風月の小夜

 月のきれいな深夜。ラザレースの兵舎内は静まりかえっていた。

 先日の戦いでみんな疲れて寝ているのか物音がしない。

 毛布を羽織り、夜空のよく見える中庭で月見を楽しむ。

 そこにひとつの気配を察した。クラルスでもシンでもない。ずっと部屋を出てから視線と気配を感じている。


「……誰ですか?」


 気配のする茂みへ声をかける。それと同時に草の踏む音がした。誰かがいることは明らかだ。

 しばらくすると観念したのか気配の主が姿をあらわす。


「よくわかったね。リアくん」

「……あなたは」


 金糸雀かなりあ色の髪と瞳は月の光を受けて明暗が強調されていた。ガルツの護衛、エルヴィス。一体何の用なのだろう。

 僕は警戒をして短剣の柄に手をかけた。


「ここでやる気はないよ。リアくんとお話したくてさ」

「……僕と……ですか?」


 彼は敵意がないことをあらわすように両手を顔の前であげていた。本当に話をしたいだけでこんな夜中にわざわざ敵地へくるのだろうか。

 エルヴィスの思考がわからない。


「ねぇ。セラちゃんとルシちゃんのこと知りたくない? 近況を教えるからさ、話そう?」


 セラたちのことは城を出たあとの状況は全くわからなかった。情報を知りたいことは確かだが、油断させる口実かもしれない。


「ほら俺はこのとおり丸腰。武器をもってないよ。別に偵察に来たわけじゃないし、リアくんを連れ去ったりしないから」


 確かに武器は所持していなかった。本当に僕と話をしたいのだろう。彼にとって何の価値があるのかわからないが話をしてみよう。


「わかりました。少しでしたら……」

「じゃあ、座って話そう」


 エルヴィスは短い階段へ腰をかけると僕に手招きをした。

 おそるおそる彼のそばへ近づき、階段へ腰をおろす。エルヴィスをみやると楽しそうに笑っていた。


「リアくんって押しに弱い? 俺が悪い人だったら連れ去らわれちゃうよ。気をつけてね」

「からかっているのですか?」

「ごめんごめん。素直だなって思っただけ」


 確かにエルヴィスを信用して近づいてしまっている。自分が押しに弱いのもよく理解していた。


「あの……セラとルシオラのことを教えてくれませんか?」

「二人とも元気だよ。セラちゃんとルシちゃんをからかうのが楽しくてね。早く帰りたいな」


 セラとルシオラはエルヴィスのことを嫌っていると思った。彼の性格は二人と相反している。

 同時に、セラに会えることがうらやましい。もう何ヶ月も会っていない彼女に思いをはせた。


「僕も……早くセラに会いたいです」

「……星影団を諦めるならいつでもセラちゃんに会えるよ」

「えっ……」

「このままだとセラちゃんと二度と会うことはなく死ぬかもしれないよ? それなら降伏して最後にセラちゃんに会いたいと思わない?」


 僕のことは生け捕りにする前提だが、互いに戦場で感情が高ぶっている状態だと殺されかねない。

 エルヴィスを見やると期待するような試すような目で僕を見ていた。


「……僕がすべてを諦めてセラに会いにいけば、それこそ怒られてしまいますよ」

「リアくん後悔しそうだね。死ぬ前に」

「たしかにそうかもしれませんね。でもそれは結果論です。僕は……可能性を捨てたくないだけですよ」


 エルヴィスは無言で僕を見つめたあと、何かを納得したような顔をした。


「そっか……。リアくんと話してやっと君に興味をもった理由がわかったよ」

「えっ……? 何ですか?」

「内緒。戦場で俺に勝てたら死ぬ前に教えてあげるよ」


 彼は楽しそうに笑っている。言葉にはあらわせないが、普通の軍人とは何か違う雰囲気を感じた。

 突然、エルヴィスは僕との距離をつめた。


「ずっと思っていたんだけどリアくんすごいおいしそうだよね」

「な……。なんのことですか!?」


 恍惚なエルヴィスの顔に思わず後ずさる。文字通りの意味だと思うと背筋が凍った。


「リアくんの魔力だよ。ちょっとだけくれないかな」

「あげません!」

「じゃあこうしよう。俺が戦場でリアくんに勝ったら魔力ちょうだい?」


 勝手に約束をとりつけようとしている。つくづく自由で身勝手な人だ。

 拒否すればこのまま連れ去ろうとするかもしれない。穏便にすませようと素直にうなずいた。


「……わかりました。あなたに負ける気はありません」

「今回負けちゃったから“次こそは”って言っておこうかな」


 エルヴィスは僕の左手を取ると、愛おしそうに頬を寄せた。

 僕の魔力はよく気持ちがいいと言われている。彼に魔力を与えたことはないのだが、感じているのだろうか。


「これで楽しみが増えた。じゃあ今日はおいとましようかな。じゃあねリアくん。また遊びに来るよ」


 彼は一方的に話すと、軽々と塀を超えて姿を消してしまう。

 本当に話すだけで、だまして連れていこうとはしなかった。彼の不思議な行動には首を傾げたくなる。

 エルヴィスの残り香を連れ去るように優しい夜風が吹いた。

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