6-4 先達として
と、それまでずっと私たちのやり取りを黙ったまま聞いていた薫さんが、
「紗良ちゃんの悩みももっともだとは思うんだけどネェ~……」
腕を組み、誰にともなく頷きながら声をかけてきた。間延びした語尾は、気のせいだろうか、妙に勿体つけるような雰囲気もある。
思わず揃って首を傾げる私とカナ。そんな私たちへ、薫さんは不意に顔を上げて、
「それより、明日のお休みをどう過ごすかは決まってるのかしら、アナタたち?」
やや呆れ混じりの笑みを見せて、彼は言った。
きょとんと瞬きをした私は助けを求めるようにカナに目を向けたが、今回は彼女も何かを察した様子はない。疑問符を浮かべる私たちに、いよいよ困ったような表情を浮かべる薫さん。そこへ、店の奥から戻ってきた小雪が現れた。
彼女はある程度話を聞いていたらしく、薫さん以上に呆れの濃い渋面で私たちへ視線を投げかけてきた。
「あんたたち、『特区』に来てからまだデートの一つもしてないんでしょ? 前にそんなこと言ってたじゃない」
カナとは毛色の違う直截さで、小雪がずばりと指摘してきた。ハッとして、私はぽんと手を打った。隣ではカナも、たった今気づいたとばかりに「あー」と声を漏らしている。私たちの反応を目にした小雪は、呆れを通り越して心底不思議そうに首を捻った。
「ったく、折角大手を振って恋人らしいことができるようになったっていうのに、なんでそんな淡泊なのよ? 別に仲が冷めてるわけでもないでしょ。普段は事あるごとに見せつけてくるくらいだし」
「小雪、何に価値を見出すかは人それぞれなんだから、押しつけは駄目だよ」
他人事ではないかのような剣幕で頭を抱える小雪の背後から、時雨さんも顔を覗かせて、極めて理性的に告げた。振り返った小雪は不満げな顔をしたものの、反論するまでには至らない。
時雨さんは淡く微笑んで見せながら、何も言おうとしない。私たちが話しやすいように、敢えて無言でいてくれているようだ。
彼が作ってくれた静寂にあやかるように、私とカナはそれぞれ口を開く。
「ええと、先週は久々にお菓子作りとかしてたら、家デートみたいな感じになってたのよ。出かけるにしてもどういう場所があるのか、まだよく知らないし、またそんな感じでも楽しいかなって……」
「今まで恋人らしいことができなかったストレスは確かにあるんだけど、その反動もあって最近は毎晩いやらしいことしてたせいか、意外と欲求不満にはならないんだよねぇ」
「カナ、そういうのは赤裸々にしなくていいから」
「言う相手はちゃんと選んでるよ?」
隣でカナからとんでもない言葉が飛び出し、私は赤面することすら忘れて、硬質な口調で釘を刺した。手遅れにもほどがある私の言葉に対し、カナはけろっとした顔で小首を傾げる。
リアクションは三者三様だ。薫さんは可笑しそうに苦笑したまま何も言わず。時雨さんは赤らんだ頬と遠い目で、何かを夢想するように呆けたまま立ち尽くしていた。驚きと羞恥に顔を真っ赤にした小雪は、言葉もないまま時雨を見上げた後、その横顔に何かを感じたのか彼の胸倉を掴んで揺さぶり始めた。
「時雨ちょっとッ!? 今一体ナニを考えてそんな顔してんの!?」
「なななな何もないって何もっ!!」
「何もない奴はそんな顔しない!」
ガクガクと頭を揺らし弁明する時雨さんだったが、小雪は容赦がなかった。わざわざ気遣ってくれた時雨さんに、申し訳ない気分になってしまう。
ひとしきり恋人の頭を振り回して気が済んだのか、小雪は暴力の名残りを感じさせる眼光を私の方へスライドさせて、
「で、紗良の方は何、デートスポットくらい聞かれればいくらでも教えるわよ! 当たり前でしょ! これでもあんたよりは長く『特区』にいるんだから」
時雨さんを離して両手を腰に当てながら、力強い口調で、それでも気遣わしい言葉をかけてくれた。呆気に取られ、しばし反応ができない私に代わり、カナがクスリと笑い声を零す。
「いいねぇ。小雪ちゃんが普段どんなところをデートに使ってるのか聞けるんだ」
「そんな邪な動機で聞こうとしないでっ。ちゃんと自分たちのことに役立てなさいよ」
ムスッと眉間に皺寄せ、小雪が唸る。彼女の表情の変化を見て、カナがまた笑う。時雨さんもまた、二人のやり取りを微笑ましそうに見守っていた。多分、私も同じような顔をしているだろう。
そして私たちの様子を見ていた薫さんは、安堵したように肩を上下させて言った。
「そうねェ。若いコのことは若いコに任せた方が間違いないわね」
と、その後で彼は時計を確認して、
「そろそろ一服には良い時間だわ。コーヒー淹れたげるから、その話、続けて頂戴な。アタシも参考にするから」
そう嘯く彼に、嫌そうな顔で振り向いたのは小雪だ。彼女はどよんとした目で薫さんを食い入るように見つめ、彼の発言の意図を疑うように声を上げた。
「いや、そこはむしろ店長の意見も参考にする方じゃないんですか……」
「そぉんなことないわヨ。アタシが知ってるデートスポットなんて、軒並みオトナのための場所だもの。アナタたちにはまだ教えられないわァ」
「む、それは逆に気になります。ね、サラ」
「やめときなさいって。興味本位で首突っ込んだら痛い目見るパターンよ、こういうの」
薫さんが答え、カナがそれに食いついた。とはいえ私は賛同しかねて肩を竦める。
そんな中、ずっと黙っている時雨さんが気になって、私はさりげなくそちらに目を向けた。それまでどうだったのかは分からないが、今は無言でありながら、薫さんの方へ興味と我慢のせめぎ合う眼差しを向けていた。
――気になるのか……
思いはしたが、確かに彼は私たちよりも年上だ。もうすぐ二十歳になるというところでもある。となると、薫さんの発言もより身近に感じられてしまうのだろうか。
「と、とにかく! 私が知る限りのことは教えてあげるから、ちゃんと健全な、健全な! デートをしなさいね!」
「小雪、なんか保護者みたいね」
「誰がよっ!」
思わずぼやいた私に、小雪は噛みつくような勢いで怒声を放つ。その姿がどことなく威嚇する犬猫を思わせ、堪えきれずに短く吹き出してしまった。当然小雪にも気づかれ、それがまた彼女の眉間の皺を増やしてしまう。
「ご、ごめんごめん。冗談だから……っくく」
「嘘つけ! 未だに笑ってるじゃない!」
両手を翳して宥めようとしたものの、逆効果だった。割って入った時雨さんが「まあまあ」と言いながら小雪の頭を撫でたりしたが、なかなか彼女の機嫌は直らなかった。
「もう、サラってば。意地悪しちゃダメでしょ」
「意地悪をしたつもりじゃなかったんだけどね」
横からカナがこそっと声をかけてくる。私も眉尻を下げながら小声で応えた。
コーヒーの香りが漂い始める。賑やかで、だけどとても心地いい時間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます