きな子を産んだのかしら」


 お母様とお父様が静かにこちらへ歩いてきていた。二人も休憩に来たようだ。

 話を聞いていたのかお母様は口元を隠してくすくすと笑っている。


「じょ……女王陛下!? 失礼しました! まさかお聞きになっているとは」

「おまえらしくないな。いつもなら“私を産んだことをお忘れですか陛下ぁ”と言いそうだが」


 珍しいお父様の悪態にイヴェールはからから笑っていた。少しの談笑のあと、イヴェールは姿勢を正し、お母様とお父様に一礼をする。


「女王陛下、騎士団長様。長い間お世話になりました。今後は一人の民として王家とルナーエ国の繁栄を願います」

「お世話になったのは私たちの方よ。あなたは十年以上、騎士として仕えてアエスタスを守ってくれました。感謝しています」

「突拍子もない言動も多かったがイヴェールだから任せられたことだ。俺も感謝している」


 三人のやりとりを見ていたウェルは複雑な表情を浮かべている。彼の気持ちを察してそばに寄りそうと、やわらかい笑みをくれた。


「では、私はこれで失礼します。ときどき遊びに来ますから門前払いしないでくださいね!」

「まったくおまえは最後まで図々しい奴だ」

「よいではないですか、それがイヴェールなのですから」


 イヴェールは会釈をしたあと小走りに私のもとへやってくる。そして、優しく左手を包みこんだ。


「世界一幸せになってくださいね。そうしないとウェル様を追い出してしまいますよ」

「えぇ、約束するわ」


 彼女の手が離れると同時に左手に異物感。小さく開くとそこにはイヴェールがいつも身につけていた小さな耳飾りがあった。


「これは……」

「あまり長居するといけませんので。みなさまお元気で!」

「イヴェール!」


 走り去ろうとしている彼女を思わず大声で呼び止めた。そして、何度目かわからないがイヴェールに送った言葉。


「……ありがとう」


 彼女は最高の笑顔を私にくれた。小さくなっていく彼女の姿を呆然と眺める。

 イヴェールとのかけがえのない大切な時間を胸に前へ進もう。彼女が安心して暮らせる国にしよう。そして、幸せになろう。

 イヴェールがくれた耳飾りを握りしめながら心の中で誓った。

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