愛々恋々歌

 街が眠りについている深い夜。俺は裏門から出て自宅を見上げる。


「じゃあな。親父殿」


 剣と麻袋と金貨を持って、俺は故郷の門をくぐり抜けた。

 決められた将来、決められた婚姻、自由のない生活は窮屈でしかたなかった。

 そんな人生に嫌気がさして、今日家を捨てる。

 親不孝、名家に傷をつけた。俺の知ったことではない。育ててくれた恩はあるが、俺の人生を捧げるつもりはない。

 これから世界中を旅して静かなところに家を持って愛する人と暮らす。そんな将来を描きながら月を見つめた。



「ここが、女王が治めている国の王都か。立派なものだ」


 初めの一ヶ月は隣国を巡った。そのあと大河を渡り、女王が統治するルナーエ国に上陸する。

 女王が統治する国家は少ないので、どういう国なのか興味があった。

 王都ラエティティアは白と淡い青が基調の城を持ち、城下町は人々でにぎわっている。


「さて、宿の確保をして散策でも行くか」


 金は無駄づかいをしなければ一年間は働かなくても宿を転々とできる。一番安い宿屋へ向かおうと足を進めた。

 そのとき、曲がり角のほうから騒がしい声が聞こえてくる。


「お待ちください!」

「どうされたのですか!?」


 興味本位で高みの見物をしようと向かってみると、曲がり角から一人の少女が飛び出してきた。

 勢いよく俺に突進をして転がりそうになっている彼女を支える。


「おっと、すまない。大丈夫か?」

「あ……あの、すみません!」


 近づいてくる声におどおどしている。誰かから少女が逃げているのだと察した。

 少女の手を引いて裏路地へと身を隠す。

 声は路地を通り過ぎると、だんだん遠ざかっていった。少女は安心したのか深いため息をついている。

 彼女を見ると、銀の長髪に翠色の瞳、整った顔、そのすべてを際立たせる上質な服。

 身分の高い娘であることがすぐにわかった。


「お嬢さん。追われていましたがどうかいたしましたか?」

「あっ……いえ。すみません。その……ありがとうございます。あの……悪い人に追われていたわけでは……」


 彼女は顔を赤くして身を縮こませている。さしづめ、勉強が嫌になり逃げだしたのだろう。とんだお転婆なお嬢様だ。

 そう思ったが一ヶ月前の自分が同じことをしているので苦笑する。


「俺はルナーエ国に今日初めて来ました。もしよろしければ王都を案内していただけませんか?」

「えっ!?」


 本当はすぐに家へ帰してあげたほうがいい。それに俺が誘拐したと勘違いされては困る。

 しかし、一日くらい彼女に息抜きをさせてあげたいと思った。

 少女はなかなか返事をせず俯いている。いきなり知らない男に誘われて戸惑うのも無理はない。


「せっかく鳥かごから出てきたんだ。今日くらい羽を休めてもいいと思うぞ」


 なぜわかるのかと顔に書いてあった。実に表情がわかりやすい。強引に彼女の迷っている心の手を引いた。


「案内お願いできますか、お嬢さん?」

「は……はい!」


 返事をした彼女はうれしさと興奮が混じったような顔をしていた。

 まず、彼女の服や顔を隠すために自分の外套を与えた。探し回っているお家の人に途中で見つからないように。

 きれいな水路を見ながらお互いのことを話し始める。


「お嬢さん、お名前は?」

