3-4 『特区』の輝き
『特区』はざっくり五つの区画に分かれている。
今しがた通ってきた入出ゲートを有する東区の他、北、南、そして『アパルトメント・すいせん』のある西区の四つ。そして『特区』の中心に鎮座する摩天楼、中央区だ。
都市としての利便性、住みやすさは、どうしたって物流の多さに影響される。特に『特区』では、スーパーやコンビニで扱う商品の大半が外から入ってきた物だ。その点、当然と言うべきか、ゲートに近い東区は最も住みやすいとされ、その分部屋も高い。一方で西区は比較的部屋も安く、それでいて人気も低いため比較的住まいを探しやすいとのことだ。
「まあうちの近所にも最近コンビニできたし、スーパーやコインランドリーも徒歩圏内だからね。そこまで不便はないと思うけど」
バンのハンドルを操りながら、大河内さんはそう言った。それでも声には張りがなく、ある程度の不便は覚悟しなければならないことが窺えた。
正直なことを言えば、物件についてはほぼ選択肢がなかった。調べられた限りで入居する余地があったのは、中央区の馬鹿みたいに高い部屋、西区に限らず散在する、一畳強のギリギリ人が中に入れるというレベルの安普請、それ以外で唯一の例外が『すいせん』だった。
ここまで敢えて無視を重ねてきたことだが、大河内さんが私たちに対して悪意ある人間だったとしたら、その時点で詰んでいた。その不安がないと断言するのは、まだ尚早ではあるが。
「確かに、外で物件を探してたときにヒットしたのは、ほとんど西区と中央区でしたね」
「だろうね。中央区は他より格段に高いから、敬遠される分空きもあるようだけど」
彼の説明に私がそう言葉を返すと、大河内さんはさらに苦笑気味にぼやいた。
区画が分かれていることはともかく、それぞれの発展事情や空き物件が偏る理由は初めて知った。同時に、中央区がどういう場所なのかも、朧げに察しがつく。西区とは明らかにグレードの違う物件と、あの煌びやかさ。そして、東区から西区へ向かうこのバンが、わざわざ中央区を迂回することからも、あそこが特別な場所だということは確信できた。『特区』の前身と重ねて考えれば、より鮮明に。
「外で色々調べてるときに、ちらっと噂で聞いたんですけど」
そう前置きすると、一瞬だけ大河内さんの首が、後部座席の私たちを気にするように傾いた。言葉は無くとも、こっちの言葉に注意を向けてくれたのが分かる。
勿体をつける意味はない。私はそのまま続けて尋ねた。
「中央区が昔の歓楽街そのままって話、本当なんですか?」
「ああ、本当さ」
返答はすぐだった。意外だったのは、大河内さんの声があからさまに沈んだことだ。苛立ち混じりにも聞こえる低い声に、私は気圧されて口を噤む。それを知ってのことかどうかは分からないが、入れ替わるように大河内さんが立て続けに語り出した。
「賭博と風俗。それ以外のロクでもないものだって山ほど。あの光の下にあるのは、全部そういう汚いものばかりさ。このウツロ島の都市機能の回復に躍起になっていた連中も、結局目当てはあそこなんだ。『特区』はいい隠れ蓑だよ。都合のいい口実をつけて、不都合な詮索を避けることができているんだからね」
彼の台詞を聞きながら、ふと視線が中央区の方へ惹きつけられた。この近辺にも不便がない程度に電灯は設置されているが、中央区の輝きはその比ではない。遠目に眺めるだけでも目に刺さるような眩さ。きっとあの傍まで行けば、真昼のような光に照らされることだろう。
だが、憧れは感じない。実態を知らされていなくても、あの光には何というか、身の丈を超えた危うさがあるような気がしてならない。
「君たちみたいな子が興味を持つべき場所じゃないよ。まして近づくなんて以ての外だ。あんなところに行かなくたって、生活には何ら不便はないからね」
憎々しげに吐き捨てた大河内さんからは、それまでの温厚な人柄とは違う気配を感じた。何か似たようなものを見たことがある気がする。
少し遅れて思い出した。いつか、私が『特区』のことを『肥溜め』と呼ぶのに難色を示したときの父だ。あのときのような、心からの憎悪。今の大河内さんから漂うのは、それとよく似ていた。
「嫌な思い出でもあるんですかぁ?」
そんな問いを放ったのは、それまで黙っていたカナだ。大河内さんは鼻を鳴らして、
「さっきも話した、姿を晦ました子たちのことさ。聞くに堪えない話だし、僕だって思い出したくはないことだから、詳しくは言わないけどね。ただ、そういう犯罪と縁の深い場所だとは思ってくれていい」
口を閉ざしたまま、私は何となくカナの方へ目をやった。視線に気づいたカナが私と目を合わせ、こくりと小さく頷いた。言葉は無いが、恐らく彼女も、大河内さんのこれまでの発言の一貫性に納得のいくものを感じたのだろう。
「あと、それとは別に気になることがあるんですけど。大河内さんのことなんですけど、いいですか?」
これまでより一段気を緩めて、私は再度口を開く。
気になっているのは単なる興味というか、彼を信用できるかの判断でなく、隣人として彼の人柄をより知るためのものだ。先んじてそのことを仄めかす私に、それでも大河内さんは気安く首肯した。
「構わないよ。内緒にするようなこともそんなにないしね」
「じゃあ、えっと。大河内さんはどうして『特区』へ?」
厚意に甘えて、やはり一言目で本題に入る。本人が請け負った通り、私の質問に大河内さんは動揺もなく、朗らかな声で答えてくれた。
「はは、まぁ何て言うか、『外』から追い出されてきたようなもんだよ、僕は」
さっきの話題よりは気楽なようで、聞くからに機嫌が良さそうな声ではある。しかし内容は含みがあった。私が詳しく尋ねようとするより早く、彼は続ける。
「僕自身は別に同性が好きなわけではないんだけど、だからといって同性愛者を異常とは思っていない。ただそれを言葉にしただけだったんだけどね。どうやら僕の周囲の人間は、それすら我慢ならなかったらしい。悪評はあっという間に広まったよ。親からは勘当されて、友達にも絶縁された。行く当てなんて、ここ以外どこにも無かった」
笑い話のようにあっけらかんとした調子で、大河内さんは言ってのけた。だが私はとても笑う気になどなれない。隣ではカナが肩を跳ね上げ、固い顔をしていた。
カナが私に初めて声をかけてきた日のことを思い出す。あのとき何か一つ間違っていれば、大河内さんの語る境遇を辿っていてもおかしくない。
私たちの心境とは無関係に、大河内さんの語りは止まらない。ここに至ってもなお彼は気軽な調子を崩す気配はなかった。
「『特区』に来た後は、他の人には申し訳ない程度には幸運に恵まれたけどね。持ち合わせはそれなりにあったから当面の生活はどうにかなったし、僕の境遇に同情的な友人も得られたおかげで、巡り巡って今の仕事も手に入れられた。行き着いた先が今の生活だ、不満はないさ」
と、言葉とともに大河内さんは大きくハンドルを切る。スピードを落としたバンはやがて停車、そしてバックし始める。気づけば窓の外には、質素な佇まいのアパートの姿があった。
駐車しながら大河内さんは、少しだけ咎めるような色を声に混ぜつつ、
「ところでさっきも言った通り、僕は自分の過去を話すことに何の躊躇もないけどね。でも、そういう詮索を嫌う人も多い。誰彼構わず聞くのはお薦めしないよ」
「……はい、ありがとうございます」
一瞬謝るべきか迷ったが、本人の気にしていないという言を信じてそう応えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます