5-2 二つの勘違い

 危機感があるのか無いのか、薫さんはそんな私たちに手を振って、

「冗談冗談。実際、アタシとアナタたち二人じゃ、ちゃんとしたお店としてやっていくには心許ないし、もう少し人手は増やすつもりよォ。その分、紗良ちゃんも厨房にかかりっきりじゃなくて、接客にも出てきてもらいたいの」

「それならまぁ、無理ではないかもしれませんけど。それにしたって、どうしてそんな頑なに私に接客させたいんです?」

 半分は納得しつつも、もう半分は理解に苦しむ。眉根を寄せて問う私だったが、薫さんは腰に手を当てて持論を展開する。

「繁盛させるにはまず集客。そのためには可愛いコたちに表に出ていてもらわなきゃ。紗良ちゃんもカナちゃんも、その点は申し分ないもの」

 言ってから、彼はニヤリと得意げな笑みを浮かべて私たちを見た。

「っていうか、接客に出てもらうつもりじゃなきゃ、そんな格好させないわよ。ホント、折角色々用意しておいた制服が無駄にならなくて良かったわァ」

 眩しそうに細めた目で彼が見つめる私とカナは、確かに彼が言うように、自前の服を着てはいなかった。私の方は、フリルをあしらった白のブラウスと黒のスラックス、その上に料理のときに着ていたエプロンをかけたままだ。

 一方、カナはいわゆるメイド服、それも本場欧州の古式ゆかしいものではなく、ヒノモトの男性向け喫茶で流行った、全体的に丈の短いものを着ていた。一応、そういうサービスを重視した店のものと比べればスカートは長いものの、見ているこちらとしてはいまいち落ち着かない。

 抵抗を覚える要素がないわけではないが、総合的にはこの格好が嫌なわけではない。また、可愛いと言われることも率直に嬉しかった。ただ、客寄せになるかという点に関しては、私は懐疑的だった。

「そんな単純なものなんですか?」

 百歩譲って、『特区』の外なら通用する理屈だとしよう。だが、ここでそれが同じようにいくだろうか。『可愛い女の子で客を釣る』というプランを成功させるには、兎にも角にも『可愛い女の子に釣られる』人間が必要だ。ところがこの『特区』は、そんな普通の異性の好みから外れた人間たちの溜まり場である。成功するとは思えないのだが――

「……サラ、多分勘違いしてるんじゃない?」

 と、仏頂面で悩む私を見たカナが声をかけてきた。振り向くと、彼女は苦笑に似た、まるで呆れたような表情で私の目を覗き込んできていた。

「そうね、二つくらい」

 そんなカナの態度の理由に思い当たるより早く、私より先にカナの意図を汲んだらしい薫さんが、やはり苦笑交じりに言う。予期せぬ展開に、私の頭は真っ白だ。二人の間で視線を右往左往させながら、口を閉ざすより他になかった。

 片や、カナの方も薫さんの言わんとすることを全て予想できたわけではないようだ。興味を含む眼差しで、ちらりと彼の方を見る。促された薫さんが、鼻を鳴らして肩を上下させた。

「まず一つ。何も、客引きする相手はオトコじゃなくたっていいの。可愛い同性のコ目当てのオンナだって少なくないんだから。その辺は多分、紗良ちゃんが思ってるようにね」

「あっ」

 薫さんの指摘に、私は思わず声を漏らしていた。確かに、外でいう『普通』に逆らって考えれば、そこに思い当たるのが当然のはずだ。どうして失念していたのか。呆ける私に、カナも小さく頷いていた。

 私たちの反応を眺めた薫さんは、口元に浮かべた笑みを微かに曲げる。少しだけその表情が、私の不明を責めるような色合いに変わった。

「そして、二つ目。『特区ここ』はね、独り身の人間って結構多いのよ」

 そう告げる薫さんの声は、どこか乾いた響きに聞こえた。ただの世間話のようなトーンで放たれたその言葉はしかし、砂塵を巻き上げた寒風のように、私の胸に嫌な感触を残した。

