6-2 上機嫌にいこう

 試行は翌日から始まった。

 調理が必要なお昼時のメニューを、スパゲッティナポリタンとホットサンドに限定。最初の注文が入った時点から、客足を見つつナポリタンを常に数食分作り続ける。あまり速度を上げ過ぎないよう心掛けた結果、余りを出さず、長時間の待ちもなく提供することができた。ホットサンドはそこまで手間がかかるわけでもないため、注文ごとに作っても間に合った。

 弊害なのか嬉しい誤算なのかはこれまた微妙なところだが、メニューを限定したことで少し客足が減ったような気もする。ただ、少なくとも一昨日までの閑古鳥状態とは訳が違った。

 総合的には、大成功といって差し支えなかっただろう。昼過ぎ、客足がほとんどなくなった頃合いを見計らって、私たちは快哉を上げていた。

「お疲れサマーッ!」

 昨日と同じ午後三時頃。テンションが最高潮に達した声で叫びながら、薫さんがグラスを掲げている。余程ランチタイムを無事乗り切ったのが嬉しいのか、グラスの中ではビールの泡が跳ねていた。

 薫さんを除けば全員未成年だ。無論酒に手を付けるわけにはいかず、一人だけ絶好調の薫さんに置いてけぼりにされる中、ちゃっかり小雪がサイフォンを弄っていた。

「ありがとう」

「味には期待しないでよ」

 淹れたてのコーヒーを皆の前に配ってくれた彼女に礼を言うと、小雪はふいっと視線を逸らしながら呟く。褒められることに慣れていない、という風でもある一方で、こんなやり取りに慣れ切っているようでもあった。

 彼女の横顔を見つめる時雨さんの眼差しの質に気づき、何となく察した。多分小雪は、自分に向けられた賞賛を拒否することに慣れてしまっているのだろう。そこに至るまで、きっと色んな経緯はあっただろうが、流石にその内容までは知りようもないし、根掘り葉掘り聞きだすことでもない。

「……いたっ」

 と、そんなことを考えていた私の腕が軽く抓られた。慌てて真横を見ると、軽く頬を膨らませたカナが私を睨んでいた。

「小雪ちゃんのこと見過ぎ」

「ぇえ?」

「アッハハハ! なぁにカナちゃん、嫉妬!? カ・ワ・イ・イ~!」

 カナの台詞に私は困惑し、耳にした薫さんは逆にげらげらと笑い出した。お酒が入っているせいか、随分と反応が大きい。戸惑うような、もしくは迷惑そうな眼差しで、時雨さんと小雪が彼を見上げていた。

「……随分上機嫌だな、宮部?」

 不意にそんな声をかけられて、全員が弾かれたように客席の方へ振り向いた。

 一体いつからそこにいたのだろう。カウンターから少し離れたテーブル席に、黒いコート姿の男性がいた。漆原さんだ。

 慌ててグラスと水差しを持って彼の元へ向かった。どのくらい待たせてしまったかは分からなかったが、少なくとも苛立ちは見られない。むしろ彼は面白がるような双眸を薫さんに向け、

「楽しいことになってるじゃないか。まさかこの店で客が並んでいるなんて光景を見ることになるとは、思ってもみなかったぞ」

「そうよねーェ! アタシもよォ!」

 漆原さんが声をかけるが、薫さんのテンションは相変わらずだ。呆れたような苦笑が漆原さんの口元に浮かぶ。カウンターでは彼を知らない時雨さんと小雪に、カナが軽く説明をしているようだった。

 そうこうしているうちに、薫さんがビール瓶を手にカウンターから出ていく。漆原さんの向かいの椅子にどかっと腰を下ろした彼は、瓶をテーブルに置いて、

「クロも飲むでしょ?」

「当然」

 打てば響くようなタイミングで答え、漆原さんはグラスの水を一息に飲み干した。空いたクラスに薫さんがビールを注ぐ。そのビールを、漆原さんはまた一気に飲み切る。

 あまりの展開の早さに、誰もがぽかんとしていた。対して二人で盛り上がる薫さんと漆原さんは、二人のいるテーブルだけが別世界であるかのような居住まいだ。最早どんな心境で察したらいいかすら分からない。

 かと思っていたら、

「よォし、じゃあ今日はもう店じまい。悪いけどみんな、解散よ解散」

『ええええ!?』

 いくら何でもそれを予想できた者がいようはずもない。四重奏を奏でる私たちだったが、薫さんも冗談で言ったわけではないようだ。

「アタシの気まぐれで臨時休業なんて、別に珍しいことじゃないワ。扉のフダ、『Closed』にしといて頂戴」

 続けてそうも言われ、私たちは唖然とした顔を見合わせたあと、それに従うことにした。一度更衣室に戻って着替え、薫さんと漆原さんにもう一度挨拶をしてから店を出て、ドアにかかっている札を裏返す。

「……何か拍子抜けね」

 夕刻前に店の前に、並んで立っている。それは酷く現実味がなくて、私はついぼやいてしまった。

「まぁ、店長の指示じゃ仕方ないでしょ。それに折角なんだから、二人きりにしてあげようよ」

 気を取り直してカナが放った言葉には、意味深な響きがあった。その意味を汲み取れない私ではなかったが、かといって疑念はある。

「あの二人って、本当にそういう関係なのかしら?」

「わたしはそう思うんだけどぉ」

「微妙じゃない? 店長、単に酔っぱらって上機嫌になってるだけにも見えたわ」

「確かに……でも、それだけで僕らを帰すかな?」

 口々に言い合い、首を捻る私たち。とはいえ、ここで議論したところで結論の出る問題ではない。やがて誰からともなく、

「帰ろっか」

「そうだね」

 と言って、解散することにした。


 翌日、いつも通りに店を訪れたとき、薫さんの様子に変わりはなかった。昨日あのあと何があったのか、誰もそれを問い質すことはできなかった。

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