「あ……えっと。れ……レータと申します」

「レータか。たしか異国語で“夏”という意味だったな」

「よくご存じで。博識のある方なのですね」


 博識とは大げさだ。少し異国語をかじっていただけのこと。彼女の翠色の瞳は尊敬のまなざしを向けていた。


「俺の名はウェル。奇遇なことに異国語で“春”を意味するんだ」

「まぁ! ウェルさんとの出会いは女神アイテイル様がくれたものかもしれません」


 そういえばルナーエ国は女神信仰をしていた。女王が統治していることだけあって信仰している神も女性。

 自分の国との違いに驚くばかりだ。


「俺のことはウェルでいいぞ」

「では私を呼ぶときも敬称はなくてかまいません。ウェルとは対等でいたいわ」

「ではそうさせてもらうなレータ」


 驚くことに彼女の年齢は十七歳。俺のひとつ下だった。幼い顔なので十四歳くらいに見える。

 それに劣等感があると頬を膨らませていた。怒っている顔までかわいらしく見えてしまう。


「さて、ラエティティアの露店を見てみたいのだが案内してくれるか?」

「えぇ。こちらです」


 彼女に案内され、露店市場へと足を運ぶ。さすが王都の露店市場、規模が大きい。原色の天幕が所狭しと並んでいた。


「すごい数の露店だな。まるで祭りだ」

「いつもこのような感じですよ」


 そういう彼女の目はきらきら輝いている。まるで初めて渡されたおもちゃを見る子どもみたいだ。


「人が多いな。レータ、はぐれないようにな」

「はい。わかりました」


 レータは俺の上着のすそを少し握った。控えめな行動をする彼女がおかしく、つい笑ってしまう。

 わかりやすいように彼女の前に曲げた腕を出した。


「女性一人くらいは守れるぞ」

「あっ……失礼します」


 彼女はおずおずと俺の腕に手を絡めた。淑女という言葉がレータにはふさわしい。

 自国の貴族の女性は、あれこれ気を引こうと香をまとわせ、胸を強調する服を着ていた。許可をしていないのに腕を絡めてくるなど日常的だ。

 自身を売り込むためにしているので悪いことではないのだが、俺は好きではなかった。

 俺の地位しか見ていないギラギラした目や媚びた態度がどうしても苦手だ。

 その女性たちとレータのことをつい比べてしまう。


「どこへ行きますか?」

「そうだな。まずは腹ごしらえかな」

「では食べ物が売っている露店方面へ行きましょう」


 彼女に案内され露店市場へと繰り出した。

 家を出て他国を回っているときに特に食の大切さを感じる。衣食住に困ることなく暮らしていたので、今までの生活のありがたさを改めて噛みしめていた。

 甘辛いたれにつけた蒸し鶏。やわらかく白いパン。食欲をそそる香辛料が香る魚介の煮込み。次々とかき込んでお腹を満たしていった。


「ウェルはよく食べますね」

「朝から何も食べてないからな。どれもこれもルナーエ国の食は絶品だ」

「自国の料理を褒められることはうれしいわ」


 レータは俺の食べているところをうれしそうに見ていた。それから雑貨や装飾品が売っている露店を巡る。

 彼女は俺以上に興味津々で露店を見回っていた。案内をしてくれた礼に何かを買ってあげようとしたが、それだけは頑なに拒んでいる。

 放浪している俺が買えるようなものはレータには合わないと思い、しつこく言わないようにした。

 彼女は露店の人々や行きかう人々を愛おしそうに見ながらほほ笑んでいる。まるですべてを慈愛で包み込む女神のように見えた。

 りんごの皮ごと初めてかじったとよろこび、みかんの皮を芸術的に剥くと幼い子のようにはしゃいでいる。

 簡単な遊戯があればともに挑戦をして童心にかえったように笑いあった。

 濃密な時間は刻々と過ぎていく。

 歩き疲れた俺たちは橋の上にある長椅子に腰をおろした。


「こんなに長い時間を歩いたのは初めてだわ」

「すまない。連れ回してしまったな」

「ううん。楽しいからいいのです。本当……ウェルに会えてよかったわ」


 レータは複雑な笑顔を向けた。太陽が傾き、二人の影が引き延ばされていく。

 お互い別れの時間が近づいていることを察していた。


「ねぇ、ウェル。なぜ私のことを理解できたの?」


 なぜ逃げ出したのがわかったのかと言いたいのだろう。俺は素直に身の上を話した。


「レータと同じだから。こんな汚い身なりだが、俺はとある国の貴族でな。用意された人生が嫌で逃げ出したんだ」

「貴族だったのね。でも驚かないわ。ウェルは礼儀正しく紳士的だから高貴なお家柄の方だと思っていたの」

「レータは持ち上げることがうまいな」

「本当にそう思ったのよ」


 彼女は川の流れに視線を落とし、言葉を紡いだ。


「私……気がついたら走っていたの。決められた将来から逃げたかったのかもしれないわ」

「……娘が一人で生き抜くにはつらい世界だぞ」

「逃げた後のことは何も考えていなかったわよ。でも……今日、人々の笑顔をたくさん見て、守っていかなければならないと改めて思ったの」


 いち貴族が国を守るというのは大げさだ。しかし、それほど強い決心がついたのだろう。自分の道を歩んでいくことを。

 無言で前を見据えている瞳に決意の光が宿っていた。


「ウェルは……これからどうするのですか?」

「俺は一週間ほど王都に滞在したあと適当にまた放浪の旅さ。世界を回って気に入った国に住むことが目標だな」

「そう……。ウェルにとっていい国が見つかるといいわね」


 彼女はさみしそうに笑った。俺はよく言えば“縛りつける親から自由を手に入れた”悪く言えば“責務から逃げた”。

 俺にしかできない責務があると思うが、俺はそれを放棄した。レータは自分を抑えてでも責務を全うしようとしている。強い女性だ。

 そんな彼女に尊敬の念を抱いた。


「……跡取りは大変だな。こっちの国では男の長子が跡取りで、女性が跡取りをすることが少ないんだ」

「ウェルは長子ではないの?」

「俺には兄がいるんだ。兄さえいれば俺はいてもいなくても構わないのさ。俺はお家柄をたてる道具みたいなものだ」

「ウェル……」


 レータは自分のことのように悲しい表情をしていた。跡取りもそうでなくても貴族の家はめんどうなことが多い。

 平民生まれなら、こんな悩みをかかえることはなかったかもしれない。考えても仕方のないことだと思わず苦笑した。


「家を出る前に、夜会で君に出会っていたら……人生が変わっていたかもな」


 それだけ彼女との時間はかけがえのないものだった。そのとき、俺の手にレータの手がそっと触れた。


