2-6 一緒にいろ

「ただいまー……ってあれ、カナちゃんたち何処行ったんだよ?」

 日向が席に戻ってきたのは、そのすぐ後だった。帰って来るなり首を傾げる彼女に目を向けつつ、正樹は内心、二人が間に合ったことに胸を撫で下ろしていた。

「アイツらなら先に出てった。ここ入る前に見た噴水あっただろ。もう一回見たいってよ」

「え~、待っててくれりゃいいのに」

 何食わぬ顔で正樹が肩を竦める。やや不満そうに目を細める日向を見つめ返し、正樹は椅子から立ち上がった。二人が置いていったお金と伝票を手に取って、

「お前が大して興味無さそうだったからだろ。噴水のイルミネーションなんかより、土産屋の方ガン見してたからなぁ」

「うぇ、正樹にしちゃ鋭い。なるほど、キミにまでそんな風に見られてたんなら、あの二人だって気づくよね」

「いちいち人を貶めねーと話もできないのか、お前は」

 正樹の台詞に憎まれ口を返す日向だったが、正樹は呆れ気味に苦笑を漏らすだけだ。口の端にはどことなく余裕が浮かぶ。

 今のが照れ隠しだったと見抜かれたような気分に陥り、日向は拗ねたように目を伏せた。どちらかというと、普段は日向が正樹を一方的にからかう展開が多いため、何となく落ち着かない。

 他方、正樹は日向をやり込めながらも、勝ち誇ったような態度さえなかった。いつもの直情的な彼とは、少しばかり似つかない姿だ。ちょっと見ない間に悟りでも開いたような落ち着きようが、日向には不気味にも感じられた。

「とにかく。さっさとあいつらと合流するにしても、ちょっとぐらいその辺の店覗くにしても、まずはここ出ようぜ」

 そう言って歩き出した彼の背を、またも日向は驚きとともに追う。

「って、どうしたんだよ正樹。いつものチキンハートはどこ行ったのさ。ここは「センセーに見つからないうちにすぐに合流するぞ」とか言うとこだろ?」

 レジに自分の分の代金を出しつつ、慌てた口調で言い募る日向。

 当たり前のことだが、班行動中は班員全員が一緒にいることが定められている。ばらばらに行動してはぐれたり、何らかのトラブルに巻き込まれることを防ぐためだ。もしこれに背いているところを先生に見つかれば、何らかのお咎めがあることは想像に難くない。

 会計を終えて店の外へ出るまでの少しの間、正樹は無言だった。不安に顔を歪めた日向がそれに続く。

「お前さ」

 通りに出た彼は、端に寄って足を止めた。そして、肩を並べた日向の方へ目を向けたかと思うと、また正面を向いてしまう。

 彼は、心なしか不機嫌そうな仏頂面で、ぽつりと呟いた。

「興味ないんだろ、噴水」

「え、あぁ~……そりゃそうだけど」

「あいつらが見たいって勝手に出てったんだから、無理にお前が付き合わなくたっていいだろ。それに、あいつらだってしばらく見てたいだろうしさ」

 頑なに日向と目を合わせようとしないまま、抑揚のない声で正樹はそう説いた。呆けた表情で、日向はただただ彼の横顔を眺めていた。

 違和感しかない。そんな感想を抱きながら、正樹の顔を穴が開くほど観察し続けた日向だったが、何の返事も寄越さない彼女に焦れたのか、不意に正樹が振り向くと、彼女の腕を掴んだ。

「ったく、いつまでボーっとしてんだよ。時間無駄にするくらいなら、さっさと行くぞ」

 吐き捨てるように言うと、やや荒っぽく彼女の腕を取って歩き出す。足の向かう先は、件の噴水とは逆方向だ。目を白黒させ、日向はされるがままに彼の後に続いたが、ハッと我に返ると、腕を掴む手を無理矢理振り払った。

 驚いた様子で振り返った正樹はそこで、怯えたような目で彼を睨む日向の姿に気づいた。

「ほ、ホントに何なんだよ正樹……いつもなら絶対こんなことしないじゃん。何があったんだよ。何か、怖いよ……」

 竦みあがった脚は小刻みに震え、瞳は今にも涙を零しそうに揺れている。次の瞬間にはその場にへたりこみそうな日向の様子を目の当たりにして、流石に正樹もバツが悪そうに顔を歪めた。

「んな顔すんなよ……」

 後ろ頭を掻いて、小声で漏らす。それでも自分の態度に反省するところはあったらしい。彼は足を止めたまま、それ以上日向に近づくことも離れることもせず、ただ真っ直ぐに彼女の眼差しと対峙していた。

 仏頂面を崩さない正樹を、日向はじっと見つめ続ける。正樹はすこぶる居心地が悪そうに肩を揺すったが、目を逸らそうとはしなかった。

 やがて彼は、大きく溜息をつくと、

「……いから……ろよ」

「え、何?」

 あまりに小声で呟いた台詞は、日向の耳まではっきりと届きはしなかった。思わず問い返す彼女に、正樹は一層眉根を寄せる。そして、唸るように、或いは噛みつくように告げた。

「いいから! とにかく、今は俺と一緒にいろ!」

 今度ははっきりと、聞き違える余地なく言い捨てると、耐えかねたように正樹はそっぽを向いた。対する日向は、完全に放心した様子で立ち尽くしていた。目はまん丸に見開き、口は間抜けにも半開きで固まっている。

 大半がフリーズした日向の脳内を、微かに残った知性が懸命に走り回る。結局それは、正樹の直前の台詞を繰り返し再生する程度の働きしかできなかったが、それでも日向はぼんやりとした直感を、そのまま口に出す。

「……え、ボクと一緒にいたいの?」

 質問と呼ぶのもおこがましい、単なるおうむ返しの言葉でしかなかったが、正樹の反応は覿面だった。彼は音がしそうな勢いで余所を向いていた顔を日向に戻しがなり立てる。

「誰がンなこと言った!? 「一緒にいろ」っつっただけだ! 「いたい」とは言ってねぇッ!!」

「えぇ~……」

 露骨に取り乱した正樹を目の当たりにして、日向は急速に冷静さを取り戻した。未だ憮然とした表情であらぬ方向を向いた正樹の横顔を、改めて凝視する。そして口元に、慣れた調子でニマリとした笑みを浮かべた。

 完全にからかうような声音で、

「へぇ~、そうなんだ~。あの正樹がボクとねぇ」

「何だよその笑いは。気持ちわりぃ」

 横目に彼女の表情の変化を見て取りながら、渋い口ぶりで毒づく正樹。だが、日向は堪えた風もなく、おもむろに正樹の腕にしがみついた。

 泡を喰ったように正樹がたたらを踏む。慌てて腕を引っ張り剥がそうとする彼だが、日向はがっちり組み付いたまま放さなかった。

「なっ、マジで何してんだテメェ!?」

「一緒にいてあげる、ってことだよ。正樹こそ何慌ててんのさ。さっきはあんな強引にボクのこと連れ去ろうとしてたのに」

「人聞きの悪いこと抜かすなっ。つーか腕組む必要ねぇだろ放せ!」

「当ててあげてんのに」

「当たってねえよ」

「この野郎……」

 日向を振り払おうとしながら唸る正樹と、それに抵抗しながら囁く日向。二人の応酬はいつしか普段通りの慣れ親しんだものに変わっていき、足並みが自然と揃う。そして二人の姿は、当てどなく人混みの中を流れていった。

 誰が待つこともない噴水に背を向けながら。

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