 軽く眩暈がした。しばらくの間、その指摘の意味を理解できなかった。そして私が自力で気づいたと同時、薫さんもまた続けて語った。

「最初から独りで入ってくる人だっているワ。聞いたかどうか知らないけど、傑ちゃんなんかもそのクチよ。だけどまァ……二人みたいな若いコは、まだあんまり想像できないかしらネェ。上手くやっていけなくて別れちゃう人たちって、どうしてもいるのよ。残酷なくらい沢山、ネ」

 そのときの薫さんの表情は、一言では言い表せないほど複雑な情感を宿していた。冷淡なようで、憐れむようでもあった。嘆くようでも、悼むようでも、諦めるようでもあり、そのどれでもないようにも思えた。ただ少なくとも、その表情を見た瞬間、私は彼がとても遠い存在であるかのように感じた。

 それは折に触れて、根岸さんや大河内さんにも感じた隔絶感だ。これまでと違ったのは、薫さんの指摘が、今までになく自分たちの今後に暗い影を落としたことだろう。上手くいかない。いつか別れる。そんな可能性をちらつかされて、不覚にも動揺してしまった。

 そんなはずない――そう言い切れる根拠が、一体どこにある? あってくれる? 焦りが否応なく、心の奥底から這い上がってくる。

「っ……」

 咄嗟に手で口を押えて顔を背けた。込み上げる怖気と懸命に格闘する私を、少し申し訳なさそうな顔をした薫さんが見下ろしていた。

「ああ、やっぱり怖がらせちゃったかしら。大丈夫? 無理しないで?」

 カウンターのこっち側まで回り込んで、背中をさすられた。それに私は、首を左右に振って、ゆっくりと口元から手を退ける。どうにかお店を汚すような真似はせずに済んだ。

 ゆっくりと息を整える。その間、薫さんは傍らで何も言わずに待っていてくれた。

「……ごめんなさい、取り乱しちゃって」

「いいのよォ。アタシだってもう少し上手く伝えるべきだったし」

 自分のものとは思えないしゃがれた声が漏れた。そんな私に、薫さんはやはり優しげな声で囁く。私はもう一度頭を振って顔を上げた。

 それでも私は咄嗟に、カナから目を逸らした。今だけ、ほんの少しの間だけは、カナから意識を逸らしていたかった。カナが何も反応を示さなかったことも、薫さんが心配したのが私だけだったことも、深く考えたくはなかった。

 そんな気まずさを早々に察した薫さんは、パンッと高い音を立てて手を叩く。

「サ、話を戻すわよォ。とにかく紗良ちゃんは料理メイン、カナちゃんは状況を見て紗良ちゃんと交代しつつ接客。ひとまずそんなつもりでお願いネ。と言っても、この先入ってくれるコたちの適正にもよるから、あくまで暫定ってことで」

 どうにかそちらに思考を傾けて、私はこくりと頷いた。カナも異存はないらしい。視界の外から、彼女の声が飛んでくる。

「はーい、それでいいです。けど店長?」

「何かしらァ?」

 肯定した後で、カナが何か問いたそうに彼を呼んだ。眉を上げて問い返す薫さんに、カナはのほほんとした口ぶりで、

「っていうことは、もうちょっと店員さんの募集があるまで開店はお預けってことですか?」

「そうねェ。でも募集を待つ以外にもすることはあるわよォ」

 カナの確認に、薫さんはちょっと太々しい笑みを浮かべながら首を振った。勿体ぶるような態度に、私もカナも、きょとんと目を瞬いた。

 無言で続きを待つ私たちに、薫さんは自慢げに鼻を鳴らしてから再度口を開いた。

「折角お店の料理が美味しくなったのよ? 開店までそれを知ってるのがアタシたちだけ、なァんて勿体ないじゃない」

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