「私は……貴族のあなたではなく、今のあなたに会えたことを感謝しています。そうでなければ自由の素晴らしさと残酷さを知ることはありませんでした。ありがとうウェル」

「レータ……?」


 彼女の細い指が頬をなでた。そして、俺が理解する間もなく贈られた短い口づけ。思考が絵画のように停止する。

 レータは儚い笑顔を見せたあと、長椅子から立ち上がった。


「……私のいるべきところに帰ります」

「……送っていく……」


 やっとひねり出した言葉だった。そのまま無言で彼女のうしろをついていく。

 かける言葉が見つからない。ただ心の隅にあったのはもっと彼女と一緒にいたい欲求。

 俺がその言葉を口にすることは許されない。彼女の決意の塔を崩したくなかった。


 夢の中にいるような感覚で歩いていると、彼女は立派な門の前で足を止めた。それに気がついた門番の一人が制止するように彼女へ近寄る。


「城内へ入れる時間は過ぎております。時間外訪問の文書はお持ちですか?」

「……私です」


 彼女はかぶっている外套の布を取ると門番を見据えた。


「あ……アエスタス王女殿下!? おい! 女王陛下へ王女殿下がお戻りになられた知らせを!」

「開門! 開門!」


 城門の周りが慌ただしく騒ぎ出した。彼女は外套を脱ぐと俺に手渡す。


「嘘をついていてすみませんでした。私は、ルナーエ国第一王女アエスタス・ルナーエです。今日はありがとう……さようなら、ウェル」

「あ……アエスタス……」


 彼女は静かに俺の元から立ち去って行った。


 放心状態のまま宿へと戻り、寝台へ身を沈める。レータは偽りの名をかたったこの国の王女。はじめから俺が手に届くところにいる人ではなかった。

 今日会ったばかりの女性に身を焦がしている自分が滑稽だ。乾いた笑いが口からもれた。

 はじめて襲われる恋慕の感情に息が詰まる。

 もう二度と彼女に会うことはない。忘れよう。今日は長い夢をみていただけ。

 そう自分に言い聞かせながら、まどろみへ意識を沈めた。



 早朝、心地よい鳥のさえずりをかき消すように扉を乱暴に叩く音が脳内へ響く。

 半分寝ている身体と頭を引きずって鍵を開けた。

 扉の前にいたのは騎士の衣服に身を包んだ一組の男女。直感で身の危険を感じて意識が覚醒する。

 寝台横に転がっている剣を拾おうとしたが、それより早く女騎士が部屋へ押し入り足払いをした。

 盛大に転がった俺の目の前に剣先が突きつけられる。


「……本当にこいつなのか。野蛮な男だ」

「何だ……おまえたち」

「お前がウェルで間違いないな」

「……そうだ」


 静観していた男騎士は女騎士に目配せをする。


「女王陛下がお呼びだ。おまえに拒否権はない。来てもらうぞ」





 城へ行く道中、拘束されて連れていかれることはなかった。悪い意味で連行されているのではなさそうだ。

 アエスタスは俺のことを何と話したのか気になる。


 城門をくぐり連れていかれた場所は絢爛な扉の前。


「女王陛下。例の者を連れて参りました」


 扉が開かれると室内にはアエスタスに似た白銀色の長髪の女性。そこに立っているだけで威厳を感じる。

 そして、かたわらには騎士の衣服をまとい、空を落としたような蒼色髪の男性が立っていた。ルナーエ国は女王君主制。夫となる人は女王を守る騎士団長という地位につくことを思い出す。

