六章 転機
6-1 営業再開
「へぇ。店ん中、前より綺麗になったなァ宮部」
営業再開初日。夕方頃にやって来たその日最初のお客さんは、そう言いながらミックスナッツと酒類を頼んで帰っていった。
「おぉっ、何だよ宮部、いつの間にこんな可愛い子雇ったんだ?」
翌日。昼過ぎにやって来たお客さんは、ミニスカメイド服で注文を取りに来たカナを見てそうほざいた末、敵意漲る私の視線を浴びながらコーヒーを二杯飲んで帰っていった。夜には数人のお客さんが酒を飲みに来て、カナや小雪、私を見るたび赤ら顔で鼻の下を伸ばしていた。
「店員増やしたんだって? ってことはあれか? その子たちが料理作ってくれんの?」
さらに翌日。昼頃に店にやって来た二人組のお客さんは、そう言ってパスタランチセットを食べて帰っていった。この日は日中から他にもお客さんが来てくれた。
異変は翌日だった。
昼前に最初のお客さんがやって来た。暇を持て余し、カウンターの内側でトランプに興じていた私たちは、「今日はお客さんが来始めるの早いね」なんて呑気なことを言いながらカードを片づけていた。
その五分後に二人目のお客さんがやって来た。さらに五分と間を置かず、二人組のお客さんが、さらに数分後には三人組のお客さんが現れた。これまでになかった活況に、薫さんは大喜びだった。
が、既にこの時点で嫌な予感はしていたのだ。
厨房に入り、スパゲッティとホットサンドを用意していた私の元に、小雪が早足で現れた。すぐさま隣のコンロで何かの準備を始める。さらには続けて姿を現したカナが、
「サラ、ナポリタン二つ、ミートドリア一つ!」
「!? オッケー!」
「ドリアはこっちで! さっきのオーダー分もこれからってとこだから、二人前一度に作れるわ!」
私の返事に小雪が続いた。たちまち厨房は喧噪で溢れた。その後もカナは出入りを繰り返しながら、注文を私たちに伝えてきた。
「ええと、ジェノベーゼとカルボナーラ、温野菜グラタンとシーフードグラタンが二つ、あとホットサンドが二つ!」
「ちょっ、そんなのすぐには無理でしょ!?」
「紗良っ、パスタソース二つは同時進行、カナはホットサンド先に用意して、それから紗良の様子見て麺茹でて! グラタンはこっちで準備始めるから、紗良は手空いたらこっちの手伝い!」
「わ、分かった!」
目を回しかけた私たちとは違い、小雪が鋭く指示を飛ばす。私たちより長いこと『特区』に暮らしているだけあって、胆力は私たち二人とは比較にならない。
やがてカナも厨房にかかりきりになり、さらに、
「時雨ちゃん、ちょっとこっちで休憩させるわ。ちょぉっとタチの悪い客がね、男娼で働かないかってしつこく誘ってきて」
「店長、私そいつらシメてきます」
「小雪ちゃん、遊んでないで料理ぃ!」
目を回した状態で時雨さんが担ぎ込まれ、眦を吊り上げた小雪をカナが宥める。この時点で既に接客は薫さん一人という有様だ。
薫さんの人徳と言うべきか、オーダーに対する料理の提供の遅れに関して、あまり文句はつかなかったらしい。もっとも、それでオーダーを取り下げて帰るお客さんが少なかった分、私たちも長々と厨房に釘付けになった。結局一息つけるようになったのは、午後三時を回ってからだった。
おまけに、元々こんな繁盛を想定していなかったため、別の問題も発生していた。米とスパゲッティの在庫が尽きたのだ。パスタソースの材料もほぼ残っていない。慌てて問屋に掛け合って入荷量を増やしてもらえることにはなったが、足りるかどうか。
「……嘘みたい。昨日までの暇さ加減は何だったのよ」
元々タフなのか、精根尽き果てた私よりも幾分か余裕を残した小雪が、困惑混じりに毒づいた。
「アタシだって意外も意外よォ。こんなに盛況になるなんて、これっぽっちも思ってなかったわ」
そう応える薫さんの表情にも、戸惑いと疲労の色が濃い。彼には珍しいことだ。
幸いと言っていいのかは微妙なところだが、おやつ時の今はお客さんがいなかった。私たちはカウンターの内側で雁首揃え、薫さんの淹れたコーヒーを啜っている。
「とはいえ、要因は揃ってたようにも思います」
そう切り出したのは時雨さん。全員の疲れた視線が集まる中、彼は首を竦めながらも続けた。
「この店、余所より安いじゃないですか。それで味がマトモなら、そりゃ人も来ますよ。元々値段については有名でしたし、それだけで味を我慢してまで来てた人もいたんでしょう?」
「引っかかるところがあるにせよ、まァ確かに一理あるわネ」
忌憚のない時雨さんの意見に、薫さんが渋そうな顔をしつつも頷く。彼の反応に恐縮する様子がないあたり、時雨さんの疲労もかなりのものらしい。
「とはいえ、明日もこのペースだといくら何でもキツ過ぎますよ」
「というか、何も手を打たなきゃさらに忙しくなりますよね……」
ぼやいた私にカナが続く。小雪と時雨もうんうんと頷いた。腕を組んだ薫さんも、異論はないらしい。腕を組んで眉根を寄せた彼は、
「流石にこれじゃ持たないわ。ただ、安いせいで人が多いからって、いきなり値段吊り上げるわけにもいかないし……席数減らすのも同じことよねェ。でもやむを得ないのかしら」
ぶつぶつとぼやく彼に、不安げな視線が集中する。気づけば、手元の半分以上中身を残したコーヒーは冷めてしまっていた。
そんな中、隣から微かに息を呑む気配がした。カナだ。ごく些細な変化ではあったが、彼女は何か思い当たることがあったかのように、顔色を変えて瞳を揺らしていた。
「カナ、何かあった?」
私が問うと、カナは逡巡を見せた。目を逸らして一秒、二秒、何かを黙考する仕草を見せたが、結局は躊躇いがちに頷いて口を開いた。
「メニュー、減らしたらどうかな?」
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