4-5 気になる求人
その後。
どうにか再起動を果たした私は、カナとともに買い物を続けた。シャンプーとタオル、数着の着替えとパジャマだけは持ち帰りにして、他に買った台所用品や食器、折り畳みの机、布団、小型冷蔵庫や掃除機などは配送を頼んだ。明日の午前中に到着する予定だ。
ただそれは、今晩は家で料理を作ることはできないということでもある。結局気を遣ってくれた大河内さんの案内で、私たちは北区西寄りにある定食屋に来ていた。素っ気ない店構えの小さなお店なのだが、味はなかなかに良い。
「外にもあるようなチェーン店に行くと凄いよ、値段が」
とは大河内さんの言だ。コンビニの一件と同じことだろう。私もカナも得心したように深く頷いた。
買い物で得られたものは、先に挙げたものの他に二つ。うち一つを、カナはほとんど料理の片付いた机に広げた。求人情報誌だ。
「ところでね、サラ。さっき見てて、ちょっと気になった求人があるんだけど」
この手のものを、カナが私に先駆けてチェックしているのは珍しい。意外ではあったものの、私が買い物リストを作ったり吟味したりしている間、彼女が暇を持て余している節はあった。そのときに読んでいたのだろう。
「どれ?」
「これ」
短く問えば、やはり簡潔に答えが返ってきた。カナが指さした情報を私は目で追う。テーブルの反対側から、大河内さんも覗いていた。
カナとしても、彼の意見は欲しかったようだ。件の求人を示したまま、雑誌を大河内さんの方へ近づける。
「えっと……『Cafe&Bar Kaoru』?」
確認のため店名を読み上げる。カナはこくりと頷いた。
それを見てから、私は改めて内容に目を落とす。改装後のリニューアルオープンに伴う従業員募集。業務内容は調理と接客。最大週六日勤務で、勤務時間は相談可。時給は周りと比べて悪くはない。
あとは『特区』の常識や相場に明るい大河内さんがどう反応するか――カナが彼を見る目にも同じ思惑が感じられた。
が、彼の反応は思っていたものとは少し違っていた。
「『Kaoru』……ああ、
「知ってる方ですか?」
カナが聞き返した。だが、考えてみればこれもそこまで特異なことではないか。『特区』は狭い。となれば自然、知り合いの割合も高くなるだろう。
尋ねられた大河内さんは、何とも微妙な面持ちになった。さながら滑稽で皮肉の効いたジョークでも聞いたように、渋さを思いっきり塗りつぶすようにして笑みを浮かべている。彼は笑い声を堪えるように、時折短い呼気を漏らしながら、
「あ、ああ。知ってるよ。まぁ何て言うか……一風変わったヤツでね。波長が合うかは人それぞれだし、本音を言うと僕は少し苦手なんだけど、悪い人間ではないよ」
どうにも判断に悩む人物評だ。胡乱に思いながらカナを見ると、彼女も困ったような微笑で私の方に視線を送ってきた。
一方、大河内さんの方は自身の発言が生み出した私たちの葛藤を知ってか知らずか、一人続けて言う。
「とりあえずその仕事、興味があるならアポ取ってみようか? さっきも言ったけど悪いヤツじゃないし、あの店でその仕事内容なら、そうそう妙なことにもならないと思うし。都合がつくなら、明日にでも会いに行ってみたらいい。付き合うよ」
「そんな、流石にこうも連日じゃ申し訳ないですよ」
いくら何でも、という心持ちで手を振る私だったが、大河内さんはカラッとした笑顔で首を左右に振る。
「気にしなくていいさ。苦手とは言ったけど、たまには顔くらい見せておいた方が都合がいいしね。それに、時間がかかるようなら帰りは宮部に任せて、僕は先に帰るから」
そう言われ、私はもう一度カナの方を見た。私の視線に気づいたカナは、少し考えるように間を空けてから小さく顎を引く。
彼女の諾意を受けて、私は先延ばしにしていた答えを返した。
「そう言って頂けるなら、じゃあ、お願いします」
私が言うのと同時に、カナも大河内さんに向けて首肯する。大河内さんも私たちに一つ頷くと、その場で携帯を取り出し、誰か――まず間違いなく、宮部さんとやらに電話をかけ始めた。
「もしもし、大河内だけど……うん、久しぶり……うん、ちょっと相談したいことがあってね――」
「――ねぇ、サラ」
彼の通話が始まってすぐ、カナが声を潜めて話しかけてきた。不意を突かれたものの、取り乱すことなく私は無言のまま小さく首を傾げ、続きを促す。
「大河内さんがあんな風に言うあたり、たいぶ変わった人っぽいけど、一体どんな人なんだろうね?」
「さぁ……」
考えたところで分かりはしない。首を捻り短く応える私だったが、胸中では不安と興味が綯い交ぜになっていた。
一方でカナの言葉は、忠告のようでもあった。昨日、カナに言われた言葉が蘇る。「不意打ちに弱い」、カナの指摘を今一度思い出して、私は気を引き締めた。
カナとやり取りしていた時間は決して長くなかったはずだが、大河内さんもその頃には通話を終えていた。彼は可笑しそうに口元を曲げたまま、
「連絡ついたよ。暇を持て余してるところだから、いつ来ても構わないってさ。君たちの荷物の受け取りもあるし、午後の適当な時間に行けばいいと思うよ……まぁ、特にやることがないのは僕も一緒だけどね」
言ってから自嘲気味に目を逸らし、彼は付け加えた。
「そういうわけだから、都合のいい時間になったら呼んで。僕の都合次第では少し待たせちゃうかもしれないけど、大した用事はないから」
「ありがとうございます」
「よろしくお願いしまーす」
私に続いてカナも頭を下げる。優しい瞳で頷き返した大河内さんは、これで一段落と言わんばかりに、伝票を持って立ち上がった。ここの払いは彼が、というのは来店したときから彼が頑なに主張していた。何かにつけて負い目が強さを増していくのだが、これも先達の面目を保つものと思って甘えることにした。
「よし、じゃあ行こう」
私たちを促す声に従って、私も椅子から腰を上げる。
ふとそのとき、机に置いた左手にカナが触れてきた。右手ではなく、わざわざ遠い方の左手で。互いの薬指に着けたリングを触れ合わせるように。
シンプルなデザインのリングだ。白無垢をも連想させるような白銀の色合い。流石にダイヤを嵌めた本格的な婚約指輪とはいかないが、それなりに値の張る品だった。
今後を考えれば、決して気安く散財していい状況ではない。それでも、私もカナもこの指輪を買うことに躊躇はなかった。二人の仲を証明するためのリングなら、少し背伸びをしてでも、綺麗で上等なものを身に着けたかった。
単なる意地でしかない。だけどそんな子供じみた欲求さえも、私とカナとで一致していた。その実感がたまらなく幸せで、そしてそれが形になったものこそ、この指に輝くリングなのだ。
「……なんか、嬉しいわね」
単純極まりない感想が口を突いて出る。
けれど、私のそんな言葉に、カナは無言のまま破顔した。
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