 彼は俺を眼力で殺す勢いでにらみつけていた。

 その隣に俯いているアエスタスの姿をみつける。


 俺のそばにいた男騎士に小突かれて室内へと足を踏み入れた。男女の騎士は一礼をしてあと立ち去っていく。

 そのとき、澄んだ声が響いた。


「どうか楽になさって。昨日は我が王女のアエスタスがお世話になりました」


 まさか礼を言うためにわざわざ俺を呼んだわけではない。目的は何なのだろうか。


「いえ、王女殿下をすぐにお送りせず申しわけありませんでした」

「貴様。アエスタスに何かしていないだろうな」

「あなた。にらみつけるのはお止めなさい」


 彼の言動からアエスタスの父であることがわかった。身なりの汚い放浪者に愛娘が何かされていないのか心配なのだろう。

 気に入らないことを口にしたときには剣で首を落とされそうだ。


「誓って王女殿下にいかがわしいことはしておりません」


 女王陛下はくすりと笑ってから言葉を紡いだ。


「紳士的な方で助かりました。無事に送り届けてくださったお礼をしたいと思いまして……」

「いえ……女王陛下からのお礼は、ただの放浪者には身に余ることです。お言葉だけ頂戴いたします」


 家を捨てても俺が持っている貴族の肩書はなかなか消えないだろう。個人的にルナーエ国と不用意な接触をして、自国との外交に何かあっては責任を持てない。

 それに俺が貴族と露見するのも面倒だ。

 女王陛下の瞳は真っ直ぐ俺を見ていて、すべて見透かしているように思えた。


「……私、個人からのお礼です。あなたも自国のことは考えずに個人的に受け取ってもらえませんか?」


 口ぶりから俺が貴族ということは知っているようだ。俺をまつりごとに利用しようとしている様子はないので素直に受けたほうがいい。機嫌を悪くして不敬罪になっては困る。

 そして、“お礼”と聞いたときから考えていたことを口にする。


「では……お言葉に甘えます。明日、城下町の散策をする際、アエスタス王女殿下に同伴していただきたいです。アエスタス王女殿下のお時間を俺にください」

「……ウェル」


 アエスタスは顔をあげると、うるんだ瞳で俺のことをじっと見ていた。

 もう一度、彼女と一緒の時間を過ごしたい。それが俺の願いだ。


「貴様、過ぎたことだと思わないのか?」


 騎士団長は怒り心頭だ。あまり俺にアエスタスを近づけたくないのだろう。

 女王陛下は呆れた表情をして騎士団長を見つめた。


「昔のあなたと似ていますよ。同族嫌悪かしら?」

「い……今は昔の話をしている場合ではないだろう。アエスタスに悪い虫がついてしまう」

「本当にあなたは過保護ですね。アエスタス、あなたが決めなさい」


 急に話を振られたアエスタスはおどおどしている。俺はアエスタスの返事をじっと待った。


「……あ……あの、私の時間がお礼になるのでしたら……」

「決まりね。ウェル、でしたね。アエスタスの時間は貴重なのです。それを理解して過ごしてください」


 女王の本音は次期女王のアエスタスを外出させたくないのだろう。自分が家柄に縛られていたので、アエスタスが束縛されていることが想像ができた。

 次期女王であることはわかっているが、少しくらい彼女の時間を尊重してあげてもいいと思う。


「……女王陛下。無礼とわかって申し上げます。少しでも構いませんのでアエスタス王女殿下に自由な時間を差し上げてはいかがでしょうか。精神的にもお辛いかと思います」


 女王と騎士団長は悲しみを表情を浮かべていた。悪いことを言ってしまっているのは十分理解している。だがアエスタスも一人の女性だ。彼女の心も理解して欲しい。


「……それはごもっともです。アエスタスの肩にかかっている重圧は計り知れないもの。私ものびのびと育てたいのですがそれは許されません」

「なぜですか? ご自身も同じ経験をなさったのでしょう」

「今の世界の秩序は平穏とはいえません。明日、私も夫も死ぬかもしれません。アエスタスが女王になったとき、無知でしたらどうなるのでしょう。政権を巡って内戦が起き、敵国に攻め入る隙を与えるのです。ルナーエ国の存続すら危ぶまれます。そのため、すぐ即位しても立派に国を支えられる女王に育てなくてはならないのです」


