月下の噺

 月の光を強く感じる夜。なかなか寝つけなく寝台に寝そべりながら、高い天井を見ていた。

 中庭へ行こうと思い立ち、寝台から這い出る。

 夜の城内は静けさをまとっており、僕の足音だけが響いていた。

 

 中庭へ到着すると、長椅子に座っている父上を見つけた。欠けている月を見ながら晩酌を楽しんでいる。

 月の光を受けた鮮やかなくれない色の短髪が闇の中でも主張していた。


「父上? 眠れないの?」

「リアか。一人で飲みなおしていたところだ。そういうリアこそ眠れないのか?」

「うん。なかなか寝つけなくて……」


 父上の隣に腰をおろすと、わずかに漂ってくるお酒の香り。

 国境線の警備から帰還してきたコーネット卿を労うために晩餐ばんさん会を開いていた。

 コーネット卿と酌み交わしていた父上は、とても楽しそうな表情をしていたことを思い出す。


「国境線で小競り合いがなくてよかったね」

「あぁ。コーネット卿がいてくれたおかげだ。リアもまつりごとにはなれてきたか?」

「まだ知らないことがたくさんあるけど、理解できるように努力しているよ」

「リアは母に似たな。アエスタスは努力家だから受け継いでいるようだ」


 父上の大きな手が頭を優しくなでる。家族として過ごせる時間が心地よい。


「父上、あまり飲み過ぎないでね?」

「リアがいてくれるから酒が美味く感じて飲み過ぎるかもな」

「えぇ、そういうものなの?」

「大人になればわかるさ。同じ酒でも酌み交わす人によって味も変わる」


 僕はまだお酒を飲める年齢ではないので、父上の言っていることは理解できなかった。


「……あと六年もすればリアも大人だ」

「まだまだ先だよ」

「意外とあっという間さ。大人になった日には一杯付き合うんだぞ?」

「うん。父上との晩酌を楽しみにしているよ」


 二十歳になったときの自分はまだ想像できないが、将来の楽しみがひとつできた。

 父上の空きそうなグラスに葡萄ぶどう酒を注ぐと、うれしそうにほほ笑んだ。


「悪いな、リア」

「いつものことでしょ?」


 グラスの半分くらいまでお酒を注ぐと、父上は一口飲む。

 葡萄の甘い香りとお酒の香りが混ざり合って僕たちを包みこんだ。


「そういえば、リアは将来やりたいこととかあるか? 何でもいいぞ」

「やりたいこと……」


 僕は自分でやりたいことがひとつだけあった。それは自分の立場上叶わないこと。

 言葉にしても虚しくなるので、ずっと心の中にしまいこんでいた。

 父上に言うと困らせてしまう。


「……あるんだな、リア」

「……えっ……その……」

「言ってみなさい。否定しないから」


 父上の真剣なまなざしに負けた。僕は意を決して言葉を口にする。


「僕……世界を見たいんだ。どんな国があるのか、どんな人がいるのか、どんな生物がいるのか、どんな自然があるのか……自分の目で確かめて肌で感じてみたい」


 何と返されるのだろう。呆れられるのかな。そんな言葉が脳内をぐるぐる巡っている。

 静寂が耳に痛く、早く父上の言葉が欲しかった。

 そのとき、父上はからからと笑い出す。


「ぼ……僕の何か変だった?」

「笑ってすまない。……やっぱりリアは俺の息子だな」

「どういうこと?」


 父上は昔を懐かしむような瞳で月を見上げた。まだ母上と結婚する前の話。父上は貴族という身分が嫌で十七歳のときに家を飛び出したそうだ。

 厳しい教育、望まない婚姻。自分というものが否定されている気がしたらしい。世界を巡って自由に暮す。それを目標に家出をした。

 自分の父にそんな一面があったとは知らず、目を丸くしてしまう。


「あのころはいろいろ若かったな。そんな旅の途中でアエスタスと出会ったんだ。今のリアに容姿が瓜二つだったぞ」

「そうなんだ。でも、母上との婚姻は大変だったでしょう?」


 ルナーエ国で母上と出会い、相応しい男性になるため、家へ戻って勉学や武術に励んだそうだ。

 父上を変えさせた母上との出会いが気になる。


「大変だったけど、今こうして人生をともにしている。馬鹿な一人旅だったが、アエスタスと出会えて、かわいい子どもたちに恵まれた」

「父上はすごいよ。やりたいって思って行動に移せるから……」


 自分のやりたいことを優先するためにすべてを投げ出すことはできなかった。父上の行動力をうらやましく思う。


「リア、頼むから急にいなくならないでくれよ? 俺は泣いてしまうぞ」

「そ……そんなことしないよ!」


 父上は僕の頭を乱暴になでた。やはり王族という立場を考えると、旅に出ることは迷惑をかけてしまうのだと再確認した。父上はグラスの葡萄酒を飲み干すと、いきおいよく卓上へ置く。


「リアはまだ発展途上だ。さすがに放浪はさせられない」

「……うん。わかっているよ」


 言われることはわかっていたが、はっきりと言葉にされて落ち込んでしまう。


「……だが、息子のやりたいことは叶えたい。それが親というものだ」

「……えっ? それって……」

「リアの勉学と武術の鍛錬がひと段落したときに改めて考える。約束だ」


 父上は僕の肩にそっと手を置いた。やりたいことを否定せずに応援してくれる。

 それだけで心が満たされて涙があふれそうになった。


「……でも、母上は許してくれる……かな……」

「リアの成長を見てアエスタスも判断するだろう。言葉ではなく態度で示すことが一番だ」


 消えるために生まれた儚い夢が現実味を帯びてきている。


「本音を言ってしまえばかわいい息子をずっと手元に置いておきたい。婿にも出したくないんだ」


 いかに僕とセラを大切にしているのか熱弁された。父上はいい意味で子煩悩ぼんのうなのだと思う。

 お酒が入っているのでいつも以上に饒舌じょうぜつだ。


「……話はこれくらいにしておいて、身体が冷えるからもう戻りなさい」

「うん、そうするよ。父上も風邪をひかないようにね。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみリア」


 父上に会釈をして中庭をあとにする。夜空の月がいつもより輝いて見えた。

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