 アエスタスは俺みたいに立場を捨ててしまえばルナーエ国が危うくなってしまう。絶対に鳥かごから逃げられない存在。しかし、俺は彼女を自由にたい笑顔にしたい。


「そのために、アエスタス王女殿下を……彼女の人生を犠牲にするのですか?」

「傍から見れば私たちは犠牲なのかもしれません。しかし、私たちは犠牲ではなく使命なのです。生まれたときから課せられている使命。誰にも代われる者はいないのです」


 そのとき、騎士団長が俺を見て鼻で笑った。


「自由を求めすぎた者の末路だな。おまえはアエスタスと王家の立場を一生理解できないだろう。話は終わりだ。立ち去れ」


 半ば強制的に城を追い出された。宿へと戻り、寝台へ寝転ぶ。

 俺と王家の考えは相いれないものだ。彼女は自由になりたいのだろうか。



 翌日の朝。城門まで行くと、俺に気がついた騎士が小門の中へ入っていく。しばらくすると女騎士に連れられたアエスタスがあらわれた。

 昨日とは違い貴族のような華やかな服ではないが、アエスタスの清楚な雰囲気を際立たせている。

 街になじむような服を選んだのだろう。


「おはよう。アエスタス」

「お……おはようございます」


 彼女は相変わらずもじもじしていた。そこへ女騎士が割ってはいってくる。


「あなたが王女殿下お気に入りの殿方ですね! うんうん、納得です」

「ちょ……ちょっとやめてください!」


 アエスタスは顔を真っ赤にしていた。何を納得したのかわからないが、俺の外見はいいほうではない。

 そのとき、女騎士がひとつの外衣を差し出した。


「なんだこれは?」

「これは星永騎士という特別な地位の者しか袖を通せない外衣です。さすがに一般の人と歩いている王女殿下を見られては変な噂が立ちかねない」

「今日一日騎士のふりをしろということだな」

「ご明察。では、さっそく着替えてください」


 女騎士に言われたとおり、外衣に袖を通す。羽のように軽く、着心地がとてもいい。上質な布を使用していることがわかった。


「ウェル。とてもお似合いですよ」

「アエスタスも街と合うように服を選んでくれたんだよな。きれいだぞ」


 いちいち顔を赤らめて反応する彼女がおかしくて仕方なかった。


「戯れを見せつけられるとこっちが恥ずかしいですね。時間は限られていますので早くいってらっしゃい」

「もう、今日は意地悪ですね」


 茶化されて俺まで恥ずかしくなってきた。昨日と同じようにアエスタスの前に腕を出すと、おずおずと腕を絡める。

 女騎士は手をふって俺たちを見送った。


「いってらっしゃいませ。楽しい一日を過ごしてくださいね」


 といいつつ、あの女騎士は俺たちを尾行するだろう。次期女王を俺一人に任せるはずがない。気配を感じても気にしないようにしよう。

 アエスタスと親しい女騎士のことを聞くと彼女はアエスタスの専属護衛だそうだ。


「昨日は露店市場に行ったから今日は街中を案内してくれるか?」

「はい、行きましょう。街に出ることは少ないので楽しみです!」


 昨日あのあとの様子をアエスタスに聞くと、騎士団長は怒り狂っていたらしい。アエスタスと両親の間に亀裂が入っていないか心配だったが聞く限り大丈夫そうだ。


「そういえば、アエスタスという名も異国語で“夏”を意味するのだな」

「あっ……。昨日は偽名をかたってしまいすみません」

「責めるつもりはない。本当の名を教えてもらえてうれしいぞ、アエスタス」


 彼女は上目で俺を見ると優しくほほ笑んだ。

 街中には、いろいろな雑貨店や宝石店などがたくさん見受けられた。アエスタスは目を輝かせなが店を回っている。

 そんな彼女を見て俺も口元が緩んだ。

 外食は初めてらしく、城下町の料理を堪能している。

 歩いていると街の人から声をかけられたが、嫌な顔はせずにていねいに対応をしていた。

 彼女の慈愛に満ちた姿に感心するばかりだ。


 楽しい時間は流れ、別れを告げる橙色の低い太陽がこちらを見ていた。

 俺たちはひと気のない川沿いの長椅子へこしをかける。


「足は大丈夫か?」

「えぇ、大丈夫。みて、ウェル。太陽がとてもきれいよ」

「本当だな」


 しばらくの無言が続く。彼女を見ると、太陽に負けないくらい頬を染めていた。


「……君は、見かけによらず大胆だよな」

「えっ?」

「昨日のことさ」


 俺が人差し指を口にあてると、アエスタスは身体を縮こませて目を背けた。


「もう……会わないと思っていましたから……その……」

「俺はもう一度君に会いたいと思ってしまったな」


 恥ずかしがっている彼女に俺は気になっていることを問いてみた。


「アエスタス。君は自由になりたいと思わないのか? 君が望むなら今すぐに手をひいて連れ去る」


 アエスタスは俺のことを神妙な顔で見つめている。返事次第で俺の行動は決まっていた。そして国を敵に回しても守り抜くつもりだ。

 彼女は俺から視線をはずすと首を横にふる。


「いいえ。私はこの国の次期女王としての使命があります。ルナーエ国民を見捨てて自分の自由を得ようとは思いません」

「そうか……」


 アエスタスはそう答えると思っていた。ひっそりと彼女とどこかの国の街はずれで暮らせたらと淡い期待をしていた自分を恥ずかしく思う。


「……ここで、さようならね。ウェルとの思い出は私の宝物よ。あなたの旅がよいものになるように祈っているわ」

「……いや、俺の旅はここで終わりだ」

「どういうことですか?」


 俺は、彼女に受け入れられたときと断られたときのことを考えてそれぞれどんな行動をとるのか決意していた。


「俺は家へ帰る。そして貴族としての教養を身につけて、君に釣り合う男になってから、もう一度会いに行くよ」


 アエスタスは驚きと困惑が混じったような表情をしている。そして、俺の手を強く握った。


「あなたは自由を求めて家を出たのではないのですか? 一時の感情で全てを投げ出すつもりですか?」


 それはアエスタスの言葉ではなく次期女王としての言葉なのだろう。確かに俺は自由を求めた。しかし、それよりも大切なことを知ってしまった。

 一時の感情だろうが、俺は決めたことを曲げるつもりはない。


「君が鳥かごから出ないのであれば、俺が鳥かごに入ろう。二人なら悪くないだろう」

「ウェル……」


 彼女は顔を歪ませて大粒の涙をこぼした。涙が太陽の光をうけて、きらきらと輝いている。まるで宝石のようだ。


「ごめんなさい。あなたと出会わなければ、あなたの自由を奪うことはなかった」

「謝ることはない。それに、もしものことは考えなくていい。君に出会えたことが俺の幸運だ。ありがとうアエスタス」


 アエスタスは俺の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。落ち着かせるように彼女の銀の長髪をさらさらとなでる。

 ひとしきり泣いたあと、彼女は顔をあげた。


「私、今の抱いている感情が初めてで、どうしていいのかわからないわ」

「俺もだ」


 俺たちは顔を見合わせて笑い合った。初めて恋心を抱いた彼女と気持ちが通じて心が満たされている感覚。

 これが人を愛することなのだと知った。


「アエスタス。俺を信じて待ってくれるか?」

「えぇ、私もあなたに恥ずかしくない立派な女王になるわ」


 将来の時間をともにするために、それぞれ誓いを立てた。

 また巡り合う日まで。



 それから俺は自国へと帰った。家に帰るなり家族総出で叱責をされる。約二か月もの間放浪していたのだから厳しい言葉は甘んじて受けた。

 必死に謝罪をして、なんとか家に戻ることができた。それからいつもしていた勉強を倍にして、武術の訓練も積極的におこなった。

 すべてアエスタスとの約束のために。


 彼女からの出会いから二年後。今日はルナーエ国との交友会。アエスタスも会場へ来るそうだ。

 自国とルナーエ国の貴族がごった返すなか彼女を探す。

 そのとき、男性に囲まれている一人の美しい銀髪の女性をみつけた。彼女は幼さを残しながら磨かれた宝石のような女性になっている。

 アエスタスも俺に気がついて目を見張った。


「……ウェルですか?」

「……お久しぶりです。アエスタス王女殿下」


 うれしさが溢れてだきしめたい衝動を必死でおさえる。なんとかお互いに時間を作って露台で二人きりになれた。

 月が浮かぶ空を見上げながら会えなかった二年間のことをお互い話し合う。


「ウェル、変わりましたね」

「アエスタスこそ変わったな。女王としての品格が出ているぞ」


 二年間の月日は辛いことが多かった。それでも挫けずにいられたのは彼女との約束があったからだ。


「さきほどウェルの父君からあなたを勧められましたよ」

「まったく調子のいい親父殿だ。二年前までは見向きもしなかったのにな」

「それだけ認められる人になったということですよ」


 二年前と変わらずやわらかい笑みを見せてくれた。俺はアエスタスの手をそっと握る。


「陛下と騎士団長様は俺のことを許してくれると思うか?」

「大丈夫よ。私も両親を説得するように頑張るわ」


 これから自分が求めた自由とは真逆の生活になる。それでも彼女とともに生きて彼女の支えになりたい。


「アエスタス。君の鳥かごに入ってもいいか?」

「えぇ、もちろん」


 互いに未来をともに歩む覚悟を決めるように口づけを交わした。

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